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PAGE 1 スペインへ→バルセロナ市内→ゴシック地区→サグラダ・ファミリア→グエル公園とオリンピック港→モンジュイックの丘→ロープウェイとバルセロネータ→ギターコンサートと夜行バスH O M E > 体験編 > 旅行記 > バルセロナ・マドリッド・パリ(1) ・・・外部リンク スペインへ 3年前にパリに行ってみて、今回再びヨーロッパを訪れたくなった。少しスペイン語を勉強して(少なくとも現地でなんとか用が足せるようなサバイバル・スパニッシュだけは習得し)またフランスとどこが違うのか比べてみたい。 12月8日と、これもほとんど3年前と同じスケジュールで、同じ時間の便のエール・フランスに乗る。これは翌日の現地午前4時の到着というものだが、そのあとのバルセロナ行きの飛行機とは2時間待ちで乗り継ぎができるのでバルセロナには午前8時台に到着という、その日の朝から動き始めることのできる設定だ。 この時期のパリ行きの飛行機は、一般の観光客もいるが、学校のいわゆる「修学旅行」としての団体が多い。これは夏休みはもちろん、年末年始の大混雑を避けてスムーズに移動しようという考えからだろう。もちろん運賃も1年で最も低い時期の一つだ。 隣に座った若い女の子たちも、料理の専門学校の研修ということで、13日間の予定で、ニースなどの南仏、そしてイタリアにまで足を伸ばすのだという。観光旅行というよりは、普段勉強している料理を実地に味わうということで、帰国する頃には相当体重が増加してしまっていることだろう。 12月9日パリのド・ゴール空港に到着した。気温は日の出前で4度ぐらい。さほど寒いわけではない。EU内での飛行機の乗り継ぎは、シェンゲン協定によって、手続きが国内航空並に簡素化されている。ただしド・ゴール空港ではアジア線とのターミナルが離れているため、連絡バスに乗らねばならず、乗客全員が揃うまで寒い中で長時間待たされるなどあまり快適ではない。 成田・パリ間の幹線と違い、バルセロナ行きは小さなエアバスだ。乗客は50人余りで、地面から懐かしきタラップをのぼって機内に入る。ここでまったく日本人の姿が見えなくなり、これから8日間日本語をしゃべることがなくなるのである。 バルセロナまでは1000キロも離れていないから、ちょうど1時間で到着してしまう。フランス内陸部は厚い雲でおおわれていたが、やがて雲の切れ目から朝日が射し、南の方向にはキラキラ輝くものが、つまり地中海が見えてきた。
すでにパリで入国審査を済ませているため、バルセロナ空港での面倒な手続きはない。トランクを持たない身軽な旅だから、すぐに一人で市内に出ようとすると、出口近くに警官が待ち受けている。さっそくパスポートの提示を求められた。東洋人は目立つのだ。 オリンピックが終わった後、一時期バルセロナは大変治安が悪かった。ヨーロッパでも最悪の部類だったから、国家の威信にかけても安全な街にしようと必死なのだ。それにしても街の至る所に警官が待ち受けているのはあまり快適ではない。 さて、市内までは20キロほどあるが、バスにすべきか列車にすべきか?午前8時の時間帯だから当然道路は市内に流入する車で渋滞しているだろう。そこまではよかった。列車に乗るためには500メートル以上離れた駅まで歩いていかなければいけない。しかも空港と駅とを結ぶ歩道橋が壊れていて工事中のため通行止めなのだ。 そのため国鉄では空港前から駅まで無料バスを往復させることにした。おんぼろバスがバス停に待っていて、駅まで連れていってくれた。所要時間約5分。駅からは街の中心までの切符を買う。さて無事乗ったものの、途中の駅で、アナウンスが流れ「この列車は都心まで行きません。いったん降りて向かい側のホームまで歩きそこから新たに別の列車に乗って下さい」というのだ。残念ながら都心までスムーズな直行列車ではなかったのだ。急に変更になったかどうかは不明。だが多くの乗客がぶつぶつ言っている。 乗り換えた駅のホームの番線を見ると、端から順に1,2,3,4番線と並んでいるのではなく、1,3,5,4というふうに順番がでたらめなのだ。このため空港からやって来た旅行客たちは右往左往する。これがスペインなのだ。結局、都心のサンツ駅に到着するのに、1時間半近くかかってしまった。バスにすればよかったと後悔するが、バスならまだ渋滞の中かもしれない。これも旅のうち。 列車内は大して込んでいない。居眠りをしている人も多いし、日本と同じく列車内での化粧も盛んだ。ただし禁煙は守られている。いったん乗り換えたあとはスムーズにいった。この街には2日間滞在するのだから、地下鉄サンツ駅の窓口で「2日間市内乗り放題」(TMB=Transports Metropolitans de Barcelona)の切符を買う。これはとてもお得だし、いちいち乗るたびに切符を買わずに済む。この国でもすでに切符の改札の自動化は都心に関する限り完全に終了しているから、この上なく快適なのだ。 個人旅行者にとって、「乗り放題切符」は何よりもありがたい。おそらくこのおかげで交通費も、かける時間も3分の1で済んだはずだ。事前に現地の交通局のことを調べておくべきだし、たいていのガイドブックには載っているはず。次には何よりも宿探し。この街の「へそ」である「カタルーニャ広場」駅に地下鉄で向かう。この広場のまわりには安宿が多いのだ(そうだ)。地下鉄から地上に出ると、広場から、海岸に向かう街路樹に挟まれた快適な大通り、ランブラス通りが見えている。 旅慣れた目には手頃な値段のホテルが左手にすぐに目にはいる。Toledano Hotel (実際はその階上の子会社?である Hostal R.Capitol に泊まった)という。エレベーターを4階まで上がり、一見普通のアパートに見える、典型的な都市型ホテルだ。残念なことに?ここのホテルの主人は英語があまりに堪能で、せっかく練習していったスペイン語を少しも使うチャンスがない。 シャワー・トイレが共同であれば、30ユーロを必ず切るといってよい。しかも場所としてはバルセロナ市内随一だから、これ以上のところは考えられない。ホテルに荷物を預けるとまずはランブラス通りを散策することにした。
ランブラス通りは、両端にはそれぞれ1車線の車道があり、真ん中が広い歩道になっている。しかも車道に面した両端には街路樹が植えられているので、実に快適で歩くのが楽しい構造になっている。日本でいうと、鎌倉の鶴岡八幡宮参道に似ているが、歩く部分がもっと広くてゆとりがある。 当然そこには屋台が建ち、真っ赤なカトレアをはじめとして季節の花や、この時期ではクリスマスが近いからそれに関した用品やらが並ぶ。小鳥、うさぎなどの小動物も売っている。また大道芸人の格好の活躍の場でもある。この道では楽器の演奏ではなく、さまざまに趣向を凝らした「銅像」になりきるのが主流である。 有名な俳優の格好をしたもの、バレリーナや怪物、などが身じろぎをしないで道ばたに立っているのだ。最も魅力的で独創的な「銅像」の前にはたくさんの小銭が投げ入れられる。子供たちは小銭を入れたあと、銅像の横に立って撮影をしてもらう。もっとも人気を集めていたのは自転車に乗っていてひっくり返り、積んでいた荷物に押しつぶされてしまっているポーズだ。これはもはや銅像ではなくパントマイムの一つといってよい。ここはいつも黒山の人だかり。アイディアと独創性が直接収入にひびく世界だ。 踊ったり、歌を歌ったり、楽器を演奏する芸人も多いが、あまり技術的に高いものはいない。彼らはまずできるだけ人を集めるまでは「演奏・演技」に入らない。投げ入れられる小銭が少ないと人々に訴え、もっと入れてくれるように促す。中には黒山のような人だかりを作る芸人もいたが、いったん芸をはじめると大してうまくないのだった。 海へ向かう道の中間地点ぐらいのところにサン・ジュセップ市場というのがあり、昔ながらのにぎわいだ。牛やブタの大きな屍体をぶら下げた肉屋や、色とりどりの果物を並べた店、いっぱい飲み屋が所狭しと並び、金曜日の午前中だというのに、歩くのにも苦労するほど混雑している。大都会の真ん中には駐車場を広く取ったいわゆる近代的な大規模店舗が作れないから、このようなタイプの市場が健在なのだ。 ランブラス通りの東側の地域がゴシック地区と呼ばれるのは、このあたりがバルセロナ発祥の地であり、まさに旧市街であるからだ。だからカタルーニャ広場から海の方へ向かう観光客は途中で左に(つまり東に)曲がって、古い教会や広場の立ち並ぶ方向へ向かう。 そこはかつての中世の街であり、その道幅は二匹のイヌがやっとすれ違うことができるくらいの狭いところもある。突然広場が現れたり、いきなりカテドラルが現れたりする。あのコロンブスがアメリカ大陸を発見した後、王に謁見するために上っていった階段もある。 迷路のような道をたどって行くと、サンタ・マリア・デル・ピ教会が現れた。その外壁はあまりにも古く今にも崩れそうである。英語を話す男がビラを配っている。明日土曜日の夜に、スペイン一のギタリストがコンサートを開くという。会場はこの教会の中。バスの出発時間までここで演奏を楽しめそうだ。すぐに入場券を買う。 この近くにはピカソの若いとき、いわゆる「青の時代」の作品を多く集めたピカソ美術館がある。ピカソの収集はパリにも、スペイン南のマラガにもある。あとで訪れることになるマドリッドのソフィア王妃芸術センターには「ゲルニカ」がある。 ここにも、ほかのスペインの街と同じくバル、つまり居酒屋が多い。チェーン店などなく、みんな個人の店だ。オムレツの中にジャガイモを入れたような、トルティーヤと白ぶどう酒を注文した。これだけバールをはじめとする飲みどころが多く、酒の肴が安くて豊富であれば、すっかり酒に浸ってしまいそうだ。 狭い路地を人間やイヌが行き交う。イヌたちは引き綱でつながれていることはほとんどなく、いわゆる放し飼いだが、危険を感じるようなど奴には一度も出くわさなかった。いじめる人などおらず、イヌの方でも人間を信用しているようだ。 「王の広場」の前に出る。15世紀にコロンブスが歩いたあとだけに、石の階段はすっかり摩滅し、若い女が一人座り込み、そばでは画家が自分の描いた絵を売っている。観光客も大勢通り過ぎるが、一般の人の姿も多い。かつてのバルセロナはこのせまい地域に集中し、城門に囲まれた小さな砦だったのだ。それでも地中海交易の中では中継基地として重要な地位を占めていたらしい。
ゴシック地区の東の端に地下鉄の駅があった。バルセロナはオリンピックで開通して以来、きめ細かな路線が張り巡らされており、車両は小ぶりながらどこに行くにも便利だ。ホームの時刻表示はその列車の発車時間を示してはいない。「6 min 」となっていれば、あと6分でホームに到着することが分かるユニークな方式だ。せっかちな日本人にはぴったりのやり方だろう。列車がホームに入ると時刻表示は「 entrada (入線)」と出て、今度は次の電車があと何分でやって来るかが示される。 駅で二つほど北にある北バスターミナルで、明日のマドリッド行きの切符を買う。何しろこの国の第2の都市から首都へ向かうのだから早めに買っておいた方が安全だろうと思っていたら、午後10時以降の夜行バスはすでに3本のうち1本は満員になっていた。なお、午前1時や午前2時発というバスもあるのだ。夜中まで遊びまくる人の多いスペイン人の生活習慣を反映したものなのだろう。 ゴシック地区から北へさらに地下鉄で出ると、もう新市街だ。そこにはあのサグラダ・ファミリアがある。英語で言えば Sacred Family つまりイエス・キリストと、その母マリア、父ヨセフのいわゆる「聖家族」である。 地下鉄の出口を出ると、いきなりあの有名な塔が現れた。まだ完成は300年ぐらいあとであり、工事中でクレーンが間に立っているのがかえっていい。この建築物は、設計者ガウディが天才だということをすんなりわからせるようなインパクトがある。塔の表面にはいろいろの文字が彫られており、その中にはHosana (ホサナー栄えあれ!)という文字がひときわ目立つ。 建物もすばらしいが、あんぐりと口を開けてそれを見上げる観光客の姿もおもしろい。入場料を払えば、中に入って塔の上の方まで行けるのだが、これは外から見たほうがよい。塔が地上からいきなり突出しているために、人々はみんな首が痛くなるほど曲げて見上げているのだ。 敷地を一巡する。尖塔は何本も造られており、これからも増設されるのだろう。窓を覗き込むと、中はまだ未完成のまま、あるいはがらんどうだ。人々の寄付で建設費をまかなっているとすれば、これから完成まで何百年かかるか予想もつかないが、オリジナル・アイディアが素晴らしいだけにいつか必ずできあがることだろう。 。
サグラダ・ファミリアからさらに北へ2キロほどゆくと、街全体を見渡すことができる高台の一つ、グエル公園がある。こんな移動が自在にできるのも地下鉄の乗り放題券のおかげだ。すでに元は取るほど乗っている。 バルセロナは港町で、雰囲気は何となく神戸に似ている。ただ山がそんなに海まで迫っていないので、市内は比較的平坦だ。北の高台がこのグエル公園、もう一つは明日行く予定になっているモンジュイックの丘である。 最寄りの駅についてすぐ目の前の上り坂を歩き始めたが、さすがにオリンピックを開催しただけあって、観光客へのサービスは抜群だ。無料のエレベーターがついているのだ。下から見上げるとはるか上まで直線でエスカレーターが何連にもつながっているのだ。もっとも最後の降り口に大きなイヌの糞が転がっており、誰かが踏んづけて大きくへこんでいたのはいただけない。 公園の入り口からは自分の足でのぼることになる。すでに午後3時も過ぎ、太陽も傾きだしたようだ。冬だから植物に生彩はないが、ガウディの設計した公園らしく、散歩道が巧みに造られている。大勢の人がさまざまな方向から最高地点を目指して上がることができるのだ。頂上はそう、日本で言うところの港を見下ろす「日和山(ひよりやま)」である。近くにはガウディ博物館もある。 地中海の明るい群青色(Azul アズュール)が見えたのだから、今度は海辺に行くべきである。再び地下鉄で海岸方向である南に進めば、ヨット競技の会場になったオリンピック港 Port Olimpic に出た。二棟の高層ビルがうしろに控える港には無数のヨットがひしめいている。その数は東京オリンピックのときに作った神奈川・江ノ島港の比ではない。 すでに夕暮れとなり、地中海を太陽が斜めに差している。海はきわめて平穏だ。風もなく波もまるでなく、まるで湖のようである。ここから東へ少し行けばフランスとの国境であり、さらに行けばマルセイユとなる。そのせいか、このそばにある駅の名前はフランサ(=フランス)駅という。南を向けば、その水平線の向こうにはアフリカ大陸が、アルジェリアがあるのだ。海岸沿いに西の方にはオレンジの名前で有名なバレンシアがある。 昼のうちにあらかじめ目をつけていた、ピカソ美術館近くの飲み屋で、パエリアを食べてみよう。パエリア・ネグラとは「黒パエリア」つまり、イカスミを入れたものだ。最後にデザートのつもりで頼んだきれいなケーキ状のものは何とポテト・サラダだった。カウンターの上に並んでいるいわゆる「つまみ」は地元の人でないと材料がわからないものが多いから御用心。 それにしても、カタルーニャ広場の前の午後6時以降の人混みのすごさは何ということだろう。クリスマスの買い物のせいだろうか、男も女も年寄りも子供もみんな出てきたようなものすごい雑踏。広場の一角はデパートだが、こんなに大勢の人間が広い空間を埋め尽くしているのを見たのははじめてだ。
オリンピックの前まではモンジュイックの丘といってもただのうっそうとした森だけだったらしい。ここにオリンピック・スタジアムができ、一連の施設ができたために、新たな観光名所になった。丘の上までは北にあるスペイン広場の駅から延々と階段を上って行く手もあるが、東側には、地下鉄の駅の一つから分岐した、フニクラ(ケーブルカー)があるし、港に面した側にはロープウェイもあるのだ。 フニクラは乗り放題券で乗れるので、翌日はさっそくこの乗り物で丘の上に上がった。フニクラの降り場から最初のところにミロ美術館があるのだ。地下鉄の通路の広告で見かけた Articket BCN という切符を買った。これが大成功。1枚の切符で6つの美術館を格安で見ることができるだけでなく、混雑して切符を買うだけでほかの観光客が長時間待たされている、カタルーニャ美術館ではフリーパスで館内にはいることができたのだ。 カタルーニャ美術館はこの地方、つまり首都のマドリッドとは別の自治州であるカタルーニャ地方の古今の作品を集めてある。その中には北部の山中の修道院や寺院からはがしてきた壁に描いた聖像のコレクションもある。 この街の観光客誘致の努力は並々ならぬものがある。他にもいろいろなディスカウントのシステムがあることがあとでわかった。カタルーニャ美術館があまりに大きいため、結局6つのうち、あとはバルセロナ・現代美術館に行っただけだったがいずれもなかなか見応えのある施設だった。 カタルーニャ美術館を出ると、大きな階段が下の方に延びていて、途中に噴水がありその先はスペイン広場である。スペイン広場はこの国のどこにでもある名前だが、ここの周辺はビジネス街のようだ。 バルセロナ現代美術館 はモンジュイックの丘ではなく、カタルーニャ広場の近くのごみごみした町中にある。うまく見つけられたのは幸運だった。建物はモダンでも、まわりのアパート群はぼろぼろの建物が入り組んでいる地域だったからだ。 この美術館の展示は意欲的であり、普通なら敬遠して近づきがたいような過激な前衛芸術家の作品でもここで見るとなぜか親しみや興味を覚えるのだ。自分の裸体を写真にとって展示するお祖母さんなど、4人ほどの個展をやっていたが、写真やら造形やらとにかく独創的なのだ。
どこの港町でも、港の風景は人気がある。港を一周する遊覧船が必ずといっていいほどある。バルセロナもその例外ではない。だが、これに加えてここでは港の真上を横断するロープウェイがあるのだ。 このロープウェイはフニクラの終点であるモンジュイックの丘から港の一部を横切って、バルセロネータというレストランの建ち並ぶ浜辺につながっている。丘の上からの港の眺めも悪くないが、ゴンドラの上から見下ろす風景はもっとスリルがある。 待ち時間が30分だったのに対し、乗っている時間はわずか5分ほどだが、前日歩いたランブラス通りをはじめとして、港周辺の道路や施設が一望の下に楽しめる。バルセロネータに到着すると、そこは浜辺の散歩コースだ。 昨日に比べると、地中海の海が少し荒れている。よく見ると、砂浜が急に海に向かって落ち込んでおり、ちょっとした波浪で大きな波が立ちそうだ。浜辺は大きくえぐれて、ここにもヨットハーバーがあり、まわりは高級レストランが取り囲んでいる。 ヨットハーバーをぐるっと一周して西に向かうと、コロンブスの像が見える。ここはランブラス通りの海岸での終点に当たる。この道をさかのぼれば、昨夜泊まったホテルを通ってカタルーニャ広場に出るのだ。 ランブラス通りの途中にあった店で夕食にピザを食べる。イタリアとは文化も似ており、互いに行き来は頻繁であるだけに、イタリア料理はスペインでもごく普通に見かける。おもしろいことに日本では普通に置いてあるはずのタバスコがない。あれはアメリカ人が発明したものなのだ。もちろんタバスコがなくても十分おいしく食べられた。さて、これでコンサートに行く前の腹ごしらえが完了した。
前日買ったチケットを手に、昨日訪れたサンタ・マリア・デル・ピ教会へゆく。すでに入り口の前には長蛇の列ができていた。中にはいるとほとんど満席。500名はくだらないだろう。このギタリストの人気が伺える。暖房がなくても人々の熱気で少しも寒くない。 いつもなら神父が説教をしたり儀式を執り行う祭壇の前に彼が一人で座り、独奏を行うのだ。ギターはもともと音量が乏しいから、演奏者と最後列の間には、二組のスピーカスタンドがすえられている。あまり音質がよいものではないが、会場の誰でもが平等に聴くことができる。 演奏開始は午後9時。日本の標準からすると、遅いような気がするが、これでも早いほうなのだ。若者向けのロックや流行歌なら、もっと遅く始まり、午前2時、3時は普通だ。 今回は教会に集う人々だから、家族連れやお年寄りが非常に多い。演奏者は Manuel Gonzalez という。曲目はアランフェス協奏曲を中心に大小取り混ぜて1時間ほど。彼の演奏はたしかにうまいが何となく不安定で、ミスをしていたような気がするが、人気は絶大で、最後にはアンコール曲として映画「禁じられた遊び」の主題曲である「ロマンス」で拍手喝采のうちに幕を閉じた。 10時15分を過ぎると心配になってきた。何しろマドリッド行きのバスは11時に出発だ。バスターミナルまでの経路はちゃんと確認してあるものの、もし乗り遅れたらことだ。終了と共に教会を飛び出して地下鉄に飛び乗る。昨日はじめて到着した街だが、どうしてなかなか手慣れたもの。 乗り遅れはしなかったが、バスターミナルに着いてみると、すでにほとんどの乗客はチェックインを済ましており、空いた席に座らされることになった。この時わかったのだが、日本のように券を買った時点で指定席が決まるのと違い、乗る時間の少し前に来て窓口でチェックインをしたその時に、順次席を割り当てられるのである。だから出発ぎりぎりに駆け込むと席はあっても空いたところに適当に座らされることになる。 運行しているのはAlsa バスといい、バルセロナ発午後11時、マドリッドには午前6時半に到着予定。距離的には500キロぐらいだから東京・大阪間と同じぐらいだ。料金は片道25ユーロちょっと(上級クラスのバスは36ユーロ)だから恐ろしく安い。交通費は日本とは比較にならないほど少なく済むのだ。乗客はほとんど満席。この2都市の間には1日20往復が走っている。鉄道はあっても値段と本数を比較するとはるかにバスの方が有利だ。というよりは国鉄は営業努力を怠っているのではないだろうか。この区間は交通関係者にとってはドル箱だから、工夫次第でいくらでも客が集まるはずなのに。 バスターミナルを出るとすぐに高速道路だ。と言っても日本のように一般道路と高速道路の区別が厳然としているわけではない。多くは無料だし、高速区間と言っても簡単なガードレールで仕切ってあるだけで、違いと言えば最高制限速度が時速100キロか120キロであるというぐらいだ。 東名・名神高速道路のあの深夜の混み具合を知っている人は、こちらの高速道路の空き具合にはあきれてしまうだろう。昼間はともかく深夜は道路沿いの照明灯もなく、前にもうしろにも車の姿は見えずたまに対向車が見えるだけ。バスはひたすら単独行を続ける。途中2回のトイレ休憩があったが、バスにトイレはついていない。(上級クラスのバスの場合はその限りにあらず) |