熊本・鹿児島・宮崎

(2006年7月)

熊本・鹿児島・宮崎

日田・柳川熊本市鹿児島市・知覧宮崎市・綾

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2006年春の別府からさらに続けて、今回は南九州を回ることにした。小倉駅にたどり着くには今までのように「青春18きっぷ外部リンク」を使用したが、梅雨前線が九州地方に停滞し、未曾有の豪雨をもたらしたためにかなりのルート変更を余儀なくされた。宿泊も一泊増えてしまったので、帰り着いたときは財布に1500円を残す有様だった。

日田の祇園祭

前回と同じく、新大阪発博多行きの「ムーンライト九州」に乗り込んだ。いつものように、若者が大勢乗り込んでいるが、今回となりの座席に座った人は、私よりひとまわり年上の兵庫県相生市に住むおじいさん。年金暮らしの中から旅費をひねり出してこの「青春18きっぷ」をしょっちゅう愛用しているそうだ。

この鉄道マニアはとても徹底している。ノートを広げてこれまでやって来た詳細な記録を見せてくれた。鉄道路線でまだ踏破していないところはずいぶん残り少なくなっている。次回行く予定の松江で彼が常宿としている安い宿を紹介してもらい、小倉駅で別れた。

おじいさんの提案で、かつての炭坑街をつないでいた日田彦山(ひたひこさん)線に乗って一路南下する。あちこちにボタ山のあった起伏が残り、険しい山はなく丘がうねるように続いている。もちろん単線でローカル色が濃い。川の流れが途中で真っ赤になった。途中には「採銅所」などという駅もあるのだ。

日田の二つ手前の駅「夜明」で、久留米と大分を結ぶ久大本線に合流するのだ。共に単線であり、これまで比較的高いところを走ってきた線路が大きく左にカーブして谷を走る路線に交わるのはなかなかの壮観。そしてこの駅近辺は「男はつらいよ・寅次郎紙風船」に出てきたところ。

列車は日田駅に到着した。日田市外部リンクの駅前は閑散としているが、実は駅からやや離れたところに、豆田町という、江戸時代には幕府の直轄地、つまり天領だった古い町並みがあるのだ。ここは以前出かけた杵築(きつき)の武家屋敷とは違い、典型的な商人の町である。かつての姿が忠実に復元されている。

狭い通りの両側に今はそのほとんどが観光みやげ屋ではあるが、さまざまな店がずらっと並ぶ。しかも小さいが緑豊かな川沿いには遊歩道が整備されている。ここに来た理由は、たまたま今日、7月21日は4,5百年前から続く祇園祭の日で、町の中を山鉾(やまぼこ)が練り歩くからなのだ。

折からのしのつく雨が次第に強くなり、無惨にも山鉾はビニールをかぶせられていたが、それは引く若い衆は元気いっぱい。山鉾の中に、太鼓たたきや笛、三味線を鳴らす者が調子よく景気づけをしている。やがて次々と4台の山鉾が姿を現した。それぞれが町内の名前を染めた法被(はっぴ)を着たグループを作っている。

もちろん京都の祇園祭とは規模の比較しようもないが、一軒一軒回って挨拶をする獅子舞(ししまい)に人々は商売繁盛の願いをこめるのだ。低い山々に囲まれた盆地である日田には川(花月川)が流れており、川向こうの月隈山には城跡と神社がある。

すぐ横にある高校の体育館から昔懐かしい剣道練習のかけ声が太鼓の音と共に聞こえてきた。最近では武道のクラブは日本中どこでも消滅寸前になっているというのに、九州に来てみると、何度もその練習風景を見かけた。

町内を回った後、月隈山公園に登る。途中の山道には、昔の(縄文人?)の墓があったという横穴が点在する。アヤメ園は見ることができなかったが、公園を取り巻く蓮(はす)池では、蓮の花が2つ3つ咲いていた。

列車を待つ間、近くのラーメン屋で「久留米ラーメン」を頼む。豚骨スープは関東でも味わうことができるが、少し味が違うようだ。従来のスープの他に何か魚(アナゴか何か?)をダシにとったような匂いが加わっている。これから2,3回食べてみよう。

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日田駅
日田駅
日田市豆田町内地図
町内を流れる川
商店街入り口
獅子舞の列
各家の前で挨拶をする
ビニール包みの山鉾が登場
月隈山公園にて原始人の墓
月隈山公園にて開花した蓮の花

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柳川の運河巡り

ここから熊本に向かうのだが、お天気はどうやら豪雨にはならないようなので、運河の町、柳川を訪れることにした。これまた「男はつらいよ」の映画に出てくる街だ。久大本線を久留米市までゆく。ここから西日本鉄道大牟田本線に乗り換える。ところがJRの駅と西鉄の駅が、徒歩30分余りも離れているのには驚きだ。途中豪壮な市庁舎の高層ビルに目を奪われながら重い荷物を背負ってようやく駅にたどり着く。

ここから西鉄の柳川駅を目指す。この線路は鹿児島本線とだいたい平行して南下しており、同時に熊本に近づいていることにもなる。この私鉄沿線はのんびりしたもので、ワンマンカーの各駅停車がホームを離れてまもなく急停車した。なんと、遅れてホームにたどり着いたおばさんを乗せてやるためだったのだ。首都圏なら「かけこみ乗車」で大目玉を食らうところだろう。田舎のバスの感覚なのだ。

北原白秋のふるさと、福岡県柳川外部リンクの町には二本の川が流れすぐに有明海に注いでいるが、その間にたくさんの運河というよりは掘割を掘った。ここでの売り物は何といってもイタリアのヴェネツィア並の小舟による遊覧である。船頭が櫓をこぎながらガイド代わりをする。狭い運河には文字通り柳の木が植えられ、歌碑があちこちに建ち、しっとりした風景は、画家の創作意欲を誘うようだ。

ただし観光コースになっている運河はよく整備されているが、ひとたび昔の流れに入り込むと、そこは雑草ならぬ水草が生い茂り、急速に沼地化している。運河網はかなり広大なゆえになかなか全体の手入れが追いつかないようだ。

舟に乗るのもよいが、近距離なら川沿いを歩いてもいいし、レンタサイクルでもう少し大きく回ってもよい。いろいろなコースが可能で、もっと時間があれば有明海まで足を伸ばしたい。ただ残念なのは、一歩川や運河から離れると、そこには車がひしめき、日本のどこの町とも変わらない風景に出会ってしまうことだ。

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久留米駅にて
久留米市庁舎
柳川の舟だまり=欄干橋を臨む
運河のメインストリートでかなり幅広い
水門に架かる橋=柳川城堀水門
支流は浅く幅が狭いがいっそう情緒がある

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熊本市へ

柳川駅からさらに西鉄に乗って南下すると大牟田駅が終点となる。ここはJRと駅がとなりあっていて、すぐに乗り換えることができた。もうそろそろ夏祭りなのだろう。駅前からは踊りだしたくなるような甲高い笛の音が聞こえてくる。

夕方6時過ぎに熊本駅着。この近辺ではどんよりと曇ってはいるものの、雨は降っていないが、熊本県南部と鹿児島県ではものすごい豪雨だそうだ。熊本市外部リンクにも市電がある。広島、長崎、高知、松山と、市電のあるところはいずれも繁華街に活気がある。

ここの市電は乗車距離が伸びると料金が加算されるシステムだが、客の数は多いし、電車の本数も多い。泊まる予定のホテルのある盛り場は「上通」「下通」「サンロード新市街」と呼ばれる界隈にあり、JRの駅とはかなり離れているが、市電で一本だからはじめてきた人も迷う心配がなく気楽に出かけられる。

立派なアーケードが縦横に走っており、土曜日の夕方ということもあって非常に人の流れが多い。もちろんバーやスナックもあるが、広島のように身の危険を感じるような場所はないようだ(というよりはたまたまそういうところを通らなかったのか?)ここでは神輿(みこし)の行列にあった。この町の建設者、加藤清正公の名をとった祭りだ。

県の物産を集めたセンターで、15種類もの葉や木の実を混ぜ合わせたお茶を買う。これは肥後の特産らしく、いろいろなメーカーがあるが、すぎな、どくだみ、はとむぎなどそれぞれ単独で飲むとどうもクスリ臭くていやだという向きにはぴったりのお茶だ。普通の緑茶だと高級品は目の玉が飛び出るし、低級品は味の素の味がするので、選択がむずかしい。このタイプはとても香ばしいしこれだけいろんな種類のものが入っていればなにか身体にいい成分もあるだろう。

センターの裏側には「おてもやん」の銅像がある。広辞苑によると、(1)熊本地方で下司な女の蔑称(2)熊本地方の民謡、とあるがさてどちらだろうか。政治家や偉人でないところがいい。

飲食店街にはいると、至る所に「馬」の字が目に付く。熊本は馬の肉の料理が有名なのだ。馬刺、馬ホルモン、馬料理全般、などと看板がある。郷土料理と銘打った店はなるほどそれなりのものを食べさせてくれるが、庶民の懐からすると高すぎる値段設定になっていることが多い。

だから、大衆食堂で、「馬」のメニューがあるところを探す。「馬ホルモン」なんて今まで一度も食べたことがなかったけれど、牛やブタのホルモン料理と特別違うわけではなかった。店の人に「一味唐辛子」をかけるようにすすめられたが、特に臭みがあるわけではない。それに焼酎があればどんな熊本料理に合うはずだ。

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水前寺公園→熊本城

翌朝、九州南部ではいっそう激しく雨が降り、道路も鉄道も寸断されてどこにも動けない。ところが不思議なことに熊本市内ではたまに霧雨のように降ってくるだけで、むしろ涼しくて気持ちがいいくらいだ。今日一日市内観光をすることにした。

歌手の水前寺清子が名字をもらったという水前寺成趣園(じょうじゅえん)は市の中心からやや離れたところにあるが、これも市電の路線沿線にあるので大いに助かる。今のところは霧雨程度だから、午前中に行って帰ってくれば雨に降られずにすむかもしれない。。

この庭園は大きな神社(出水神社外部リンク)の付属として造られているのだ。入り口からはいると、桃山様式の見事な造形である。回遊式だから自分で歩き回ってもっとも気に入った風景を楽しむのがよい。金沢の兼六園と違って、豊かなわき水を使った池が中心であり、特にピラミッドのような小山(実は富士山に見立てている)が目を引く。その表面は一面芝生で覆われているので、緑の絨毯のようだ。

この一帯は阿蘇山麓で降った雨が再びわき上がっているところ。だからその水も味がまろやかで「長寿の水」と呼ばれて重宝がられている。そしてその豊かな水が庭園全体を潤しているのだ。池に沿って一周すると角度によって多様な景色が展開する。

再び市電で市内中心部に戻る。空模様があやしくなってきたが、傘を差すほどの雨は降ってこない。町中を流れる坪井川をはさんで、町いちばんの繁華街、「上通」「下通」と向き合っているのが、熊本城を中心とする公園である。

西南戦争開戦3日前に木造部分はほとんど焼けてしまったが、熊本の人たちは歴史を再現するのに熱心であるようだ。大小天守閣を含めてその大部分が再建され、さらにのこりの部分(本丸御殿大広間)も今建設中である。石垣は、「忍者返し」といって最初は緩い勾配であるが途中で急に角度が上向きになっている構造。しかも通路がわざとジグザグに造られているために攻め込んだ兵たちは直進できず右往左往することになる。

天守閣は6階建てほどの高さだが、途中の部屋は歴史博物館として活用され、登って行く途中で城を巡るさまざまなエピソードに触れることができる。幸いまだ夏休みが本格的に始まっていない時期なので込み具合は大したことはない。しかも大雨警報は出ているから多くの観光客は外出を控えている。

大小の天守閣の他に、当時の文化的なセンターであった、「数寄屋丸」や警備の兵たちが集まる「宇土櫓(うとろ)」の3つの棟からなっており、どの建物も説明がしっかりしてわかりやすい。ここに来て突然豪雨が襲ってきた。まったく何も見えないほどの激しさである。だがここではこの3つの建物の間を移動する以外はすべて屋内だから、問題ない。雨が上がったころにすべての見学を終えた。

豪雨のせいで交通はほとんどマヒした。JRはどの路線も運転見合わせ、わずかに残った運転区間も著しい遅れが出ている。高速道路はもちろん、一般道路も大部分が閉鎖されている。どこにも移動することができない。熊本でもう一泊することになった。

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中心部「下通」付近を走る市電=現代美術館より
水前寺成趣園入り口より
築山の妙=富士山
阿蘇山系からわき出た清涼なる池の水
熊本城天守閣
忍者返しを持つ石垣=竹の丸より
加藤清正公のまつり=アーケード内で
おてもやんの銅像=交通センター

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鹿児島市へ

翌朝、雨は小康状態になったが、鹿児島県に抜ける路線は新幹線を除いていずれも運休か、著しい遅れが生じている。仕方がない、熊本から新八代を経て鹿児島中央までは新幹線で行くことにする。このため「18きっぷ」は使えないから、新たに乗車券と特急券を買うことになる。しかも最後までほとんど徐行運転だった。

新幹線は、南九州にとっては悲願だったのだろう。どこの駅でも「つばめに乗りましょう」とポスターがいっぱい貼ってある。熊本から新八代まではまだ開通していないから、「リレー特急」という在来線の列車に乗り、新八代で乗り換える。

驚くべきことに、列車内ではすべての乗務員が客室にはいる前と出てゆくときに必ず客に向かって一礼してゆくのである。まるで神社に参拝するかのようであった。東海道では新幹線はただの通勤列車であるが、ここでは将来の大切なドル箱なのだ。

ただし車窓風景はほかの新幹線と同じくトンネルと防音壁の連続で、地下鉄と同じ。徐行運転していたからまだよかったものの、もし高速でとばしていたら、外は何も見えない。窓を作る必要なんかないのではないか?ビジネスマンにとっては有り難いだろうが、旅人にとっては何のメリットもない。

ようやく鹿児島市内に入り、鹿児島中央駅(かつての西鹿児島)に到着。ただの鹿児島駅もあるから要注意だ。またいつなんどき雨が降り出すかもわからない。市内の観光は翌日にまわすことにして、まずは最も遠い目的地、知覧(ちらん)に向かうことにする。

ここもまた繁華街はJRの駅から離れていて、島津家の天文台があったところから、「天文館」という。だが市電が発達しているから実に気軽に移動することができる。地下鉄だと階段を下りて切符を買って、ホームに出てとやっかいだが、市電なら横断歩道を渡ればひょいと飛び乗ることができる。

観光案内所で新聞紙大の市内地図(エスタイル・カゴシマ外部リンク)をもらう。至れり尽くせりの情報満載のパンフレットで、観光局が力を入れていることがよくわかる。ただ町中で広げてみていると観光客とまるわかりで恥ずかしい。ここにのっている店でこのパンフレットを見せると特典があるのだ。あとで調べてみたら3軒も訪れていた。もっとしっかり読んでおけばよかった・・・

この町は銅像の数がやたら多く、標識も完備している。そして人口(約60万)の割に中心部に活気があって、地方都市で見慣れた光景になった「テナント募集」の張り紙が非常に少ない。

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知覧

天文館には山形屋というデパートがあり、そこにバスターミナルが付属している。大急ぎでそこへ向かったわけだが、ここが知覧行きの始発であっても鹿児島中央駅を経由してゆくのにはがっかりした。一路薩摩半島の中央部へ向かう。

最初のうちは、錦江湾ぞいに進む。この湾は非常に大きく桜島を背景にもって海水も汚染されておらずたいへん美しい。やがて海岸から離れて小高い丘陵地帯に入ってゆく。やがて人家がまばらになり、サツマイモなどを栽培している畑が中心となってきた。

約1時間半後、知覧特攻平和会館外部リンクに到着。ここは第2次世界大戦中に特攻隊員が飛び立っていった、ぜしその歴史を語り継がなければならない施設の一つなのだ。飛行機の展示、神社、観音、特攻隊たちの宿舎の復元、そして出発の間際に親や兄弟に宛てた手紙が並べられている。

ちょうど小学生のグループがおおぜい見学に来ていて、館長さんが子供たちにわかるように説明をしていたが、大人も聴講できるので一緒になって聞かせてもらう。話題は特攻隊員の個人的なエピソードを中心である。一人の若者は、自分はきっとホタルになって戻ると旅館のおばさんに言い残して出発していった。その晩、旅館の窓を開けておくとホタルが一匹迷い込んできたという。

平和会館の隣には、ミュージアム知覧(知覧町立博物館)がある。こちらは民俗史料が展示されており、武家屋敷のこともここで初めて知った。地味だから隣の平和会館の人混みとは対照的にほとんど人がいない。だが、日本の中心から遠く離れた場所での民芸は独自の発達を遂げており、興味深い。

じつは知覧が有名なのは特攻隊員だけではない。昔の「郷士」たちが住んでいた武家屋敷と庭園外部リンクが保存されている地区があるのだ。薩摩藩は、鎌倉時代からの武士の伝統が強く残っていたことで有名だが、彼らはシンプルな生活を営み自給自足をしながら文武に励んだという。

というわけで平和会館から武家屋敷まで徒歩30分も炎天下を歩くはめになったが、訪れてみることにした。武家屋敷の区域は別に柵で囲ってあるわけではないが、それぞれの端と、中央あたりに7カ所の入場きっぷ販売所があり、そのどこかで買うことになっている。まったく券を買わないでも見学できそうな、のんびりしたシステムだ。

知覧は川を中心にして谷間に発達した地域だ。その細長い平地に川と平行に道路を造りその両側に武家屋敷を造ったのだ。それぞれが見事な庭園を持ち、中には京都の枯山水を思わせるようなデザインもある。また沖縄の様式の影響も受けているようで、門をくぐると目の前にドンと石垣が立っていたりする。これは侵入した敵が直進できないようにする工夫であり、ほかに魔除けの印などが目につく。

武家屋敷といっても別に豪壮なものではない。逆に清潔で質素そのものであるが、これこそ鎌倉時代からの本来の武士の精神をよく表しており、まわりの山々の静けさといい、無駄を省いた道路の構造など、印象に残る町並みである。しかも昼間は車輌通行止めだ。

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巨大な観覧車のある鹿児島中央駅前
知覧の特攻平和観音堂入り口
両側に灯籠が並ぶ観音堂への参道
民俗史料としての薩摩の食事=ミュージアム知覧
薩摩は東シナ海に面している=ミュージアム知覧
武家屋敷のメインストリートは整然としている
メインストリートと直角に交わる支道
庭園の一つ
2軒をつないだ形式の民家=二ツ家
琉球風の石垣。侵入者はまっすぐ進めない

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桜島

翌日は、鹿児島の市内見物に出かけることにした。なかでも距離的に最も遠いの桜島である。天文館から歩いて15分ほどの桟橋から市営のフェリーに乗る。時間にしてわずか15分ぐらいで、対岸の船着き場に着いた。あいにくこの悪天候で雨は降らなくても山頂には厚い雲がおおっている。

フェリーを下りてすぐに目に付いたのがレンタサイクルだ。火山砂防センター→固まった溶岩の中→なぎさ遊歩道→ビジターセンターの順に巡るように店の主人に勧められた。垂水(たるみず)に続く国道224号線は車の通行が多い。

時間的に早すぎて残念ながら火山防災センターはまだ開館していなかった。桜島が噴出する火山灰のために、斜面では崖崩れの危険があり、ここではたえず砂防ダムを作り続ける必要がある。横にある川には水が流れていない。この先に林芙美子の歌碑があるという。ところが行けども行けども標識がない。見落としたのかしら。

時間も迫ってきたので仕方なく、両側に溶岩が固まったままの姿で転がっている道を戻ることにする。ところどころには避難壕が設けてあり、万が一桜島が大爆発を起こしたらこの中に潜ればいいのだ。猫が一匹、中が涼しいのか寝転がっている。

遊歩道は海岸沿いに設けられているが、非常に距離が長く、歩くのはつらそうだ。自転車がちょうどいい。さまざまな形をした溶岩が横たわり、西郷岩とかいろいろなニックネームがつけられている。ここからの錦江湾の眺めも非常に綺麗だ。まわりは水深が浅いせいか海水の色がずっと明るい。

遊歩道の終点がビジターセンター。時間的に早かったのでまだ掃除中だったが、中に入れてもらえた。桜島はこれまでの何回も噴火を起こし、多数の犠牲者を出している。火山のすぐそばにこんな大きな都市ができてしまったわけだが、爆発のときは市内にも大量の火山灰が降り注ぐという。

レンタサイクルの時間が少し余ったので、ビジターセンターからフェリー乗り場のあたりをうろうろする。桟橋のすぐ隣がなんと海水浴場なのだ。小さいがまだだれも来ていない砂浜に監視員がヒマそうに座っている。防波堤に囲まれて波のない、真っ青な海水浴場だから泳いだらきっと気持ちがいいだろう。

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市営の桜島フェリー
火山爆発の時のための待避壕
黒いのは溶岩のかたまり=錦江湾を臨むなぎさ遊歩道で
鹿児島港から桜島を臨む

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照国神社

市内に戻ると、市内一周バスのバス停に向かった。最近多くの都市で行っている観光客向けの乗り降り自由の名所巡りバス路線(カゴシマ・シティビュー)だ。1時間に2本運行され、一日乗り放題で600円で、4回乗ればモトがとれる。しかも多くの施設が割引料金で入れる。再び天文館に向かい、照国神社参道を登って行く。実は前の晩この道を偶然見つけていこうと思っていたのだ。

どうやら当地では梅雨が明けたらしい。午後からはとんでもない炎天となった。さすが南国だ。神社へは登り道と階段だからいよいよもって汗が吹き出る。この神社は島津家の名君、斉彬(なりあきら)公を祀ったところだ。横に入場料自由投げ込み式の資料館がある。

鹿児島といえば誰でも西郷隆盛を思い浮かべるが、その師とも言うべきひとで、西洋式の技術をいち早く取り入れただけでなく、自分たちでも工夫し、外輪船や溶鉱炉まで作ってしまった。斉彬は急死するが、これは病気ではなく毒殺だと考える人もいる。

これから町の東にある磯庭園に向かう。国道10号線を隔ててバス停の向かいには西郷隆盛の銅像があった。これは東京の上野公園にあるものとは違って、立派な軍服を着ている。

磯庭園・集成館

この一周バス停留所から、西郷隆盛が自決した洞穴の前を通過した後、北上して錦江湾に面した「磯庭園外部リンク」に向かう。ここは島津家の別荘があったところだ。廃藩置県の後に島津家の殿様はこの場所に移った。ところで鹿児島には普通の感覚での石垣の城や天守閣がない。歴代の殿様は「城で守る」のではなく「人で守る」という哲学をもっていたからだと言うが、実にユニークな土地柄である。

磯庭園が見事なのは、その庭園造りが桜島を借景にして作った壮大な設計だと言うだけではない。なりあきら公の技術を実現する、いわば鹿児島の技術センターであった「集成館」があったところでもあるからだ。水力発電所、反射炉、電話に至るまで驚くべき科学技術が江戸末期に実現していたのだ。この跡が庭園のあちこちに残っている。

小川が流れていて、その水はシーソー式の枕木状の材木に掘られた穴に溜まってゆく。やがて穴が水でいっぱいになるとその重みでシーソーはぐらっと傾く。そうなると水が全部はけて一気に穴の開いた側は軽くなり、もう一方が下に勢いよく傾く。そちらには杵(きね)が取り付けられていて、これが臼(うす)の中に打ち込まれるのだ。かくして水が流れる限り朝から晩まで臼に入った穀物は細かく挽かれることになる。働き者という意味の「迫ん太郎(さこんたろう)」と呼ばれている。

海とは反対側の山には大きな岩が露出していて、そこには「千尋巌(せんじがん)」という文字が彫られている。これは垂直に切り立っているから、そこにまず足場を築き長い時間をかけて作業をしなければいけなかっただろう。下からその文字を眺めて楽しむなんてずいぶんのんびりした趣味を思いついたものだ。

「猫神」といって戦場に連れていった猫を祀ってある。無事に帰った猫もいたが、運悪く「戦死」した猫もいたそうだ。その一帯は鬱蒼(うっそう)たる竹林。今では日本中どこにでもある孟宗竹(もうそうだけ)は、中国からまずここに移入されてから広がったのだそうだ。

昨日までの豪雨で、一部通行できない部分もあったが、園内は実に広く、後ろにある山への登山道もある。いわばハイキングもできる庭園なのだ。道は迷路のようにあちこちで交差し、まともに歩いたら一日かかってしまう。訪れているお年寄りたちはいちばん有名なコースだけをちょっと歩いて帰ってしまったが、私はできるだけ遠くの方までのぞいてみた。

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照国神社
西郷隆盛像
(参考)上野公園の西郷隆盛像;高村光雲作
磯庭園=桜島を臨む
磯庭園=鶴灯籠=最初のガス燈
水が溜まって臼を挽く仕掛け=迫ん太郎

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維新ふるさと館

再び一周バスに乗って鹿児島中央駅に戻る。JR切符の予約変更と、この近くにある「維新ふるさと館」を訪れるためだ。ふるさと館の周り、加治屋(かじや)町は、この狭い商業地に西郷兄弟、大久保、東郷、大山と明治の大物たちが近所同士で誕生したという驚くべき場所だ。

駅から川沿いに上がってゆくとふるさと館がある。鹿児島といえば、島津なりあき、西郷隆盛、大久保利通の3人をはじめとして維新で活躍した人々が何といっても注目の的である。日本近代史に興味がある人だけでなく、日本国民としては維新前後に誰がどのようなことをおこなったかを知っておくのは当然のことであろう。

ふるさと館ではこの3人を中心に子供時代から大人になるまで、その社会的影響に至るまで実にきめ細かく説明しており、ビデオを見せてくれるボタンが非常に多くて、もしまともに全部の映像を見ていたら、朝から夕方までいても時間が足りない。自分の興味あるテーマを精選しなければならない。

10年以上前に放送されたNHKの大河ドラマ、「翔ぶが如く」の映像やロケ風景まで用意されている。地下では映画上映を行っており、歴史上の人物がロボットとして立ち上がったり、しゃべったりする。

この鹿児島というところはやはり反政府的な雰囲気が強いところなのだろうか。西南戦争の説明についても、西郷の政府に対する反乱というだけでなく、「政府の挑発もあって・・・」などと付け加えている。自治を求める伝統はスペインにおけるバルセロナみたいなところがあるのかもしれない。だとすれば日本の中央集権的な体制の中で大いに結構なことだ。

ところで、ふるさと館の女子職員の応対のすばらしさはここで特筆しておくべきだろう。素敵なユニホームを着た彼女らは一流航空会社のフライト・アテンダントのように訪問者にきめこまかく世話をやく。私のように一人旅の者が写真を撮っていると、やってきてシャッターを押しましょうと申し出てくれる。館内での映画上映時間が近づくとそばを通りかかって教えてくれる。帰るときは一斉に「ありがとうございました」と声をかける。ふるさと館は展示だけでなく、彼女らの姿を見るだけでも訪れる価値がある。

街の表情

このように、鹿児島には非常に興味深い見どころが多い。さらに幕末から西南戦争に至る歴史を復習しておくと、いっそう面白い。なお、鹿児島中央駅舎の屋上には巨大な観覧車が回っている。今回は見逃したが、あのてっぺんでは錦江湾と桜島の眺めはさぞ壮大であろう。

最初の夜の食事は、さつま汁、キビナゴの刺身、さつま揚げを中心とする庶民的郷土料理を食べてみた。このさつま揚げというのは、酒の肴には最高であろう。最近の子供は魚嫌いが増えているがその最大の理由は不器用で小骨が取れないからだ。さつま揚げならこの問題は一挙に解決する。

ちょうど梅雨が明けたところで強烈な太陽の光は、単なるのどの渇きだけでなく体温の上昇を招く。そこで地元で歓迎されるのは特大のかき氷「白くま」だ。値段は600円以上するが、その中身は豪華なものだ。普通のかき氷の約1.5倍ぐらいの氷の山に、まず濃縮ミルクをたっぷりかける。よくあるケチ臭いかき氷のように溶けてみると水っぽくなるのと違い、濃度は実に高い。

まわりには果物、マンゴー、ミカン、メロン、がちりばめてあり、さらに内部には甘い豆が入っているのだ。この豆の味が不思議に氷の冷たい味とよく解け合う。ただあまりに量が多いため女子供では一人ではとても食べきれない。メニューには「白くま一つにつきお客様二人までとさせていただきます」と明示されている。もちろん私は一気に全部平らげてしまった。

ほかの大都市でもそうだが、まずはデパートの地下食品売場に直行すると、その地域の特産品がどんなものかよくわかる。予算は1万円で、段ボール箱を一つ用意し、食品売場を回って気になったものを片っ端から買ってその箱をいっぱいにし、デパートを出る前に宅配便で送ってしまうなどというのも面白い。

その点鹿児島は食品の種類が豊富だ。イモ類、魚類、果物類、それぞれに発展した食品があり、中には「ボンタンアメ」のように大昔から変わらず作り続けているお菓子も少なくない。しかも多くは高級品ではないので手に入れやすい。

さて二晩目には黒豚専門店へ行った。かつて日本中に「ニセ黒豚」が出回ったことがあり、こんな安いはずはないと思っていたら案の定、業者は逮捕された。今度行った店は「カツ」と「しゃぶしゃぶ」のコーナーに分かれている。懐の豊かな人はしゃぶしゃぶで思いきりたくさんの豚肉を食べることになる。一方、財布の軽い人は「トンカツ定食」で黒豚を楽しむことになる。

トンカツ定食の値段設定は普通のトンカツ屋とほぼ同じである。それではもしや・・・と思うだろうが心配無用!何しろ普通のトンカツの半分以下の分量なのだ。つまり値段はそのままにほんものの豚肉を味わうことができるようにしてあるのだ。さすがイモだけで育てていただけあって、肉の香りがよい。しかも非常にジューシーだ。東京のトンカツ屋でよく出くわす「臭い」肉とは天地の開きだ。油も良質。だだし、わずか4切れでそれは終わる・・・

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維新ふるさと館で
大久保利通像=中央駅近く
新型車両ユートラム
これぞほんもの「白くま」です!

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宮崎市→綾(あや)

翌朝日豊本線で宮崎に向かう。野生馬で有名な都井岬には、交通の便が悪すぎてどんなスケジュールを組んでも無理だった。もし時間があれば四万十川の時のようにレンタカーで行っただろうが、これはまたにしよう。

鹿児島を出ると、しばらくは錦江湾沿いに進む。隼人(はやと)あたりに近づくと海から離れ台地に向かう。このあたりから人口密度が急激に減っていくようだ。九州は本州とは逆に太平洋側は人が少なく、東シナ海側には大都市が多い。宮崎に到着すると、市電がないこともあって、がらんとしただだっ広い道路が駅前から広がっている。熊本や鹿児島のにぎわいが懐かしくなる。

宮崎県の山地はどうなっているか?それを知るのにもっとも適しているのは、綾(あや)町外部リンクだろう。この小さな町は宮崎からバスで約1時間。暖かい気候に恵まれた照葉樹林に囲まれている。小高い丘や山の間をくぐり抜けながらうねった道路を進むバスは、「綾バス待合所」に到着した。

観光の中心となる物産店、「ほんものセンター」ではレンタサイクルをやっている。なだらかな丘が続く綾の町中は自転車に限る。8キロ先には自然林の中の渓谷にかかる世界一?高い(142メートル)吊り橋がある。

炎熱の中、それも最後の1キロほどはかなりの登りで汗が滝のように出たが、ようやく吊り橋の前に出た。ただし、この吊り橋の向こう側は、ほとんど人の通らない山道で、なぜそのためにわざわざこんな壮大な橋を造ったのか疑問が残る。はるかに見下ろす渓流を見て、高所恐怖症の人でなくとも足がすくんでしまうことだけを目的にしたとしか思われないが・・・

普通の人は渡り終えるとすぐに引き返す。だが私のような物好きはすぐに「山神」の幟(のぼり)をみて、その祠に行きたくなってしまう。わずか200メートルと書いてあったのだが、暑さと急な登りで何度引き返そうかと思った。だが、途中で戻ったら、山神様にご挨拶をしないで帰ることになる。必死の思いでのぼった。

たどり着いた祠にはノートが置いてあり、「ヒールでのぼりました。大変でしたがすがすがしい気分です」などという女の子のメモが書いてある。ほとんど人が訪れないようで、途中でクワガタとシマヘビに出会った。シマヘビには、下る途中で危うく踏んづけるところだった。道には動物のフンがたくさん落ちている。

吊り橋のおかげで普段あまり接することのできないナマの自然の中に飛び込めたわけだ。帰りはただひたすら下り坂。ところどころ山からしみ出た水が滝になっているがそこはどんな冷房もかなわないソフトな涼風が吹きつける。

この先の綾の町内には酒造所がある。そこでやっているのが「酒造の杜(もり)」。多くの人々は「試飲」が目的のようだ。焼酎、ビール、ワインと飲んだためだいぶ頭がふらふらしてしまった。試飲の場合には肴はつかない!

他にガラス工芸、陶芸、木やワラを使ったクラフトの店が並んでいる。狭いところに集まっているが、観光バスの立ち寄り場所らしく、夏のシーズンが本格的になれば、大勢の客でごった返すことだろう。

ここから一山越えると、馬事公苑(ばじこうえん)があり、その先には「綾城」がある。この城は足利尊氏の家来が九州に出てきて作ったのだそうだが、周りが森林資源に恵まれていることもあって、石垣はわずかで、木造の良さが最大限に生かされている。急な階段を上った天守閣は小さいけれども盆地を吹き抜ける風は涼しい。

綾から宮崎市に帰るともう6時を過ぎていた。一日がかりだったわけだ。途中宮崎の田舎を存分に味わう。バスはずっと乗客が2人か3人かで赤字が心配になる。でもいずれ世界的にガソリンが高騰し、人々は車を手放さざるを得なくなるだろうからそれまで数年の辛抱だ。

宮崎の食べ物は何だろう?繁華街を歩いていると、「釜揚げうどん」の張り紙が目につく。実は昼にも大衆食堂でこれを注文したのだが、単にうどんをお湯の中に入れ、そこから引き出してツケ汁にいれるだけなのに腹持ちがよい。

たまたま飛び込んだ店はメニューが「釜揚げうどん」「釜揚げうどん・卵入り」の2種類だけの正真正銘の専門店。。うどんは讃岐のほどにはコシはないが値段も安く、味もシンプルでそれでいて食べ応えがある。目の前に3人連れの男性客がいたが、彼らもはじめてこの店に入ったらしくしきりに感心していた。

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綾の照葉大吊り橋
高所恐怖症の人は遠慮した方が・・・
山神さまの祠(ほこら)
ガラス細工の作業場
綾水神社は酒造所のとなり
綾城

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青島→帰途

翌朝、いよいよ帰ることになったが、宮崎発午前11時過ぎの普通列車で小倉発午後10時の「ムーンライト九州」に十分に間に合うことから、午前中は早起きしてかつての新婚のメッカ(今はどうか?)、青島に行ってみることにした。ここは日南線各駅停車で宮崎から30分ほどである。

南太平洋の孤島をそのまま宮崎の海岸に引っ越したのが青島である。1周するのに歩いてわずか10分であるのに、その中央の密林はビロウを中心とする完全に熱帯、亜熱帯性の植物ばかりである。もっとも鳥は本土からやって来たらしいウグイス、ブッポウソウがしきりに鳴いているのであるからちょっと違和感があるが。周辺の海はかなり沖合にわたって岩石が浸食を受けた「鬼の洗濯板」が広がる

島一周の途中、まだ時間的に早くて訪れる人もいない島影で一休みする。波の音と鳥の鳴き声しか聞こえず、目にはいるものは水平線だけ。島と本土とは橋で結ばれているが、最近の豪雨のせいか、海岸には漂着物が多い。木の枝やワラはいいとしてもペットボトルなどのプラスチック製品がたくさん流れ着いているのを見ると、この地も現代文明の汚染からは免れないものと見える。

橋のすぐ横が海水浴場。10時を過ぎると海水浴客が姿を現しはじめたが、その四角形に区切られた遊泳区域は波一つなく、真っ青でまるでプールのようだ。水着を持ってこなかったのが悔やまれる。「日向夏(みかん)」入りの氷水を食べて我慢する。橋を隔てて向かい側は県立亜熱帯植物園外部リンク

植物園そのものは入場無料だが、温室に入るには入場料がいる。中に入ってみると、グアバの実が一個なっている。鼻を近づけてみると強烈な香りだ。きっぷ売りの人が、今朝落ちていた実を試食させてくれた。甘みはさほどではないが、香りがよい。実に多種類の(亜)熱帯性殖物が繁っているだけに、一年中どこかの木の実がなったり、花が咲いているそうだ。

帰りの時間が迫ってきた。午前11時。ここから宮崎に戻り、日豊本線をひたすら北上し、小倉からは山陽本線で大阪までゆき、そこからは東海道線をゆく。到着予定は午後2時半。約28時間かかるわけだ。我ながらずいぶん遠くまで来たなあと実感する。飛行機や新幹線ならこんな気持ちは味わえない。

2006年7月初稿

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青島神社の鳥居
青島一周の途中で
亜熱帯植物園で見つけたグアバの実=すばらしい香り
亜熱帯植物園では常に何かの花が咲いている

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