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函館山はロープウェイが山頂までいっているが、始発時刻前だったので、雪道を上ることにした。まだまったくとけていない。「旧登山道コース」を、ほかの人のふみ跡を頼りに登ってゆくこと40分ほど。途中、大勢の市民たち(観光客ではない!)が健康ウォークを楽しんでいるのにすれ違う。なお、自動車道は4月にならないと開通しない。おかげで静寂さを満喫できた。 |
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春や夏には野鳥が豊富らしい。薪をとるためにハゲ山になり、何度も植林されたが、意外にもこの山は100万年前まで火山だったという。「御殿山溶岩」というのがころがっている。 |
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夜景でないのが残念だが、真ん中のくびれた地形と、密集する市街地が両側から湾に挟まれているのがよくわかる。山頂には津軽海峡が本州と北海道の生態系を隔てる境界線だとして、自分の名前がついた「ブラキストン・ライン」のイギリス人発見者、ブラキストンの碑がある。 |
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登山道沿いには、こうして各地方のお寺から運ばれてきた?観音像が20体ほども置かれ、歌が記されている。西日本のお寺が多い。これは「播磨国 飾磨郡 園教寺」(現在の兵庫県姫路市あたり)のもの。”はるばるとのぼればしょしゃのやまおろし、まつのひびきもみのりなるらん”とある。 |
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(観音コース)と呼ばれる登山道を降りると、「称名寺」に出た。榎本軍に加わり、函館で戦死した土方歳三と新撰組隊士の供養碑があった。そのすぐそばには、第2次世界大戦で倒れたアメリカ兵の碑もあった。 |
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登山道の降り口からは、市電の終点の一つ、「函館どつく」(これはカタカナにしない。また、”つ”は大文字)に近い。周辺には倉庫や造船所、ヨットハーバーがあり、写真の船は何か由緒ありそうだが、修理中のようだ。もしかして江差町にある、「(箱館戦争の間に、この近くで座礁・沈没したという)開陽丸の復元模型」かもしれない… |
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「基坂(モトイザカ)」を市電通りから眺める。突き当りに「元町公園」と「旧函館区公会堂」の建物が見え、さらにその背後には函館山が見える。ほかのどの坂も、このような眺めが楽しめるが、上のほうから港を見下ろすのもいい。 |
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再び「西波止場」周辺で。この「赤い靴」という少女像は赤いマフラーをしている(誰かが着けたのか?)。この作者は五稜郭タワーにある、土方の像も作ったという。 |
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”美食倶楽部”などというと、漫画の「美味しんぼ」を思い出しそうだが、この店での牛丼ならぬ、「ジンギスカン丼」はなかなかいける。 |
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電車通りに面している建物は「北方民族資料館」。旧日本銀行函館支店だったので、こんな”お堅い”デザインなのか? |
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北方民族とは、アイヌのことを示しているが、中に入っての説明によると、樺太、カムチャッカ半島、千島列島、北方4島、北海道によって囲まれたオホーツク海の周囲には、共通の文化圏が形成されていたとのことだ。ところが中国、ロシアの大国主義により、文化の交流はすっかり分断されてしまった。国境を無視して自由に行き来ができるのはオットセイ、シロクマのような動物だけで、人間は許されていないのだ。 |
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このあと「谷地頭(ヤチガシラ)温泉」に向かう。この市電の3つの終点のうちのひとつにある。行きは歩いたが、湯冷めしそうな距離なので、入浴後は電車に乗って帰った。 |
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「谷地頭(ヤチガシラ)温泉」は半島の南の端、函館山の連山のふもとにある。鉄分が多いので、水が赤い。そして温度が高いので、普通の人じゃとても入れない。”加水”した湯船に入る。日本の他の市内温泉では、加熱しているところも多いというのに、うらやましい話だ。 |
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ビールはサッポロだけではない。北海道各地の地名をもらった地ビールが至る所にある。ここは「函館ビール」の店。 |
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黒ビールが主体で4種類ある。ローストビーフ、イカの丸焼き、ジャガイモ揚げとほおばれば、一気にすすむ。 |