(2013年10月)

目次

PAGE 1

PAGE 2

旧市街の外へカーリエ博物館アジア側へ新市街とタクスィム広場

モザイク博物館ボスポラス海峡クルーズ水族館

PAGE 3

H O M E > 体験編 > 旅行記 > イスタンブール(2)

外部リンク・・・外部リンク


旧市街の外へ 

上へ

観察日記(6)
トイレ: 日本人はトイレが近いといわれている。しかしそれは、今まで山や川で自由にできたし、街中でも便所が結構普及していたせいだろう。ヨーロッパでもトルコでも、とにかく便所の数が決定的に足りない。人々の膀胱は環境に適応し、1日にわずかしか行かなくてもいいようになったのだろうか。市内の公衆便所はすべて有料。1トルコリラ(約50円)。小銭がなければ便所に行けない。100リラ札なんか出したら、管理人に叱り飛ばされるだろう。ただでトイレに行きたかったら、ショッピングモールや公共施設の中ということになる。

上へ

カーリエ博物館 

0636
トプカプ宮殿、アヤソフィア、ブルーモスクの3つが、 旧市街の端にあるのに対し、カーリエ博物館は、トラム(路面電車というより、小型の地下鉄)に乗ってかなり郊外に出てゆく必要がある。街全体がイスラム色が濃いのに対し、小規模ながらこの博物館は、まさにビザンチンのキリスト教美術が中心に集められている。これもアヤソフィアと同じく、はじめはキリスト教の修道院だったが、のちにイスラム教に改装され、最近になって昔のモザイク画が漆喰を塗った壁の下から発見された。
0637

この辺りは閑静な住宅街なのに、この博物館だけはヨーロッパ人観光客で押すな押すなである。トラムの駅を降りて、高速道路のランプを渡り(信号なんかない!)、犬や子供のうようよする路地を上っていくと、やっと見つかった。たまたまトルコ人のグループが駅員に「カーリエはどこか」と尋ねているのが聞こえたので、跡をつけていったのだが、もしそうしなかったら、たどり着けなかったかもしれない。

  0638
 入り口正面に回り込む。モスクとは明らかに建築様式が違う。かといってヨーロッパ風の教会建築とも違う。
  0639
このドームの真ん中にキリストがおり、その周りを12人の弟子が取り巻いている、おなじみのテーマだ。
  0641
天井画は、キリスト教国のそれと同じく、聖書を題材にした絵物語でおおわれている。

上へ

観察日記(7)
ドンドゥルマ:トルコ式アイスクリームのこと。とはいえ、エジプトでも同じようなのを売っていた。なかなか市内で売っているのを見かけなかった。実際に試したのは、波止場近くのエジプシャン・バザールでだった。少年がひとり屋台に立ち、たくましく商売している。

見かけは普通のコーンアイスではあるが、かじってみるとこれが非常に粘っこい。残念ながら乳脂肪率の高いアイスの持つ、香りや滑らかさとは無縁で、蒸し暑い夏の日には向かないようだ。

売店では、アイスボックスの中に大きな塊として入っていて、水アメのごとく売り子が棒で取り出して、伸ばして巧みにくるくるとまわしながらコーンに詰め込むさまは、まさに職人芸だ。

上へ

アジア側へ

0643
高速道路を挟んでカーリエ博物館の向かい側は広大な墓地だった。トルコの墓地は、一人当たりシングルベッドの大きさを必要とするので、早晩、火葬に変えるか死体を縦に埋めるかしなければ、墓地用地が不足するようになるだろう。やはりどこの国でも墓参りの人は絶えない。

看板が目につかないので、さんざんさがした挙句、トラムの駅からかなり離れたところにメトロバスの乗り場を発見。これは日本ではBRTと呼ばれているもので、専用道路を通るバスである。2両編成で、渋滞でイライラする車をしり目に快走するのは何とも気持ちがよい。

0644
不思議なことに、メトロバスは、この右側通行の国で、対向するバスと左側ですれ違うのである。片側3車線の高速道路の真ん中を通って、あのボスポラス大橋を渡る。そのあとアジア側の中心部が終点となる。確かにこのバスは本数も多く、便利だが、輸送量がこの大都市には不足していると思われる。どこまでも満員で大混雑だ。
0645
アジア側の街並みはヨーロッパ側ほど密集していない。同様に古い街並みではあるが、商店より住宅地のほうが大きな割合を占め、物価も安いようだ。あちこちで道路工事や建築が行われ、開発の真っ最中だ。写真のような、古代の人々の墓もそのうち埋め立てられてしまうのではないか。この墓のタイプは、どうやらイスラム以前のものだ。この墓はフランス系の巨大スーパー、カルフールのすぐそばで発見。
  0646
あちこち歩き回って、ようやく波止場に出る。対岸のヨーロッパ側とを結ぶフェリーは数多くあり、多くの船会社が競争している。だから便数も多く、埠頭もいっぱいある。 
  0647
ヨーロッパ側行のフェリーに乗って、防波堤の外に出るところ。はるか向こうに旧市街のモスクなどが見える。
  0648
アヤソフィア、トプカプ宮殿などが見えてきた。いまのっているフェリーはもっと北の新市街に向かう。

上へ

新市街とタクスィム広場

0649
新市街側に到着。 アレキサンドリアでも見かけたが、人々は綿菓子が好きなのだろうか。新市街にある海岸公園で。右奥に巨大な客船が停泊している。どう見ても10階建てぐらいある。
0650
新市街の中心、タクスィム広場は丘の上にあり、海岸からそこまでは、わずかな距離ながら急傾斜のため、「地下ケーブルカー」がある。まさにケーブルで引っ張り上げる乗り物であるが、地下に埋め込んでしまったのだ。たった1区間のシャトル運転で、終点まで40秒ぐらいしかかからない。
0653
ついにタクスィム広場に到着。相当広い。今年の初夏に、あれほど世界中で話題になった大規模なデモのあとは、ほとんど残っていないが、公園の片隅では機動隊が待機している。またどんなきっかけで騒ぎが起こるかわからない。
0654
広場の中心。6日の日曜になると、ここで政府の主だった人によって儀式が行われ、国歌が歌われた。トルコは多民族他宗教の国家だから、一つにまとめるのは並大抵ではない。ここまで、かわいいクラシックな路面電車が乗り入れてくる。
0600
広場から南西に延びる、この町一番の繁華街、イスティクラール通り。高級ブティックから、飲み屋に至るまでありとあらゆる店舗が延々と続く。土曜、日曜は人々、特に若者で埋め尽くされ、歩くこともままならない。単線ではあるが路面電車が走っている。
  0671
 近代的な電車もいいが、こんなかわいい電車が通りを走っていると、買い物の雰囲気もよくなる。いつも電車は観光客でいっぱい。
  0672
 あるレストランにて。今度は羊肉のケバブ。鶏肉よりずっとうまい。左奥に見えるのはオリーブ油と(おそらくかんきつ類の)酢。皿にのっているのは、チャパティというべきかナンというべきか。
  0673
 名前はともかく、これは、店のショーウィンドーの前でひたすら焼いているおばさんの作ったものなのだ。道行く人は、ちょうど日本で蕎麦を打つ実演に見とれるように、このおばさんが小麦粉をこね、薄く延ばし、それを右の黒くて丸い焼けた鉄板テーブルの上にペタンと貼り付けて、たちまち焼きあがるのをめずらしそうに見ている。これにつられて店に入ってきてしまう人も多い。おばさんはベールをかぶっているので、顔を撮影するのは遠慮した。

上へ

観察日記(8)
イスタンブールカード:すでにイスタンブールの地下鉄や路面電車、フェリー網には、日本の大都市と同じように、あらかじめチャージしておき、自動改札機のオレンジ色の部分に接触するだけで料金を徴収するシステムが出来上がっている。これは Istanbulkart といい、いちいち切符を買う手間が省けるばかりか、バラで買うより割安になっている。

でもチャージするときに戸惑うかもしれない。四角い穴の中にカードを裏返しにして置き、そのあとスリットに小額紙幣を入れるのだ。貨幣は受け付けない。帰国した時に、記念に持って帰ったが、誰かまたあの町に行くときに渡せば、まだ、いくらか残っているし、カードそのものの期限はないようなので、継続して使えるはずだ。

貨幣だけで紙幣がなくて、チャージできずに困っていると、どっかのおじさんがやってきて、「俺についてこい」といって、あるスーパーのレジで両替をしてくれた。下町タイプの親切な人もいるものだ。

モザイク博物館 

 0656
ブルー・モスクの裏には、お土産屋やホテルなど、観光施設が立ち並ぶが、その中に小さな博物館がひっそりとたたずんでいる。上の写真のように、太い柱が2本あるのが目立つが、中へ入ると、わずかなスペースしかない。それでもこの博物館は、この地方に特有のモザイクを用いた壁を切り取って、多数集めているのである。
 0657
 時代が3,4世紀ごろのものだから、モザイクが完全な形で保存されていることは少ない。表面から貼り付けた石がはがれやすいからだ。それでも念入りに修復を試みた作品が多数展示されている。これはクマが鳥かなんかの獲物をしとめた図。
 0658 
 こちらは人間がトラに向かってゆく図。気になるのは、そのテーマが必ずと言っていいほど、”仕留める側”と”仕留められる側”との戦いの図であるということだ。これは何か古代ローマ人の精神構造と何か関係があるのだろうか?

ボスポラス海峡クルーズ

 0681
クルーズ船切符売り場の一つ。このツァーは地元の人よりも、ヨーロッパ人観光客に人気がある。みんな黒海を一目見たいのだ。それに値段が安い。船の中ではチャイを出したり、ヨーグルトを売りに来たりもする。 
 0659
北の黒海と、地中海につながるマルマラ海をつなぎ、アジアとヨーロッパを分けるのが、ボスポラス海峡。これをトプカプ宮殿そばの港から北上して、黒海の水平線が見えるところまで行ってみようというのが、ポスポラス海峡クルーズである。波止場に行くと、いくつかの会社がこれを行っており、午前10時に出発して夕方4時過ぎに帰ってくる最も長いコースを申し込んだ。乗客のほとんどはヨーロッパ人で、日本人はほんの少ししかいなかった。かなりの大型船で二百人は乗っただろうか。港を出て左へ北上すると、すぐに目に入るのが写真のボスポラス大橋。これをくぐり抜けて長い航海が始まる。
0660
川のように狭い海峡(昔は谷間だったという)を、ただまっすぐのぼって行くわけではなく、両側の小さな港にいくつかジグザグに立ち寄っていくのである。海峡はタンカーなどの交通量が非常に多く、その船の航行を妨げないように、注意して横切らなければならない。写真はその港のうちの一つ。甲板はすでに初冬の風が吹きぬけ、非常に寒いが撮影のために震えながら頑張る人もいる。
0661
ついに黒海が見えてきた(別に黒くなかった)!終点、アジア側にあるアナドル・カヴァウの港は昼ごろに到着。地元のレストランやお土産屋の人々が総出で手を振って迎えてくれる。われわれは貴重なドル箱なのだ。船が客を運び、客は寒村に金を落とす。日本でもバブル以前にはちゃんと機能していた”経済システム”がうまく働いている。
0662
港の上の丘の上には、古い砦が見える。日本でいえば”番所(バンショ)”であり、黒海方面から次から次へとやってくる敵を、ここから見張ったのだ。その忙しさは世界史を勉強するとよくわかる。下から登山道ができており、それを上って展望を楽しむとしよう。
0663
 しかしその前に腹ごしらえだ。ヨーロッパ人好みの店は敬遠して、いかにも地元くさい店を選ぶ(ただし酒なし)。この通り、テーブルクロスの模様が泥臭い。注文したのはイワシのから揚げ。文句なく新鮮で、カラッとよく揚がっている。だが、この量は何だ!いかにおいしくても25匹も食べたので、山登りが辛くなった。パンの量も尋常ではない。これで1人前。海で重労働をする漁師さんなら、ちょうどいいかもしれないが。真ん中にあるのが(飲める)ヨーグルト。この辺りの名産というが、水っぽくコクがない。
 0664
たくさんの野犬(どの犬も臆病!)に出会いながら、急な登りのつづら折れを上っていくと、山頂に達した。砦はこの通りかなり朽ちてはいるが、原形をよく保っている。このタイプの砦は、市内にもあちこち残っていた。
 0665
古代の帝国の警備兵たちは毎日、この方向をにらんでいたのだろう。今にもオデュッセウスが自分の一行を率いて現れそうだ。
 0669
 黒海の豊かな漁業資源、特にアンチョビーやイワシを獲ることがさかんだ。出発しようとするフェリーの甲板より、定置網漁船の操業を撮影する。背後の山は、アジア側。
  0666
 世界中どこでもカモメはおなじみ。港のレストランの屋根に止まっている。

上へ

観察日記(9)
「私も日本にいたのですよ」: 街角で、雑踏の中で、こう親しげに話しかけてくるトルコ人は、一人旅の日本人を狙っている。まず自分が日本のある場所(京都、大阪、東京など)で、何かを学んでいたと紹介する。日本語はとても上手。次に今どんな旅をしているか、どんなことに興味があるかを尋ねるが、必ず向こうも同じ趣味だと請け合う。とても親しげで、話が弾むうち、「話が合うね、一緒に飲みに行きましょう」ということになる。

この驚くほど似通ったパターンで出会ったのが、5日間でなんと5人(ただし最後の一人は韓国人向けだったようだが)!もし一緒に飲むとすれば、そのあと絨毯を買うとか陶器を買うとかの話になるだろう。きっとこの5人は”同じ先生”がトレーニングしたのだと思う。でも大多数の日本人はツァーで団体を汲んで行動するから、効率は悪いだろうな。

上へ

水族館

0674
水族館へ行った。なぜ?ボスポラス海峡やマルマラ海にすむ生物に興味があったからだ。タクスィム広場の乗り場で待っていると、サメの絵が描かれている無料送迎バス(ワゴン車)がやってきて、空港の西にある本館までつれて行ってくれた。入場料は高いが、まだできて間もない最新式の建物だ。鉄道の最寄駅からは遠いので、大部分が自家用車で来る人ばかり。
0675
入り口を入ってすぐのロビーにて。水族館といえば、なんといっても小学生の団体見物。やってきた彼らが最初に興味を示したのは魚ではなく、私、外国人だった。彼らはお互いにこちらを見ながらヒソヒソ話しあっていたが、やがて代表が決まったらしく、一人が私のところにやってきて、「どちらからいらっしゃいましたか?」と英語で聞いた。日本からだというと、子供たちの間に「へえー」という声があがり、納得したようだった。郡部から来たのだろう。東洋人が珍しいのだ。カイロのナイル川クルーズでも同じような経験をした。
0676
イスタンブール市周辺の海は、地味な魚が多いが、同時にエーゲ海や黒海から財宝や交易品を積んで沈んだ船が山ほどあるという。ここは歴史館でもあるのだ。写真の下部に見えるのは古い壺である。海底から引き揚げた物の展示もある。
0677
さらにここは熱帯植物園も兼ねているのだ。ピラニアのようなアマゾンの魚だけでなく、カエルやら不思議な植物やらが所狭しと並んでいる。イスタンブールの街には動物園がないみたいだ。だとすれば、ここがその代わりを務めているのかもしれない。
0678
さらにここは、一大ショッピング・モールでもあったのだ。高級ブティックまでが並んでいる。ここは町はずれであるが、マルマラ海に面し、大変な数の船が行き来するのを眺めながら、食事もゆっくりできる、リゾート風娯楽施設になっていた。ただ、帰りは適当なバスもないので、タクシーを呼び、「いちばん近いメトロの駅まで」と言ったら、空港駅の隣でおろしてくれた。

上へ

観察日記(10)
あふれる子供:少子高齢化に悩む日本とは対照的に、トルコは多子低齢化に悩んでいるようだ。イスタンブールの街はどこも渋滞と雑踏だらけ。そして乳母車の多いこと。幼い子供たちが大声を上げながら連れ立って歩く。老人は驚くほど少ない。1回だけ老人ホームの看板を見たが、いったい老人たちはどこに隠れてしまったのだろう?

子供の多さは、右の写真にあるような派手なプラスチック製の児童公園が至る所にあることに現れている。そして若者たちだが、土曜の盛り場は、午前4時まで騒ぎが収まらない(盛り場のそばに、ホテルを2泊とって、うるさくてひどい目にあった)。

だが、これがかつては日本も経験した、経済成長のもとになるのである。新世帯向けのマンションの広告があふれ、テレビでは電化製品やら台所用品やらの宣伝が花盛り。いずれはトルコも高齢化社会になるだろうが、それにはまだ数十年先の話である。

上へ

次ページへ

H O M E > 体験編 > 旅行記 > イスタンブール(2)

inserted by FC2 system