(2014年2-3月)

スワヤンブナート

目次

PAGE 1

ネパールへカトマンズ市内(1)スワヤンブナートカトマンズ市内(2)

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→タライ平原→ルンビニ→パシュパティナート

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→バクタプル→ナガルコット→東パルパ

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紫色の線は、カトマンズ市内の今回移動した軌跡(GPS記録による)

ネパール(147㎢、2千5百万人)の国は東西に細長い長方形の形をしているが、一般に上の北半分は山岳であり、下の南半分はインドのガンジス川に続くモンスーン気候の平原になっている。だからこの国を南北に縦切りにすると、北部のエベレストを代表とする高い山々と、南部のガンジス川によって作られた平原との間の標高差は大変なものになる。

この国の中央より、やや西よりの標高1300メートルの盆地に、この国の首都、カトマンズ外部リンク(950万人)がある。カトマンズと中央部のリゾート地ポカラ、その南のインド国境に近い南部の平原は人口も多く、この国の経済を引っ張っている。

いうまでもなく、トレッキングや登山を愛する人々には周知のことながら、この国の北部は、西から東まで、ヒマラヤ山脈によって有数の高山地帯を形作っている。一方、中央部より西の地域は、深い山岳地帯で 開発がきわめて遅れ、道路の敷設も十分ではない。

パキスタン、ネパール、カンボジアの最低賃金の額を少ない順に並べてみよ、といわれて何人が正確に答えられるだろうか?正解は(1位)ネパール73ドル(2位)パキスタン119ドル(3位)カンボジア121ドルである。(ILO調べ)つまり、ネパールは世界でも有数の最貧国の一員なのだ。だが、それでは街角に餓死者や乞食があふれ、家のない人が多数存在しているのだろうか?いやそうではない。田舎では男たちがのんびりとゲームに興じ、粗末ながらも多くの人々が家庭生活を営んでいる。これは私の目が節穴だからか?本当は悲惨なのにそれに気付かなかったのか?旅行をして現地に行くと、行く前よりもわからなくなることだらけだ。

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観察日記(1)
過密都市 カトマンズの街は、オートバイや車の警笛が絶えず鳴り響き、夜は野犬の吠え声が町中にひっきりなしにこだましている。道路は一応舗装されているが、大穴だらけで放置されている。そこには汚水が溜まり、蚊が発生する。道路工事は機械を使わず、土塊を積み上げたままで、まるで進展しないところがほとんど。盆地なので、特に乾季にはほとんど毎日が慢性的に、汚染した大気に包まれている。

道路にはセンター・ラインと呼ばれるものはほとんど存在せず、信号機と4車線は近郊の町パタンとを結ぶ、日本の協力でできた自動車道路のみ。幸いイギリスの影響か、交差点にはロータリー形式が多いが、さばききれないほど交通量の多いところは、警官が(もちろんマスクをして)出動している。

停電は、水力発電が滞る乾季にひどく、24時間のほぼ2分の1は地域ごとのローテンションでの電気なしか、自家発電に頼る。だから中小の商店のビールは生ぬるい。買うときに「チソ?(冷えてるか?)」といちいち確認しなければならない。

水道水は、黄色みを帯びていて、これを飲むのはもちろん、歯磨きの時に口に含むことすら、はばかられる。貧しい住民は乾季の間、共同給水場(かなり昔に作られた煉瓦製のくぼみ)に長蛇の列を作って、自分の容器に水がたまるのを気長に待つ。

それでも自然はまだ息づいている。特に鳥の数が多く、あらゆる種類が人々の生活に入り込んでいる。インドほどではないが”野良牛”も少なくない。寺院の屋根はハトの群れで瓦が見えないほどだ。殺人的な渋滞の中、横断歩道をゆうゆうとヤギの群れを引き連れてゆく牧人もいる。鶏はゴミの中に頭を突っ込んで餌を探している。

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カトマンズ市内(1) 

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いわゆる旧市街地は”お宮”でいっぱい。日本の神道にあたるのが、ヒンズー教。仏教、キリスト教、イスラム教と違い、モラルを重視するよりも、現世の利益をまず求める。日本風にいえば、願いがかなうように”お百度を踏む”の類のおまじないや儀式が無数にある。そしてこの街には歴史とともに、神様が異常に?増えてしまったのだ。街角を曲がると次々と新たなお宮が出現し、木造よりも石造りであることを除けば、基本的な構造と礼拝形式は日本のそれとそっくり。

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市街地の西側を流れるヴィルシュヌマティ川。乾季は特に流量が減り、完全にドブ川と化す。最大の犯人は赤や青のポリ袋だ。これで水が流れなくなる。河原には牛、豚、アヒル、犬、ハト、その他の動物がたむろする。
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 トルコでも野犬の数に驚いたが、ここはその比ではない。ボーっとしているもの、ふてぶてしく昼寝しているもの、何か忙しそうに仲間を集めているもの、必死にゴミに食いついているもの、毛がほとんど抜けてしまったもの、骨と皮だけのもの・・・ここでは鎖につながれた犬は存在せず、完全に犬社会のネットワークが出来上がっている。一生をソファの上で過ごす、お座敷犬とどっちが幸福か?
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朝の通勤に急ぐカトマンズ市民。農村と異なり、大都市での人々の生活は忙しい。正社員というものは存在するのか?待遇などを考えると、市民すべてがアルバイトとみても間違いではなさそうだ。
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 白いドームの上に突き出た部分に目玉が書き入れられている、チベット・タイプのお宮。沖縄の漁船に書き入れられているように、これは魔除けなのだろう。一見、万国旗と見間違えそうな、タルチョ(祈祷旗)がみえる。
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お宮の裏にはこのようにさまざまな像や塔が置いてある場合がある。
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 カトマンズの中心部では、昔からあったお宮や祠(ホコラ)が、道路の中に厳然と置かれていて、ハトたちのパラダイス。
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 貧しさから逃れるには、海外への出稼ぎしかない。ボンベイ、香港、ドバイなど。インドは力を振りかざす隣国で、あまり好感が持たれていない。そうなると、日本へのあこがれが高まるのは無理はない。町中に貼られている、このポスターには「急げ!急げ!日本で勉強する絶好のチャンス!東京、仙台、名古屋など多くの都市に行ける…」などと甘い言葉が並べられている。
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カトマンズ市の中心には歩道橋がいくつかある。その理由は信号機がないから…信号機があっても停電でつかないから…これは歩道橋の上から眺めた北方向のカンディ・パト(目抜き通りの一つ)。左側に特にたくさんの銀行がある。右側の先は王宮になっている。
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 池の中にお宮が浮かぶ、ラーニ・ポカリ。同じ歩道橋の上から南東方向を見ている。
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 歩道橋の西側にはアサン・チョーク(交差点広場)へ続く、細い道が伸びている。
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 アサン・チョークから、ダルバール広場へ続く道は細く、迷路のように横丁が分岐し、人々が肩を触れ合うほどに歩いていて、そのたたずまいは中世のころそのままだという。
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 細い道でもオートバイはお構いなしに入ってきて警笛をガンガン慣らし、リキシャ、歩行者とぶつかりそうになる喧噪状態。昔は、ここは王国の首都であり、こんな狭い道であっても王宮に通じる重要なルートだったのだ。
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 お宮の前を通るカトマンズ市民。人々の服装は様々で定番がない。必ずしもインド風の服装(サリー)を着ているわけでもない。
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色とりどりの服を着たマネキン人形たち。ここのデザインは一般に無地よりも、インカ帝国の末裔たちのように、色とりどりの組み合わせを好む。”クルタ・スルワール”とよばれ、仕立ててもらえる。インドラ・チョークにて。
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 道路工事。狭い道を拡幅するのだが、横が崖になっているので、大きな石を詰めて補強しようとしている。この通り建設機械は一切なく、すべて人力による。そして完成までに途方もない時間がかかり、しばしば(予算不足のため)放棄される。
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 ごみの中でエサを探す鶏たち。もしポリ袋さえなければ、有機物はすべて順調に腐り、スムーズな自然の循環が実現していたであろう。かつてはそうであったから、この街はそんなに不潔ではなかった。今やすべての包装や買い物袋はプラスチック製である。
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これは何だろう?今ではインドやネパールのトイレには必ずあるもの、つまりお尻を洗うためのシャワー装置である。かつては大きなバケツに水を用意し、小さな手桶で汲んで洗っていた。お尻の清潔さにかけては、日本の温水便座に少しもひけをとらない。気温が高いので、水を温める必要はない。トイレットペーパーを使うなんて、なんて不潔なんだろう!
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これは何だろう?民間の食堂なら大抵あるもの、つまり地元のどぶろく、トンバを入れて飲む容器である。トンバは粟(アワ)、稗(ヒエ)を利用して作られ、味は甘酒に何となく似ている。容器の底に発酵の進んだこれらの穀物を入れ、上から熱湯を注ぐ。中の棒は実はストローで、先がすぼまって穀物の殻を吸い上げないような構造になっている。アルコール濃度は大して高くないが、熱湯を少しずつ加えながら、ゆっくり吸っていると、緩やかに酔ってくる。これはアルミ製だが、かつては木製が主流だった。

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観察日記(2)
外国人料金とは? 開発途上国ではどこでもそうだが、外貨の獲得に必死だ。ネパールでは、まず最初の関門は、入国の際のビザ申請にかかる費用。国内航空の切符を買うときも原住民よりもずっと高い価格で、しかもドル払い。有名な山に登山をしようとすれば、とんでもない額の入山料。そこまでは公的なもので、値引きをあきらめるしかないが、一般の食堂では、庶民の飲料、トンバまでも差があることに驚かされる。一杯100₨(約100円)だとすると、外国人はそれよりも少なくとも1.5倍以上払うことになる。タクシー、お土産屋では、その言い値は最初から吹っかけているのは当たり前のこと。解決法は、現地人と一緒に行き、交渉してもらい、値段が決まるまで商人の前に姿を現さないことだ。

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スワヤンブナート 

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カトマンズは盆地にあり、市街地の西側の山の上に、世界遺産でもあるスワヤンブナートのお寺がある。距離的には大したことはないが、そこまでに行くには、ほとんど未舗装といってもいい道を行き、入口からは長大な石段が待っている。石段の構造は日本のお寺とよく似ている。
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入り口近くは小さな公園になっていて、家族連れなどのピクニックに適した場所になっている。そして「Monkey Temple 」の別名があるように、山一帯は野猿(写真左下)だらけ。お菓子の袋を持っていると、襲われる。
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四国の金刀比羅(コンピラ)と違い、誰かが押し上げてくれるわけではないので、息を切らしながら延々と続く石段を上る。途中には乞食や物売りたちが陣取っている。
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ようやく寺の入り口に到達。拝観料は、その手前の左にある小さな小屋で取られるのだが、息を切らしている人には、まるで気づかない位置にある。
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 尖塔に描かれた目が特徴的な、お寺の建築は市街地にあるものと同じだが、真っ青な空を背景にして、石段に疲れた体には新鮮に映る。境内は比較的狭い。
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 このお寺の最大の魅力は盆地が一望できること。大気汚染のため、必ずといっていいほど霞んではいるが、それでも一見の価値はある。

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カトマンズ市内(2)

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ネパール国産映画のポスター。これは実際に見に行った。男女6人の若者が暴力団と渡り合い、亡き友のためにお金を取り戻す話。ただしすべてネパール語で、英語の字幕もないので、想像だ。テレビの普及のせいか、館内はガラガラ。
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犬好きが、家畜を処理した時に出る、骨、皮、筋を並べておくと、腹を減らした野良犬たちがのどを鳴らしてとびかかる。もちろんケンカも起る。川のほとりで。
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ドブロク、トゥンバをストローで飲む。これはアルミ容器ではなく、昔からある木製の入れ物に金属の輪をはめたもの。分厚い木のため、保温性がよく、情緒たっぷり。
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ダルバール広場の入り口で、この日はなんかのお祭りらしく、人々がいっぱい詰めかけている。左端の茶色い建物は、外国人から拝観料を取り立てる出札所。ネパール国民は無料。
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街の真ん中にある王宮。王政が廃止になってからまだ間もない。ディペンドラ王太子が大勢の家族や親族を殺傷したといわれるナラヤンヒティ王宮事件は、まだ人々の記憶に新しい。
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パシュパティナート寺院はカトマンズ市街地の東、空港近くに位置する。たまたま行った日は盛大なお祭りで、道路という道路に人々があふれ、身動きさえままならない。結局、境内に入ることができず、後日再び訪れることになった。
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Garden of Dreams という名前のイギリス風庭園が、カトマンズ市の喧騒のど真ん中にある。 ただし、入口はごく狭く小さく、周りは高い塀でおおわれている。
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外の汚染と騒音があまりにもひどいため、この中に入ると、一瞬まったく別世界に紛れ込んでしまったような錯覚を覚える。実際、カップルたちの絶好の散歩道になっており、鳥が歌い、ごみ一つ落ちていない。

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観察日記(3)
たべもの: インド文化圏の一部なので、カレー料理が中心と思いきや、それほどでもない。サモサはジャガイモをカレーで味付けし、それを挙げて作ったおやつだが、カレーの辛さはしっかりと押さえてある。定食のダール・バートに入っているカレーもそれほど辛くないし、香りもしつこくない。ダールは豆汁で、本来タンパク質豊富なはずだが、使われている豆はあまり生育がよくなく、栄養はあまり期待できない。

焼き飯、焼きそばの類があるが、これも辛さはさほどでなく、ヴェジ(肉なし)なら、野菜だけですぐお腹が空いてしまうだろう。チキンかブフ(ウシは禁じられているから、これはビーフのことではなく、水牛の肉で固い!)入りのほうが少々高いが、味もよい。餃子はモモと呼ばれる。中国から伝わる際、どの地域を経たかによって、従来の細長いものと、円形のものがある。これらのいずれを注文しても、必ず小皿にオレンジ状の液体、つまり唐辛子を主体とした調味料がついてくる。辛いのが嫌いな人は初めからそれに手を付けないが、ハエ除け、鮮度の低い食物に対する殺菌という意味で重要なので、一概に忌避することはない。

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