0498 |
ネパール中央部には、リゾート地ポカラがあり、その南にタンセン、ブトワルという町が続き、インド国境にいたる。タンセン付近をパルパ地方という。そのタンセンの町から東へさらに山奥に入ると、アリャバンジャンという宿場町があり、さらにその山奥にラホールという寒村があり、そこが今回の目的地である。早朝520のバスでカトマンズを出て、アリャバイジャンに着いたのが1600過ぎ。11時間強だ。もうその日はその先のバスがなかったので、写真の赤い建物のホテルに一泊。ここは三叉路になっており、バスが停車する。 |
0499 |
アリャバンジャンからの眺め。周辺の山は、そう高いわけではないが、非常に急である。昔、人々はよくこんな場所に住み着いたものだ。今はバスが開通しているものの、それ以前は徒歩しか交通手段がなかったから、いわば陸の孤島といってよい。道路は急斜面を回り込むようにして山肌にへばりついて進む。いつ転落してもおかしくないようなスリルがある。ラホールまでの舗装が半分完成したのはつい最近のことだ。未舗装の部分を通過するときは、頭を屋根にぶつけないように、必死に車にしがみつき、埃を吸わないように息を止めていなければならない! |
0300 |
この Aryabhanjyang は、まったく典型的な集落で、ごく小さなコミュニティー(別名Ward)だが、ちゃんと学校もあるし、生活を進めるのに必要な店は、食堂をはじめとして一応そろっている。揚げたてのサモサがうまい。なんといっても子供が多いのが救いだ。街がにぎやかに感じられる。 |
0301 |
ホテルの天井にツバメたちを発見。何となく薄汚れているのだが、皆成鳥ばかりだ。巣がない。日本に来て子育てをして、ヒナとともに、こちらに向かうのだ。 |
0303 |
ラホール行のバスの中。800発で、4時間もの間、悪路に揺られた。距離は30キロほどしかないのだが。特に後半は未舗装の道を行く、難行苦行。だが、地元の人々は平気だ。すっかり慣れきっている。通路には巨大な荷物だらけ。バスは人を乗せるだけでなく、小口混載トラックでもあるのだ。 |
0304 |
ついにラホールに到着。20年もの間地元の人々のために働いてきた日本人ボランティアに感謝するための集い。大きな広場に、本人と、その日本の支援団体の主な人たち、そして地元の市長などの名士が集まり、次々と演説をぶっている。 |
0305 |
長い演説の後、歌や踊りが始まった。なんかこの3人は日本の有名芸能人と同じような姿をしているが…?ネパール人たちはテンポのいい音楽を聞き、どんちゃん騒ぎみたいなのが大好きなようだ。 |
0306 |
気になったことは、日本語をしゃべるネパール人は結構いるのだが、ネパール語をしゃべる日本人はほんの一握りであることだ。援助する日本人の側は、もっと援助される人々の、言語、文化、慣習、そしてできたら政治にも、もっと関心を持つべきだ。挨拶言葉も知らないので、せっかく地元の子供たちが好奇心満々で、寄ってきてもコミュニケーションができないままでいる。
この後、援助団体の車のひとつにタンセンまで同乗させてもらい、そこから乗り合いタクシーでブトワルまで出てそこの安宿に一泊した。蚊とダニの攻撃に悩まされた一夜を明かした後、翌朝カトマンズ行の快速ミニバス(別名:トヨタ・アイス)に乗る。
|