(2015年6月)

Tower Bridge

目次

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ロンドンへ市内(1)市内(2)市内(3)

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市内(4)市内(5)市内(6)

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トラムを使って香港島を東へ西へ さらに西へ

記 録

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ロンドンへ 

 黄色の線は、ロンドン市内の今回移動した軌跡(GPS記録による)。上が北。黒い蛇のようなのはテムズ川。左端がヒースロー空港方面、右端が河口方面。
東西都市:  テムズ川は西から東へ流れている。ロンドンはその川沿いに発展したから、町の中心部分はやはり川沿いにある。だから川に沿って東西に移動すれば、多くのみどころをめぐることができる。

ヒースロー国際空港は町の西のはずれにあるので、観光客はそこから東の河口方面に向かっていくのも一つの方法である。公園は市内の至る所にある。基本的には川のもたらす地下水などの影響もあって、これまた川べりから比較的近いところにある。

かつてはロンドン橋一つしかテムズ川にかかっていなかったそうだから、東西の行き来は陸路でもできたが、川を境にして南北を行き来するには、船を利用するしかなかっただろう。でもこれが水運を盛んにして、商業の隆盛を生んだと思われる。

道路交通が主となった今、運河の出番はないが、テムズ川の北には、縦横に運河が掘られ、大型トラックに匹敵する大量の荷物をいとも簡単に市街から運び込むこともできた。

切り立った山脈は存在せず、ロンドンの首都圏に緩やかに広がる丘陵地帯は、森と牧草地と一戸建ての家を作るゆとりが十分にあり、飛行機で空港に近づくとき、その様子がよくわかる。

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観察日記(1)

小説で覚えた地名: 「ホームズ氏はリージェント公園のそばにある知人の家に寄った後、辻馬車を呼んで、ピカデリー・サーカス近くの犯行現場に向かった」といった文章があっても、今はその土地勘が容易にわいてくる。ロンドンはパリやニューヨークと同様、数限りない小説や映画の舞台となっているのだ。そう、かつてその話に夢中になった場所を訪れるだけでも、楽しい思い出を作ることができるのだ。

ロンドンは、パリよりはるか北にある。夏になると、白夜ではないにしても、夜9時過ぎまで明るい。今回の旅は6月だったので、公園の緑が本当に目に染みる季節だった。気温は20度を上回ることはめったになかった。空気は乾燥している。きっと冬の間は暗くてつらい毎日が続くのだろうが、その分だけ夏の明るさはひときわ強烈だ。そしてその明るさのため帰宅が遅くなる。

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市内(1) ハイド・パーク から 国会議事堂まで 

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ヒースロー空港に着くと、空港駅ですぐさまロンドン交通局外部リンクで出している、「Oyster Card外部リンク」を買う(直訳すれば”牡蠣カード”)。これがあれば地下鉄もバスもほかの交通機関も、タッチするだけで通過できるし、単独で切符を買うよりずっと安く済む。金額が減れば、日本でいうところの”チャージ”(top up)もできる。

西の端にあるヒースロー空港と東の市街地の中心部を結ぶ地下鉄線の中間あたりに Acton Town という駅がある。どちらに行っても30分弱で到着する、地の利の良さを見込んで、ホテルを選んだ。

Osborne Hotel外部リンク といって、ロンドンにあるホテルの価格帯からすれば、最も低いラインに属するが、どうしてどうして部屋は清潔だしポット、電子レンジ、冷蔵庫がそろっていて静寂そのものの住宅地の真ん中だ。

欠点といえば、イギリス人はもちろん、日本人の体格でも狭いと感じるシャワー室(バスタブなし)だろう。駅からは歩いて2,3分。駅前には軽食屋もコインランドリーも、コンビニもそろっている。黒人のお兄さんがひとりで寝泊まりしていて、彼一人がスタッフだ。

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飛行機は夜の8時30分に着いたので、ホテルに着くとすぐ寝てしまった。正式なイギリス式朝食を提供してくれる大衆食堂が駅前にあり、翌朝さっそくそれを利用する。イギリスパン、卵焼き、太いソーセージ、豆の煮込み、そして紅茶か珈琲だ。後者の場合は粉を溶かしたものとなる。

幸いこのホテルでこの朝食のバウチャーを買うと、3ポンド80という破格の値段だ。あとで市の中心部に行ってこれより1ポンド以上高いのが普通だと判明。

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Acton Town駅の北口から見たところ。さっそく英国の国民車である、白の Mini Cooper を目にする。大きな駅前広場はないが、交差点がラウンドアバウトになっているので、車の流れがスムーズである。

ここに写っているように、自転車利用者が非常に多い。ただ、ママチャリタイプと違って、ヘルメットをかぶっているので、みんなが本格的なサイクリストに見える。

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Acton Town の駅は、鉄道がまだ地上部分を走っているので普通の駅の姿をしているが、ここから西に2,3個の駅を過ぎるといよいよ地下部分に入る。

Acton Town からの路線は Piccadilly line と District line がかなりの部分並行して都心部へ向かうが、東京の丸ノ内線と銀座線のように初期に開業した路線なので、老朽化がひどい。

トンネルが半円形のせいか、車両も断面が半円形で、窓に近づくとやたら天井が低い。ほかの路線では新型車両が使われていたので、この二つの路線が最も改良が遅れているようだった。

空港ターミナルが西の終点なのだが、空港からは新線を使ったノンストップ特急が出ているので、これらの路線だけ出遅れてしまったのだろう。ロンドン市内の地下鉄は100年以上もたち、あちこち故障続きで、遅れや運航停止が日常茶飯事だ。朝のテレビニュースで、各路線の Good Service という表示を見るまでは、サラリーマンは安心して出勤できない。

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Acton Town から30分弱で、Hyde Park Corner 下車。ハイドパークは西側がくちばしのようにとんがった部分があり、そこにあるので Corner というらしい。おりてみると広大な”森”が広がっており、歩道と自転車道が分けられている。

まだ朝の通勤時間帯のせいか、次から次へと自転車に乗った人がやってくる。日本では寺社建築や戦争のため、大木があらかた伐採されてしまったが、ここではこの写真の通り、きわめて太い幹がふつうである。

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Corner から西に向かって公園の内部へ進むと、Rose Garden がある。いよいよバラの咲き誇る季節が始まるのだ。あたりにはバラの香りが漂い、ジョギングをする人が頻繁に行きかう。
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やがて池に出る。まるで蛇がうねっているような形をしているので、The Serpentine という。カモやガチョウの群れが多い。
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池から離れて森の中に入っていくと鳥たちの姿が見られるが、この鳥の場合、たった5メートルの距離から撮影したものである。こちらが近づいて行ってもまったく逃げるそぶりもなく、完全に自然の姿である。その後、市内のどこでも、どんな鳥に近づいて行っても逃げることはなかった。つまり誰も動物をイジメないのだ。
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パリに始まった市の管理する貸自転車システム Velib外部リンク はまたたくまに世界の都市に広がった。ロンドンでもいたるところにこの種の駐輪場(London Cycle Hire Scheme外部リンク)を目にする。最初の30分以内に返却すると無料である。ハイドパークの内部は、自転車道を走り慣れるための最適コースといえる。
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公園内にに馬糞が落ちていた。馬糞を見るのは小学校の時以来、久しぶりだ。朝の馬の散歩をしている人を大勢見かける。自転車道、歩道とは別に馬道も一部できている。近くに言論の自由の原点ともいえる Speaker's Corner があったはずだが、工事中で囲いがしてあった。
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 ハイドパークを半周して Corner にもどると、その西側には Green Park が連なっている。その入り口あたりには二階建てバスの上の屋根を取り払った Bigbus London が止まっている。これは市内では至る所に見かける観光バスだ。
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グリーンパークの入り口近く、ウェリントン・アーチのそばにいると、馬車がぞろぞろと出てきた。
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バッキンガム宮殿を含む敷地はレンガの高い塀で囲まれているので、わざとその外周を反時計回りに回って、宮殿の前にたどり着いた。世界各国からの観光客でいっぱい。

30分ぐらいで回れるほどであるから、この宮殿の敷地自体はそんなに広くない。宮殿北側から撮影。これが最も写りがよいアングルだ。建物の雰囲気は”専制国家”の宮殿に比べると、ずっと地味である。

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どんなガイドブックにも載っている、衛兵さん。次々とやってくる観光客たちによって、10秒に1回は撮影されている。宮殿入口にて。
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グリーンパークの西側には St.James Park があり、この中にある池はやはり蛇のように細長い。多様な樹木が組み合わされて、一見の価値があるイギリス式庭園である。公園外の車が行きかう道路を行かず、園内を通過すれば、西の方角に進むことができるし、騒音と排気ガスにも悩まされずに済む。
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公園の西のはずれまで来ると、少し南下して Westminster 寺院にやってきた。この建物は壮麗というよりは、古さがにじみ出ている建物だ。赤い二階建バスの左側にある建物だが、ここも観光客ではちきれそうだ。正面の壁面には、古くに刻印された文字で「永遠の命が与えられますように…」と書いてある。
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もうここまでくれば、テムズ川もすぐそばなのだ。日本の学校の教師なら、一生にそのチャイムを何万回聞くことになるのか、あのビッグ・ベンの塔が建っている。この向こう側が川になる。
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ビッグ・ベンの南隣が国会議事堂なので、それを左手に見ながら南下すると、川沿いの細い公園を通り抜けて Lambeth Bridge という橋に出る。この橋の真ん中から下流方面を見たのがこの写真。

この時期、テムズ川の水は茶色く濁り、水量は減っている。左岸に議事堂、右岸にはかすかにしか見えないが巨大な観覧車 London Eye が見える。

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こんどは右岸に沿って下流へ進む。ようやく London Eye が見えてきたが、乗る順番を待っているのか、切符を買うために並んでいるのか、とにかく大変な行列。これが土日だったらどうなることやら。

近くに行ってわかったが、この観覧車のゴンドラはそこらのとは違って非常に大きい。一つのゴンドラに10名ぐらい乗れるほどなのだ。まわりに高い山がなく、ここから市内が一望できるので、人気のほどがわかる。

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観察日記(2)
乳母車: フランスでもスペインでもそうだったが、ロンドンでも公共交通機関に乗っていると、乳母車を持ち込む若い夫婦が目立つ。人種間の差はない。日本ではあたりを見回すと高齢者ばかりなのとは、あまりに大きな違いだ。日本もかつてはこんな光景が普通だったのだが、若い娘の数が決定的に足りないために、もはや減少を食い止めることができなくなってしまった。

英国では都心の密集している部分は別にして、周辺の緑の多い環境は子育てに適していると見た。それに終業後、午後5時きっかりにさっさと帰るか、パブで一杯だけひっかけてから帰るサラリー男女を見ると、家庭生活が会社生活に邪魔されていないことは明らかだ。

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市内(2) テムズ川沿いに タワー・ブリッジ まで 

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川沿いの道は楽しい。歩道専用で、車の音も聞こえないし、いろいろな古い建物の横を通り変化にとんだ眺めを楽しめる。橋がたくさんあるので、右岸に渡ったり左岸に乗り換えたり。

手前に見えてきたのが Waterloo Bridge 。映画好きなら、すぐに日本語の題名「哀愁」を思い出すだろう。この橋は作り直された2代目ではあるが、あのビビアン・リーが映画の中で恋人と出会った橋であり、日本の「君の名は」のモデルになった橋でもある。

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やがて右岸に Royal Festival Hall が見えてきた。大した建物ではないが、昔ラジオ、テレビででオーケストラの演奏が放送されるとき「ロイヤル…での演奏の録音です」などとアナウンサーが言っていたが、果たしてどんなところなんだろうといろいろ想像したものだ。

橋をへだてた向かいには National Theater があるが、この有名な劇場の前にあったのがこの銅像。ローレンス・オリビエである。私が最初に写真を撮ると、それを見た観光客が次々とやってきて、「ああ、これはあの名優なんだ!」などといいながら撮影している。ちょっと目立たないところにあるので、多くの人が気づかないまま通り過ぎているようだ。

なお、この付近で飲んだ露店のレモネードの味は格別。酸っぱくもなく甘ったるくもなく、極めて微妙に調製されていた。レモネード、プディング、ジャムなどはイギリス家庭料理として大いに楽しめる。

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遥か左岸に丸屋根が見えた。たぶん St. Paul 大聖堂だろうとは思ったが、川からちょっと奥に入っているのである。丸屋根の方向だけを頼りに、わけのわからない小路をたどってやっと着いた。まさにここは The City の中心部なのである。

「ドリトル先生物語」では、ひょうきんものの雀のチープサイドは、この寺院の聖パトリックの像の左だか右の耳の穴に巣を作っているのだ。なお、 Cheapside というのは、この聖堂のすぐ北にある、まさに下町っぽい地域のことだと判明した。

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大聖堂の裏に回る。そうすると芝生には芋を洗うような人波が。表側には観光客がいたのだが、こちらはちょっと違うようだ。よく見ると男も女もビジネススーツを着ている。

この時間は昼休み時だったのだ。サラリー男女にとっては近くの食べ物屋では値段が高すぎ、近くのデリで弁当を買い、ここで食べて仲間とおしゃべりして昼休みを過ごすのだ。

日本のようにサラリーマン向けの手軽なランチをだすところがないようだ。しかもテイクアウトと店内とでは税額が違うらしい。

わたしもさっそくデリを探し、無国籍風な店でカレーとふつうのごはん(plain rice)をそれぞれの器に詰めてもらい、ここで食べた。味は日本のカレーライスと何ら変わりはなかった。

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 ついにみえてきた。Tower Bridge の特徴ある姿がはるか向こうに見渡せる。その左手にはロンドン塔があるはずだ。ここら辺の川沿いの歩道は上流より広くなり、歩きやすい。ハイドパークからここまで距離にして10数キロ歩いた。足が痛い。
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 Tower Bridge の手前に水上バスの乗り場があった。これは観光用と、地元の人の通勤用とを兼ねている。というのはすばらしい快速で、これにのったら道路の渋滞なんてとても我慢できなくなるほどだからだ。これに乗って、さらに下流の Greenwich にむかう。

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市内(3) グリニッジ を経て ピカデリー・サーカス に戻る

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Tower Bridge から20分ほどで Greenwich の船着き場に。ここが今回の小旅行の西の端となる。すぐ目の前にかつて快速帆船として活躍し、ウィスキーの名前にもなっている Cutty Sark 号が鎮座している。
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今回 Greenwich に行きたかった最大の理由は、この海事博物館 National Maritime Museum外部リンク である。かつて海洋国家であった英国が、船や海に対してどんな気持ちを持っていたのかを知りたかったのである。

人々はどうして水夫になって世界の海に出て行ったのか。答えは、国内が不景気になったとき、多くの人が食い詰めていたので、つらくて危険な仕事を覚悟で船乗りの高給につられていった…のが真相か。

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博物館の大広間にあるこれは何だろう。これは巨大な帆船の「船尾」部分を切り取ったものである。この窓に赤々と灯が、夜の海を照らしたのである。
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これぞ、わがヨットMirror 級の設計者 Jack Holt が1955年に作った Speedwell号である。当時これを使ってドーバー海峡を渡るというスタントをしてのけて、人々の間で小型ヨットの人気が増大し、その後、世界的名艇である Mirror 級が誕生したのだ。
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海事博物館を出ると、Greenwich Park といって、南東の方にゆったりとせりあがる丘が見える。その彼方に建物が見える。
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これぞ子午線の通る旧王立天文台 Old Royal Observatory である。プラネタリウムをふくむ博物館になっている。
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再び桟橋に戻ると、人道トンネルの入り口があり、そこをくぐると、テムズ川の対岸に出る。下関と門司の間の関門人道トンネルとそっくりだ。ただしこちらは人も自転車も無料。自転車は押して歩かなければならない。
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再び河船に乗って Tower Bridge にもどる。片道切符に対し、往復切符は値段が2倍ではなく、1,4倍ぐらいなので、そのほうが得だ。すぐ横が、大勢の反逆者、政治犯が閉じ込められ、処刑されたロンドン塔であり、ここにも各国からの観光客が詰めかけている。
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 さて、再び中心街に戻る。今度は二階建バスに乗ることにした。さすがに2階は眺めがよく、すぐに降りたりしない限りは、一番前に座ってのんびり過ごせる。

この旅行期間中、何回も乗ってそのシステムにはすっかり慣れたけれども、第一回目は、かなり苦労した。バスの路線番号を確認して乗ればいいのだが、バス停を通過するバスの種類があまりに多いので、バス停もA、B、Cなどとわかれているのだ。

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 パブの前に人々が群がっている。何をしているのか?今は午後5時過ぎ。会社が終わったので、サラリー男女はビールを飲みに直行するのだ。

店内に入ってテーブルを囲んでおつまみをたくさん注文するのではなく、カウンターで小銭と引き換えに紙コップ入りのビール(たいてい1パイント=568cc)をもらうと、おつまみも食べずに路上に出て、同僚たちと立ち飲み・歓談するのである。

これなら夜遅くまで飲んで、クダをまくということはあるまい。たいていの人は飲んだらさっさと家に帰る。奥さんが泥酔した夫を深夜まで待つようなことはなさそうだ。二階バスの窓から撮影。

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 バスは予想通り、トラファルガー広場に到着。北側の National Gallery から撮影したので、塔の上に立つネルソン提督は後ろ向きだ。若者が広場にあふれていて、大変にぎやかだ。これは午後8時近く。こんなに明るいので、とてもホテルにノコノコ帰る気にならない。
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 トラファルガー広場から北にあがっていくと、この町のヘソである、Piccadilly Circus に出る。四角形 square でなくて円形 circle なので、こうよばれる。南から北の方に向けて撮影。左つまり西側に、曲がりくねったリージェント・ストリート Regent Street がみえる。
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さすが午後9時に近くなるとあたりは暗くなり、ピカデリー・サーカスの広告ディスプレイも一段と輝きを増す。だが、ここに集まる若者たちの数はさらに増しているようだ。ここの駅からホテルまでは地下鉄 Piccadilly line で乗り換えなし1本ですぐ帰れる。

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観察日記(3)
たべもの: フランス人は食べるために生きるから、フランス料理が発展した。一方、イギリス人は生きるために食べるから、実用本位の食事しか行われない、というのは検証なしの独断と偏見に満ちた私の見解である。

それにしてもロンドン・パリはわずかな距離なのに、食べ物に関してはあまりにも違う。大衆食堂に入ると、チキンとかポークの名前が並んでいるので、注文すると一皿につけ合わせがついて出てくる。つけ合せはポテト、ケチャップ味の豆と相場が決まっている。

もちろんロンドンに美食の店がないわけではないが、実用本位のファスト・フードがお似合いの町であることは確かである。ただし、紅茶の味はさすが大衆食堂でもけっこう高いレベルにあるようだ。

また、レモネードの調製は他の追随を許さない。酸っぱすぎず甘すぎず、である。食品の自動販売機はほとんどない。切符の販売機はどこにでもあるけれど。美味しいパンの店というのは少なく、たいていの人はコンビニで売っているクロワッサンやイギリスパンあたりで満足しているようだ。

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