(2016年6月)

目次

PAGE 1

ギリシャへ

ピレウスからアテネ市内へアクロポリス周辺クレタ島へ

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サントリーニ島(1)

サントリーニ島(2)

テッサロニキ

記 録

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ギリシャへ 

地理:黄色の線は、外部リンクアテネ市内の今回移動した徒歩、メトロの軌跡(GPS記録による)。上が北。 アテネの首都圏はこれよりずっと広いが、遺跡などの観光名所は、この地図の範囲内に集中している。 (約10キロ四方)

なお、左下の入り江のある部分が、港町ピレウスで、ここに宿をとった。かつてはピレウスはアテネとは別の町だったが、今は都市圏に編入されバス、メトロによる都心との連絡ができている。

国際空港は、地図の右側(東)へずっと離れたところにあり、ピレウスから行くときは、都心部を経ないで南の海沿いの道路を経て到達する。

アテネ市中心部は平たんではなく、小高い丘がいくつもあり、その丘の頂上が神殿だったり、見晴らしの良い展望台だったりする。

今回訪れたのは、アテネより約300キロ南で、エーゲ海最大の島、クレタ島、その美しさで新婚さんのメッカともいえるサントリーニ島、アテネより200キロ北にあるだ2の都市で、かつての東西交易の宿場街でありアレクサンダー大王の出生地であるテッサロニキである。

なぜギリシャなのか:  往年の名画、メリナ・メルクーリ主演の「日曜はダメよ」とアンソニー・クィン主演の「その男ゾルバ」を見たことのある人なら、遺跡や哲学者や多島海だけではなく、自由な生き方をしているギリシャ人の姿を記憶している人々もいるだろう。

勤勉、性格、几帳面といった特質ではなく、明るい太陽の下で人生を謳歌するというような雰囲気を、これらの映画から感じ取った人も多いことだろう。ここは南欧の東の端なのだ。西の端はロカ岬のあるポルトガルである。間にスペインとイタリアがある。

そこには地中海という恵まれた自然の下で、オリーブ、魚介類を中心に生活が営まれ、北欧とは違った生き方が根を下ろしているのではないか?確かに北欧は金持ちだ。安定している。これに対して南欧はいつも経済的な問題に直面している。折も折、ギリシャは深刻な国家負債を抱えている。

それでもなお、太陽に恵まれない北のヨーロッパ人たちは、大挙してこの国に押し寄せてくる。特に夏の間はそうだ。単に明るいというだけではない。何か人生を開放するような雰囲気を常に持っているからではないだろうか。それはどんなものだろう?

「日曜はダメよ」では、アメリカからやってきた作家が、「なぜ世界に誇る大文明を築いたこの国が、すっかり落ちぶれてしまったのだろう」、という疑問を持っている。

これは世界中の、かつての強大国、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、イタリア(ローマ)にもいえることだ。この問いには、”かつての繁栄のときのほうが今よりも良かった”という思いが隠れている。

経済的、軍事的な優越は、どんな人でもこれは最大の価値のあるものだという固定観念を持つ傾向にある。だからこそこれらの国が”落ちぶれた”といって、あざけりや同情の対象になってしまうことが多いのだろう。

だが、かつての繁栄したアテネは、現代の経済混乱に苦しむアテネより優れているという図式だけで考えを進めてもいいのか?その疑問に対する答えが見つかる期待も込めて、この国を訪れてみるのもいいだろう。

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観察日記(1)

ギリシャの自動車交通:路上駐車のひどさはポルトガルのリスボンを上回る。アテネ市はローマなどと同じく、地中は遺跡だらけだから、道路工事や地下鉄工事を始めようものなら、貴重な遺産がザクザク出てくる。だから、昔ながらの狭い小路を広げたり、安易な高架道路を作るわけにはいかない。地下駐車場建設もままならない。

縦列駐車の場合、前の車のバンパーとうしろの車のバンパーとの間の距離は20センチ程度だ。いったいどのようにして出るのだろう?それにしてもフロントガラスをよく見ると、ほこりがたまりにたまり、中が見えないほどだ。つまり所有者は道路を車庫代わりに用いているばかりでなく、たいして自動車を利用していないようなのだ。

単なるステータスシンボルなのか知らないが、自家用車の稼働率はかなり低いと見た。不要不急の車が多いのだから、将来的には高い税金などを用いて、実質的に自動車を所有できない方向に進んでいくだろう。しかもアテネ市内は、メトロ、バス、トラムなど、公共交通機関の利便性は決して遅れていることはない。

運転はみんなゆっくりだ。交通事故は一度もみなかったし、信号のない交差点を渡ろうとすると、”先に行け”と手で合図をしてくる運転者が多い。横断歩道に無礼にも割り込んでくるような輩は見当たらない。赤信号になりそうなのに、アクセルを踏んで突破するようなイライラ・セカセカ運転は見かけない。

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ピレウスからアテネ市内へ 

2402

午前零時過ぎの羽田空港から飛び立ち、カタール経由で、アテネに正午前に到着した。「日曜はダメよ」の舞台となったことや、エーゲ海への船の情報を探しやすいということから、外部リンクピレウスの港近くのホテルを予約した。写真2402番にあるように、遠くに低い丘が見える。

高層ビルはなく(一つあるが、がらんどうのまま)、町並みは4,5階建てがメインだ。メトロのピレウス駅が近くにある場所を選ぶ。ただし狭い小路が多いので、にぎやかな商店街を抜けたりして、かなり時間がかかる。いかにも下町という感じで、コンビニはなく、昔ながらの小規模なパパママ・ショップが多い。大規模な百貨店もない。
2403

なんといっても外国人にとって抵抗を覚えるのはギリシャ文字だろう。2403番のように、看板を見ても判読に時間がかかる。。それでも読み方のルールは英語に比べれば、ずっと規則的なほうだから、最小限の決まりだけ覚えれば大体は読める。それにこの文字は、現代のアルファベットの先祖の一つになったのだから!

この通り、港近くなのに、なだらかな坂になっている。歩道は狭く、車道は路上駐車で身動きならない。もし駐車している車がなければ、どれだけ快適な道路になることだろう! ここは高齢化社会ではないので、街には賑わいがある。
  2503
新しい港はメトロの駅から歩いてすぐだ。巨大なフェリーが並び、いずれもエーゲ海の島々とを結んでいる。この写真は、荷台のないトラックを写したものだが、右端に、緑色の双胴船が見える。

また左には、いかにも”貿易センタービル”といった感じの黒っぽい高層ビルが見えるが、実は近づいてみてみると、ガラスが破れ無人になっている。がらんどうなのだ。現代ギリシャの経済危機を象徴するようなビルだ。

波止場は広々として散歩に最適。歩き疲れたら埠頭間をつなぐ無料シャトルバスに乗ればいい。しかもこの季節(6月)は、サマータイムで午後9時でも明るい。

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2503番の写真は新港だったが、こちらは旧港だったものをアテネ・オリンピックでのヨット競技会場になり、看板にあるように「 ZEA ハーバー」として使われている。まんまるい湾になっており、湾沿いには高層マンションが林立している。このあたりには中規模のスーパーマーケットもあった。

海洋レジャーに関心が薄い日本と違い、豪艇からボロ船まで大変な数だ。犬を散歩させている人が多く、市民の散歩道ににもなっている。

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豪艇が集中して舫われている地区。経済危機に苦しむギリシャで、どうしてこんな高価な船を持てるのか不思議な気持ちになる船体も多数あった。豪艇は、豪邸をすでに持っていて、それでも富が余っている人が持っているのだ。
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ヨットハーバーのそばにあるオリンピックを記念した公園は、今では子供たちの遊び場になっており、この黒い船体は、”海の戦車”とでもいえるものだが、どうも用途がはっきりしない。
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ピレウスの街の魚屋さん。巨大スーパーがないから、こんな専門店も多数ある。朝早く通ると、新鮮な魚がずらりと並んでおり、正午までにはほぼ売り切れており、半日で店じまいだ。冷蔵庫がないのだ。すべて氷で冷やしてある。
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ピレウスのメトロ駅。アテネ中心部から来た1号線の電車はここが終点となる。ここから数キロは地上部分を走るので、外光を取り入れた、こんなしゃれた屋根を持つ構造になっている。本数は多い。ロンドンの地下鉄と違って故障は少ないようだが、ストが多い。

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メトロ1号線でアテネ市内に向かってみる。途中1回乗り換えてすぐに、この町のへそ、「シンタグマ(直訳すれば”憲法”)広場」に到着。ピレウスと違い、ここは観光客がいっぱいだ。正面(東方向)に見える白い建物は、国会議事堂。

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国会議事堂の前が「無名戦士の墓」になっており、二人の儀仗兵(ギジョウヘイ)が見える。ちょうど閲兵(エッペイ)をする時間で、観光客たちがカメラを向けている。気温は30度に迫りそうで、最初の日だけにまだ暑さに慣れないので、ゲンナリだ。

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 国会議事堂から南に向かうと、すぐ広大な「国立庭園」に入る。まるで迷路のようで、まっすぐな道は一つもない。入り口には、この通りシュロの高木が見事だ。
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公園内部には、池があったり、ちょっとした橋がかかったりして、市民の憩いの場になっている。

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公園を出て、道路を渡ってさらに南に進むと、「ゼウス神殿」が現れた。数本の柱だけだ。金網の外から撮影したが、近くで見るより、このほうが全体像がつかみやすい。

なお、エンタシス(entasis)を特徴とする石柱をこの町で初めて本格的に見たわけだが、石柱はまっすぐ1本つながっているのではなく、いくつかに切られていて、ただぴったりと上に乗せているだけだということを今回初めて知った。

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ゼウス神殿から西方向に回り込むと、ようやくアクロポリスの丘が見えてきた。だが今日は空港から到着したばかりなので、中には入らず遠くから眺めるだけにする。

つるつる滑る大理石の岩山に上ると、大勢の若者がおり、東方向に丘とその上にある神殿が見れるが、今から4千年以上も前からこれが存在したのだからすごい。

  2409
アクロポリスの丘の北斜面には、ほかにも多数の遺跡があるが、土産物屋もそれに劣らず多い。かつてのゼウス神殿で神事を行った巫女たちが着たであろうデザインの涼しそうな服が売られている。
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北の斜面をさらに進むと、商店街に入っていくが、その中にこの町で一番大きいミトロポレオス大聖堂に行き当たった。地図で探したのではなく、この聖堂の広場に出てしまったのだ。ギリシャはカトリック教会よりも”ギリシャ聖公会”が優勢だから、建築様式も異なっているし、僧侶の服装も違う。

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街角で見かけたかわいい聖堂。普通の民家ぐらいの大きさしかない。雑踏の中に突然現れ、周りのファッション・ストリートの中の島みたいなものだ。左うしろの白い建物は衣料品の「H&M」なのだ。

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観察日記(2)
公共交通機関 世界の大都市はJR東日本の「スイカ」のように、タッチ式のカード形式に進化しつつある。だが、アテネや第2の都市であるテッサロニキではまだだ。

代わりに「共通キップ」というのが出されていて、アテネでは1枚1.40ユーロ(2016年6月現在)だが、これを硬貨があるなら券売機で、紙幣しかないなら窓口で買う。そして駅の入り口、バスの乗り口で、機械の穴に差し込み、使用した時間を記録する。

そうすると、そのあとメトロでもバスでも、その他許されている他の交通機関でも、乗り換え放題で90分間使用できる。まあ、大都市内では90分あれば事故がない限り、目的地に着けるから、妥当な額だといえよう。

しかし気になるのは、大勢の市民がその時間記録(刻印)をしないで利用しているが、それは乗り換えの”途中”だからなのか、単なる不正乗車なのかわからない。滞在した10日間、一度も検札をする人に出会わなかった。

もちろん不正がばれれば高額な罰金を支払うことになるが、かつてイタリアでもそうだったが、人々に対する信頼みたいなものがあるのだろうか?

パリでは若者が得意の走高跳を生かして堂々と機械式の改札口を跳び越えていったのを何度か目にしたが、ここの人々はみんな善良なのだろうか?

もし不正乗車が日常的に行われているなら、たちまちアテネの交通局は破産状態に陥ることであろうから、やはりきちんと運賃は支払われているとみていいのだろうか。

防犯カメラやら、「スイカ」のように1円刻みできっちり運賃が管理されている、いわゆる”不信のシステム”があたりまえの現代社会において、これは注目すべきことである。

ギリシャ語あれこれ古代ギリシア語はむずかしい(はずだ!)。では現代ギリシャ語は易しいかというと、教科書の第5課でたちまち、面倒な「格」の話が出てきてしまった。

ロシア語もそうだが、古いタイプの言語は面倒な規則で満ち溢れていることが多い。その規則をこなすために時間をとられて、肝心の単語や面白い表現を覚える時間が足りなくなってしまう。

というわけで、出発前の一か月では「おはよう、さよなら、ありがとう」しか覚えられなかった。それでも旅がうまくいったのは、ギリシャ国民の多くが英語を操ることができたからである。おそらく2004年のアテネオリンピックのおかげであろう。それに夏になると北欧から太陽を求めて人々が押し寄せる。

ギリシャ文法は厄介だが、単語の勉強は楽しい。というのは「大きい」なら「メガロ」とか「小さい」なら「ミクロ」といったように、普段知っている単語が大変参考になるからだ。これもギリシャ語がラテン語と並んでヨーロッパ言語の語彙を作るのに大いに貢献したからだが、こうやってみると遺跡を越えてギリシャの文明は現代社会に生きているということがわかる。

ギリシャ語に関心がある人でも、それは文字を通じてであって、特に数学の記号に数多く用いられているから、かなり抽象的な世界に遊んでいるような感じを与える。

だが、ギリシャ語は、英語のようなゲルマン系とも、スペイン語のようなラテン系とも異なる系統なのだが、今回初めて、生の人々の音声を聞いて、音の響きがイタリア、スペイン語などとよく似ていることに気づいた。これはこれらの言語と同じく、「子音+母音」の組み合わせが主体だからだろう。

キリスト教の「ギリシャ正教会」は「ロシア正教会」と組織が異なっても、教義は同じだ。このこともあってロシアで使われているキリル文字は西暦900年ごろに作られたが、ギリシャ文字を借用している部分があり、文字と宗教を通じてロシアとギリシャの共通性が感じられる。

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アクロポリス周辺

2413

ぶらぶら歩きに徹した翌日は、あらためて市の中心部を、今度は入場料を払ってていねいにみることにする。8つもの遺跡をまとめて見れる「共通キップ」なるものがあり、それで全部見てやることにした。30ユーロもしたが、しっかり元をとろう。

まずは何といっても世界の観光地、ピラミッドやエッフェル塔に負けない知名度を持つ、パルテノン神殿だ。その暑さ、その人の多さにびっくりだ。2413番にある通り、狭い出口では人間の渋滞が起こっているし、熱中症で倒れる人が後を絶たないらしい。
2414

2414番は、歴史の教科書に載っている有名なアングルで撮影したのだが、この通り復元工事中で、これがいつ終わるのかわからない。建物より観光客を見に来たと思えばよい。

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こちらのアングルは2414番のちょうど裏側に当たるが、壮麗さの点ではかなり劣る。

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パルテノン神殿を出ると、すぐその北隣が、神殿が最盛期を迎えていたころの、いわゆる城下町である「古代アゴラ」だ。つまり市場だったのだろう。こちらに来ると観光客の数はぐんと減る。

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古代アゴラには縦に細長い博物館が併設されてあった。これで共通キップの3つ目。

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アテネが歴史に登場したのは、パルテノン神殿の時代だけではない。ローマ帝国の栄えた時代には、つまり紀元前後には、ローマ人の作ったアゴラ(ローマン・アゴラ)もあったのだ。こちらのデザインは、ポルトガルやエジプトでも見たローマ時代の遺跡とよく似ている。

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ケラミコス博物館は、メトロのテセイオン駅のすぐ北側にあった。この絵では古代の陶器がここで作られたことを示している。 ケラミコスは英語のセラミック(Ceramic)の語源だそうだ。
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ケラミコス博物館のすぐ横にある、墓場とその墓石。故人が馬の上手な戦士だったことを記念に残したものだろう。

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ビルに囲まれた単なる公園に見えるが、これこそソクラテスらが歩き回った庭園(リュケイオン)と、体育場(ギュムナシオン)の跡なのだ。アリストテレスがこの辺りを散歩したから”逍遥(ショウヨウ)学派”と呼ばれるのだ。

この場所はメトロのエヴァンゲリスモ駅(エヴァンゲリオンとなんか関係があるかも…)のすぐそばだったが、ほかに二つの大きな博物館があり、それに挟まれて、なかなか見つけることができなかった。ここを訪れる観光客はごくわずかであったが、いかにも逍遥学派を深く知っていそうな人たちだ。

ここに来ると、周りはビジネス街であり、古代ギリシアと現代ギリシャとの開きを最も強く感じるだろう。

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一日の終わりは、ちゃんとした食事をしたい。タベルナはレストランに比べると庶民的で、”食堂”に近いそうだが、どうもその違いが判らない。ピレウスの宿に近いところに夫婦(?)でやっているタベルナがあった。もちろんこの季節では外に出したイスとテーブルで食事をとる。

緑の瓶は水が入っている。コップの形が懐かしい。待ちゆく人々を眺めながら出来上がりを待つ。
  2420
 

2420番の右手前の白いものは、ヨーグルトを主体に香辛料を混ぜた「タジキ」と呼ばれるもので、バターやジャムの代わりにパンに塗って食べる。右奥のものはクレタ島で考え出されたもので、ラスク(カチカチパン)の上にやはりヨーグルトその他を乗せたもので「ダコス」と呼ばれ、ナイフかフォークで突っついて粉々にして、いやドロドロにして食べる。

店の人に細かく教えてもらわないとわからないほど、食べ方が変わっている。あとは魚のタラを焼いたものも出たが、とても新鮮だった。

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観察日記(3)
カフェで: ギリシャ人の陽気さがよくわかるのは、たぶんカフェでだろう。6月はかなり暑くなっているので、人々はほとんど冷たいタイプを注文する。

勤め人以外の大部分がの人がこれだけで1時間以上も粘っているが、店頭におかれたテーブルなので、通行人はそれに目を止めて自分も店に入ろうという気になるらしいから、問題ない。

しかし小腹のすいた人はこれにパイやピザの類を追加注文する。少し本格的な店になるとフランスパンにハムやチーズを挟んだものを置いているが、サンドイッチはほとんど見かけなかった。紅茶もない。英国風はあまり人気がないようだ。

店はほとんどがポルトガルと同じく個人経営で、地元の人々のたまり場になっている。友人同士で話し込んでいる場合がほとんどだが、ひとりで思索にふけっている者もいる。経済の悪化はカフェの客を減らしてはいないようだ。むしろホッとする場所として活用されている。

店の親父はみんな愛想よくて親切で、外国人が注文に手間取っていると、必ずと言っていいほど手助けしてくれる。それになんといってもトイレの利用だろう。世界中どこでもトイレの設置は日本に勝るところはないだろう。逆に言えば、どこも極めてトイレが不足していて、たまにあってもそれは有料ときている。こんな時カフェなら全く問題なく使えるわけだから、町中トイレだらけといっても問題ない。公衆便所を設置するのに消極的なのはこんな事情があるためかな?

値段はまちまちだ。コーヒーの量も、品質も、食べ物も様々だからいくらするのか見当がつかない。もちろん、アクロポリス周辺は高いが、それ以外ではパリなどを大幅に下回る値段設定である。こういう時、ユーロ圏を旅行した時に物価に大きな隔たりがあるのがわかって便利だ。パリとギリシャ第2の都市テッサロニキではコーヒー一杯の値段は5倍ぐらいの開きがあるような気がする。

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クレタ島へ:アテネから南へ約300キロ

2426
海に出るなら、早めにしなければならない。いつ天候が急変し、海が荒れて船が出ないとなれば、帰りの飛行機に間に合わないというような悪夢のような事態も起こりうる。まずは南へ300キロある、兵庫県に相当する巨大な島、外部リンククレタ島へ向かう。

エーゲ海の船は、のんびり進むフェリーと、高速の双胴船の二つに分かれるようだ。今回のアテネ➡クレタ島の首都イラクリオンは、大型トラックが何台も積まれている巨大フェリーに乗ることになった。午後9時発。ただしその3時間前から乗船できる。

客席はエコノミーの場合、飛行機と同じように座席に座り、わずかだが幅が広く作られている。100席ぐらいあったが、実際に乗っていたのは15人ぐらいだった。もちろん上級船室があり、ホテルのような作りになっている。

エコノミークラスと同じ階にはセルフサービスの食堂があり、まさに”定食”が提供されていたが、量ばかり多くて、正直あまりおいしいとはいえなかった。2426番にあるが、ANEK LINESという船会社である。なお、その左に傾いている船が見えるが、これは”廃船”であり、持ち主はそれを処分するお金さえないため、港に放置されているものと思われる。

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いよいよ出港!こんなに明るいが、すでに午後9時を過ぎている。右側のグリーンとブルーの船は双胴船。ピレウス港を背景に。例の廃屋になった”貿易センタービル”も見える。
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平穏無事な航海だった。エアコンが効きすぎて寒いのが欠点だった。朝6時になるとクレタ島が見え、間もなく入港した。この通り非常に濃い群青色である。南下したので気温が高くなっている。
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クレタ島の首都で最大都市、外部リンクイラクリオンに到着した。港のすぐ横がバスターミナルで、市街地に出るには、2429番にみられるようなベネチア占領時代に作られたトンネルをくぐる。ベネチアは1204年から占領開始し、今度はオスマン帝国に占領されるまで、17世紀中葉まで続いた。ギリシャ本土と同じく、歴史に翻弄された島なのである。
2430
トンネルを出てすぐ内陸部へ向かうと、市街地に入る。このときは朝早かったが、昼間は地元の人と観光客でごった返している。悪い予想は当たり、1番目と2番目のホテルは満員。3番目のホテルで、連泊ということで部屋にありついた。高いホテルではないが、どこもまずまずの清潔さだ。ホテルに荷物を預けて観光地巡りに出発する。
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クレタ島で最大の遺跡と言えば、紀元前2000年ごろの古代ミノア文明を代表するクノッソス宮殿だ。バスターミナルから、待つ必要がないくらいたくさんの本数が出ていて、40分ぐらいで到着する。この遺跡を発見したのは、トルコ領にあるトロイ遺跡のシェリーマンに匹敵する、イギリスの考古学者アーサー・エヴァンズであり、その胸像が入り口に立っている。
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有名な赤い柱。ギリシャ本土より早くから文明が発達し、海で遮られていたために、独自の発達を遂げたのだろう。周りはオリーブ畑のある低い丘にかこまれているが、ここで600年ぐらいもの長い間、文明が栄えたのだ。それに比べると、現代文明はあとどのくらいもつものやら。
2433
イラクリオン市街地に再び戻る。フェリーの到着した港を起点に海岸沿いに進むと、西の方向には広く見渡せる湾が広がる。ここは島の北部だから典型的な地中海性気候である。海岸沿いに自然史博物館とかプールなどが並んでいる。
2434
市の中心部にすすむと、やはりベネチア風の市役所が見えてきた。ここも大変な賑わいを見せている。
2435
アヒルかカモ。こんな岸壁で何を食べて生きているのか。
2436
港の近くに、何やらおいしい料理を出すようなタベルナを発見。
2437
地中海の魚の”盛り合わせ”。イカ、イワシ、アジ、ムール貝、エビが囲み、中心には特大のピーマンにタジキを詰めたものが鎮座する。料理はオリーブ油で上げただけだが、いずれもすこぶる新鮮。典型的な漁師料理。
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クレタ島に着いた翌日、この島の第2の都市、ハニアと第3の都市、レシムノを訪れることにする。いずれも島の北部海岸沿いにあり、その間は高速道路ではないが、国道で結ばれている。

まずは一番遠い西の端にあるハニアに行き、そのあと、東に戻り、イラクリオンとハニアとの中間点にあるレシムノに行くことにする。

バスターミナルでは30分から、1時間くらいの感覚で出ており、タイミングがいいとキップを買ってすぐに乗り込むこともできる。各便とも満員ではないにしてもかなりの乗客が乗っており、外国人観光客も多い。

海岸はリアス式ではないが、丘が海辺まで迫っているので、急カーブが多く、スピードが出せない。時間があれば本当は南部海岸に行きたかった。そちらの気候は対岸のリビアと同じく、北アフリカ式だという。そのためには本数の少ないバスに乗って山脈越えをしなければならない。

243
バスはインターシティといっても、かなりの停留所で止まる。コンクリート製のこのようなバス停もあり、地図やそこの特産物などが描かれている。
2440
3時間近くかかって、ようやく外部リンクハニアの町に到着。 小さな町だから、バスターミナルからちょっと歩くとすぐに海岸が見えてくる。おなじみのベネチア式城壁が見えてきた。そして、前方には同じく石造りの灯台が見える。港の入り口が見えるのだ。
  2441
 そして城壁を回り込むと、そこは小さな湾になっていて、ベニスで見たような色とりどりの建物が、海に向かって並んでいる(Venetian Port)。なるほどこれなら観光客に人気があるわけだ。
2442 
 ゴンドラはないが、馬車は豊富に走り回っている。それもみんな白塗り。
2443 
 岸壁には、クラシックな漁船が係留されている。もちろん立派なヨットハーバーもあった。
2444 
 湾の両端には、「クレタ海洋博物館」があり、この写真の船は東端にある分館に展示してあった。イルカの模様は、地中海全般でも広く使われている。分館の建物は、カマボコ型で昔の港の倉庫をうまく利用しており、小樽の倉庫のように観光にうまく利用されている。
2445 
 このあと再びバスに乗り、1時間ほどで中間地点の外部リンクレシムノに到着。バスターミナルのすぐ前が、この通りなだらかな曲線を描く海沿いの道路になっており、その先にまたまたベネチア式の今度は砦が見えている。
2446 
 砦に行ってみると、これが何とも大きく、海の展望が素晴らしい。というよりは、昔は敵の襲来(オスマントルコか?)を絶えず見張っていたのだろう。大砲のための銃口や、武器庫、教会までそろっている。2446番は西方向を撮影したもの。
2447 
 砦から東の方向を見下ろすと、フェリーの入る大きな港が見える。
2448 
 レシムノは小さな町だが、旧市街には、このように非常に狭い小路が縦横に走っていて、その散策が非常に面白い。こんな迷路みたいなのが、バスターミナルまで続いた。
2449 
 空き家があり、人はいないのに、猫がじっとこちらを見つめている。家の人に置いていかれたのだろか。でも猫は人ではなく、家につくというから…

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