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翌日、地下鉄東西線蹴上駅の東側出口からすぐ蹴上インクラインの真下を通るトンネルをくぐって、南禅寺に至る小道を進む。途中、「金地院」「天授庵」の前を通る、緑豊かな道だ。 |
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南禅寺の「三門」。知恩院の三門のような圧倒的追力はないものの、門を一周することによって、角度によって違う美しさを満喫できる。 |
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南禅寺の境内に、琵琶湖疏水の水路である「水路閣」が通る。パリのエッフェル塔のように、最初は似合わないと批判されたのに、今ではここを見ずして南禅寺を訪れる人はいないだろう。苔むしたレンガ造りが、テレビドラマのユニークな舞台を提供している。石段とアーチが不思議にマッチしている。 |
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南禅寺の池泉回遊式庭園(方丈庭園)の切符。切符売り場に行っても販売員がいない。苔の敷き詰められた場所の雑草取りをしていたのだ。人気のない庭園なのかと始めは思った。だが、豈図らんや(アニハカランヤ)・・・ |
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建物の角を曲がると、あっと驚く光景が展開する!庭内は小規模であり、小さな池を一周するだけなのだが。写真では表せないのが残念だが、今回の京都旅行で、最も美しい庭園だといえる。その理由は、様々な緑色のニュアンスを、いろいろな種類の木を使ってあらわしていることだろうか。石灯籠や石橋やその他人工物ではなく、自然のもたらす緑だけで勝負しているのが、驚きである。葵祭の季節だったからよかったのかもしれない。 |
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南禅寺を北にある大寂門から出て「鹿ケ谷通」を北上すると、右折する角がある。突き当りは上の写真の「熊野若王子神社」がある。その手前を琵琶湖疏水が流れているが、疏水沿いに歩いていく道が西田幾多郎が歩いた「哲学の道」である。 |
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哲学の道は並行した道が3本もある。一番細いのが疏水沿いで、気分がいいが、すれ違いのときは厄介だ。疏水の東側は低い山で、神社やお寺が点在している。それらに寄り道するのも一興なのだ。猫がうようよいる地点もある。 |
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これも寄り道したところ、大豊神社。これは狛犬とはいいがたい。どう見てもネズミだろう。サルもフクロウ(あるいはトビ?)もいた。 |
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法然院の境内にも立ち寄った。急傾斜ではないが、ジグザグに坂道がついていて、散歩には最適。 |
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法然寺の庭園の中に池があり、そこに鯉がいたのだが、鯉が口を出したところでシャッターを切ると、ちょうど頭上の青葉が水面に反射して面白い構図となった。 |
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哲学の道から東へ上がる寺の最後は何といっても「銀閣寺」。ここで突然観光客が激増して、参道は、清水寺並み。 |
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これは銀閣寺の総門であるが、修学旅行生が次々と押し寄せるので、見学は次回に回すことにした。 |
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銀閣寺総門の北側に、小さな神社「八神社」があった。観光客は訪れない、地元の人専用であろう。 |
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一転して京都御苑の近くまでバスで移動。御苑の塀沿いに南下する。途中、足を引きずった外国人の女性に出会う。御苑の中で迷ってしまったらしい。南に行くべきか北に行くべきか聞いてきたので、南に進むほうがはるかに近いことを伝える。ちゃんとホテルに戻れただろうか… |
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御苑の南のはずれ、河原町丸太町交差点から、寺町通そして夷川通、そして柳馬場通に入ると、神社仏閣の中で、まるで珍しい「京都ハリストス正教会」があった。 |
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さらに二条通を東進すると、河原町通を突っ切って、鴨川の手前で南下する。そこには鴨川とは別の細い運河があり、そこが高瀬川と呼ばれるのであった。森鴎外の「高瀬舟」はここが舞台である。写真の船はその復元模型。あとわずかで京都市役所だ。その東側に「長州藩邸」があったのだ。今は「京都ホテルオークラ」になっている。 |
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地下鉄東西線で、「市役所前」から二駅西へ移動すると「二条城前」だ。駅の西側には「神泉苑」がある。平安時代の貴族向け遊園地だったらしいが、雰囲気としては中国風である。神社のお宮が、池に突き出した半島(あるいは島?)にある。 |
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神泉苑の北側にはお堀の向こうに「二条城」がある。ここも観光客であふれんばかり。銀閣寺と同じく次回に回すことにした。入口から東に延びる二条通を通って烏丸通、そして南下して地下鉄東西線烏丸御池駅に出た。 |
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さらに烏丸通を南下すると東側に、こんなお菓子屋さん「亀末廣」が。1802年創業の老舗。そこから面白そうな小道があったらしいのだが、建物が取り壊され、駐車場になったらしい。京都もどんどん変転している。 |
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さらに南下すると、池坊の「生け花資料館」があり、その南側が「六角堂」というお寺だ。この写真は境内にある「十六羅漢」。ここが生け花の発祥の地なのだ。 |
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三条通を東に進むと、北側に「弁慶石」なるものがビルの通路に鎮座している。 |
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三条通から寺町通を北上すれば、本能寺。「信長公廟」はその奥にあった。1700に門を閉鎖するというから、大急ぎ。 |
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この後河原町通りを南下して、噂の「柳小路」の入り口を発見。 |
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入口に立ってみると、幅が2メートルあるかないかの路地に、様々な店が続いている。「石塀小路」とは違った、別の京都の魅力。 |