その7(2017年12月)

ginkaku-ji

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貴船神社・鞍馬寺・銀閣寺・大文字山→御所・二条城・東福寺→宇治・伏見・伏見稲荷

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御所・二条城・東福寺

この地区の出発は前日と同じく「島原口」とした。2017/12/06

(01)島原口➡阪急京都線・四条大宮駅➡地下鉄烏丸線・今出川駅➡京都御所 所要時間 0830-1130

(02)京都御所➡二条城➡本能寺跡地➡錦市場➡先斗(ポント)町➡京阪電鉄・祇園四条駅 所要時間 1130-1400

(03)京阪電鉄・東福寺駅➡東福寺➡泉涌寺➡島原口 所要時間 1400-1730

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前回は葵祭の終わったばかりで、御所は臨時休館日だったのだ。今回は晴天であるうえに、団体客が到着する前に入り口(清所門)に到達したので、快適な見学ができそうだった。「御苑」と「御所」が違うことを今回知った。前者は、御所、京都迎賓館、大宮御所、仙洞御所、広場などを含む公園全体のことをいうのである。清所門では、入場は無料だが、簡単な荷物検査があり、首から番号札をかけられる。建物は、平安時代からしょっちゅう焼失しているので、みな新たに再建されたものばかりだ。
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この時刻では中高年者が大多数を占める。20代と思われる女性ガイド(宮内庁の職員)が、堂々と説明してくれる。「…というカタチとなります」という独特の末尾口調が面白い。写真は「新御車寄(シン・オクルマヨセ)」であり、外からのお客がここに車(牛車)を乗り付ける。この後の待合室が、3つあり、身分によって、粗末な部屋、普通の部屋、豪華な部屋に分かれているのには驚いた。
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広場の奥に建つ「紫宸殿(シシンデン)」。真ん中の「宸」の文字は、たいていの人が知らないであろうが、ワープロでは一発で出てくるのである。さすが宮内庁用語である。
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ちょっと目立たない垣根であるが、近づいてよく見てみると、イグサのようなものを束ねたように見える。
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「小御所」は多用途会館である。右側には古代サッカー場である「蹴鞠の庭」があり、反対側には回遊式庭園がある。
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こうやって回って見てみると、御所外部リンクをわざわざ東京に移転しなくてもよかったのではないかと思われる。京都の町全体の風情のほうが、皇族の生活に向いていると思う。
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二条城外部リンクも葵祭のころは、ほとんど修学旅行生に占領されていた。今回も大勢いたが、通行に支障をきたすことはなかった。ここは御所から歩いて15分程度。途中、堀川沿いの遊歩道が、川床と同じ高さに作ってあり、車の姿を見ることなく快適である。大型バスに乗ってやってくる観光客の中で、二条城の南側にある「神泉苑外部リンク」のことを知っている人は少ないだろう。こちらは平安京ができたころからあるのだが。
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今年は、「大政奉還 Restoration of Imperial Rule 」150周年である。「東大手門」より入った内側より撮影。
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 「二の丸御殿」。ここで徳川慶喜は大政奉還についての諮問をしたのである。ここは靴を脱いで入ることができるが、板張りの通路をはだしで、あるいは靴下で歩き回ることになる。大広間では人形でできた慶喜と家臣たちの会議をしているさまが飾られている。
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二の丸御殿の南側には「二の丸庭園」がある。岩の連なりをテーマにした構成である。
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 そこからお堀を経て本丸御殿に向かうわけだが、こちらは公開されていない。しかし、武士らしい簡素な板張りの建物が目に入る。
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 さらに、縁側に上がるための、この二つの巨大な石の形と、自然な置き方が素晴らしい。
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 お堀には鯉がおり、橋の横の自動販売機では、「鯉」と「恋」をかけた、占い付きエサが売られている。ちょっと雰囲気に合わないとは思うのだが…しかもほとんどの観光客は目にとめない。左が二の丸御殿、堀の右が本丸御殿。
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 二条城の入口から南北には「堀川通」、東へは「二条通」が伸びているわけだが、「二条通」と直角に交わる通りのうち、「両替町通」と「室町通」の二本には、「旧二条城跡」が3か所ほどある。つまりかつては何度か移転していたのだ!この写真は京都府庁近くの「室町通」にある、「平安女学院」敷地の角にあったもの。「二条通」より南に6本ほど下がると、「蛸(タコ)薬師通」には「旧本能寺跡」もある。京都の路地は、日本歴史研究者のタマゴをトレーニングするには最適の場所である。
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「蛸薬師通」より一本南の「錦小路通」を東に進めば、「錦市場」だ。時速1キロぐらいでのろのろ進む。ありとあらゆる民族、人種がまじりあい、写真を取り合い、店を冷かしている。アーケードがあり、雑然としていて、イスタンブールのグランド・バザール市場のようなものだ。
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「四条大橋」を渡る手前左には、「先斗(ポント)町」の入り口がある。時間的にはお客のいない時だが、“見学”していく人々は絶えない。語源的には point (英語)→ ponto (ポルトガル語)というわけか・・・
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 四条通から京阪に乗って南に向かえば東福寺駅はすぐだ。だが「東福寺外部リンク」の境内に達するためには、4回ぐらい曲がり角を曲がらなければならない。「東寺」のように建物や付属物が多いのである。これは「経蔵」だったか?
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すでに盛りは過ぎたとはいえ、モミジの絨毯は一面に広がっている。
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東福寺のもっとも有名な見どころ、「通天橋」。二つのお堂を隔てる谷は思いのほか深かったために、こんな大仕掛けな橋が出来上がった。
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 たいていの観光客はこの東福寺の見事な効用や橋を見て満足して帰る。だが、山奥にはほかにも寺がある。
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 そのためには民家のあいだを縫う幅50センチぐらいしかない小道も通っていかなければならない。それでもそれが迷路を探索する面白さがあって、地図と首っ引きであっちへこっちへと向かう。このかわいいお地蔵さまは舗装道路のど真ん中に突然現れた。
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階段を登ったり下りたりしてようやくたどり着いたのが、「泉涌寺外部リンク(センニュウジ)」。すでに拝観時間は過ぎていたので、門だけ撮影して退散。あとは「泉涌寺通」を一気に下って「九条通」に出れば、「島原口」行きバス停がある。

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