その8(2017年12月)

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貴船神社・鞍馬寺・銀閣寺・大文字山御所・二条城・東福寺→宇治・伏見・伏見稲荷

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宇治・伏見・伏見稲荷

この地区の出発は島原口とした。2017/12/07

(01)島原口➡京都駅➡JR宇治駅➡平等院➡興聖寺➡宇治神社➡宇治上神社➡京阪宇治駅 所要時間 0900-1150

(02)京阪宇治駅➡京阪伏見桃山駅➡御香宮神社➡大手筋➡油懸地蔵➡寺田屋➡長建寺➡京阪伏見桃山駅 所要時間 1150-1500

(03)京阪伏見桃山駅➡京阪伏見稲荷➡伏見稲荷大社➡ぬりこべ地蔵➡石峰寺➡JR稲荷駅➡京都駅➡京都文化博物館➡京都駅 所要時間 1500-2000

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 島原口から京都駅へ徒歩で向かうときは、縦横の細い道がたくさんあるので、何十通りもある。西本願寺から、「堀川通」を隔てて東側の「正面通り」に入るとすぐに、丸屋根の洋風建築が目に入る。誰でもこれを明治時代に作られた(ロシア正教の?)キリスト教会ぐらいに思ってしまう。ところがさにあらず。「本願寺伝道院外部リンク」といって、布教、研修の道場として西本願寺が使用しているのだ。
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京都府の最南端、宇治市にやってきた。京阪宇治駅の郵便ポストはこの通り、茶壷型である。この町は茶の生産販売で成り立っているのだ。
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宇治川のほとりに「平等院外部リンク」があった。もちろん、切手の図案にもなっている「鳳凰堂」がメインである。
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正面から見ると、想像していたよりも小ぶりであるが、左右のバランスがよくとれていることが特徴になっているし、その姿を池の表面に映し出しているのもいい。
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平等院から宇治川に出ると、二つの島「中ノ島」と「塔の島」が目に入る。まるで保津川沿いの嵐山のような光景だ。最近のニュースでは韓国の詩人、ユン・ドンジュがこの町に滞在したことがあるということで、記念碑ができるそうだ。(予定地:京都府立宇治公園塔の島)・・・「星一つに思い出と、星一つに愛と…」
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塔の島を縦断していると、金網の小屋が目に入った。中にいたものは…そう、これは鵜飼の「う」だ。夏だけなので、今は暇そうだ。
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宇治川を渡り、上流に向かうと、「興聖寺」が、下流に向かうと、「宇治神社」がある。ここでは七五三のため、大きな輪を子供がくぐりぬける儀式をやっているところだった。
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「宇治神社」よりさらに山の上に上がると、最古の建築だけに知名度も高い、「宇治上神社」がある。
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宇治市は京都市街の喧騒から離れて、自然の爽やかな風が通り抜ける気持ちのいい町だ。しかも「さわらびの道」のように、源氏物語の「宇治十帖」を読んだ後では、ぜひ訪ねてみたくなる魅力もある。
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 伏見はコンパクトな街だ。魅力的な場所が狭い所にぎっしり詰まっている。”伏見城”は、かつてどこにあったのか確定しないまま、今日に至る。電車の踏切からすぐに神社や商店街がぎっしりとつながっている。「御香宮神社外部リンク」もその一つで、行き来の激しい自動車道に面している。
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 「御香宮神社」の本殿の近くに、古い木樽を発見。「月桂冠」と真ん中の部分に刻んである。この神社が清い水(御香水)で有名なので、ここからこの酒の原水をとっているのだろうか。
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 取って返して、京阪の踏切を渡り、「大手筋」のアーケード街に入る。この日は平日だが、その賑わいを見て、日本のほかの地方の「シャッター街」を思い出して、その違いに驚かされた。アーケードは300メートルほど行って左に折れ曲がり、そのあとは賑わいは消えた。
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アーケードのはずれに 「西岸寺」という寺があるが、その横にあるこの「油懸地蔵尊」がメインである。ここの門前で転んだ油商人が、残りの油を供養として地蔵様にかけたら、商売が繁盛したのだという。ここには芭蕉の句碑もある。
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 伏見といえば酒の町。「黄桜」の試飲、工場見学ができるところ。黄桜の会社がビールも作っているとは知らなかった!
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坂本龍馬が暗殺されかけた、「寺田屋事件」。ここが薩摩藩の定宿だった。内部は見学できるし、庭にはいろいろと記念になるものが飾ってある。
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 この、川とそれに沿って植えてある樹木、そしてその背後の板張りの倉庫の組み合わせが、実に美しい構成をなしている。数多くの映画でロケーションに使われたのもうなずける。淀川に流れる宇治川の支流にあるこの「辨天浜」「大倉浜」は、コメ・酒などの積み下ろしをする河港であった。夏なら「十石舟」が行き来するのだが。
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その岸辺のうしろにあるのが「長建寺」。この赤い門は説明書きによれば、【建築学上貴重な門です。下構の部分に対して上構の楼閣部分が極めて小さい。瓦も一枚ずつ小さくなっている。軒下の垂木(タルキ)が中心から放射状に出る唐様になっているのが安定感の中に異国情緒を強めている。京都市内唯一の門といわれている。江戸時代の作。】
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「長建寺」から弁天橋を渡って向こう岸に渡ると、先ほどの倉庫らしき建物の全容が明らかになる。「月桂冠大倉記念館」の一連の建物だ。
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 再び京阪電車に乗って、「伏見稲荷駅」で下車。降りた途端、大勢の人々に囲まれる。この観光客の塊が、そのまま参道を登り、「伏見稲荷大社外部リンク」へ向かうのだ。日本人の数はそれほどではなく、特に東南アジアから来た人々の姿が目立つ。穀物、農業、商工業の神様だからか。ガイドブックの描写の仕方によるのだろうか、派手で土産物屋の多い所に“京都初心者”が集中している。リピーターになれば、もっと渋い所に出かけるのだろうか。
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稲荷神社では絶対に必要なキツネ、「妖狐(ヨウコ)」。神様のお使いだ。全国の3万以上の稲荷神社ににらみをきかせているのか?
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この「伏見稲荷大社」でもっとも有名なのは、「千本鳥居」であろう。鳥居がほぼくっつく形でトンネル場になっている。一方通行になっているものの、途中で写真撮影をするものが多いので、ほとんど時速1キロでのろのろ進む。この季節であっても人いきれで大変だ。
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「伏見稲荷大社」を抜けると、たちまちのどかな田舎に戻る。畑、住宅地、公共墓地のあいだを縫いながら進むとお地蔵さんがあった。この「ぬりこべ地蔵」が歯痛に聞くと知ったのは、自宅に帰ってからのことである。
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「ぬりこべ地蔵」を経由して向かったのは、今回最後の目的地、「石峰寺外部リンク」である。ここまで来る人はごく僅かで、片手に地図を持ち迷い迷いながら、ようやく到着する。
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「石峰寺」の三門より下を臨むと、ナンテンがたわわに身をつけていた。ここからまっすぐ下って右折すれば、「JR稲荷駅」である。
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二条城むかいの天ぷら屋(Tem-pu)に寄った帰り、通りかかった。「京都文化博物館外部リンク」は地下鉄烏丸線「烏丸御池駅」のそばにある。ビルの中の博物館だ。一階には「ろうじ店舗」といって、高級料理から、立ち食いソフトクリームまであるが、ちょっとした小路の中を歩いているようで、休憩するにはもってこいである。
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 この博物館はまだ発展途上だと言っていい。二階の展示物は網羅的なもので、映像スクリーンが主体であり、それらも工夫は凝らされているが、膨大な文化遺産の存在するこの町を紹介しようとするなら、時間と予算をたっぷりかけたプロジェクトが必要であろう。現在は京都で活躍した画家や作家などを小規模に特別展を開いている。三階の展示室はまだ(もう?)空室だ。三階には映画上映室があり、この日は「サンダカン八番娼館」をやっていた。

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