その1(2017年6月)

守礼の門(那覇)

首里城から国際通りへ美ら(チュラ)海水族館宜野湾市と南城市

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沖縄を訪れるのはこれが3回目だ。1回目は、21歳のころ、九州からフェリーで、ふらふらと島に渡ってしまい、守礼の門の前でぼんやりしていたら、どこかのおじいさんに声をかけられ、琉球料理をごちそうになり、その晩は邸宅に泊めてもらった。あとは、ビーチ(有料)を渡り歩き、夜のあいだはテントに忍び込むヤシガニのざわめきに、ハブだと勘違いして、飛び上がったものだ。2回目はごく普通の観光旅行。このときは最南端の喜屋武岬まで行った。

そして今度は3日間4泊の予定で、まだ梅雨明け前の那覇市を訪れた。残念ながら最初の日は「大雨警報」が発令されるほどで、1日中傘が手放せなかったし、商店街のアーケードは激しく雨漏りをしていた。2日目はたぶん降るだろうと思っていたが、次第に天候は回復し、結局のところ傘を開くことはなかった。そして3日目はきつい南国の太陽が照りつけ、沖縄地方の「梅雨明け宣言」を聞きながら、帰りの飛行機に乗ったのだ。

5月に訪れた京都が、もっとも日本的な都市だとすれば、沖縄は最も外国風な土地であろう。言語が同じだからこそ、日本にいるという気がするが、もしそうでなければ、東南アジアのどこかの都市に来ていると感じても不自然ではない。沖縄から上海までの距離と、東京までの距離はほとんど同じである。台湾はもっと近い。

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羽田から2時間半で、那覇空港に到着したのは午後7時半ごろ。以前、沖縄には鉄道がなかった。今では「外部リンクゆいレール」というモノレールの路線が那覇市の南北に通じており、南の終点は空港だ。滞在するホテルの最寄り駅は「おもろまち駅」。空港駅から10個目。ここは新都心として脚光を浴びている。これからこの地域には高層ビルがたくさん建ちそうだ。かなりの高さにある丘の上にあり、その北の駅、「牧志駅」まで歩くと、下り坂であることが実感される。
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この「外部リンクOKICAカード」を手に入れるには、デポジット(保証金)500円がいる。使わなくとも10年間有効。このカードのおかげで、モノレールも大部分のバスも、お釣りや小銭の心配なしに乗り降りができるのは、日本のほかの地域と同じだが、残念ながらほかの交通系カードと兌換性がない。
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「おもろまち駅」より北の方角を望む。モノレール線は複線だが、この通り専有面積が小さいので狭い市街地域の那覇市にはぴったりだ。騒音もない。
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那覇市は人口が32万ほど(周辺の市町村を加えれば7~80万ぐらいか)なのに、車内は驚くほど混んでいる。朝夕の通勤通学時は、押し合いへし合いとなる。これはひとえに人口密度が高いせいだろう。米軍基地のせいで市の面積が押しつぶされているからだ。しかも若者が多い。日本のほかの地域の少子高齢化が、ここに来ると忘れてしまう。また、車内広告が多い。これは商業活動が活発な証拠だ。沖縄は起業率が日本一だそうだ。
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初日は、雨が降ることはわかっていたが、傘をもって北の終点「首里駅}に向かう。モノレールの最高速度は60キロぐらいだ。高いところを走っているので、それほど早い気がしないが、交通渋滞で滞っている車の流れを見るのは爽快だ。
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琉球王国の首都、首里はなだらかな丘の上にあり、市内を眺めることができる。繁華街から離れるにつれ、沖縄特有のコンクリート建ての住宅がだんだん増えてくる。
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「ガジュマル」の木はその後沖縄本島のいたるところで見ることができる。大きく横に広がった枝の伸ばし方が特徴的である。
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かつての城のあったところに使われていた石垣。海風のもたらす湿気と塩気のおかげで、ちょっとでも年月を経た岩石は白っぽく変色し、崩れやすくなっている。
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 まずは城壁の”外側”を回るコースを行く。この門の向こう側が首里城である。だが門は閉ざされているので、階段は苔むしている。
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これまた城壁の外側なのだが、面白い石像がいっぱいある。これは明らかに外部リンクシーサー(獅子)ではなく、ネコであろう。石の傷み具合から見て、かなり古い年代であろうか。
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沖縄と言えば、だれでも外部リンクハブを思い起こすが、この看板が立っているのは、人の少ない森林ではなく、街の真ん中でしかも観光客が頻繫に通る首里城周辺の公園内だ!「大丈夫と思う場所でも気をつけよう。危険と思う心がまえが大切です。事前に考えよう!」とある。なめてはいけないのだ。
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一輪の蓮の花。城壁のそばで。
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典型的な?沖縄風建築による住宅。茶色い土管のような形の瓦が、装飾として屋根にも塀にも取りつけられている。
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ようやく外部リンク首里城の入り口にたどり着いた。このころから雨がひどくなってきた。この日は月曜日。雨であろうとなかろうと、観光客、特に外国人の数は、京都にひけを取らない。むしろ日本人のほうが少ないのかと思えるほどだ。
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40数年ぶりの「守礼の門」。(の写真を参照)当時は、この横の生け垣のあたりにしゃがんでぼんやりしていたはずだ。門は化粧直しをされ、周りはすっかり整備され、きれいな公園の一部になっているが、その時はまだ回りが荒れていたという記憶がある。
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首里城公園の外に出る。すると首里金城町の「外部リンク石畳道」があるのだ。石灰岩でできているが、この雨のせいで滑りやすい。そのためか観光客はここでは絶無。この狭い道が城から南部地方への主要道だったとは。
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 「円鑑池」。この池は城の下にあり、貴族たちが船遊びをしたのであろう。
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この池には多数のアヒルが生息している。誰もいじめないから人が近づいても平気である。
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円鑑池にある、「弁財天堂」。非常に中国風である。この池のほかにも、県立芸術大学のそばに「龍潭(リュウタン)」という池があった。
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雨は本降りになり、歩くのも大変になってきた。首里城から丘をどんどん下っていく。途中にアメリカ軍がかつて使っていたと思われる古めかしいホテルなどがたっていたが、ようやく有名な「外部リンク国際通り」まで降りてきた。歩道に大きなシーサーが鎮座している。
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しばらく行くとモノレールの「牧志駅」の前にある歩道橋に出た。まだこの辺りでは、それほど通りは混んでいない。ここにはもっと巨大なシーサーがあり、大きなモールができている。どうやら那覇市では今モールが大流行らしい。あちこちで建築中のものを見た。ただ、古い東南アジアタイプの市場が影響を受けなければいいが…
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 牧志駅を過ぎると突然人通りが多くなる。街路樹は椰子か棕櫚の木で、修学旅行生が目立つのは京都と同じだ。
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最初の昼食は「軟骨ソーキそば」と「ミニ・ラフテー丼」のセット。麺のコシの強いこと。丼には紅しょうがをのせる。
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国際通りの華やかさもいいが、ちょっと横丁に入れば、屋台の店や、狭い路地の連続だ。これは「竜宮通り」。もちろんここは日が暮れてからが本番。
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そしてかつての闇市から発展したであろう、現在の(公設またはそうでない)市場。これらが迷路のように縦横に通り、大部分がアーケードに覆われている。ところがこの日の雨は警報が出るほどだったので、アーケードの屋根からは滝のように雨が落ちてきた…

日本のほかの都市であるような、シャッターを下ろしたままの店は少ない。”にぎわい”があるのだ。しかも専門化が徹底している。人口密度が高いから、それでもやっていけるのだ。左の青い看板は「雨合羽店」だ。晴天続きならば客は来ないはずだ。あと、三味線の店とか、暖簾(ノレン)の店とか、タオルを売るだけの店もある。

それだけそれぞれの店に個性があり、歩いていて面白いのだ。現代の最新流行のモールに欠けているのはそれだ。全国ブランドのチェーン店はすぐに飽きてしまう。

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昔ながらのショーウィンドーに定食の模型がずらっと並ぶ。まさに本物の「大衆食堂」である。
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商店街の中はいくら見ても見飽きない。琉球銀行の前には、こんな姿が。後ろのガードマンは本物。市場中央通りにて。左側は「かりゆし通り」入り口。
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商店街の主役は何といっても衣料品。暖かい地方の衣類は、汗を吸い取るだけの軽いシャツが主流だから、値段はすこぶる安い。
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 色眼鏡をかけて腰かけているあんちゃんは人形。左側の傘をさしている若い娘は本物の通行人。土産物屋の前で。
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 これが沖縄県庁舎。15階以上はある巨大な建物。土地が狭いので、上へ高くしたのか。今までに見た中で最も圧倒的な県庁舎だ。
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 これが那覇市庁舎。これも高いが、近くでよく見ると、階と階の間に、樹木が植えられていて、葉っぱが飛び出している。これは「人工緑化」ビルなのだ。でも壁が白いので、緑とはマッチしない。うっそうと葉で覆われればいいのだが。

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