その1(2017年11月4日)

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今回は青い線の部分

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遠野は不思議なところ。柳田邦夫の「遠野物語」、井上ひさしの「新・遠野物語」を読んで、えらく興味を惹かれてしまった。ごく普通の田舎なのに、300メートル歩くと、何らかの石碑、名所、得体のしれない場所があちこちに散らばっている。そんなわけで3回に分けて遠野に遠征し、自転車と徒歩を組み合わせて、合計42か所の訪問を試みた。非常に多くの興味深い場所があり、それを整理したサイト、「外部リンク遠野物語・現在進行形」を参考にするとよい。なお、今回のコースは遠野市観光協会の外部リンクサイクリングマップを参考にさせてもらった。

遠野42か所

<1日目17か所> 道の駅・遠野風の丘➡羽黒岩➡續石➡南部曲り家千葉家➡綾織の水車➡(南へ戻る)➡光明寺の綾織➡駒形神社➡猿が石さくらロード➡愛宕橋➡(南へ)➡卯子酉様(ウネトリサマ)➡愛宕神社➡五百羅漢➡程洞(ホドホラ)コンセイサマ➡(北へ戻る)➡愛宕橋➡(法華題目の碑)➡多賀神社➡鍋倉城跡➡遠野駅➡(北へ)➡サムトの婆(ババ)➡清心尼公碑(セイシンニコウヒ)➡太郎カッパ➡阿曽沼公歴代碑➡村兵稲荷➡道の駅・遠野風の丘

<2日目16か所> 道の駅・遠野風の丘➡横田城➡飢饉の碑➡松崎観音堂➡母也明神➡遠野ふるさと村➡妻の神の石碑群➡福泉寺➡助力の家➡西教寺➡伝承園➡常堅寺➡安部宅跡➡カッパ淵➡(北東へ)➡小鳥瀬川➡山崎のコンセイサマ➡(戻る)➡大槌街道跡➡道の駅・遠野風の丘

<3日目10か所> 道の駅・遠野風の丘➡(国道340号線北東へ)➡山口の水車➡(Uターン)➡ダンノハナ➡佐々木喜善の生家➡デンデラ野➡たかむろ水光園➡早池峰古道跡➡キツネの関所➡遠野郷八幡宮➡さすらい地蔵➡法華題目の碑➡道の駅・遠野風の丘

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遠野市の西のはずれ、釜石と花巻を結ぶ国道283号線沿いにある。しかも釜石自動車道の遠野インターチェンジのそばでもあるので、遠野観光の出発点には最適である。写真のような風車がたっているので、遠くからでもよく見える。食堂のほか、現地の農産物販売もやっていて、トイレが大変きれいでモダンである。
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さっそく迎えてくれるのが、カカシの群れ。道の駅のすぐそばで283号から分岐した、遠野から盛岡に至る国道396号沿いに進む。
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カカシのすぐ隣にある、この巨大な下駄の左側の鳥居から登っていくと、最初の見どころ、「羽黒堂と羽黒岩」がある。結構長い山道をあがっていくと、「出羽神社(羽黒堂のこと?)」を過ぎて、山肌に大岩があちこちに目立つようになる。
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その大岩群の中でもとりわけ立派なのが、この「羽黒岩」だ。右の岩には大きな亀裂が走っている。
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396号線をさらに西に進むと、「續石(ツヅキイシ)」の駐車場があり、同様に山を登っていく。古代巨石文化の名残らしい。二本の”足”の上にテーブル板がのっかっているような構造である。イギリスのストーンヘンジを思わせる形である。なお、この道沿いには「クマ出没注意!」の看板があった。また、この周辺は「弁慶の昼寝場」と呼ばれる。(遠野物語拾遺第11話)
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「續石」と同じ国道沿いにある、残念ながら、「南部曲がり家・千葉家」は修復作業中。ブルーシートが見えるが、そこが現場なのだろう。立ち入りができないので、あきらめてこの場を去り、将来修復が終了したら、また行ってみよう。(2026年以降???)
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「南部曲がり家」から、国道を隔てて向かい側は一面の田んぼになっており、ここら辺は「綾織」地区と呼ばれる。その中にかわいらしい水車がある。これぞ「綾織の水車」。
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水車から、今度は国道を離れてどんどん南に下ると、釜石線の「岩手二日町駅」の前の線路を横切り、「猿ケ石川」を渡って、直進すると、突き当りに「駒形神社」がある。(遠野物語拾遺第14・15話)
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再びこの道を戻り、川を渡ってすぐのところにお寺があるが、これが「光明寺」。天女が織ったとされる「綾地打敷」が、この寺の宝である。(遠野物語拾遺第3・4話)
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こんどは「猿ケ石川」沿いに上流に向かって進む。ここはサイクリングロードになっていて、桜並木なのだ。
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左岸の一般道を行くと、「愛宕橋」があり、さらに行くと南側に駐車場がある。ここはこれから訪れる4つの見どころの中継基地である。まずは駐車場のすぐそばにある卯子酉様(ウネトリサマ)が祀ってある、「卯子酉神社」。昔、遠野は大きな湖で、恋?鯉?の願いが叶うという。(遠野物語拾遺第35話)
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「卯子酉神社」の右手には小高い丘があり、急な階段を上り詰めると、落ち葉に埋もれた道の向こうに「愛宕神社」が見えてくる。この神社の左側には、下に降りる道があり、そのまま下ると、「五百羅漢」へ至る。ただし今、釜石自動車道の工事をしているので、開通後にはどうなるのかわからない。
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この前の年にも、遠野に来たのだが、すでに雪に覆われており、この「五百羅漢」しか見ることができなかった。今回は、岩に刻まれた数多くの像を目にすることができる。いかにも古いものなので、もう風雨にうたれて彫った部分が判然としない。
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「程洞(ホドホラ)のコンセイサマ」。五百羅漢から一般道をさらに東に進み、二連の鳥居から、かなり急な山道を延々と登ると見つかる。途中にたくさんの小社があり、どれが本命なのか不明。婦人病に効くそうだ。
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再び「猿ケ石川」左岸沿いの一般道(これはおそらくバイパスができる前の、旧283号だと思うが)に戻ると、「愛宕橋」から少し東へ行ったところに「早池峰(ハヤチネ)バス」の車庫があるが、その隣にこの「法華題目の碑」がある。1846年に日蓮宗の寄進者が建てたもの。実はこの日、どうしても見つからず、翌年2018年の5月25日に、ようやく発見した。
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「法華題目の碑」からさらに国道を東進すると、遠野の市街地に入り、道はクランク上になる。そのクランクの曲がり角の一つに「多賀神社」がある。周りは住宅や商店ばかりなのだが、ここだけは急な山への階段が見えている。これから行く鍋倉城の鎮守として作られたが、300年前は市街地ではなく、人々をだます狐の跋扈(バッコ)する寂しい場所だった。
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「来内川」が、先ほどの「猿ケ石川」に注いでいるが、その川の上流は市内を見渡せる山になっており、ふもとには「市立博物館」があり、山全体が「鍋倉城」と呼ばれる。この鳥居はふもとにある、「南部神社」のもの。
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自転車にはかなりつらい登りとなり、山を巻いていくと、てっぺんの天守閣(模型)と見事な城址公園、そして市内が見渡せる展望台が現れる。しかも紅葉の季節だったので、見ごたえはたっぷりだった。
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下り坂を北に進めば、遠野駅だ。2階が「フォルクローレ遠野」だったのだが、泊まりたいと思っていたのに、すでに2015年3月に営業終了してしまっていた。
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駅から北へ、猿ケ石川の右岸を上流へ向かって、つかず離れず進む一般道に沿って、いくつかの見所が並んでいる。間が離れているので、徒歩だと結構、時間がかかりそうだが、こういう時こそ自転車の出番だ!田んぼの真ん中にぽつんと立つ案内板。これが「サムトの婆」である。神隠しにあった若い娘が婆さんになって、このあたりに現れたのだ。明治維新のころの実話だという。
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赤い鳥居と、真っ赤な落ち葉が似合う、「村兵稲荷神社」。京都から持ってきたご神体がある。
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「阿曽沼公歴代碑」。源頼朝が奥州を平定した1189年から400年間、13代にわたる遠野の領主だった。
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なんといっても、遠野はカッパの名産地。ここは「太郎カッパ」と呼ばれるところ。(遠野物語第55話)濁った池(太郎淵)があり、いくつかのカッパの像が飾られている。後で行くことになる、「カッパ淵」より趣がある。
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今回の最後は、「清心尼公の碑」。遠野南部の領主の妻で、29歳で未亡人になったが、種々の事情により、女領主となり、59歳まで生きた女傑。この時点で、夕暮れが迫り、42か所を訪れる予定であったのが、わずか17か所に終わり、残りを次回に託すことになる。

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