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遠野市の西のはずれ、釜石と花巻を結ぶ国道283号線沿いにある。しかも釜石自動車道の遠野インターチェンジのそばでもあるので、遠野観光の出発点には最適である。写真のような風車がたっているので、遠くからでもよく見える。食堂のほか、現地の農産物販売もやっていて、トイレが大変きれいでモダンである。 |
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さっそく迎えてくれるのが、カカシの群れ。道の駅のすぐそばで283号から分岐した、遠野から盛岡に至る国道396号沿いに進む。 |
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カカシのすぐ隣にある、この巨大な下駄の左側の鳥居から登っていくと、最初の見どころ、「羽黒堂と羽黒岩」がある。結構長い山道をあがっていくと、「出羽神社(羽黒堂のこと?)」を過ぎて、山肌に大岩があちこちに目立つようになる。 |
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その大岩群の中でもとりわけ立派なのが、この「羽黒岩」だ。右の岩には大きな亀裂が走っている。 |
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396号線をさらに西に進むと、「續石(ツヅキイシ)」の駐車場があり、同様に山を登っていく。古代巨石文化の名残らしい。二本の”足”の上にテーブル板がのっかっているような構造である。イギリスのストーンヘンジを思わせる形である。なお、この道沿いには「クマ出没注意!」の看板があった。また、この周辺は「弁慶の昼寝場」と呼ばれる。(遠野物語拾遺第11話) |
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「續石」と同じ国道沿いにある、残念ながら、「南部曲がり家・千葉家」は修復作業中。ブルーシートが見えるが、そこが現場なのだろう。立ち入りができないので、あきらめてこの場を去り、将来修復が終了したら、また行ってみよう。(2026年以降???) |
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「南部曲がり家」から、国道を隔てて向かい側は一面の田んぼになっており、ここら辺は「綾織」地区と呼ばれる。その中にかわいらしい水車がある。これぞ「綾織の水車」。 |
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水車から、今度は国道を離れてどんどん南に下ると、釜石線の「岩手二日町駅」の前の線路を横切り、「猿ケ石川」を渡って、直進すると、突き当りに「駒形神社」がある。(遠野物語拾遺第14・15話) |
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再びこの道を戻り、川を渡ってすぐのところにお寺があるが、これが「光明寺」。天女が織ったとされる「綾地打敷」が、この寺の宝である。(遠野物語拾遺第3・4話) |
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こんどは「猿ケ石川」沿いに上流に向かって進む。ここはサイクリングロードになっていて、桜並木なのだ。 |
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左岸の一般道を行くと、「愛宕橋」があり、さらに行くと南側に駐車場がある。ここはこれから訪れる4つの見どころの中継基地である。まずは駐車場のすぐそばにある卯子酉様(ウネトリサマ)が祀ってある、「卯子酉神社」。昔、遠野は大きな湖で、恋?鯉?の願いが叶うという。(遠野物語拾遺第35話) |
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「卯子酉神社」の右手には小高い丘があり、急な階段を上り詰めると、落ち葉に埋もれた道の向こうに「愛宕神社」が見えてくる。この神社の左側には、下に降りる道があり、そのまま下ると、「五百羅漢」へ至る。ただし今、釜石自動車道の工事をしているので、開通後にはどうなるのかわからない。 |
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この前の年にも、遠野に来たのだが、すでに雪に覆われており、この「五百羅漢」しか見ることができなかった。今回は、岩に刻まれた数多くの像を目にすることができる。いかにも古いものなので、もう風雨にうたれて彫った部分が判然としない。 |
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「程洞(ホドホラ)のコンセイサマ」。五百羅漢から一般道をさらに東に進み、二連の鳥居から、かなり急な山道を延々と登ると見つかる。途中にたくさんの小社があり、どれが本命なのか不明。婦人病に効くそうだ。 |
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再び「猿ケ石川」左岸沿いの一般道(これはおそらくバイパスができる前の、旧283号だと思うが)に戻ると、「愛宕橋」から少し東へ行ったところに「早池峰(ハヤチネ)バス」の車庫があるが、その隣にこの「法華題目の碑」がある。1846年に日蓮宗の寄進者が建てたもの。実はこの日、どうしても見つからず、翌年2018年の5月25日に、ようやく発見した。 |
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「法華題目の碑」からさらに国道を東進すると、遠野の市街地に入り、道はクランク上になる。そのクランクの曲がり角の一つに「多賀神社」がある。周りは住宅や商店ばかりなのだが、ここだけは急な山への階段が見えている。これから行く鍋倉城の鎮守として作られたが、300年前は市街地ではなく、人々をだます狐の跋扈(バッコ)する寂しい場所だった。 |
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「来内川」が、先ほどの「猿ケ石川」に注いでいるが、その川の上流は市内を見渡せる山になっており、ふもとには「市立博物館」があり、山全体が「鍋倉城」と呼ばれる。この鳥居はふもとにある、「南部神社」のもの。 |
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自転車にはかなりつらい登りとなり、山を巻いていくと、てっぺんの天守閣(模型)と見事な城址公園、そして市内が見渡せる展望台が現れる。しかも紅葉の季節だったので、見ごたえはたっぷりだった。 |
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下り坂を北に進めば、遠野駅だ。2階が「フォルクローレ遠野」だったのだが、泊まりたいと思っていたのに、すでに2015年3月に営業終了してしまっていた。 |
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駅から北へ、猿ケ石川の右岸を上流へ向かって、つかず離れず進む一般道に沿って、いくつかの見所が並んでいる。間が離れているので、徒歩だと結構、時間がかかりそうだが、こういう時こそ自転車の出番だ!田んぼの真ん中にぽつんと立つ案内板。これが「サムトの婆」である。神隠しにあった若い娘が婆さんになって、このあたりに現れたのだ。明治維新のころの実話だという。 |
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赤い鳥居と、真っ赤な落ち葉が似合う、「村兵稲荷神社」。京都から持ってきたご神体がある。 |
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「阿曽沼公歴代碑」。源頼朝が奥州を平定した1189年から400年間、13代にわたる遠野の領主だった。 |
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なんといっても、遠野はカッパの名産地。ここは「太郎カッパ」と呼ばれるところ。(遠野物語第55話)濁った池(太郎淵)があり、いくつかのカッパの像が飾られている。後で行くことになる、「カッパ淵」より趣がある。 |
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今回の最後は、「清心尼公の碑」。遠野南部の領主の妻で、29歳で未亡人になったが、種々の事情により、女領主となり、59歳まで生きた女傑。この時点で、夕暮れが迫り、42か所を訪れる予定であったのが、わずか17か所に終わり、残りを次回に託すことになる。 |