(1988年)

バンコク市内の仏教寺院

HOME > 体験編 > 旅行記 > バンコク・香港

目次

第1章 バンコク

第2章 香港

第3章 経済と観光

第4章 ツアー式観光の内幕

第5章 アジア観光旅行のコツ


第1章  バンコク


そびえ立つ寺院の尖塔町の印象 1988年3月13日、午前零時過ぎのバンコクはいまだに喧噪の中であった。熱帯地方に属するこの国では、日の照っている日中は昼寝をし、夜がふけて涼しくなると生き生きしだすものらしい。ホテルのバーやクラブはほとんど夜通しで営業され、そこに集う人々の顔には昼間のような倦怠感はみられない。タイはまだ、NICS(Newly Industrialized Countries)諸国にはまだ及ばないものの、その首都バンコクは急速に近代都市に成長しつつあった。新宿の高層ビルに劣らぬ建物が市の中心部から空港にかけて、すでにスカイラインを作り上げる一歩手前までにできあがっていた。ここは香港と同じく地震が少ないところらしい。

危険な道路 高速道路も市内に関しては相当整備されている。ただ日本と違うのは、その交通量の多さもさることながら、交通安全や、交通規則を守るという考えが人々の間に、まだ完全に行き渡っていないということであろう。バイクを運転する人は、ほとんど誰もヘルメットなどかぶっていないし、もっと驚くべきことに、4人も乗って、しかも夜間無灯火で走っているのである。彼らはまた、車両の修理改造にかけては天下一品であるといえよう。ほとんどが日本製である、これらのバイクや自動車をうまく造り替え、三輪車にしたり、大きな荷台をつけて走り回っている。バンコクの町並みを彩るのは、この三輪車タクシーであろう。メーターなどついていない。すべて客との交渉次第で料金を決める。このタクシーは小さなエンジンのため、加速も悪いし、スピードも出ないので、バンコクの車の洪水の中では大変危険に見える。

庶民のすまい さて高速道路とビルのために、一見近代都市に見えるバンコクも、一度庶民の住む地域に目をやれば、スラムがひしめき地方住民の大都市への急激な流入という、世界共通の問題に悩まされていることがわかる。スラムは香港と違い、ほとんどが平屋でしかも庭らしいものがほとんどなく、工場の裏手あたりにひしめいている。中心部にある東急デパートや官公庁街を別にすれば、昔ながらのアジアの顔が見える。ちょうど日本でいえば、昭和20年代のような雰囲気だと思えばよい。間口の狭い商店や露天商、そしてさまざまな食品が山と詰まれた市場など、スマートな日本の町並みに慣れた人には、汚く不潔この上ないかもしれないが、そこには庶民の持つ、文明国ではとっくの昔に失われたエネルギーに満ち溢れている。夜になると市の中心部でも歩道に即席の食堂が出現する。メニューを書いた立て看板の後ろには小さなテーブルが何組か置かれ、人々が思い思いに注文したものを食べている。残念ながらタイは漢字を用いず、ミミズのようなタイ文字しか用いないので、この発音方法を学ばない限りは、何が書いてあるのか全く分からない。中国では漢字が書かれてあ り、我々日本人には何とか通じるのに、ラオス、カンボジアなどともに、ここでも文字体系が全く違う。ローマ字が併記されているのは高速道路などの幹線道路の標識、デパートや大ホテルなど、ごく一部の限られた場所にしかすぎない。それにしても町にあふれる露店や夜店はある人から見れば、不潔さの源泉であると言われようが、一方では画一化されたスーパーやデパートにどっぷり浸かった生活にはない多様性と物珍しさ、そして人間くささにあふれている。

川沿いの生活 バンコク市にはチャオプラヤ(メナム)川が流れて、その川から網の目のように広がる運河網がある。この運河はちょうど家々の間を通り抜け、今は水上マーケットとして有名になった市場につながっている。水路に沿った眺めはタイ人の生活をかいま見るのに最適である。また家並みがとぎれて、椰子の木やさまざまな熱帯性の植物の茂る風景を船から見る体験は、あのデイズニーランドの「探検クルーズ」での眺めがまさに偽物だったことを改めて思い起こさせる。犬が多いのはなぜだろうか。午前中は先に述べたように、暇な人はたいてい昼寝をしている。水路からは彼らの家の中は通風をよくするため丸見えである。摂氏33度以上の中、蒸し暑さはこの上ない。家の中はたいていカラーテレビと冷蔵庫がおいてあり、建物が足場の高い木造で、いかにも水上生活者のものという感じがするのに対し、これらの電気製品は奇妙なコントラストをなしている。彼らタイ人も、大衆を馬鹿にしたテレビ番組によって、少しずつ自分たちの文化が浸食されてゆく。

ボート 彼らの交通機関はもちろんボートである。手こぎあり、モーター付きのものもあるが、中でも傑作なのは観光用ボートのエンジンである。古い自動車のエンジンだけを取り出し、それを巧みにスクリューと連結して推進力にしている。音はすさまじいが、ゴンドラのような細長い艇体は恐ろしいほどのスピードが出る。しかしここでも、文明と昔ながらのアジアの生活との衝突を見た。波を蹴立てて突っ走る、これら観光用のボートは地元の手こぎの船を蹴散らし、岸に大波を立てて、水際の土盛りを崩し、騒音で環境を破壊している。イタリアのベニスでも同じような話を聞いたことがあるが、世界中で、人々の静かな生活は、便利さの追求と金儲けのために脅かされていく。

撮影用の看板デス生活の場としての川 ここではまた、インドのガンジス川と同じく、洗濯したり水浴したり、子供の水泳場にもなっているのだ。水は泥で濁り、人々はゴミを捨てるのにもかかわらず、昔ながらの生活習慣は変わっていない。ところで人々は実によく水浴をする。女の人は裸になるわけにもいかないから、長い布を体に巻き付け、その上から石鹸を塗り、頭から川の水をかけて洗い流す。水上マーケットはすっかり完全な観光地になっているが、手こぎボートで寄ってくる物売りたちの情景は実にのどかで、アジア的である。椰子の実や花飾り、さまざまな種類の果物などが、日本の物価の水準ではとても考えられない値段で手に入る。しかし土産物屋は別である。観光客相手の商売では、世界中どこへ行ってもそうであるように、徹底的に値切らなければとても買えたものではない。

王宮 バンコクのもう一つの観光地は、なんといっても王宮であろう。歴代の王たちの住んでいた宮殿と、それを取り巻く豪華なお寺。その豪華さはこの国は元々大変豊かであったことを伺わせる。その装飾のきらびやかさや派手さは、日本の神社仏閣の比ではなく、あの東照宮でさえ、この熱帯の太陽に光り輝く「暁の寺」と比べたら色あせて見える。この国は中国や他のインドシナ半島の国々と違って、植民地にされなかったから、独自性が強く生き残っているようだ。

第2章  香港


再訪 5年前に訪れたときと比べると、地下鉄の拡充や九龍鉄道の近代化などの交通網の整備が進み、一層近代都市の装いを新たにしているが、いったん庶民の住む町に入ると、そこにはまだ強く中国の古い生活が息づいている。確かに町の中心部から露店や夜店、大道店の類は減った。これは香港成長観光局の指導もあるのだろうが、シンガポールのような清潔さというイメージはこの町にはそぐわないような気がする。NICSの一員として、これは変えられない流れなのかもしれない。

裏通りで泥棒市場 観光がもたらす弊害として、何かすばらしいものが見つかると、あっというまに俗化してその良さが失われてしまうことだ。そのため旅人はいつも観光ルートを離れたところを探し歩かなければならない。今回訪れた、CAT STREET MARKET、通称「泥棒市場」はまだそれほど観光客に荒らされていないところである。観光化されていないかどうかは、横町が小便臭いかどうかでわかる。そして地元の小中学生がたくさん行き来するようであれば、まだまだ庶民の町である。この界隈では、昔は泥棒たちが持ってきた盗品を売る市場だったそうだが、今では骨董品やら、がらくたを売る地域に姿を変えている。売っているものはどこか中国の田舎からやってきたものと思われる生活用品や装身具、そして壊れたソニーのラジオの中身や鍋釜の類まで、食べ物を除く、種々雑多なものが並べられている。(私がここで買った、手で振ってならす「鐘」は後に台湾に行ったとき、同じものがあり、チベットの寺院から持ち出したらしいことがわかった)店を構えているものもあるが、新聞紙1枚に10個ほどの品物を置いて、道ばたで商売をしている老婆もいる。やはりここでもバンコクに劣らず、アジア的なものがまだ生きていた。

女人街 もう一つは通称「女人街」と呼ばれ、女物の下着、上着、装身具が所狭しと並べられている。もとは普通の商店街であるのが、そのおもて側にテントを張った露店が並ぶ、2重構造になっている。もちろん歩行者天国になっており、人々は露店を冷やかしつつ、街角で買った水餃子などをほうばりながら行き来する。円高のせいか、ここも驚くほど安い。子供用のウエスト・バッグが10ドル、つまり170円で買える。もちろん品質の悪さが目立ち、怪しげな店が多いが、足を使えばすばらしいものに出会えそうな夢がある。

高層ビルと港近代化進む市街 香港島と九龍半島からなる香港市は、その名物である高層ビルの数がさらにいっそう増えて、近代都市の装いを深めている。建築物の大部分は日本の建築会社が請け負っているが、特に熊谷組の看板が目に付いた。香港島と九竜を結ぶ海底トンネルも、今建設中の「香港文化中心」もこの建設会社によるものだ。一方で昔からあった、今にも崩れそうな難民アパートは徐々に姿を消し、白いきれいな民間アパートに建て替えられつつある。有名なタイガーバーム・ガーデンも山側には30階以上の高層マンションが建ち、ビルの谷間になってしまっている。しかしいったん中国人の庶民層が住む地域に入ると、急な山の斜面にへばりついた、昔ながらのせいぜい2,3階建ての建物も目に着く。2階建てバスや2階建て市電も、健在で地下鉄が自然体の交通網の骨格をなすとなると、その細部の穴埋めにこれらのバスや市電や小型バスが活躍している。

人々の表情 香港の人々の表情は無愛想というよりは、無表情だ。顔つきもお互いによく似ている。太った人は少ない。特徴のあるめがねをかけ、細身の背広を着ると典型的な香港風サラリーマンになる。ただし恋人達は例外で、彼らは人前でもキスをしたり、抱き合ったりして、こちらが視線のやり場に困るほどべたべたくっついている。香港ではマクドナルド、ケンタッキー・フライドチキンに続いてついにセブンイレブンも、マカオ行きが出る埠頭のそばに誕生したが、その店員の態度も品揃えも普通の香港の店とは違って西洋風であった。このような店は見知らぬ異国の中でほっとする面もあるが、国際化、つまりアメリカ化がどんどん進んでいることを思い知らされる。

狭い土地・狭い部屋 ニューヨークの摩天楼と言えば、世界的に有名だが、それは狭いマンハッタン島に限られており、郊外にはそれほど高いビルはない。これに対し香港では山が迫り、土地が極端に狭いこともあって、隅から隅まで高層ビルに埋め尽くされている。これはこの地域がニューヨークと同じく地震が少ないことにもよるであろう。しかしこんなに高層アパートが建っても、まだまだ足りない。3LDKに3家族住んでいる例は珍しくない。旅行社のオーヤン・フィフィに似たガイド嬢によると、そのようなアパートは地域的(部屋ごとに?)に小さな地震があるそうだ。このような狭いところに家族が住む場合は、たいていが2段か3段ベッドで、1段目が両親で、上の段には子供達が寝る。子供達は小刻みな振動でふと夜中に目が覚めて、「あれ、地震かな」と思うそうだ。

文化創造の行方 密集した大都市の香港も、NICSの一員となった今、ただやたらに富を追い求める時代も、新たな方向へ向かって進むべき時が来ている。この町はその性格上、世界に誇れるような文化が育っていなかった。多くの中国からの流入者があり、彼らを主体にした文化芸能の育つ素地は十分にあったのだが、激しい経済競争の中で芽を出せないでいた。いよいよこれから1997年の中国への返還を境に、中国南部の拠点として、かつての上海のような文化的中心地を目指すことが考えられる。ただ、テレビをつけると日本製のアニメが氾濫し、アメリカの食品や映画が流行するような状況では、独自の文化を作り上げてゆくのは並大抵のことではないだろう。ところでテレビの番組はほとんど広東語の吹き替えになっているが、ニュース番組のあとの方で北京語での放送も見られるところでは、中華人民共和国の影響力は日々に強まっているのだろう。

第3章  経済と観光



日本の影 タイ・香港両国は本当に日本人観光客が多い。ホテル、商店その他あらゆるところで日本語を上手に話す人の多いことは、このことを如実に物語っている。これらの国々では、日本語は英語以上に重要であり、「金儲け」に携わる人なら決して無視することはできない。しかしその反面、人々は日本の輸出攻勢に対して、観光の面で何とか取り戻そうという考えがありありとうかがえた。東南アジア諸国はどこも日本の製品であふれ帰っており、その影響は、国民の生活を確かに豊かにしたものの、貿易赤字の増大、独自な文化の衰退というような悲しむべき現象を多くもたらしたことも否定できない。対もその例に漏れず、日本車の氾濫、そして以前に沖田に本製品ボイコットに見られるような反日感情は決して無視できないものである。

為替のからくり 今回の為替レートは1バーツが5.19円で、タイでの買い物は大変安く感じられる。しかし月給2,3万円の彼らにとっては生活は決して楽ではなく、我々日本人を苦々しく思っている人々も少なくない。彼らはタイでは480円の10キロの米が、日本では5千円もすると聞いてびっくりしていたが、生活水準は為替を通してではなく、給料との相対関係でとらえないと、意味がないことを思い知らされた。タイでは確かに機械類や家電製品は高いが、食べ物は豊富で安い。たとえば日本では100円する缶入りファンタの値段は観光地である王宮前で15バーツであったが、普通の商店では7,8バーツであった。これは日本円に換算すると40円弱である。スーパーやコンビニエンス・ストアは、まったくといっていいほど発達していないが、そのかわり市場があり、日用品はこれで事足りる。住む家も家具もなくても飢え死にする可能性は少ない。これも農業国で成り立っているからだろう。これに対して日本人は豪華な自家用車の中で腹を空かして、とんでもない値段で食料を世界に買いあさる羽目になるかもしれないのだ。

もう安くない? 同様なことが香港の場合にもいえよう。しかしアジアの工業国の仲間入りをしたので、タイに比べると物価はだいぶ高くなっている。今回の1香港ドルは16.88円であったが、「安い、安い」を連発していた昔の香港買い物ツアーほどではない。
宝石などはタイの方がよっぽど安い。先に述べたファンタも60円台を超える。このように考えると、安い買い物はNICS諸国(香港、シンガポール、台湾、韓国)以外の国々に求めた方がよいと考えられる。香港の人などは、日本人観光客の大盤振る舞いによって、ますます高く売りつけるようになろう。物価もそれに併せてじりじりとあがってゆくことになる。

第4章  ツアー式観光旅行の内幕

市内観光のメリット 今回の旅行は旅行社の日本人添乗員ではなく、委託を受けた現地の旅行業者が面倒を見てくれた。この形式は参加人員の少ない場合に多く見られる。タイと香港でそれぞれ担当したのは、「大日本」という名の旅行社で、社長は日本人で幹部は台湾人が多いらしい。彼らの仕事は空港に客が到着するのを迎えにゆき、専用のマイクロバスかワゴン車でホテルまで送ってゆき、チェックインのあと、市内観光に案内する。日本語はきわめて上手で、面倒見がよく、冗談までなかなか工夫しているので、大いに観光客を楽しませてくれる。市内観光は決まったルートがあって、その都市の概要を知るには最も安く、時間的にも無駄がない。自分で自由にゆきたい人も、いったんこの市内観光で土地勘を持っておくと、あとで一人でゆくとき、大変役に立つ。

土産物攻勢 面倒見の良い彼らではあるが、ただ一つ問題がある。それは観光地を回った後の土産物屋巡りである。市内観光に参加したら、それもついでにまわらなければならない仕組みになっていて、(途中下車は規則で許されていない)もちろん値切ることはできるけれども、市価に比べて、明らかに高い値段の店を回らされる羽目になる。これらの店は旅行社と結びついていて、客の買い物により、リベートの受け渡しがあるのだろうし、事実、旅行社の社員の給料などは、安いに決まっているから、彼らもこのような副収入に大いに依存しているのであろう。しかしそれも限度というものがある。土産物屋に入ったとたんに、屈強な男達が入り口に立ちふさがり、客が何か買うまで外に出さない、といった強硬な手段をとるものもある。客の数が多いときには、そのような方法をとるのは難しいが、5,6人の場合には大いにありうる話である。その他、客一人一人に店内で後ろからつきまとったり、しつこい勧誘をしたりするのは日常茶飯事である。しかしそれをいやがっていたら、東南アジアの旅行などできないのであるから、どうにかうまく切り抜けることを考えるべきだ。考えよ うによっては日本の輸出攻勢に対する、彼らの報復であるとも言えるのだから。

食事はあうか? このような現地の旅行社によるツアーは、食事も含んでいる。これも現地のレストランとタイアップしているから、そこへゆくと別のツアーの日本人ばかりである。味付けも日本人好みに変えられていると言ってよい。たとえば香港のアバディーンの水上レストランでの海鮮料理は、味の点では横浜の中華街の方が一段上である。もっとも、実際に行ったのは屋形船のレストランで、雰囲気はとても良かったが。飲み物は、日本と同じく食事とは別会計になる。その値段は町のスタンドで買う場合の10倍近いこともある。

写真売りつけ ツアーの客に同行するのはその係員だけではない。カメラマンもついてくる。彼らは一行に影のように寄り添って、シャッターチャンスが訪れるたびに、さっとカメラを向け、普段は目立たない。しかしいよいよ帰国が迫ると、当然のような顔をして客に近づき、撮った写真を売りつける。たいていはそれはセットになっていて、「・・・観光記念」というようなタイトルのついた額縁がついている。一見昭和初期の写真のようで古めかしいが、これを見て当然買わなければならないと思う日本人も、それも中年以上の人も多いことだろう。香港ではお皿に写真を焼き付けたものも含めて売る。もちろん全く買わなくてもいいし、気に入ったものを選んで買ってもいいのであるが、自分が写っているものだけに、全部買うのが当たり前、という雰囲気がある。

オプショナル・ツアー もう一つの問題点はいわゆるオプショナルツアーである。これは出発前日本で申し込んでおくシステムと、現地で申し込み、すでに述べた旅行社の係員に費用を支払う形式がある。後者の場合はすべて現地任せなので、さまざまなリスクが伴う。一つにはやはり係員とつながりのある店に連れて行かれることだ。さらにバンコク郊外のパタヤ海岸のような、リゾート地である場合には、そこにそろっているレジャー施設の利用料金も考えに入れておかなければならない。日本人の金離れのいいことは有名であるから、現地の人たちは白人や中国人にはあまり近づかず、ジャパーニーズ・エンを狙ってしつこく勧誘してくる。そして時にはほんの少し遊んだだけで、法外な金を要求してくることもある。現地の、もともと金に貪欲な人たちが悪いのか、それとも金をどんどん使うことによって、彼らの金銭感覚を狂わせた日本人が悪いのか。このような場所では、欧米人もたくさん来ているので米ドル建てのこともある。日本円または現地通貨しか持っていない場合には、相手が勝手に決めてくる為替レートの差額で損をするかもしれない。いずれにせよ、美しい自然とは 裏腹に、現地人との交渉は言葉が思うように通じない分だけ、十分な警戒が必要である。

第5章  アジア観光旅行のコツ

初心者には いかに楽しくアジアを旅行するか。それがパック旅行であって、係員による市内案内がある場合、それがどうしても気に入らないときにはそれを前もって断る手もある。しかし初めての国や都市を訪れるとき、そのような案内なしに空港から自分のホテルに楽々と向かえる人はそう多くはいない。家族連れや年輩者は異国の空のもとで、さまようことはごめんだろう。慣れるまでは係員の世話になった方がよい。

為替の罠 それにしても買い物はいかにうまくやればいいのか。ショッピングはその国の人と接するほとんど唯一の機会であるから、所持金の多少にかかわらず、積極的に交渉すべきであろうが、たとえ相手から勧められても、日本円は使わない方がよい。「千円でいいよ。」と言われるとすごく安い買い物をするような気がするが、冷静にその品物の現地通貨で換算すると、700円ぐらいであることが多いのだ。異国にいる不安と疲れから、そこをきちんと損得勘定のできる人は少ない。たとえ相手が渋い顔をしても、値切る交渉もすべて現地通貨がよい。しかしどうしてもお金の足りないときは仕方がないので日本円に頼ることになるが、2,3千円の買い物に1万円札を出してしまうの危険きわまりない。当然ながら、お釣りは日本円では渡してくれないのだ。必ず相手方の有利な為替レートで計算した現地通貨で渡されるはずだし、中にはあわてていて、お釣りを受け取るのを忘れる場合さえある。だからこのような場合に備えて、万札は千円札にくずして持ってゆくべきだし、それも極力使わないようにしよう。なお日本円の小銭はごく一部の店を除いて、受け取ってもらえない。千 円札が最小の通貨単位と考えておくべきだ。

現地通貨を! 両替にはいろいろな方法があるが、最も不利なのは、町の両替屋に替えてもらうことで、率が悪いか、またはべらぼうな手数料を取られる。香港では客寄せに景品をつけるところすらあった。トラベラーズ・チェックは日本で作ってもらうとき、1パーセントの手数料をとられるけれども、訪れた国の一流銀行であれば無料で替えられるので安心だ。でもクレジットカードでまかなえないほどの、大金を持ち歩く場合以外は面倒だ。VISAかMASTERの使えるクレジット・カードは現地の一流銀行の窓口かキャッシング・マシンが見つかれば、その日の為替レートに合わせて替えてもらえるので、最も損失が少ない。香港のような大都市にはこのマシンが至るところにあるが、共産圏はいうまでもなく、田舎へ行ったときもまず置いてないし、カードそのものも通用しないことが多い。

ホテル選びは ツアー旅行であれば、ホテルはすべて予約されているから、探しまわる心配はせずに住むが、どんなホテルになるのか入ってみるまではわからない。香港のホテルは観光客が多いだけに、狭く安普請の部屋が多い。自分で宿を予約するならYMCAやユースホステルのようなはじめから安くて、清潔、質素であることがわかっているところの方が気が楽である。豪華なホテルはその宿代だけで馬鹿にならず、食事や飲み物も市価の数倍する。食事は常に悩みの種だ。ツアーでも朝食しかないものがあるように、朝起きたばかりの食堂探しはつらいから、ホテルで済ませるのが賢明である。(それがいやなら前の晩の散歩がてら朝食を出す店を決めておく)

ゆとりの観光地まわり ツアーは効率的であるが、時間の制約があるので、係員に次々と引き回される結果になる。飛行機の到着が深夜に及ぶときは翌朝の起床がつらい。無理に早起きしてボーッとした頭で次々に観光地をまわっても疲労がたまるばかりだ。できるなら自分で、訪れるところをしぼり、一日に2カ所以上はまわらないくらいのゆとりがほしい。ホテルにある案内書や市内の交通路線図を活用すれば、そもそも観光地なのだから、必ず行って来られるはずである。それに、目的地にゆく過程をも十分に楽しむべきだ。地下鉄の乗り方の、日本との違いや、町並みの違いなどは、係員の率いるツアーではなかなか味わえない体験である。

「旅」をめざす 今回は1988年3月12日より3月17日にわたって妻、長男、次男と4人で旅行したが、ツアーに参加したものの、参加者は我々4人だけだった。今度海外に出かけるときは格安航空券とYMCAホテル、そして自分で立てた計画で行ってみたい。旅行TOURより、旅TRAVELINGに近づいたものにしたいものだ。


おわり

HOME > 体験編 > 旅行記 > バンコク・香港

inserted by FC2 system