(2019年6-7月)

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目次

PAGE 1

フランスへ

ブルターニュ地方 :サンマロカンペール

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アキテーヌ地方 : ボルドー

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バスク地方 : バイヨンヌ

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リヴィエラ地方 : マルセイユ・モナコ・エクサンプロヴァンス

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ジュネーブとシャモニー

パリ抜きといったものの…

記 録 総まとめ

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外部リンク・・・外部リンク


フランスへ 

 なぜ”パリ抜き”なのか: 

季節的にはちょっと遅かったかな。というのもフランス人が夏休みになると大規模な移動を始めて、ヴァカンスに向かうということは世界的に有名だからだ。5週間の強制的有給休暇のおかげで、なんと言っても観光地への老いも若きも向かう流れが出来上がってしまうからだ。

7月14日の革命記念日を境としてパリはもぬけの殻になる。その代わり各観光地には人があふれかえるわけだ。6月24日から7月7日までは決してまだ本格的なヴァカンスシーズンではないけれど、サラリーマンが休暇に入る前に、学生たちが我も我もと巨大なリュックサックや自転車を列車に積み込んで目的地に向かう。

もちろんパリにはパリの魅力がある。しかしどんな国も、たとえ首都の一極集中が進んでいても、それを作る基になったのは、地方なのだ。地方の持つ地味ながらの文化発信を見逃すわけにはいかない。

フランスの長い歴史の中では、南の地域が中心で国が統治されたこともあった。ローマ帝国の時代には、パリ付近は、さらに北の野蛮人と出会う前進基地でさえあった。ヨーロッパの中で、フランスは、ドイツ、スペイン、スイスと国境を接している。イギリスとも海峡を隔ててすぐだ。

それぞれの地域には隣国の持つ影響力を強く受けて文化が形成された。それはフランス文化と呼ぶにはちょっと異質な部分が含まれている。そういったものと少しでも触れるためには、地方を旅行するしかない。

 地理:

フランスは大体において六角形をしていると言われる。一周をするにはそれぞれの“角”の地点を回ればいいのだが、12日間の日程では、ストラスブールを省かざるを得なかった。したがって今回の旅行は「反時計回り5地域巡り」となった。

フランスの国土は日本の約1.5倍、人口は約半分である。アルプス地域を除いて、起伏が少ない。だから列車の窓から地平線が見えることもたびたびだ。2003年に英仏海峡に臨むノルマンディ地方を訪れたことがあるので、もっと西のブルターニュ半島から始めることにした。大西洋から突き出たこの半島から南下する。

大西洋岸の最大都市はボルドーであり、さらに南下するとスペインとの国境が近づく。そこがバスク地方であり、その中心都市はバイヨンヌである。そのあとは東に向かい、マルセイユを最大都市とするリビエラ地方に向かうことになる。ここには訪れる場所がたくさんあるので、3日間を用意する。

今回はエクサンプロヴァンスの町とモナコ公国を選んだ。モナコまで来るともうそのすぐ先がイタリアとの国境である。ここまであまり起伏のない地方を旅してきたが、その先はアルプス山脈があるので、その中の都市の一つ、ジュネーブへ向かう。

ジュネーブはフランスではなく、スイスの都市である。だが、フランス語圏にあり、パリとの直通列車があり、近くの山間部に出かけるには絶好の場所にあるので、そして第二次世界大戦前までは国際政治の中心であったので、ぜひ訪れてみたいと思っていた。

ジュネーブから最も近い山の観光地と言えば、モンブランであり、その出発基地がシャモニーの村だ。こちらは再びフランス領となる。レマン湖の最南端にあるジュネーブから、車でわずか1時間ほどの距離にある。

そして時間が許せば、ドイツの影響の強いストラスブールに行きたかったが、時間の都合であきらめて、このままパリへ戻ることになる。山の中のジュネーブから、どんどん下って、平原に出ると、もうパリの郊外に達する。

こうやってみると、国を一周するというのは大変なことだ。仮に日本を12日かけて、5か所を巡って一周しようとしたら、どんなに大変なことかわかる。フランスも日本も、高速鉄道もバスも使える、交通のインフラが発達した国であるのだが。

今回の旅は主に海岸回り、国境沿いというルートで進み、内陸部は訪れていない。もしブルゴーニュ地方とかロワール地方、オーベルニュ地方などへ行こうと思ったら、新たな計画を立てなければならない。

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観察日記(1)

自動車交通: フランスは、鉄道網は十分に発達はしているが、日本以上に車社会だ。地方における高速道路の完備はほぼ達成されているが、市街地における車の使用頻度の高さははるかに日本を上回る。だから朝夕の渋滞は耐え難いほどのひどさだ。

そして、駐車地獄はどのこの町に行ってもひどい。つまり路上駐車(多くが課金されてはいるが)が普通になっており、これが町の美観を損ね、スムーズな交通を妨げ、通行人への危険を増している。もし市内から駐車車両が一掃されたら、どんなにすっきりした街になることだろうか。

イギリスでもそうだったが、交通信号による交差点より、ラウンドアバウトによる場合が、地方ではずっと多い。狭いパリに比べて、地方ではそのような交差点を作る土地の余裕があるからなのだが、このシステムは必ず交差点に進入するときに一時停止や徐行をしなければならないので、クルマの通過台数がある一定値を上回ると、逆に渋滞に拍車をかける結果となる。

どこの町でもメトロ、トラムなど公共交通機関はかなり整備されているのだが、それでも住民が自動車を手放さないことが、問題の解決にブレーキをかけている。車が地球温暖化に拍車をかけていることがわかっていても、“燃料税”には強固に反対する。もっとも、人口のわずかな村がたくさん存在するため、交通機関がそもそも存在しない地域では自動車以外は考えられない。

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サンマロ St-Malo 

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出発はパリのモンマルトル駅。この駅は主に西の地方に出発する列車を扱っている。今から乗ろうとするのは写真にあるブルターニュ方面行のTGVだ。

2013年にブリュッセルに行った時のTGV(タリス)とはだいぶデザインが違う。座席はほぼ満席。いったん出発すると、パリと、パリの郊外(イルドフランス)の区間はノンストップである。

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これがモンマルトル駅の構内。かつての上野駅に似て、都会の人間と田舎の人間でごった返している。自動販売機がすっかり整備されて(ここでも田舎の駅でも!)、クレジットカードがあれば、窓口に並ぶ必要もなく、すぐにこれから出る列車、半日後、明日発などの切符を買うことができる。

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:ブルターニュ半島の付け根にある中心都市レンヌで下車。この通り、まるでサッカースタジアムのようなモダンな駅舎だ。ここで宿泊しようと思ったのだが、この町で大きな会議が開催されるとのことで、どこのホテルも満員のため、今度は鈍行列車 TER に乗って英仏海峡に面した港町、サンマロに向かうことにする。

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2時間ほどで到着したのがサンマロ駅。パリやレンヌのような雑踏はなく、外国人観光客もほとんど見かけない、落ち着いた小さな港町。人口5万人以下。

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客車の車体に外部リンクBREIZHGO と書いてあるのは、ブルターニュ地方をはしる鈍行列車 TER のネットワークをあらわしている。鈍行といってもこれがなかなかスピードがあって、バスなどとは比べ物にならない。ただし料金は高いが。これでレンヌからサンマロまで乗った。きれいな車体だし、二階車両もあり、決してガラガラではない。

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サンマロの町に入る。まずは海に向かって真っすぐ広い道があるのでそこを進む。両側にショッピングセンターや公共の建物が並ぶ。少しも過疎の雰囲気はない。

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旧港にでた。ここは17世紀には、海賊の根城で、フランス最大の港だった。これは海賊船のモデルだろう。あたりには公園、遊園地、魚市場、ショッピングセンターと林立しており、非常ににぎやかだ。

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さらに突き進むと海岸に出た。東方向に大きくカーブしている、たいへん見晴らしのいいビーチである。まだちょっと寒いが、海水浴場になっており、砂浜沿いに建物がはるかかなたまで連なっている。

実はあの世界遺産であるモンサンミッシェルまでここから東へ50キロと離れていないのだ。あそこは外国人観光客でごった返しているだろうが、ここは地元のファミリーやアベックばかりだ。こちらに来て正解!!!

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ビーチの西のはずれには砦が見える。「旧要塞 Fort National 」だ。このとき幸い干潮時だったので、歩いてすぐそばまで行くことができた。海賊基地の町の守りである。この地域は干満差が大変大きく、潮汐発電を行っているほどなので、うかうかしていると、どんどん満ちてきて海の中に取り残されるかもしれない。

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その旧要塞の建つ岩場から南方向に見えるのが、城壁に囲まれた旧市街である。教会の尖塔や丸屋根が見えるが、これらの建物すべてが、堅固な石でできた城壁に囲まれているのだ。
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 サンマロの駅に着いた時から目についていたカモメ。
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 城壁の中に入っていく。縦600メートル、横400メートル程度の空間に建物がびっしり詰まっている。その建物のデザインは何となく古めかしい、これがブルターニュ風というのか。
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 所々に記念公園がある。これは「オランダ砦」と呼ばれるところらしい。
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 城壁の上は遊歩道(かつては見張りの兵隊が行き来していたところ)になっているので、一周できた。右側には旧港が見えるが、そこにはヨットや漁船などが停泊している。
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 城壁の内部は車で混雑し、ブティックから土産物屋まで何でもあって、カフェは満員だ。この賑わいと活気は、日本の地方都市が学んでほしいところ。
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 この土地ではワインができないため、その代わりにリンゴ酒(シードル)が発達した。器はワイングラスではなく、この地元で作られる、赤い筋の入ったカップで出される。シードルはなかなかうまいが、ワインのように毎日飲むと飽きてしまうかもしれない。
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 撮影時刻は午後10時近く。フランスでも最北部に位置するから、夏はこんな時間でも明るい。でもさすがに人通りは絶える。この薄っぺらい建物群は駅と港のあいだにあった。右から3番目の白い部分が泊まったホテル。

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観察日記(2)
鉄道網

:日本とフランスの高速鉄道の最大の違いは、フランスでは在来線と高速線とのレールの幅が同じであることだろう。このため、新たな駅を作ることなく、従来の駅のホームからTGVが出発し、いったん都市部を出ると高速を出すことのできる線路に入って目的地の駅が近づくと再び在来線の中に戻って駅に到着するという仕組みだ。これで建設費をだいぶ節約できる。

こういうこともあって、フランスの鉄道(外部リンクSNCF)はパリへの極端な一極集中である。東京ー大阪のように大都市間を結ぶTGVはもちろんあるのだが、地方へ向かう路線の中には、最終駅がほんとに田舎の小駅ということもある。東京の私鉄の中にもそういう例が多いが、都心からノンストップで田舎に達し、田舎に入ると各駅停車のように進むのだ。これには地元の人にとって、パリから来た列車を数少ない地域ダイヤの中に組み込んでもらえることや、いったん乗ったら乗り換えなしでパリに着いてしまうメリットがある。

フランスはアルプス山脈の部分を除き、大部分が平坦だ。急坂とか渓谷がない。したがってトンネルやカーブの部分が少ない。平原を直線で突っ走るのが普通なのだ。これが高速を容易に出すことを可能にする。むしろたまにカーブ部分にさしかかると、日本の新幹線のようにカーブでもスムーズに通過する技術が重視されないため、強い遠心力を感じてしまう。

料金は普通乗車券と特急券のあいだの区別が明確になされているのではなく、単に切符が割高だというだけなので、TER(普通列車)との区別がはっきりしない。ただ、1等車と2等車の区別はある。ホームに自動改札機はあるにはあるが、それが実際に使われているのを見たことがない。「libre (自由通過)」という表示になっていて、切符を持たずとも列車に乗れそうな雰囲気だ。そのためか車内検札が結構頻繁にある。

外国人にとって面倒で忘れそうなシステムが「validation (切符の有効化)」だ。買った切符でそのまま乗車するのではなく、ホームの入り口に置いてある黄色い機械の穴に切符を差し込む。そうすると「ガシャン・ビービー」という音がして、切符に時刻などが刻印される。これを忘れて、車掌にばれると20ユーロの罰金だから、うかうかしていられないのである。

日本なら「自由席特急乗車券」を買えば、その日のいつの列車に乗ってもいいが、フランスの切符には指定席でなくとも、乗車時刻が記入されている。記入されているというよりは”指定されている”と言ったほうがいいのかもしれない。それで、往復切符を買った場合にも、帰りの列車の時刻を決めないと買えないのだ。

どうもフランスの鉄道では、繁忙期に入ると、かつて航空機では普通だった、「Overbooking 」が平然と行われているようなのだ。普通なら全席指定のはずのTGVの切符に、「SELON DISPONIBILITE (空席状況に基づき)」とあったら、あらかじめきちんと席を指定されている切符を持った人の席には座れないので、早い者勝ちの空席の奪い合いになるのだ。下手すると補助席に座ることになるかもしれない。ま、立ちんぼということはないだろうが。

肥満者たち

肥満は、世界中で深刻になっている。特に英米とその食文化の影響下にある国々では、普通の体格より肥満者たちのほうが数が多いのではないかと思えてしまう。ファストフードがいったん受け入れられてしまうと、面倒な調理の食事は、家庭内でも外食でも避けられるようになり、単純で多様性のない食事で済ませるようになる。

フランスは「フレンチ・パラドックス」の言葉があるように、世界で最も多く脂肪分を取りながら、その食事内容が多様であることもあって、比較的肥満者が少ないと言われてきた。確かにロンドンやニューヨークに比べると、パリの肥満者は明らかに少ない。

ところが今回の旅行で地方を回ってみると、ほかの国に劣らず肥満者が多いことがわかった。特にラテン系の人々はその食事が、カロリー過多になるようで、そのような人々の住む地区では、目を見張るような肥満が当たり前になっている。例えばマルセイユのサン・シャルル駅裏の町では、歩く人々を見ているだけですぐに分かった。ハンバーガーと甘ったるい飲み物の組み合わせで夕食が済んでしまうのである。

以前ニュースで、フランスでも「食育」に力を入れ始めているという内容を聞いて、フランス料理の伝統とは関係のない文化を持つ人々の間で、食生活の偏りが生じていることが感じられる。たとえば、酒を飲まないイスラム教徒の場合、一生ワインとはかかわりがないだろう。

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カンペール Quimper

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日本人で、カンペールの名前を知っていたら、相当のフランス通だ。ブルターニュ半島の先端近くにあり、サンマロより一層ブルターニュ色の強い地域となっている。写真はカンペール駅。

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 駅は中心市街よりちょっと離れているので、無料バスが運行されている。かわいい、8人ぐらいしか乗れないタイプ。CUBCITYという。これに乗れば、歩く時間が大幅に節約できる。
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さっそく駅向かいの建物の中に、手ごろなホテルを確保。パリのホテルの値段とは比べ物にならないほど安い。しかも清潔で快適。

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カンペールと言えばクレープが有名。至る所にクレープ屋がある。おやつ代わりに食べたこの店では、「本日の日替わりクレープ」として、甘くないチーズ入りクレープに、トマトや生ハムを添えたものだった。女子高生が集まる日本のクレープ屋とはだいぶ趣向が異なる。

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 CUBCITYに乗って、旧市街中心部にあるサン・コランタン大聖堂の前で下車。このすぐ隣が外部リンク県立ブルターニュ博物館だ。
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ブルターニュの音が Britain の音に近いことで分かる通り、この地域の文化はイギリスから伝わってきた。ただし、アングロサクソン人ではなく、ケルト人というもっと昔からイギリスに住んでいた人々の流れをくむものだ。(博物館内)

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イギリスの昔の衣装の雰囲気が強い。 (博物館内)
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でも一方では、ここは海に面し、海浜リゾートとしての性格も多く持ち合わせているのだ。(博物館内)

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博物館を出て、さらに北に進むと、ここにもまた城壁があった。この城壁に沿って西(右のほう)に進むことにする。

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間もなくかわいい小川に出た.。川の右側はアジサイ。左側の木は刈り込んだものか、それとも自然にこうなったのか。絵心のある者なら、ここにイーゼルを立てたくなるだろう。この小川をたどっていくと、この町の中心を流れるオデ川に合流。今度はオデ川を下って海のほうに向かうことにした。自動車道路を避け、川沿いの丘に作られた森林公園の中を進む。

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その道すがら、古い古い教会があった。華麗なゴシックやロマネスク式にはかなわないかもしれないが、いかにもブルターニュらしい雰囲気だ。この教会の横が、「アンリオ・カンペール工房」と「陶器博物館」。

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泊まったホテルの裏通りで見かけた、クレープ屋のシャッターに描かれた絵。

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観察日記(3)
 にぎわい

田舎町における「にぎわいの喪失」、これは日本の地方都市を旅しているときに、大変気になっていたことだった。いま日本の地方を歩くと、まず「閉校」の看板が目につき、「シャッター街」が駅前から広がり、街を歩いても誰一人にも出会わない状況が普通になってきている。

まだ1億2千万人もいるのに、人々はどこへ行ったのか?フランスも高齢化は同じである。それどころか国土が日本の1.5倍あって、多くが平原だから、かなり人々がばらけている。しかし、今回旅行して、地方中小都市(サンマロ、カンペール、バイヨンヌ)が衰退して店が閑古鳥が鳴いているとはとても思えない。これらの都市の人口は、急増はしていないが、ゆっくりと増加している。

たまたま夏休み直前で急に観光客が全国に移動を始めたせいだろうか?自転車を担いで列車に乗り込む若者、自分の体より大きなリュックを背負った旅人、彼らが国中にあふれている。今回の旅は彼らの「ヴァカンス移動」に巻き込まれないように、少し早めに日時を設定したのだが、失敗したようだ。

この光景を見て思い出したのは、今から30年以上前の、スキーブームに沸く新宿駅前の光景である。スキーバスやスキー列車に乗るために長い行列を作り、熱気を帯びた若い男女の群れがあちこちで見かけられた。その活気はどこへ行ってしまったのだろう?

これは単に、フランス人は出歩くのが大好きで、日本人は今ではすっかり内に引きこもるようになってしまったということなのか?今回の旅で、マルセイユに着くまでは、日本人の姿はまったく見かけなかった。もっとも韓国人も中国人もほとんどいなかったが。つまり東洋人の顔をした人々がどこにもいなかったということだ。

フランスも南に行くと、スペイン語やイタリア語が聞こえてくるようになる。マルセイユの人ごみはそのように隣国からやってくる人々が増幅しているのだろう。それにしても商店街が歩きにくいほど混んでいるというのは大変結構なことだ。たとえ財布の中がすっからかんだとしても。

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