その1(2023年3月)

Chrysler Building 5518

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New York へ 

 ニューヨーク街歩きの魅力: 

1959年、1984年、1989年のあと、今回が4回目のニューヨーク訪問である。東京のように目まぐるしく変わる都市ではすっかり様相が変わってしまうのだが、この街は変わらない。もちろん摩天楼の中に新しいビルが加わったのは確かだが、昔からのたたずまい、ランドマーク、そして人々の雰囲気は同じままである。だれでもこの街が世界最先端を行っていると思っているが、それはビルの中でのことであり、街全体は何も変わっていないのだ。

ニューヨークはアメリカじゃないという人がいる。その通り。ここまで国際都市化すると、パリ、香港、シンガポールなどと同じく、どんどん無国籍化していく。だから間違っても今回のようにニューヨークだけを訪れた場合、「アメリカに行きました」と言ってはいけない。”アメリカ合衆国”に行きたいなら、ニューヨークを抜きにして出かけるの必要がある。

ニューヨーク、特にマンハッタンの素晴らしい点はとてもコンパクトなので、歩くことによってその中身がわかる点だ。もちろん地下鉄とバスという公共交通機関があるので、それをフルに活用すればいいが、自動車に乗って動き回る必要はない。歩くだけで人々の生活がじっくり見えてくるし、魅力的なスポットのこともわかるし、それができるほどに、狭い土地にギュッと詰め込まれているのだ。

 地理:

マンハッタン島は西側にハドソン川、東側に名前の通りのイーストリバーに挟まれて南北に細長く、もし北の端にハーレム川という小川がなかったら“半島”ということになっていただろう。セントラルパークに行くと、土の中から岩盤が顔を出しているが、それがものすごく古いものらしいことは素人でもわかる。そんな岩盤の上だから、こんなにビルが林立しても誰も地震が起こることなど心配していない。

まだインディアンの時代には、植民者が数本の首飾りと引き換えにこの島を買ったそうだ。不毛の土地というわけではないが、青森と同じ緯度、同じぐらいの気温のところなので、冬のあいだはあまり快適とは言えない。今回も3月にやってきたのだが、やはり朝夕の冷え込みはまだ厳しく、4月になってから行けばよかった。

しかし港としての機能には恵まれていて、自由の女神を見ると、その背後にたくさんのクレーンが並んでいるのがわかる。街の発展は港の繫栄と密接につながっている。ここに大陸内部へ運び出す大量の貨物が荷揚げされ、またこの大陸を目指す移民や難民が殺到したのだ。今でこそほかにたくさんできたが、かつてはここが大西洋への最大の玄関口だったのだ。

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観察日記(1)

英語だけでない: ニューヨークの言語状況は昔とは違うようだ。 つまり、英語一辺倒ではなく、 中国人や ヒスパニック系が増えたので、人々の会話には中国語とスペイン語が非常に目立ち、 何といっても地下鉄の相当部分の車内広告が中国語やスペイン語で書かれているのには驚いた。 これは合衆国内で言語の多様性が進んでいることを示している。

昔のようにイギリス人だけが中心になって住んでるような。 状況とは異なり、ますます様々な民族がこの狭い土地にぎゅうぎゅうづめになって暮らさなければならないことを示している。 近い将来、アングロサクソン系よりヒスパニック系の人口が上回るそうだが、そうなるとブラジルとギアナを除く南北アメリカ大陸すべての地域で公用語はスペイン語ということになるかもしれない。

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ロウワー・マンハッタン 

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チャイナタウンにある10泊したホテル。両側の白いビルに挟まれたレンガ色の古いビルだ。一方通行ではない、つまり両方向が走行できる幅の広いBowery 通りに面している。昔のガイドブックではBowery 一帯は“酔っ払いの街”と呼ばれていた。今は全くその痕跡がない。
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Bowery 通りを西方に向かって見る。この先は本格的なチャイナタウン界隈で、多くの中華系の商店がある。
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マンハッタン・ブリッジにやってきた。このように歩道がマンハッタン側からブルックリン側までまっすぐ伸びている。左は地下鉄の線路が走っている。その上は自動車道路だ。デザイン的にはブルックリン・ブリッジに及ばないが、構造的には重要な交通インフラである。
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マンハッタン側から歩き始めると、右手にロウワー・マンハッタンと呼ばれるマンハッタン南部、つまりウォール街などを含むビル群が見える。イーストリバーにかかっているブルックリンブリッジも見える。
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マンハッタンブリッジを渡りきると、ブルックリンブリッジとそのたもとの公園も見えてくる。
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ホテル近くにある交差点を通る Delancy 通りをスタバのガラス越しにながめる。なお、スタバは各ブロックに1つぐらいあるんじゃないかと思うほど数が多い。そして混んでいる。上品できれいな店もあるし、だだっ広くてあまり清潔でない店もあり、同じチェーン店なのにさまざまだ。
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二両連結のバスがやってきた。今回の旅行では一度もバスに乗る機会がなかったが(東西方向はたいてい歩いてしまうので…)輸送能力は大きそうだ。

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旅行でいつも困るのは第1日目である。 まったく知らない環境に飛び込むのだから。 すべてに神経を使い、 新たな環境に慣れるために大変な苦労をする。 一方では、 旅行に伴う疲労が最高潮に達する。 前の晩ホテルに着いたのは深夜10時過ぎだった。

今回は、自宅から羽田空港まではバス5時間、羽田空港からハブ空港のデトロイトまで飛行機13時間、さらに飛行機を乗り換えてデトロイトからニューヨークまで3時間。ただし空港は ニュージャージー州のニューヨークの郊外にあたる空港に着陸したので、そこからは列車に乗り換えて マンハッタン島の真ん中にある大きな駅(Penn Station)まで行く。

さらにその先は地下鉄だが 地下鉄料金を安く済ませるため七日間使い放題のカードを買ってそれを使い、ホテルのある駅まで行こうとするが、そのルートがどうしても上手く掴めず何度も失敗した挙句、あきらめてタクシーを呼ぶことにした。タクシーでは夜遅くなっていたこともあり道路がすいており10分かそこらで着いてしまった。

宿泊したホテルはチャイナタウンにあって、 どうやら経営者も中国人らしい。一階の部屋で便所は共同。 部屋は窓がなく広さは3畳ぐらい。 建物はボロボロで。 もういつ取り壊してもおかしくないくらいだ。 しかし、特に治安は悪くない。 宿泊者は、人種的には多様であるが、 特に、素行の悪い人間が泊まっているわけではない。 ホテルのフロントの対応も悪くはない。 しかも一泊2万円以上がふつうであるニューヨークでは格安の値段。 ユースホステルみたいなもんだ。

周辺の地理になれて、いろんな店を覚えれば、 快適な生活ができるはず。 今日は通りがかりの人たちに親切にしてもらった。 自動販売機でうまく切符が買えずにうろうろしていると、 わざわざ近づいてきて手伝ってあげようという人に2,3人出会った。 乞食が1ドルをくれとねだって離れないので渡すと、その後いろいろ手伝ってくれて大変助かった。

どうもアメリカ人はお人好しが多く、人にお手伝いしたくてたまらないという噂は本当かもしれない。 タクシーの運転手も現金払いではなくクレジットカードで払おうとすると、その扱い方法について辛抱強く応対してくれてやっとのことで支払いを済ませることができた。

この日は機内食だけでかなりお腹がいっぱいだったので、 深夜の11時にホテルに到着した後は、何も食べずそのまま倒れるように疲れて寝てしまった。 翌日の朝はまず空腹で目が覚めた。 カフェを 探すと結構たくさんあって、まずは 中華街とイタリア街(Little Italy)とに挟まれた地域をいろいろ歩いたところ、 Littel Paris という一角があって、 職人の焼いたフランス風のパンを並べたカフェがあった。 第1日目の朝ははクロワッサンとコーヒーである。

まだ疲労が回復しないまま午前中は、まず調子の悪いスマホの simカードを何とかするために 2件ほど店を訪ね、どうやったら 電波をうまく受信することができるのかを相談に行く。 しかしどちらでも うまくいかず、これでは10日間の滞在もスマホなしに過ごすことになるのかと悲観的になった。一旦ホテルに帰って スマホが不調な原因をいろいろ考えてみると、設定に何か問題があったらしいと突き止めて、あちこちいじくっているうちに、なんとか受信に成功した。 おかげでこれから滞在中はずっと スマホに道案内を してもらうことができる。

昼食は、通りかかったベトナム料理の店で、 バゲットを基にしたサンドイッチを買う。 これはとても美味しくてボリュームがあり。 二つに切ってあり、一方をお昼に、もう一方を夜に食べた。 昼は普通の飲み物(日本製であるが砂糖を加えたジャスミン茶!)だが、夜はワインとビールをつけて食事をした。ホテルの部屋の中で これで酔っ払ってしまって、後はもうずっと寝っぱなしだったが、おかげで疲労はとれた。

この日の午後は、マンハッタン島の南の部分(Lower Manhattan)を歩いてみようと思って、 ホテルから南の方へ歩いて行くと、 たまたまマンハッタン・ブリッジが見えた。しかも歩道が見えたのでブルックリン側に渡ってみることにした。 この日は晴天で見晴らしがよく自由の女神も遠くに見え、 素晴らしい散歩だった。 ブルックリン側をあちこち歩き回り、Jumbo と呼ばれるイーストリバーの船着き場に出た。

そこからフェリーに乗ってマンハッタン側に戻ろうとしたんだが、 フェリーはニューヨーク市営にもかかわらず、 料金が地下鉄のカードでは支払えない。 しかも、 ダイヤがあまり都合よく設定されていないので、 諦めて地下鉄駅を探して乗って帰る。地下鉄は 慣れるためにわざと遠回りであちこち乗ってみた。 無事にホテルに一番近い駅にたどり着くことができた。

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