その1(2024年3月)

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南アフリカへ向かう:

南アフリカに行こうと思いついたのはリオデジャネイロ市から戻ってからのことだ。ロシア、中国、インド、ブラジルと訪れたわけだから BRICs のすべてを比べてみようというわけだ。特に南アフリカは日本では中学校の社会科の時間に教わるバスコ・ダ・ガマの喜望峰周回以外ほとんど知られていない。周りの人に聞いても詳しく知っている人は皆無だった。

事前に調べて、「アパルトヘイトの歴史」「治安の悪さ」「失業」「白人と黒人の共存」「ヨーロッパに似た気候」などのテーマをあげてみた。いずれも今まで調べたことのないことだったので整理するのは大変だったが、滞在中にわかることがあるだろうと、着眼点を考えておいた。

南アフリカが率先してガザに対するイスラエルのジェノサイドを国際司法裁判所に訴えたことから、二枚舌の得意な欧米に代わって世界の流れを考えていく、いわゆる Global South の一員としての活躍にも注目する必要がある。

リオデジャネイロ市の時差は12時間。まるで日本と反対側だ。これに対し南アフリカは7時間でヨーロッパ各国と大差ない。ただし南半球だから季節が逆なので出発した3月では夏が終わり秋が始まるところ。気候は温暖でもう少し北にある砂漠地帯、さらにもっと北のサバンナ気候の地域と比べると、はるかに過ごしやすい。

そのようなわけでほかのアフリカ諸国とは違う特殊性をしっかり押さえておくべきだろう。今までアフリカ大陸ではエジプト、ケニア、タンザニアの3か国を訪れたが、これらの国との最大の相違点は南アフリカでは早くから白人が移住を開始し、白人の割合が比較的高いということだ。たとえばアパルトヘイトにしても上記の3か国においてはそのような体制そのものを白人が作れる人口構成ではない。また、鉱物資源による収入がこれらの国を上回っている。

むしろ、旧イギリス植民地としてはオーストラリア、ニュージーランド、カナダなどとの共通点が多いということを記憶にとどめておく必要がある。オーストラリアではアボリジニへの迫害、カナダではインディアンの子女殺害、ニュージーランドではマオリ族への弾圧があったが、それらとの共通点を見極めておく必要があり、これらは他のアフリカ諸国における旧植民地支配とは性格を異にしているのである。

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ホテル周辺を歩く

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エチオピアの首都アジスアベバにあるBOLE 国際空港。成田からのソウル経由便からここでケープタウン行きに乗り換えた。ここはアフリカの臍(ヘソ)、つまりハブ空港には最適の場所だ。周りは低い山に取り囲まれた盆地である。エチオピアも最近の経済発展が著しい。
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ケープタウン市の中心部からわずか5キロ南に下ったところは Sea Point と呼ばれるリゾート地である。治安もいい。海岸とそれに沿う高級マンションが続いているのは、リオデジャネイロ市のイパネマ海岸とよく似ている。その地の利のいいところに、この「Mojo ホテル」がある。普通の部屋のほかに、屋上にはさらに部屋が増設され、シングルルームが作られている。3階の高さなので、海も山も眺めがいい。
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ホテルの屋上における増設部分。隣のマンションが後ろに見える。
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ホテルの屋上から海を眺める。西の方角なので、夕日が美しい。ただし周りのほとんどのマンションの高さがホテルを越えている。
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旧イギリス植民地なので、ミニクーパーがたくさん走っている。左側通行だが、日本と同じだと油断してはいけない。歩行者優先では断じてない!
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ホテルから歩いて2,3分の海岸通りからは山頂が盛り上がった Lion's Head が見える。
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砂浜、駐車場、海岸通、マンションの順で配置されている。わが Mojo ホテルは右に見えるのっぽビルのうしろだ。
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このあたりの地名である Sea Point は See Point とも発音できる。それを利用した巨大なメガネが海の方を向いている。レンズは入っていない。
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このそばのバス停の名前はずばり「Light House」。ちなみにその近くのバス停は「London 」である。こっちに移り住んだものの、故国に帰りたい帰りたいという願望がついついあらわれてしまったものとみえる。
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砂浜沿いに遊歩道ができており、芝生は広い。Lion's Head に連なる丘(Signal Hill)の上からここまでパラセーリングで降りてくる。休日は壮観。
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芝生の上でついばむ鳥はハダダ・トキといい、やはりアジアの鳥たちとは異なっている。
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この海域は南大西洋である。南極のほうにレンズを向ける。確かにこの方向ではあるが、船で40日以上かかるとのこと。南アメリカ大陸の最南端フェゴ島より、こちらはかなり北にある。
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Sea Point の街で見かけた看板。「Soul music soothe your soul ソウル音楽は魂を安らかにしてくれる」と字幕にあったので撮影しておいた。
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ホテルから海沿いに南に向かう。つまり最終的には先端に喜望峰がある半島の西海岸沿いを行く(徒歩で)。まだ夏の暑さが残っているが、空にはイワシ雲、つまり秋の兆しが表れている。
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この車(旧型ミニ)は駐車中ではない。リアガラスに張ってある張り紙には「For Sale : Contact 081 ......」とある。ここでは白昼堂々と通りで中古車展示をするのだ。この通りで数台見かけた。
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海岸通りから見上げた豪壮マンションの連なり。
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やがて大きな入り江が見えてくる。そこには白い砂浜が見えている。
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近づいてみると本格的な海水浴場だった。この先、第一、第二、第三、第四とビーチが続く。
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砂の色は本当に白い。砂浜に寝そべる姿はいずこも同じ。
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この地域では、車のみならず中古住宅の販売も盛んだ。この立て札には不動産会社名や連絡先のほかに、売り手であるこのにこやかにほほ笑んだ金持ちそうな夫婦の写真を掲示している。なぜわざわざ写真まで公開するのだろう?その方が信用を増すからなのか?切羽詰まっていないと思わせたいからなのか?確かに夜逃げするような状況であればこんな写真を掲げる余裕はないだろうが・・・

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南アフリカにやってきた

2024年3月16日。航空会社はエチオピア航空。成田空港を夕方に発ち、2時間ほどでソウルに着く。そのあと中国やパキスタンあたりの上空を14時間余り飛んで、エチオピアの首都アディスアベバに到着した。そこで飛行機を乗り換えて6時間ほどで目的地のケープタウン国際空港に午後2時ぐらいに到着した。飛行機の中では「オズの魔法使い」を見た。 ただしヘッドホンがなかったので音なしで見たが子供向けのものであることもあって、それだけで十分に筋が追うことができたし、楽しめた。

空港に着くとさっそくホテルに向かい部屋でくつろぐところなのに、最初の難関! 空港と都心を結ぶ鉄道がない。以前、飛行場から市の中心まで市営バスが走っていたが コロナのせいで廃止になってしまっていた。 コロナ以前に出版されたガイドブックを持っていったので、現地に来て初めてそのことを知った。やむを得ず タクシーを頼み(400ランド、3200円で途方もなく高い!)、とりあえず町の真ん中に出る。 まずはケープタウン鉄道駅に連れて行ってもらった。

駅前は物売りが大勢いてバス乗り場さえなかなか見つからず、重たいリュックを背負って見物するわけにもいかないから、雑踏の中で再び別のタクシーを見つけてホテルまで連れて行ってもらう。これが300ランド、2400円、これも高い!

このタクシーは運転手が食い詰めていたらしく、目的地までのガソリンがもたず、途中のガソリンスタンドでガソリンを買う金もなく、私から着いてから払うはずの料金を“前借り“してそれで支払っている。しかも途中何度もエンストをする始末だった。それでも何とかホテルにたどり着けたが、後で調べてみるとバスで行けば、ホテルと鉄道駅のあいだは10ランド(80円)程度の距離でしかなかったのだ。

南アフリカはその気候が生まれ故郷と似ているためにヨーロッパ人が農業中心でかなり昔から住みついていた。しかしそのあとダイヤモンド、金、その他の貴重な鉱物資源が次々と発見されると、急速に移民流入が増えた。 しかし労働力が足りない。したがってあのアパルトヘイト の政策によってそこに住んでいた黒人たちが奴隷化され、極端な差別を受けた。 

これはつまり彼らがまともな学校教育を受けることができなかったことを意味する。 だから政治的体制としてはアパルトヘイトが終わっても、教育を受けられなかった彼らは今になって、 どこにも仕事を見つけることができないわけだ。 白人たちは自分たちのコミュニティを作って優雅な暮らしを続けることができるが、黒人たちはマンデラが頑張って、その後継者たちもいろいろと手を打ったにも関わらず、なかなか黒人たちの教育水準を上げることができないでいる。 それが今回の事件にも関係があるし世界最悪のジニ係数を作り上げているのだ。 

ほとんどまともな食べ物もなく、あちこちで寝そべっている失業者たちを見ると、困難な問題が山積していることがわかる。不平等社会と言えばブラジルもそうだったが、南アフリカは 一層、差別と貧困と格差が深刻であるように思われる。そしてその絶望的な状態が治安の悪化を示しているのだ。

今回訪れたケープタウンは南アフリカの都市の中では治安はさほど悪くはない。 それは町の一部に白人たちが(高級)住宅地を作って、安定したコミュニティを営んでいるからだ。裕福な人々はお手伝いなどを雇い、地元観光業も順調で、就業率は少しはましになっている。 これがプレトリアとかヨハネスブルグなどだと、もうひどい状態が完全に常態化していると思われる。 

今泊まっているホテルは一種のリゾートホテルだ。私の部屋のある場所は屋上である。広い屋上で、そこからは海の眺めも良く、背後に Lion's Head の頂がそびえている。 長椅子や食事をするためのベンチなどが適宜配置されていてとても過ごしやすい。 南十字星も観測可能だ。

今は真夏が過ぎ、秋風が吹き始めたころなのだ。 部屋の中でもぞもぞと食べるよりも外に出て、いい空気を吸いながら、そして海鳥たちの鳴き声を聞きながら食事をするのはいいものだ。 たまたま朝に外でラスクを食べていて たくさんのパンくずが周りにこぼれ落ちた。 すると途端にカモメたちがやってきて 50cmぐらいまで近づいてきて平気でそのパンくずを食べている。 日本だったら5m以内には警戒して近づかないだろうが。 こちらではやはり誰もいじめる人がいないらしくて鳥たちは平気で人間のそばにいる。

バスに乗る

今日は初めてバスに乗る。鉄道よりバスは路線のこともあって厄介だ。 バスに乗るにはまず最近のどこの近代都市でもそうであるように、バスのためのカードを買わなければならない。 近くに券売機はなく、そのために前日に近所の薬屋に行って My Citi カードを買った。(カードの購入とチャージのできる店は市バスのホームページに載っている。 カード代に40ランドの乗車券代が含まれている。これを使えば中心部まで2往復ぐらいできる。)

今日のバス往復の目的は手持ちのドルやユーロを現地通貨ランドに両替するためでもあった。 幸いなことに。 今泊まっているホテルのその真ん前がバス停であり。 10分から15分ぐらいの間隔で頻繁に都心へとバスが出ている。

日本で使われているような大型ではなく中型のバスであり 出入り口は1か所しかない。 面白いことに、乗り込み専用のカード受信機と降りる時専用のカード受信機の2つが並列して置いてあって、それぞれ「イン」「アウト」と書いてある。 乗る時はインの方にカードを接触させ、 降りる時はアウトの方で カードを接触させる。 

どうやら時間帯や距離によって細かく運賃が決められているらしくて、ピーク時の運賃と閑散時の値段もかなり違う。たまたまカードにお金が入っていないらしい人が乗ってきてカード受信機が赤いランプをともした。 そうなるとその人は乗ることができない。 現金は受付てくれないのだ。 

自分が降りたい停留所が近づくと、自分で降車ボタンを押すのは日本と同じ。 また座る座席の形も配列も日本とほぼ同じだ。 もしかしたら日本製の車両だったのかもしれない。 今泊まっているホテルから都心部まで約25分ぐらい。 

今日向かうところは繁華街であり、特に危険な様子は見えない。 バス停を降りて5分も歩くとすぐに両替する店(Travelex)が見つかった。 両替を済ませると降りたのとは道路の反対側(南アは左側通行)のバス停に行き、バスを待った。 バス停はわかりやすいデザインで遠くからでも見える。

どうやら今日は警察の駐車違反の一斉取り締まりの日だったようで、あちこちに取り締まりの係員がうろうろして人々に罰金の紙を渡したり注意したり、いろいろなことが行われていたが突然、待っているバス停の向かい側の歩道で大きな叫び声が聞こえ、怒った男が係員または警察官に向かって 殴りかかっているのが見えた。 ひどい殴り合いでどこかの車の上に男の体が押し付けられた。すごい音がした。 その後その男は逃走したが、それを2人の警官が追いかけていって街角で見えなくなった。 

この場所はガイドブックによれば特別危険なところではないのだが、 殴り合いとか警官とのトラブルはどうもしょっちゅうあるらしい。 これが“治安が悪い”ということなのだ。ビビってはいけない。付近の人々が面白そうに見ていた。 しかし、もし犯人がピストルを持っていて撃ってきたら? 我々はその流れ弾に当たるかもしれない。 まったく物騒なところだ。  

ビーチ沿いに歩く

今泊っているホテルのあるSea Point 地区から北の方へ向かって、つまり街の中心のほうへ散歩した。南に向かってこの半島の行き着くところは喜望峰(Cape of Good Hope)であるが、それははるか50kmぐらい先のことであって、1時間ほどの散歩では、いくつかのビーチが点在しているのが見えるのに過ぎない。 

かなり海岸は険しく、荒れるときはかなりのようで根から切れて流れてきた太い昆布(kelp)が打ち上げられている。 切り立っている海岸沿いには所々に砂浜が見えている。 真っ白で非常に細かい砂である。 しかし、海水に触れてみると非常に冷たい。 これはなぜかというと南極で溶けた氷が流れてくるからだとも言う。ただし南極大陸へは船で40日かかるほどの距離だ。 

今は夏が終わり、秋に入った。 大勢の人々が日光浴をしているが泳いでいる人は1人か2人だ。 そこに行くには切り立った崖を削った道路を行く。「 ビクトリアロード Voctoria Road」という名前だが、その両側は豪邸が立ち並び、さながらモナコの海岸を思わせる。 そして売りに出されている邸宅がいくつか見受けられる。乗用車が売りに出されている場合もある。 

金持ちはそれまで住んでいた家が不満になり、もっと豪華な家を買うのだろうが、 一方でビジネスには上り下りがあるから、また再び景気が悪くなればその家を手放さなければならない。 面倒なことだ。 初めから庵(イオリ)にでも住んで、金が儲かっても儲からなくても 同じ家に住み続ければ時間の無駄やエネルギーの無駄をしなくても済むのに。 それができないらしい。かわいそうな人々だ。 

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