台北再訪 2013年

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目次

第1章 1998年・台北

第2章 東海岸と天祥

第3章 西海岸

第4章 記録

第5章 台北再訪 2013年

第5章 台北再訪 2013年

1998年の訪問後、再び2013年に台湾を訪れることになった。今回は台北市とその周辺だけである。前回は個人旅行だったが、今回はツアーに参加しての旅だった。なんか順序が逆な気もするが、ツアーで案内してくれるガイドさん次第では、いろいろなことが学べるのである。

飛行機の到着が夕方5時ごろだったので、その日はすぐにホテルに入ってもよかったが、夜間は自由行動の時間でもあるため、手じかに行けるところ(残念ながら動物園とか、博物館などは無理だが)として、15年前には存在しなかった<台北101>という高層ビルに上ることにした。だが日本のスカイ・ツリーと同じく、大変な人気で地元の人も外国からの観光客も押し寄せていて、しかもその日は晴れていて、大変見通しの良い日だったから、とんでもない行列ができていて、あきらめるしかなかった。

そのため、ビルの基部にあるフード・コート Food Court に下りて行って夕食を食べる。ここはカフェテリア形式だが、それぞれの料理を専門とする店が10軒ぐらいならんでいて、自分の食べたい種類、たとえばインド料理専門店などを選んで注文し、出来上がったら中央にある座席まで自分で運んで食べるのである。ビールなどの酒類はそれぞれの店には売っていないが、別に小さなスーパーみたいなのがあって、そこで別に買い求めるのである。

ここは市役所のすぐそばで、台湾で最も都市化した場所であるから、当然台湾で最も物価が高いところと思っていい。カレー料理の1人前が220から260元。日本円に直せば、3倍にして660円から780円。為替相場のことを忘れると安いと思いがちであるが、台湾人の収入から考えると、決して安い値段ではない。あとで下町に出て、庶民的な店でのおかゆなどは、30元ぐらいからあるのだから。前の旅で重宝した「自助餐」は、数が少なくなってしまっていた。

タクシーについても同様であるが、距離にしては日本と比べてもずいぶん安い印象を受ける。その理由は、タクシーが多すぎることだろう。どこを見てもタクシーがあふれ、運転手は通行人を観察し、少しでも乗るようなそぶりを見せないかと待ち受けている。過当競争なのだ。さて、いつものように、どこかの銀行のATMで、現地の外貨を手に入れることにする。ところが日本以外ではどこでも設置場所が吹きさらしの屋外なのだ。日本では決まってガラス張りの中でやるのに。日本のほうが犯罪発生率が低いはずなのだが。

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夜の11時ごろ、大通りを歩きながらホテルに帰ったが、印象としてはかなり安全だ。若い女の子が大勢歩いている。もっとも、一人の小太りの男が殴られたのか、酔っ払っているのか、蒼白な顔をして歩道に倒れていて、そばでタクシーの運転手が携帯電話で救急車を呼んでいる場面に出くわした。台北の第1夜にしてこれだから、意外とこんな情景は多いのかもしれない。

前回の台北では、トイレにペーパーを流すことを禁止されていた。下水管が細くてすぐ詰まってしまうためだ。さすがにもうそんなことはない。前に泊まった Happy Family のあたりはきれいに区画整理されたようだ。それでもかつて林立していた、地震があったらすぐぽっきり折れてしまいそうなどす黒いビルがまだところどころ残っている。

以前と変わらないのは、オートバイの数だ。交差点が赤になると、そこにどんどん台数がたまってゆき、青になった途端、すざまじい音を立てて、一斉に発進するときの轟音がものすごい。少なくとも街区においては、乗用車よりバイクのほうが断然優勢である。ただ、交通事故はきわめて多そうだ。

前の旅から、自動車専用道路や高速道路がどんどん建設され、交通の流れはだいぶスムーズになっただろう。しかも日本と違い、多くは片道2車線ではなく、3車線なので、だいぶゆとりがある。例のごとく日本車が大部分だが、スピード狂はいないみたいだし、あのオートバイの群れは、高架道路にはほとんど見当たらない。

日本製といえば、台北にエキゾチックな街並みを期待してきた人は、あまりに日本のチェーン店が多いのでがっかりしてしまうだろう。自動車の販売店は言うに及ばず、洋服屋、コンビニ、牛丼屋、弁当屋、はては”ごはん処”までたくさん見かける。

しかし、物質文明が日本製品によって作られていても、やはり中国文化は変わらず残っている。吉兆であることをしめす赤色が至る所でつかわれている。そして何より、東京の浅草寺にあたる、「行天宮」に集まるおおぜいの庶民が、お供えをし、お願い事をし、真剣に祈り、風水を気にして、おみくじによる人生相談をうけているところをを見ると、昔からの生活が変わらず生き続けているのがわかる。

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初日の日中のツアーでは、「故宮博物館」「忠烈祠」「中正紀念堂」などの定番のコースを巡ったが、夜は「(士林)夜市」を訪れたのである。前と比べ、依然として屋台が並び、得体のしれない食べ物が並ぶ、猥雑な雰囲気は変わっていない。ただ、女子中学生ぐらいの年齢層がたくさんいたような気がした。ここでガイドから教わった、「アヒルの血を固めたもの」を探したが、見つからなかった。もう一度来なければなるまい。この日は平日であったが、歩行に困難を覚えるほど混雑しているところがところどころあった。これで土日になると、どれだけ混むのか想像もつかない。

ここでも日本人の(体力的)衰弱が問題になっているようだ。ガイドは、出発前に屋台の食べ物を食べないようにと勧めていた。それは日本人が清潔すぎて抵抗力が弱まり、ごく弱いばい菌でも食中毒のような症状を示すことが多く、若い人はアレルギーによって命を落とすことさえあるからだ。地元の人々はもちろんたくましい。ガイドも今まで自分の引率する団体で病人が出て苦労したのだろう。

ガイドたちはみな、女性だった。超多忙なスケジュールで、よく体がもつものだと感心する。朝から晩まで客につきっきりで、しかも夕方になって、突然同僚が声が出なくなって、その代行をさせられることもあった。彼女らは同時にバスガイドであり、セールスガールであり、どこかの店の代理人でもある。その言い回しは見事で、どこからが案内で、どこからが売り込みなのか、さっぱりわからない。

日本語はめっぽううまいが、文法を習う段階で何かあったのか、「・・・ノ」を多用する。「台北ノ町」はかまわないが、「おとなしいノ人」「おいしいノ店」とくる。これは最初の段階で、名詞のあとに「ノ」をつければ形容詞の働き、つまり中国語では「的」にあたるんだよ、と教えられたせいだろうか。ガイドたちはみんな共通してこの癖を出してしゃべるので、実に面白い。

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翌日のツアーは台北から東に進み、東海岸に近い山中にある「十分 shifen」と「九イ分 jiufen」に出かけた。前の旅では西海岸にそそぐ川の河口にある「淡水danshui」に行ったわけだから、これでうまくバランスが取れたことになる。1月としては、あまり暖かくなかった。小雨の中摂氏13度ぐらいしかない。沖縄よりずっと南なのだが、いくらなんでも半袖では寒すぎる。

「十分」へはバスで効率よく廻ったが、途中で「平渓線」というローカル盲腸線にも、一部区間を乗車した。周りの山はみな急傾斜なので、自動車道路はカーブの連続。亜熱帯で樹木がうっそうとしているので、土砂崩れの恐れはあまりなさそうだ。鉄道のほうはトンネルが多く、比較的直線に近いルートを通る。

ここの見ものは、大きな紙袋に墨と筆で願い事を書き、袋の底で火を燃やして、一種の熱気球にして山の中に空高く打ち上げる「天燈上げ」である。近くの滝は、ナイヤガラの滝より規模ははるかに小さいものの、形だけはそっくりだ。

さらに東へ進み、海岸部に近づくと、「九イ分」である。ここはかつての炭鉱町だが、お寺を中心に、急斜面の山肌に密集して屋台が立ち並び、その構造が人気を呼んでいる。ベネチアにしても、尾道にしても、車が入れず、徒歩で歩き回れる狭い街並みというのは、観光客にとっては大変魅力的である。「千と千尋の神隠し」の舞台になったというが、映画監督が喜びそうな地形と昔風の雰囲気がいい。はるか遠くにリアス式の海岸部が見える。

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夜の自由時間には、ようやく「台北101」のてっぺんまで、40分の行列待ちで上ることができた。実はその日は山間部では小雨模様だったので、多くの観光客が夜景を見に来ることはないだろうと予想していたが、前々日よりは少なくて、幸運にも午後9時の時点では晴れ渡って市街地が一望に見渡せた。といっても近くに山がなく、平地に広がっている街なので、あまり審美的価値はない。むしろすぐ横の市庁舎近辺のビルのライトアップがきれいだ。

帰りに「台北駅」に寄る。市内は地下鉄とはちょっと違う、MRT (Mass Rapid Transi)網が張り巡らされており、20元から25元で気軽に市街地を移動できる。市街地は地下を走るが、郊外は高架になっている。台北駅はすっかり改造され、地下商店街は、夜市のような魅力がある。台湾の鉄道地図を見ると、すっかり全島一周の鉄道路線が出来上がっている。前の旅の時、「花蓮 hualian」まで、ほとんど便数のないバスを利用して苦労したが、今なら楽々と行けそうだ。

台湾でのお菓子として外国人観光客の間の一番人気は、「パイナップル・ケーキ」だそうだ。ところが中身の”餡”はトンガ王国から輸入されているらしい。甘さを抑えてあり、なかなかうまいが、では明日も明後日もその次もどうぞ、といわれるとしり込みしてしまうだろう。やはり異国の味なのだ。

台湾の位置は、南太平洋に面している。だからこれらの国々と付き合いが深いのだろう。貿易額では日本のほうが多くても、文化的な類似性や人々の交流は台湾のほうが大きいといえる。そうなると日本からの視点と、台湾からの視点はまるで違っていることだろう。たとえばフィリピンは日本から見れば「ちょっと遠い国」であるが、台湾から見ればまったくの「隣国」である。それぞれの国を中心とした周りとの付き合いはいろいろと異なっているのだ。日本だけに住んでいると、そんな簡単なことにも気づきにくい。

台北・2013年 写真集
<台北市とその周辺 旅行期間:2013年1月15日~18日> 
1112

夜八時半の「中山北路」。多くのバイクが群れをなして突進する。かつて路面電車の走っていたらしいところは、線路が取り払われ、バスの専用路となっている。だから渋滞とは無縁。

1113 台北101を北の方角から眺める。あたりは官庁街だが、きれいにライトアップされているので、観光客が多い。それでも店はみな10時なると閉めてしまうので、早々に閑散となる。
1114 庶民のお寺、「行天宮」内部。基本的なお参りの形式は日本と同じだが、二枚の木片を床に投げてその組み合わせを見たりするなど、占い的要素が色濃く混じっており、なんといってもご利益を具体的にかみさまに訴える。またお供え物が、机にたくさん並べられていて、その量は日本の比ではない。
 1115  中華料理は、ヨーロッパと同じく、なんといってもやはり”肉食文化”に属するのである。この肉屋さんのトラックに描かれた豚の解剖図など、日本では歓迎されないだろう。
 1116  衛兵たちの行進。大勢の観光客が周りを取り巻いてカメラの放列だ。ここは「忠烈祠」といって、大陸でのつらい戦いで倒れた人々を祀る。パリのアンバリッドに性格的に似ている。国民は、この島と「大陸」との政治体制、社会体制の違いをみて、国が独立していることがどんなに大変かに思いをはせる。日本にはない緊張感が漂う。
 1117  台湾の特徴の一つに、マッサージが盛んなことがあげられる。この店は足裏マッサージ専門店。ツボの一つ一つがショーウィンドーに描かれ、一つの文化として根付いている。
 1118  夜市の店。これはサトウキビの汁を主に扱っているようだ。その食材とそこから作られる料理の種類の多さには、かつて中国大陸の各地からやってきた人々の、それぞれの食文化が反映している。
 1119  夜市の街並みは大勢の人々であふれかえる。これは夜の7時半。食品だけでない。日曜小物もたくさん並べられている。
 1120  台北のMRTは車両内の通話は禁止ではない。その代わりというか、「エチケット」としてポスターに述べられているのは、「がなりたてない」「短く簡潔に」「メールにしよう」の3つである。文化の違い、国民性の違いがこういうところにも表れている。
 1121  「十分」における「天燈上げ」。タテヨコタカサが約1メートルぐらいの紙袋の底に点火剤を取り付ける。これが空の中に消えてゆくとき、人々は自分たちの願いが天に届けられたのだ。打ち上げは、両側に商店の立ち並ぶ、「平渓線」のなんと、線路上で行われる。のんびりしたものだ。
 1122  「平渓線」の「十分」駅。赤い提灯のようなものは、天燈を模したもの。キーホルダーにもなっていて人気がある。
 1124  「九イ分」の街並みに入る。かつての炭鉱だったことが、この銅像でわかる。
 1125  町の真ん中がこの狭い階段が通っていて、メインストリートと交差する。すれ違うのにも苦労するぐらい狭いのがいい。喫茶店が数多く軒を並べている。
 1132  「九イ分」の中心にあるお寺。典型的なちゅごく様式による建築。瓦の上には、竜など、おめでたい動物が多数取り付けられているのだが、遠くから見るとヘビかなんかのようでちょっと不気味だ。
 1133  ようやく登れた台北101の展望台より北側を臨む。明るくライトアップされているのはこの官庁街だけで、それ以外は大通りを除いて、暗い。
 1134  台北駅の鉄道路線図。北半分。西部幹線と東部幹線に分かれているが、全体として一つの輪になっている。
 1135  西部幹線のほうが人口が密集して、工業生産が盛んだ。これに対し東部幹線のほうは切り立った海岸が多く、見事な風景が楽しめる。

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