文明時評

きつね

ライフスタイルに関わる、偏見と独断に満ちた考察

毛髪染めの意味するもの

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最近になって、日本の若者を中心に、自分の髪の毛を染める人が増えてきた。多くは「茶髪」であるが、そのほかに、金色、灰色が目立つ。一部の高校などでは、校則をもって厳重に取り締まる姿勢を見せているが、多くの生徒の反発にあっている。

なぜ、この時に至り、髪を染めることが流行しだしたのか。一つは簡単な染料が開発されたためであり、これを生産している会社は笑いが止まらないことだろう。体制的であろうと、反体制的であろうと、最後に笑うのはアイディアを生み出した企業である。これは資本主義社会の鉄則だ。

では、日本人が本来、与謝野晶子が詩に歌ったような漆黒の黒髪を持つ人が多いにも関わらず、なぜ、染めたがるのか?理由の中には、最近の肉食とストレスのせいで、日本人の肌の色と髪のつやが急速に失われ、素肌では男も女もボロボロになっているというのがあろう。

だがもう一つ思い当たることがある。それは、昔から高級百貨店、高級乗用車、豪邸のコマーシャルといえば、そのモデルが必ず白人だったということだ。多くの人は別に気が付かなかったかもしれないが、一部の人は、なぜ美しい庭園で微笑んでいるのが、金髪または灰色の北ヨーロッパ系の美男美女でなければならないのかと疑問を持った人もいた。

コマーシャルを作るのは広告社の人だ。彼らは世間一般の感情にとりわけ敏感である。その彼らが高い出演料を払ってもあえて白人たちに御登場願うのは、大衆が待ち望んでいるからだ。大衆は白人の美しさが気に入っているのだ。そして自分の顔は鼻が低く、目つきも悪く、髪の毛は汚らしいと「潜在的」に思っていることを意味する。

かつて、東南アジアに「買春ツアー」が盛んに行われて近隣諸国のひんしゅくを買ったが、ここで日本女性が巻き返しに出たのか?実は、日本の大衆小説を読むと、「金髪の女と寝たい」というくだりに頻繁に出くわす。もしこれが日本の多くの男たちの潜在的な願望をとらえているとすれば、(作家たちはその点では非常に敏感だから)それに対する女性側からの暗黙の「回答」が、髪染め現象なのかもしれない。最もニセモノではどうしようもないのだが。

この感情はおそらく明治維新にさかのぼるのだろう。すべてが西洋に模範を取るとき、その思想、科学、生活態度を取り入れたついでに、審美眼まで輸入してしまった。「舶来」を珍重するこの考えは、21世紀になってもかわらないのだろう。それはブランド信仰によく表れている。昔から切腹までしてプライドを大切にする日本人がどうしてこれほどに無意識な点で卑屈になれるのか不思議だ。

このような現象は日本人が、自分の文化や言語をいかに嫌っているか、軽蔑しているかの現れだともいえよう。すべての車の名前は、カタカナ文字であり、「日本語は非論理的な言語」などと言ってはばからない。これほど自国のことを貶める民族は世界広しと言えども珍しいのではないか。

かつて人種差別の激しかった頃、アメリカの黒人たちは自分たちの縮れ毛を恥ずかしく思い、コテを使って一生懸命、ストレートにしようとした。また少しでも肌の色を白くしようとして、競い合った。今、そんなことをすると、 kowtow していると、黒人仲間からあざ笑われる。それは白人への卑屈な態度の現れに他ならないからだ。 kowtow とは中国語の「叩頭」にあたり、頭を床にすりつけて上位の者にへつらう動作をいう。

白人の生み出したものが、他の民族のものに比べて何ら上位性を持っているわけがないという、この当たり前のことがわからなかったのは、巧みな支配下に置かれていたからである。今、やっと多くの人々が気づき始めた。黒人のみならず、エスキモー、インディアン、そして長い間経済封鎖に会ってきたキューバの人たちなど。ベトナム戦争当時のベトナム人も、誇りを失わなかったからこそ、アメリカとの戦争に勝利できた。

自分にプライドを持つことは、自分の文化に誇りを持ち、それを集団の共通項として維持していくことである。集団が崩壊したり、急速に衰退するときは、この努力が失われ、文化は混沌状態となる。親が子供のしつけに自信を失い、コントロールできなくなるのもこういうときである。

とすると、茶髪やグレーの髪の毛も、日本人の自信喪失を象徴しているのだろうか?それは確実にそうだといえる。いっこうに改善しない不況、政治の腐敗、国際競争におけるゆっくりした敗退、蔓延する物質主義などのさなかではそれは無理もないことなのかもしれない。

これに画一主義が加わる。同じことをしていなければ不安である心理。「その他大勢」「金魚のフン」であることが最大の慰安である人間関係。個性を失った、どこで切っても同じ金太郎アメ的生活行動。北海道から四国、九州どこでも同じ化粧法とヘアスタイル。考えてみれば何でもそうだが、日本人で最初に髪の毛を染めた人間は勇気があった。それは誰だろう?だがそのあとに続く者たちはどうか?

なぜアジア人の髪は黒いか?それはメラミン色素がたっぷり入っているからである。北欧は太陽光が少ないため、白髪と同じように、色素がすっかり抜けている。それはそれなりに環境に適応した結果である。だから北欧に住んでいれば、そこでは金髪は美しく存在価値がある。

日本は熱帯ほどではないがかなり光線量が多い。髪の傷みを防ぎ、長持ちさせるには黒い色が最高なのである。地中海の太陽に恵まれたラテン民族、つまりイタリア人やスペイン人も髪が黒い人が多い。だが彼らが北欧の髪の色をまねたがっているという話は聞かない。

かつて、「漆黒の」と言われるほどほとんど青光りがするほどにも色つやの良い黒髪は喜ばれた。伊豆諸島は椿が特産だが、髪に潤いを持たせる、椿油や椿の櫛は全国の乙女たちに愛用された。先に述べた与謝野晶子を引き合いに出すまでもなく、黒髪は日本女性の誇りの中心であったのだ。

1999年12月作成・2003年5月追加

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髪の毛が、メラミン色素の働きによってその色が決まるということは、当然のことながら皮膚の場合にも当てはまる。自然の摂理とは恐ろしいもので、イギリスにはアフリカやインドなどから多くの旧植民地の人々が働きに来て、彼らの多くはそのままイギリスに定住したいと思っている。イギリスは社会保障も完備し、彼らの故国の状態とは比べものにならないほど快適な生活が、特に彼らの中で中産階級やプロフェッショナルといわれる人々にとって享受されている。

ところが皮肉なもので、思いもかけないことが起こりつつあるのだ。有色人種の夫婦から生まれた子供は当然のことながら色が濃い。つまりメラミン色素がたくさん皮膚に集まっている。これは何のためかといえば、故国での強烈な太陽からの紫外線をカットするためだ。だからコンゴあたりでは一生真昼間から裸で歩いていてもそのために皮膚ガンになったりしない。ところがイギリスの気候は、あの有名な雨降りと曇り空の連続である。しかも秋になるとどんどん日が短くなって、クリスマスの頃になると、午前9時になってようやく空が明るくなるありさまだ。

このため、イギリスで生まれた彼らの子供たちに何が起こりつつあるか?それはなんとクル病なのである。太陽光線の不足による骨格の発育障害が起こっているのだ。紫外線のおかげでビタミンDがつくられ、そこから複雑な過程を経て骨が出来上がっていく。それがなんと皮膚の表面にある密集したメラミン色素のおかげで紫外線が体内に届かずにこんな障害が起こる。医者はあわててカルシューム剤を投与するが、子供たちはイギリスに住む限り、あるいは皮膚からメラミン色素をを除去しない限り、成長期を終えるまで、カルシュームの人工補給が手放せないのだ。一方、イギリスに大昔から住んでいる”白人”はみんなメラミン色素がほとんどない。わずかな日光からでも紫外線を有効に取り入れられる。

人類はアフリカから出て世界中に広まった。極地に、熱帯に、砂漠に、あらゆるところに人間が住んでいる。そして彼らのそのたくましい生活は他の動物とは比較にならないほどの”適応力”によって支えられている。風土とそこの人々の暮らしは一体なのだ。そして安易な移住が、思いもかけない結果を生んでいる。髪の色といい、皮膚の色といい、人間どもの浅はかな知識では到底うかがい知れないような深遠ななぞが、人体にもまだたくさん隠されているのだ。われわれはもっと謙虚に自然に向かわなければならないのだ。

2008年11月追加

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