文明時評

きつね

ライフスタイルに関わる、偏見と独断に満ちた考察

携帯の長電話に注意

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現代の技術はとどまるところを知らない。だがこれが何によって突き動かされているかといえば、金儲けと、便利さの追求である。そこには安全性とか、永続性などは全く無視される。

携帯電話が登場してからだいぶたつが、その便利さは人々に迎え入れられ、あっという間に普及した。東南アジアの国々のように電話が地上設備として完備していないところならともかく、ほとんどの街角に電話ボックスのあるこの日本でも携帯電話が爆発的に普及するのは何かほかにわけがあるのだろう。

ところで、携帯電話が、電子レンジに似た周波数の極超短波を使っているが、これは放射線に近い。このことをはっきり知っている人は少ないし、それに関心を持つ人もごくわずかだ。

だが、最近のイギリスの研究によると、この電波よりずっと弱い電波を線虫やミミズの類に当てたところ、その体に熱変性、つまりやけどが生じたそうだ。

これが人間の場合、耳に密着させて用いるため、脳ミソに最も近づけて電波が照射されることを意味し、これを長時間、長期間使用すれば、ろくな結果が現れないだろうことは素人でも容易に想像がつく。

ある医者の意見によれば、脳腫瘍になる危険が増大するのだという。さもありなんである。16歳以下の子供が使用することを規制しようという考えもある。だがもう遅い。長電話をすることは、毎日電子レンジに頭をつっこんでいるのと同じことなのだ。

さらに、2002年6月3日の朝日新聞東京第3版の夕刊に載った記事によれば、東北大助手の本堂毅氏の研究では、満員電車の中でみんなが持っている携帯電話から発する電波は、金属製の車体の中で乱反射し、場合に酔っては、WHOの定めた安全基準の数倍に上る可能性があるという。この場合は脳腫瘍よりも白血病にかかる危険が増す。

実は、携帯電話は通話していないときでも絶えず交換局と連絡を取っている。「通話可能」の印や、「圏外」が出るのは、いつも電波でのやりとりをしている印である。一台一台はたとえ微弱電波であっても、百数十人の携帯電話の発する電力は何ワットになるのだろう?しかも屋外なら問題ないが、金属製の箱に1時間も閉じこめられていたとすれば?

もしこれほど多くの人間が、携帯電話を気軽に、しかも特に安全性のテストもおこなわずに使い続けているとすれば、これは一種の壮大なる人体実験であり、われわれは近い将来その結果を思い知らされることになろう。もちろんそのときには、長年にわたる電波照射量がすさまじい量に達しており、すべては「遅すぎた」となる。

電話会社や電機メーカーは一様にそのような危険を否定している。当然であろう。彼らにとっては健康よりも売り上げが重要であるのは当然の理だからだ。彼らの返事は決まってこうだ。「ただいま鋭意調査中です」。死人が出ても、明らかな証拠が出ても「確定的ではありません」が決まり文句である。

このことはかつてのタバコ会社の反応を思い出せばわかる。今では紙タバコが体に悪く、肺ガンのもとであることも、完全に医学的に証明されているが、ここにいたるまでどれだけ紆余曲折を経たか。肺ガン説を唱える学者や社会運動家への脅迫、暴行、買収など、煙草会社が取った手段は筆舌に尽くしがたい。

われわれは企業が儲けるためには手段を選ばないことは、すでに歴史で十分に学習していることである。タバコ会社は、喫煙が多くの場所で制限されているにもかかわらず、相変わらず隠然とした勢力を保っている。それは喫煙が、ニコチンの習慣性に依存しているからだ。

振り返って携帯電話には習慣性はあるのか?これがどうやらあるらしいのだ。すでに述べたように、山の中でも固定電話や公衆電話が高度に普及している日本において、携帯が流行するのは、どこか心理的原因があるからだ。それは乱暴な言い方だが、ニコチンと同じく、「習慣性」を持つといえる。

現代社会における孤独と、それをいやすものが手近にない場合、携帯電話は、どこの誰でもその場で呼び出し、一時的に安堵を見いだすことができるのかもしれない。わずかな通話料(わずかではないか?)でそれだけの効果が得られるのなら、中学生から老人に至るまで、この器具を操作できる人が飛びつくのは無理もないことだ。

人々は携帯電話が便利だから「必要」だというが、携帯電話を必要としない生活を作ることは考えないのだろうか?今の生活に外から、出来合いの製品や巧みな宣伝によって「与えられる」のではなく、そんなものが不要な生活を自ら考えつかないのだろうか?

携帯電話を本当の意味で利用する人、つまり昔であれば「トランシーバー」がどうしても必要だった人などは、一握りしかいない。あとの残りは、テレビに代わる「心慰め機」として使っている可能性がある。ここは心理学の専門家の分析を待たねばならないだろうが。

かつてポケベルの時も言われたことだが、携帯電話を持つということは、「鎖につながれた犬」になるという見方もできる。母親に見守られた女子高校生の「プチ家出」なんて。すべてを捨てて好きな男と駆け落ちするぐらいの肝っ玉を持ったらどうじゃい!

だが、携帯電話の習慣性と、収益性の高さ。およそ電話会社の経営者に選ばれた人物なら、この二つを究極まで押し進めようとするのは当然だといえる。

最悪の予測としては今後20年間に脳腫瘍の患者が若い層を中心に激増するかもしれない(もっともそのころは脳腫瘍は鼻カゼと同じくらいの軽い病気で、すぐ治ってしまうかもしれないが)。ニコチンもそうだが、一生に毎日何十本も吸って、少しも健康を損なわない人もいれば、ごくわずかで肺ガンを生じさせてしまう体質の人もいる。

つまり、ガンになるといっても、ガンになりやすい体質や、特別な環境に置かれた不運な人がなるわけで、だからといって、ニコチンに強い人は大丈夫だということにはならない。当然、危険度はもっとも敏感な人に基点を置くわけだが、それに電話会社が納得するはずがない。

自動車と同じことで、これほど大量の死傷者が出ても、「利便性」「経済性」が優先される今、生産が進み、道路がどんどん造られる方向は変わることはない。この社会ではこれらがすべてに優先されることになっている。人間優先なんて全くの空念仏だということは誰でもわかっているはずだ。

ただ、人間社会に住んでいる限り、交通事故の危険からは逃れられないが、タバコや携帯電話はある程度は自己の選択が可能だからその分だけまだましである。(だが、満員電車に乗らないで職場に行く現実的な方法ってあるのかしら?)選択の自由がある限り、自らの責任も当然負わねばならない。

消費者はもっと賢くならなければならない。知識量が増えるだけではダメで、我々の生活にあふれている技術の粋、といったものがほとんど総て「ブラック・ボックス」で、その仕組みの基本的なことすらわからない人がほとんどだという事態を何とかせねばならないだろう。

どんな人でも最低限、これらの機器の作動原理ぐらい知っておくべきだし、それによって初めて自分でものを考え、判断して行動する基礎が作られるのだ。そのための解説書は、山ほど売られている。

アメリカの裁判では、出席を義務づけられている陪審員が、普通の町の人だと聞いて、はじめはびっくりした。だがよく考えてみると、市井の人にそれだけ重要な判断を期待するのは、いやしくも「文明社会」にとっては当然のことではないか。陪審員は、町内会長と同じくらい社会的責任を期待されているのである。

だが、アメリカではまた一方で、自分の夫がたばこを吸って肺ガンで死んだのは、すべてタバコ会社のせいだと訴えた妻や、ファスト・フードで渡されたコーヒーの熱湯がこぼれて軽いやけどを負い、多大な賠償請求をしたおばあさんが勝訴したのだから、この国はよくわからない。

とにかく一人一人の市民が誰かに「コントロールされない」程度には賢くなることが、、携帯電話をはじめとする「商品」に対する明確な態度を示すことで求められている。

2000年6月作成・2002年6月追加

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