文明時評

きつね

ライフスタイルに関わる、偏見と独断に満ちた考察

もとでのかからぬ農業を

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日本の農業が危ない。後継者不足、輸入農産物の洪水、農業を軽視する政府の態度、どれをとっても日本列島から農業を消滅させる方向にしか働いていない。

食糧自給率が30パーセントを割ったことは、江戸時代まで完全に自給体制でやってきた日本において、条件さえそろえばいつ飢饉が起きてもおかしくない状態にあることを意味する。

もう農民たちはあきらめている。特に年輩の人たちは自分がすでに60,70代にあり、子供たちが農業を継ぐわけがないことは分かりきっているから、自分たちが「最後の代」だと思って農作業にいそしんでいる。

あちこちに残る、最近保存の声がにわかに高まってきた「棚田」の維持にしても同様だ。あと10年もすればこのあまりにも日本的な光景はこの国から姿を消し、写真集にて鑑賞される「芸術品」となる。

もう日本の農業はダメなのだろうか?日本農業の将来のことなど全く頭にない商社が、今日も中国をはじめとするアジア各地からの野菜を次々と港や空港に到着させている。彼らの口癖は常に「安ければいい」である。

消費者にも同じ論理がまかり通り、スーパーでは何万キロも空輸してきたカルフォルニア産のブロッコリーのほうが、北海道産のよりはるかに安いから、売れ行きが全然違う。

誰もがお金を使いたくない。ガソリンのように品質が全く同じものなら誰が高い方を買うだろうか。だが、食品は違う。輸入物に頼って起こる犠牲は健康的にも、この国の安全保障の点でも、あまりに大きい。

これをくい止めるには、方法は二つしかない。法的規制によって、たとえば緊急セーフガード発動によって、外国からの輸入を一時的に止めることである。

だが、これは全く根本的な解決にはならない。日本の周辺、いや裏側にも日本に食料品を買ってもらい、現金収入を得たいという国々がひしめいているし、その巨大な流れに対しては抗すべくもないからだ。

「価格」がすべての問題の根元だとすれば、価格によって対抗するしかない。アジアやその他の国の食品が日本に流れ込んでくるのは、いずれも日本とくらべものにならないほど安いからだ。日本国内で農産物を作る費用はあまりにも高い。

たとえば車を生産するコストは、日本以外の国でも大同小異だから、日本の自動車の競争力は安い人件費だけが取り柄の国々とは競争的に不利ではない。

ところが、日本の農業は「近代化」してしまったために、途方もなく高いコストを背負うことになった。肥料、農機具、農地整備、輸送、いずれをとっても日本国内の実勢価格に基づいて請求される。労働者は家族だけにするとしても、これらの経費は避けようがない。

土地が狭く山がちなために、アメリカのように超大規模な農業に徹することもできなければ、アジア・アフリカのようにタダに近い人件費と、肥料を追加しない略奪農業に徹することもできない。

はじめの原価が厳然と決まっている以上、日本は価格面で絶対に世界の殆どの国々と競争できないのである。ヨーロッパ連合のように、補助金を出したり、価格維持のための体制が整っていれば話が別だが、この国のやり方はアメリカ方式と言うよりは自動車生産方式に限りなく近づき、中小の農業経営者は追い出されてゆく。大規模経営者も失敗した場合はとてつもない負債を抱えることになる。

価格問題の解決はただ一つである。原価を限りなくゼロに近づけることである。原価がゼロに近ければ、輸入食品とも十分に対抗できる。少なくとも国内生産だけあって輸送費については価格的に有利だ。

原価をゼロにするにはどうしたらいいか。まず農民が出荷のための労働を一切止め、いわばストライキ状態にはいることである。農民は自給のための生産だけに限定し、その間に原価ゼロの農業方法の準備にあたる。農業から「金儲け」の概念を削除する。

元手をかけない農業生産の方法そのものは、すでにできあがっている。問題はただそれを実行に移す勇気があるかだけだが、誰でも農業を行うものは「アマチュア」に徹するだけでよい。とりあえず自給用に生産し、余ったものはタダに近い値段で近くの路上で販売すること、これで十分だ。

消費者はスーパーで、(それよりは高いはずの)輸入食品を買うか、ドライブがてらに近くの農村へ買い出しに行くかどちらかを選ぶようになるだろう。鮮度のことを考えたら、当然後者の方が有利である。

そのうち仲買人や小売業者が現れて、中間マージンを取るようになるだろうが、もとでがかからない農業である限り、農民の立場のほうが強い。買いたたこうとすれば、相手にしなければよい。終戦直後の農家への買い出しを思い出してみるのがよい。

原価ゼロの農業は他の部門に大きな犠牲を生む。たとえば農業機械や肥料、農薬の会社は全滅する。生き残れるのは輸送部門だけであろう。それも従来のような列島縦断の大がかりな輸送をやめれば、近郊輸送だけに限られるようになる。

だが結局、これらは日本の農業が国際競争力を持てなかった元凶であるから、早晩淘汰されるべき部門なのである。それらの会社を解雇された従業員も本来の仕事、つまり農産物づくりに励むのがよい。

農業生産には元手をかけない代わり、税金もかけない。他の分野の産業と完全に分離して、「利益」というものを排除する方向に持ってゆく。自然保護との結びつきを強めてゆく必要もある。環境の保全が利潤追求であってはならないのと同じく、食糧生産も全くのボランティアの方向へと性格を変える必要がある。

農業は漁業もそうだが、生産増加や、規模拡大の方向ではなく、「永続的生産」の維持を目指さなければならないのである。資本主義の営利追求の波にのせられると、ただ破壊と搾取しか見えてこない。

2000年9月初稿

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