文明時評

きつね

ライフスタイルに関わる、偏見と独断に満ちた考察
日本は老国か

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日本の老化のひどさを知るには柔道の衰退を見ればよい。柔道の発祥国、村田秀雄も歌った姿三四郎のふるさと日本は、男子は特に世界の柔道の第1戦から完全に身を引いた。そして再び台頭する兆しはもうない。今柔道の中心地はなんとフランスである。

これはスキーや登山の愛好家が中高年者によって占められているのと同様、日本の若者のあいだに体を鍛えるとか修練を自らに課すという考え方がすっかり廃れたことによる。スキーや登山ならかなり年が行っても続けられるが柔道についてはさすがに若者でないと続けられない。国力の衰退は個人の衰退、生きる力の衰えと深い関係があろう。

明治維新からまたたくまに時が過ぎ、21世紀に突入した。日本は、その間愚かな戦争や高度成長を遂げ、一つの国としては一通りの経験をしてきた。だが1990年代に頂点を極めたと思われるバブル期以来、その経済は行き詰まり、世界のグローバル化や他の国々の台頭の中で、その築き上げた地位がもはや保てない時期に来たように思われる。

バブルが崩壊した直後、人々はこれは今までの反動だ、不景気にはなるが、いずれは回復するだろうと思いこんでいた。だがここに来て、景気は一向に回復せず、アメリカの繁栄の恩恵を受けることもあまりなく、ついにアメリカが不景気に突入すると、ますますその低迷の度合いを加えてきている。

これはひとえに今の日本の状態は決して不景気なのではなく、国力そのものの衰退と国際的地位や信用度の低下の兆候なのである。そのような例は歴史上多く見受けられた。日本もその例外ではない。特にその民度の低さや、家庭内でのしつけなど目に見えないところでのほころびが急に表面に出てくるものなのである。

老化しても新たに生命を吹き返す国もある。イギリスがそのいい例だ。第2次世界大戦後、この国は、「老大国」というありがたくない名前をちょうだいし、過去の栄光はすべてアメリカに譲ってしまったように思われた。

だが、社会構造の柔軟化と、海外の旧植民地からの移民の流入、そしてヨーロッパ共同体への加盟などの幸運に恵まれて、もはや大躍進はしないものの、落ち着いた国になりつつある。これはオランダ、デンマーク、スウェーデンなども同様なことがいえる。

ところが日本では、新たな移民の流入はその閉鎖的なお国柄のためとても望めない。外国人を差別し特別扱いする気風が国民の間に濃厚である。もちろんあからさまなリンチや暴行はないにしても、家を借りたり進学するときの差別は、特に非難の声を上げる人もおらず、黙認されてきた。

そして子供の教育やしつけに対する態度が国民の間に定着していない。しつけなどは、そのほとんどを学校に任せようとするものだから、自分でものを考えたり、発言をしたりする訓練はまったくと言っていいほど受けず、その結果何もかもすべて右にならえという気風になってしまった。

街角でインタビューされて、一つのまとまったことをしゃべることのできる人はきわめてまれだ。アメリカあたりだと、単純労働についている人であろうとなかろうと、ひとかどのことを披露できるものだが、日本では「がんばってます」「つらいです」という単文しか出てこない。

自分の頭で考えないということは、外からの規制を素直に受け入れるしかないということになる。かくして徹底的な画一化が進行する。同じ髪型、同じ化粧法、同じしゃべり方、同じ行動、と個性が完全に抹殺されてゆく。今生物学者は一生懸命、クローン人間を作ろうと研究しているようだが、日本では必要ない。すでに自然にできあがっている。

この状況にさらに輪をかけているのが、歴史的裏付けのない「豊かな社会」である。今世界中で、日本並みの豊かな物質的水準をおくることのできる国々は、アメリカやヨーロッパに多く見受けられる。

だが大切なことは、今の状態が実現する前には貧困が存在していたという事実認識が若い世代に伝えられているかどうかなのだ。1人の人間の一生の中で、若い頃に苦労し、老後は豊かな生活を送ることができるようであれば、バランスがとれているといえよう。

ところが何の脈略もなくこの世に産み落とされて、最初から高度な物質的便利さを享受できた場合には、それ以外の世界を知らないことになり、実に狭い人生体験しか得られないことになる。これを補うのが、正確な歴史的裏付けである。かつてはどのような暮らしをし、現在に至るまでにどのような苦労や進歩が行われたかを深く知っておれば、このような体験不足をある程度補うことができる。

ところが日本ではこのことがまったくと言っていいほど行われていない。ここで世代の断絶が生まれ、その断絶を埋める努力もされないまま、次の世代がひ弱いいまま育つことになる。家庭教育においても、学校教育においても、社会教育の場においてもいずれの場合でもそのような伝達は行われず、また外国人が国内に少ないために他の国の実情も知ることなく過ごすことになる。

日本は競争社会だから、そのような問題はいずれ克服できると楽観的に構えている人々もいる。だが、実状は甘くない。自らの哲学をもち自分で考える訓練がないから、そのような断絶を埋めることができないのである。競走ではただ単に他人にうち勝つことだけが目標となり、その結果として社会的地位や収入が上がればいいだけだから、かけっこの競走と何ら変わることはない。

このように日本国の老化は、最も小さい単位、つまり個人から始まっている。従来の制度や組織が老朽化してきたとか、政治家が頼りないからだとか、経済政策がまずかったとかそのような原因から老化が始まるのではない。そんな問題は新興国だっていくらでも抱えているし、それを一つ一つ克服すれば何とかうまくいくものなのだ。だが人間個人の問題がかかわってくるとこれは革命とか、小手先の制度とか、工夫などでうまく乗り越えられる問題ではないのだ。

出生率の低下がいい例だ。1億2千万人というのはこの国土にしてはあまりに多すぎるから、人口が減少することは歓迎するべきことだけども、今一人一人の女性が、子供を産み育てる気力を持っている人が激減していると言える。

またたとえ産んでも、そのわずかな気苦労のせいで、子供を虐待したり、放置したりする危険性が非常に増している。これらの問題は、保育所を増やしたり、会社での待遇をよくすることで解決できる問題ではないのだ。

行動学の立場からすると、密集して狭いかごに入れられたネズミが、産まれた子供を食い殺す例をあげたくなるだろう。だが人間だけにしか当てはまらない特殊な文化的問題というのがある。

老化現象は、技術や正確さ、几帳面さの衰退という点にも現れる。原子炉の保全、ロケットの打ち上げ、巨大なビルの建築、高速列車の運転などは、綿密な協力体制と、各自の責任の自覚が要求されるが、これらが失われるとき大事故が起こり、その原因究明も責任の追及も次第にあいまいなままおかれるようになる。

このような大事故の前には兆候があり、トンネルの壁がはげ落ちるとか、列車の枕木が欠陥品であるとか、実の初歩的なミスが少しづつ目立つようになるのだ。老化の度合いが進むと、もはやこのような巨大事業を支えてゆくこともできなくなる。これが原子炉の暴走だったりするとその結果は悲惨だ。人類全体がその結果を被ることになる。

かつてインカ帝国は、スペイン人によって滅ぼされた。これは老化による滅亡ではないが、侵入者によって無理矢理、今述べたような状態が引き起こされ、今ジャングルに眠る巨大な石造建築の作り方を知る原住民は誰1人としていない。自分たちの祖先がインカ人でありながら、文化の継承は完全に断絶したのだ。同じ事が日本にも起こる。

今まで、日本のおはことされていた、海外への経済進出にも暗雲が漂っている。不景気のせいで、ODA の金額が下げられたことはむしろ望ましいことだが、野心的な投資家が、地球の隅々まで出かけて行く力が次第に失われてきている。

これは若い世代が、すっかり西欧化し、会社の出張や駐在の場所として、ニューヨークやロンドン、パリを歓迎する一方で、へんぴな土地を嫌い、結局最も能力の劣る人が、アジアやアフリカに派遣されるということが起こっている。彼らはそのような人事を「左遷」と呼んでいる。

ところが実際、今は経済的な困難で苦しんでいる、インドシナ半島の国々や、アフリカの東海岸の国々では、次々と中国人を先頭として、意欲的な投資や地域開発に取り組んでいるのだ。今はまだ成果を上げているところは少ないが、将来的には、このような地道な関係が、大きく膨らんでゆくだろうが、日本は、金があっても若い人材がいないから、このような国々との関係においても取り残されてしまうだろう。

老化を防ぐ手だてはないものだろうか。残念ながら歴史の流れに逆らうことはできない。すでに述べたように制度や制作面での改革で手が打てる性質のものではないのである。ある調査によると若者の多くが公務員志望だという。逆に小さいながらもベンチャー企業をはじめたい若者はわざわざマスコミに取り上げられるほど数が少ない。これでは未来像を描くことはとても無理だ。

個人的なレベルでの改革ならば、ただ一つ外国人の導入であろう。かつて日本は帰化人のおかげで大いに国のレベルが上がった。新しい人間が入ってくるということは、別の家庭のしつけが登場することだ。そこで産まれてくる子供たちは、衰えきった家庭生活で育った場合とは違ってくるはずだ。そこに新たな文化にはぐくまれた可能性が開けるかもしれない。

それが無理ならどこかの国の属国になることだ。これも外国人が入って来るという点では同じだが。ローマ帝国は滅びた。だが、そこからイタリア、フランス、スペイン、ポルトガルなどの子供が産まれ、さらに北方のゲルマン民族という新しい人間の導入により、新しい形でよみがえったという歴史を振り返ってみるとよい。

2001年3月初稿2005年1月2007年12月追加

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