文明時評

きつね

ライフスタイルに関わる、偏見と独断に満ちた考察
髪と体の洗い方ー
何リットルで清潔になれるか

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文明の発達は、特に都市住民の水の消費量を驚くほど増大させてきている。年にますます人口が集中する上に、ヒートアイランド現象のために異常に気温が上がり、さらに上下水道の完備と清潔志向が、大きな原因となっている。

日本は年間降雨量が多く、砂漠の国々などに比べれば、はるかに水が豊かに存在すると多くの人が思っているようだ。だが、それは、人口が3千万ぐらいだった明治大正時代の頃の話であって、現在のように1億2千万人を数えている場合には、一人当たりに許される水の消費量が遙かに昔より少なくなっていることに気づいている人は少ない。

アラビアなどは、たしかに雨は降らないが、人口も少ないのだ。これに引き替え、日本の場合は「水に流す」とか「禊ぎ」というように、豊富な水を前提とした生活習慣が変わらず続いているから、誰も渇水によって使用制限が目前に迫るまで、水の消費量を減らそうと考えないのだ。

そのため、福岡のようにもともと降水量が少ない都市はもとより、たくさんのダムを造って備えているはずの東京都でも、毎年給水制限を実施して、台風や梅雨のもたらす大雨を祈るような気持ちで待っている。

そもそも水道料金が安すぎる。将来の水供給の困難を考え合わせ、個人の消費量を抑えるためにも、今の水道料金は「累進」的に上げるべきなのだ。基本的な水の使用は許されるとしても、他の国ではとうてい考えられないような水の使い方がこの国ではまかり通っている。

水はその使用目的を、飲料とそれ以外とに分離すべきなのに、すべての上水道水は飲むことを前提に、徹底的に殺菌して各家庭に供給している。だが実際に胃袋にはいるのはごく僅かで、大部分は車の表面をむなしく流れたり、重たいウンコを押し流すために浪費される。かつてニューヨークで節水が呼びかけられたとき、便器の上にある水タンクに煉瓦を放り込めというアドバイスがあったが、おかげでウンコが流れず逆効果だという話を聞いた。

多くの国々では、そのために上水道のほかに中水道を用意し、ただ流したり洗ったりするためだけに、それほど浄化されていない水を供給しているのだ。日本では上水道と銘打っているのに、殺菌に力を入れるあまり、塩素添加によって、実はトリハロメタンのような発ガン物質を含むなど、中途半端な状態が続いているのだ。

人々が風呂に使う、特に最近ではシャワーに使う水の量が膨大なものになっている。なぜかというと、洗い流すのではなく、単に暖まるためにだけシャワーを浴びる人が多く、その時間は5分も10分にも及び、その総計は何百リットルにもなるからだ。シャワーの水はただちに排水溝へ流れていってしまうので、誰も自分の水消費量の多さに気づかないのだ。

普通の石鹸、シャンプーを流すだけであれば、普通は3分もあれば十分であり、これはタイマーで自動的に止めるか、ブザーが鳴るようにしてしまえば未然に防げる。朝シャンは結構、もし夜に浴びさえしなければ。だが、朝も夜も浴びるとすれば、それは行きすぎた潔癖さでしかなく、心の病気である。それどころか皮膚の表面にいるさまざまな有益な微生物も、皮膚に潤いを与える皮脂もみんな洗い流してしまい、有害この上ない。

風呂桶にお湯を張るというのは、一見多くの水を消費しているようだが、使い方いかんでは決してそうはならない。特に冬期にはこれで体が温まり、皮膚の表面の垢が溶けだして、石鹸で落ちやすくなり、使い終わったお湯は、防火用水やその他の災害に備えて取っておけばよい。

誰でも新車を買うととてつもなく磨き上げたくなるものらしい。だがそのたびに水洗いが必要になる。高度成長期に各地にガソリン・スタンドが乱立したために、膨大な地下水が洗車のために汲み上げれられ、そのために地下水の水位が低下してしまう地域が続出した。車の塗装は、日本のように雨風の激しいところでも十分に耐えうるようにできているのだ。しかも多くの人々は5年ぐらいで買い換える。いちいち水洗いをすることは時間の浪費ではないのか?表面の美しさは、車の性能には何ら影響を及ぼさないのだから。

都会に水洗便所が普及したのは、衛生的だからではない。あまりに多くの人々の屎尿が放出されて、かつての下肥のような使い道がなく、もはや棄てるしか方法がなくなったからだ。その屎尿の輸送方法に、現在の時点では水が最も効率的だからだ。しかしこの「嵩」を異常に増す方法はいずれは廃止しなければならない。500グラムのウンコを押し流すのに、10リットル近くの水が浪費されるのだ。

将来的には、おがくずのような吸水性のある物質に吸収させるか、乾燥装置を用いて、完全に水分を除去し、粉末状にしてしまうなどの対策がとられなければならない。これなら各家庭で始末ができ、食品から出る生ゴミと共に、その処理のために巨大な下水網を作らずに済むのだ。

洗濯機が消費する水は、誰も見ていないだけに、これも恐るべき量が浪費されている。特に大した汚れでもないのに、洗剤は規則正しく投入されるから、そのすすぎのために必ず一定量の水は必要になる。これが最近開発された超音波などによる洗濯方法に代われば、水の量ははるかに少なくて済むだろう。全自動がおおかたの家庭に普及しているから、これは家電メーカーの責任である。

日本人が米を食べるときに、「とぐ」という動作は欠かせないが、あれによって生じる白く濁った水はどこへ行くのか?ひととき植木に撒けば栄養になってよいという説も出たが、発酵分解もしていない液をやたらにかけても根草れを起こすだけだ。幸いなことに、旨味はそのままにヌカだけを除去してある「無洗米」というものが実用化された。将来はこれによって大量の水の節約ができる。どの家庭でも偏見や深く根付いた習慣を棄てて、これに切り替えてくれればの話だが。

今まで日本では自動食器洗い機が普及しなかった。大家族で、さまざまなおかずが小鉢に盛られるような生活様式ならば、当然需要があったはずなのだが、その愛用者はなかなか増えない。一つには水と電力を、たかが食器を洗うために使うことにためらいがあったらしい。シャワーはざーざー浴びていても。

だが、実際に使ってみると、手洗いの方が、無駄に水を消費していることが多い。なぜなら洗剤を使ってから、それが食器に残らないように、必要以上にすすぎを徹底するからなのだ。もちろん単身生活者ならいらないだろうが、少なくとも家族構成が4人以上になるならば、断然食器洗い機の方が節約がきく。しかもたいてい10年はもつ。

庭のある人は、水撒きは、中水道ができるまでは止めたほうがよい。日本の気候で、水撒きをしなければ枯れてしまうような干ばつはまずない。植木鉢ならともかく、土に根を張っている以上は、たいていの植物が日本の湿度の多い気候では耐え抜けるはずである。むしろ甘やかして、耐乾性が落ち、根草れを起こすケースが少なくないのだ。

こうやってみると、個人が水の消費に気をつけるべき点は非常に多いといえる。いざとなれば、ペットボトルの水だけでも生きていけるのだから、それ以外の水の消費は、努めて避けるべきだ。世界には、バケツ一杯の水を汲むために5キロもの山道を歩かなければならない人々が大勢いるのだ。

そして、現在の日本での快適な水消費のもとになっているのが、山を切り崩し、谷を埋めて作った無数のダムだということを忘れてはならない。ダムが、川をせき止め、その生態系を破壊していることは周知の通りだ。もし全体の水の消費がこれほどにならなければ、これほど多くのダムを造らずに済んだのだ。これは人々の電力消費の飽くなき欲望が、現在の50着物原子力発電所を作るもとになったのと同じなのだ。

2001年8月初稿

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