アメリカ文明の凋落ライフスタイルに関わる、偏見と独断に満ちた考察 HOME > Think for yourself > 文明時評 > アメリカ文明 |
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9月11日にニューヨークとワシントンでの同時テロが起こって、4ヶ月以上がたつ。もはや、アメリカ合衆国はかつての姿ではなくなり、まったく新しく見えてきた方向に向かって歩み始めたように思われる。 それも長い間に割って続いてきた経済繁栄の終わりでもなく、ITブームの終了でもなく、もっと長期的な展望にたった歴史の流れの行き着く先が見えてきたようなのだ。 なるほど、アメリカは冷戦の終了以来、ロシアは困窮し、ヨーロッパはまとまらず、日本は致命的な構造欠陥のおかげで、ほかに目立ったライバルもなく、一人勝ちの様相をますます続けてきた。しかもクリントン大統領が任期を終えたときまで続いた、史上最長の経済繁栄が、この国の国民に、今までにない大きな自信を与えてきたことは確かだ。 ブッシュ大統領が選ばれて、(ゴア大統領だとしても大差はないが)その選挙基盤が右よりなことから、京都議定書への不参加、アラスカの原油掘削許可、ミサイル開発の推進など、むき出しの大国的態度がいっそう顕著になってきた。 今までの歴史にもまったく同様な兆候が見られたから、このことは別に驚くべきことではない。ローマ帝国も、ジンギス・カンの王国も、ペルシャ帝国も、いずれもその最盛期には、同じような外交姿勢をとってきたのだ。そしてその次の段階として、それぞれの大国は、次々と衰退への道をたどり始める。その原因は、必ずしも外部の敵によって滅んだのではなく、内部抗争が崩壊の速度を速めて例がほとんどだと言っていいだろう。 いずれの大国にも当時、それに匹敵するようなライバルが存在しなかった、というよりも周りが貧しすぎたのである。この状況は現在にも当てはまる。グローバリズムが広がったというけれども、過去の帝国においても、交易を通じての人間の活動範囲を考える限り、ほとんどグローバルな状態といってよかった。その外側には、原始的生活を営む人々しかいなかかったからである。 現代アメリカの最大の問題は、2つある。一つは誰でもが口にするように、資源の収奪である。1人のアメリカ人が6人のインド人に当たるカロリーと摂取しているという数字がこれを雄弁に物語っている。アメリカが食料とエネルギーの大部分を吸い取っているおかげで、残りの大部分の人々がそのとばっちりを受けている。 なおも悪いことにそのギャップは年々広がる一方なのだ。しかもチャリティによって救われる部分はほんの一部にすぎない。ある有名な運動靴メーカーが開発途上国で児童労働によって安上がりに生産していたとか、あるコーヒーの会社が貧しくて母乳しか与えられないような国に人工乳を売り込んだという露骨な商行為の話は、氷山の一角にすぎない。 最近も、将来の水不足を予想して、カナダなどの淡水の豊かな地方の水利権を押さえ、莫大な利益を得ようとする「ビジネス」がさっそく準備に乗り出している。このようなことが世界各地で行われている限り、テロの可能性は増すばかりだ。 現代アメリカの最大の問題のもう一つは、技術偏重である。医学、工業、農業、生活に関わるすべての面にわたって、テクノロジーが、最大の救世主としてあがめられている。 アメリカの乾燥した中西部の農業を維持するために、地下に埋蔵されている地下水を途方もなく汲み上げて灌漑する、病虫害を防ぐために、遺伝子をいじって都合のよい性質を備えさせる、健康を維持するため、快適な生活を維持するため、ありとあらゆる薬を飲んで生活する、などと人間の生活の利便性を追求するための技術万能となっている。科学研究は、自然の謎を解き明かす基礎研究より、より利潤を生む応用技術の開発をした者に、高額の報酬が支払われるのだから無理もない。 そして、アジアアフリカなどの開発途上国の人々は、アメリカの持つ資本が高度なテクノロジーを、グローバリズムの名の下に自分たちの生活を「便利」にしてくれるのを見て大いに感銘を受け、尊敬さえした。 アメリカの文化が、商品が魅力的で世界中に広まるのは、技術革新の極致を行くからである。貧しさにあえぐ人々に、豊かな生活の「夢」を見せる。そしてそこには同様に緻密な計算に基づくマーケット・リサーチが存在する。人々の欲望が複雑な形をした穴だとすると、アメリカの企業が提供するのは、その穴にぴったりはまる商品なのだ。人々は抵抗することなく、それまでの生活様式を捨ててアメリカ式に乗り換えてゆく。 だが、この技術万能主義にもきわめて大きな危険性が待っている。それは9月のテロでも明らかになったように、アメリカの傲慢さにいち早く気づき、その消滅を願う人々が増えてきただけではない。あまりにも技術に依存してしまっているために、何らかの原因でその生活様式を維持できなくなったときの崩壊の大きさが危惧される。 その典型的な例は、1970年代のいわゆる「石油危機」にあった。中東におけるイスラエル寄りの政策に怒ったアラブ諸国が一斉に石油の輸出を制限したために、先進国は深刻な経済不安に陥った。石油依存が、いったん崩れると車も工場も明日からの暖房もいっさいだめになることを教えてくれたのである。 その後、教訓を学んだアメリカやヨーロッパ諸国は石油への中東依存を改めたため、現在において同じような危機の再来は考えにくいが、何らかの大規模な自然災害、テロ、偶発的な事故によって、このテクノロジーによって支えられた世界が、天井から崩れることは大いに考えられるようになった。 そのような大規模な崩壊自体においては、いかに効率的な政府や経済体制であっても、回復することはほとんど不可能な場合もある。むしろアフガニスタンやサハラ砂漠のようにもともと不毛な地帯の方が、そのような激変に比較的耐えることができるかもしれない。 現在の典型的なアメリカ人は、暖房はセントラルヒーティングがふつうで、ガソリンをがぶ飲みする車で長距離を通勤し、大部分の人が肥満気味か、完全な肥満で、農薬、肥料、灌漑に多量のエネルギーを要する農業によって生産され、長距離を運ばれてきたものを食べて暮らしている。 彼らの生活が維持できなくなるとき、やせてダイエット効果が期待できるような状態ですむことはないだろう。これまでアメリカの主要輸出産業であった、農産物はこの日からぱったりと各国へ輸出されることはなくなり、安いアメリカ産の農産物に頼っているために、自国では作付けされなくなっていた必須の穀物が世界的に極端な不足を招くことになる。これが、すでに広範囲の飢餓を引き起こしていた地域では、さらに悲惨な状況が出現するが、アメリカが、自国民が空腹なのに他国へ輸出や援助をするはずがない。 それまでアメリカの生産する食料に頼り、自国の工業製品をアメリカに売り込むことでしのいできた国々は一挙に足下をすくわれ、ほとんど壊滅状態となる。アメリカも傾くが、それに依存してきた国々はもっとひどい打撃を被ることになる。 各国での反米闘争が頻発するようになるかもしれない。各国に進出していたアメリカ企業は次々と焼き討ちをうけ、企業は撤退をやむなくされるが、借金が反古にされたり、アメリカ人の生命が危険にさらされることがあれば、アメリカ軍の出動も考えられる。 今回のアフガニスタン攻撃でも、湾岸戦争後に生産しすぎた武器の「棚卸し」の絶好のチャンスだという意見もあるくらいで、各国の反米的活動が激化すれば、いよいよ様々な国に、ミサイルの「実地試験」を行うことも考えられる。 テロで、初の国内被害を受けたアメリカだが、実はその建国以来、敵国への非戦闘員の殺傷は、日常茶飯事となっている。その最大の例は広島と長崎への原爆投下だが、日本は不思議なことに、これに対して天災を受けたかのように悲しむことはあっても、大きな怒りを表したことがない。朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも、湾岸戦争でも、市民は数限りなく殺された。 アメリカはいざとなれば、自分たちの権益が脅かされれば、どんな行動もいとわないことは歴史が証明しているし、ニクソン大統領が口にした、有名な「サイレント・マジョリティ」は常に、政府の方針を支持している(もちろん、反対するごく少数の人々がいることを書き忘れるわけにはいかないが)。アメリカの、特に白人の権益や自由はしっかりと守られる。ただし、いったんアメリカ国外にでれば、民主主義の理念も霧散するのが現実なのだ。 このような事態は数年先のような近い展望では起こりにくいが、もし今世紀注に起こったとすれば、22世紀にアメリカ合衆国が存在しているかどうかは疑わしい。 アメリカは建国以来、200年を越えている。20世紀に入っての人類全体の変化の早さを考慮に入れると、もはや若い国ではない。移民の流入は社会の流動性を増してはいるが、安定性には貢献していないし、むしろ技術依存をますます高める方向に向かわせるだけだ。すでにこの大国のピークは過ぎているので、崩壊、分裂への道は始まっているといえよう。 かつての歴史が物語っているように、大帝国は維持が難しいのだ。すべての大帝国は滅んだ。そのあと、弱小国が無数にできた。オランダやタイぐらいの人口と国力が、もっとも長続きしやすいはずだが、人間の野望や統一への欲望は、いつまでたっても捨てられないものらしい。人々は映画、「猿の惑星」の最後のシーン、つまり自由の女神の上半身や、たいまつをかかげた手が、海岸の砂に埋もれている光景を忘れないでほしいものだ。
2001年12月初稿・2002年7月増補 HOME > Think for yourself > 文明時評 > アメリカ文明 © Champong |