文明時評

きつね

ライフスタイルに関わる、偏見と独断に満ちた考察
袋小路に来た現代女性

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昔、少年向けの未来小説を読んでいると、25世紀あたりの男と女はその区別が消滅し、ユニセックスとなると描かれていた。子供は、人工授精で厳重な管理のもとに「生産」され、子育ては専門家が行うから心配ないとのこと。

こんなSFの世界も、21世紀に入れば、少しずつ現実の問題として人々の生活に影響を及ぼしてくることになる。特に、女性の立場とその暮らしぶりは、第2次世界大戦後、いわゆる先進工業国における都市部では、急激な変化を遂げてきた。

その変化は一言でいって、今までになくめでたいものであった。世界中どこの国を見回しても、女性が社会的に低い位置に置かれ、屈従と差別に苦しんできたことは、今更ここで詳細に解説する必要がない。それが想像もつかないほど改善された。

イギリスに始まる参政権の運動、サンガー夫人の家族計画の主張がすっかり当たり前の社会風潮になってしまってから、もう50年を越える歳月が流れている。その間に、女性は家庭を出て、社会に進出し、能力のあるものは、他の人々の上に立ちリーダーシップを発揮し、一般家庭では、その働きぶりのおかげで、収入が以前に比べて倍加した。もっとも夫婦の収入が合算されなければ、一戸建ての家を買うことはできないという具合に、むしろ相対的に貧しくなってきた面もあるが。

しかし、家庭や家という束縛から解放された女性には、今重大な局面にある。それは、経済的なことでもなく、政治的な権力の問題でもない。それは、生物としての生き方の問題である。

かつて、女性は屈従した社会的階層に閉じこめられ、自由をまったく得られない、二流市民であった。が同時に、男との駆け引きにおいては、十分に安定した、伝統的行動基準を利用して、いずれもが結婚、出産、家庭の構築という、社会にしっかりと承認された道を歩むことができた。

ところが今になって、女性が「解放」されたおかげで、これまでの規律や規範が消え失せ、制約がなくなったものの、それに代わる価値のある行動規範が、がむしゃらに働いたり、能力を生かすこと以外に、どこにも見あたらなくなっている。いわば、足かせが消えたと同時に、しっかりとした大地も失われたわけだ。

かつて、「しなを作る」「媚びる」「首を傾げる」などは、女性特有のジェスチャーとして受け入れられてきた。従属的な地位にあった以上、そのような振る舞いは何ら不自然なことではなく、人々に受け入れられてきた。だが、現在では、これらの言葉は禁句である。放送禁止用語にもなりかねない。これは、せっかくこれまで築いた女性の立場を揺るがすどころか、過去へ引き戻してしまいかねない。

これらの言葉が、現代ではネガティブな意味合いを強く持ってしまうようになったのは、いたしかたないことなのだ。だが、日本の場合だと、女性の言葉遣いを聞いていると、「いやだー」」「きゃー」「ねぇー」という、幼児語が頻繁に飛び出す。

心理学の教えるところによると、「かわいさ」は、幼児の持つ大きな目、胴体に比べて大きな頭部、いかにもかわいくなるようなよちよちした幼児的しぐさ、幼児的言葉遣いなどが、人々の心の中に、かかる反応を引き起こすからだという。

だとすれば、女性が、今まで「甘え」たり、幼児のような言葉遣いをしてきたのは、「かわいさ」を演出するためであり、これが男の気を引いて、無事目的達成にもってゆく強力な武器だったためだ。

だが、女性が社会的進出をすると、「大人」になることが要求され、特に指導的立場に立つ人々は、幼児的振る舞いをすることは許されない。一般の女性たちも、職業を選んだ以上、アフター・ファイブでない限りは、思いっきり幼児的退行を人目にさらすわけにはいかないだろう。

最近の女性の成熟が遅くなったのはそのせいであると思われる。なるべく、幼児でいる機関を引き延ばし、しんどい大人の役割をできるだけ後回しにしたい。最初から現代文明のまっただ中に生まれた若い世代は特にそう感じている。実は、女性が大人の役割をするのは、生物学的に言えば、不自然な現象なのだ。

あまりに大人になってしまうことは、男性を引きつける機会を少なくする(もちろんそういうタイプだけを好む男性もいるが)。これは、古来から自然が授けた行動様式とはあまりに違い、本来とは違った行動を演出しなければならない女性自身に大きなストレスを与えることも大いにあろう。

女性が、自然に、子孫を残すという大役を与えられた存在であるとすれば、その乳房は、男性には性器を連想させ、乳児には大切な栄養源を提供するという、明確な目的があったために、これまで何の問題もなく女性は生きてきた。しかも家事労働の厳しさが、ほかの選択肢を考えるゆとりを与えなかった。

ところが、人工授精が可能になり、少子化への傾向が大きくなるに連れて、せっかく自然の用意した大いなる機能は、使われずに放置されることになった。これは、女性としての存在自体に大きな負担を与えることになっている。現代文明によって選び取った今の立場と、永劫の昔から自然によって備わった機能とのあまりに大きな違い。これが、現代女性の置かれている宙ぶらりんな立場なのである。

ここには、原始人に戻るか、タリバン女性のように徹底的な屈従的位置に置かれるか、のような極端な場合にならない限り、戻り道はない。現代文明は、今日に至るまで人類に徹底的な「自己家畜化」を押し進めてきたが、今ここに来て、自然の発明した見事な多様化発生装置、「性」が今存続の危機に立たされようとしている。

2002年6月初稿

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