文明時評

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きつね

テロリストとはどこの何者か?

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誰がテロリストと名付けたか

同時多発テロが起こったとき、ブッシュ大統領は、世界貿易センタービルを爆破した犯人たちをテロリストと呼んだ。国民も全世界の人々もその呼び名に納得した。実態と名前が一致していたからである。

その後アメリカ政府は、二度と国内でこのような事件が起こらないようにと全力を尽くした。世界中からテロリストを殲滅するという声明を出し、実際にそのために軍や警察、行政の機構を変革した。

このブッシュの方針はテロの恐怖におびえる国民に熱狂的に受け入れられ、大統領の支持率は高く保たれ、大勢の人々がテロ対策のために協力を申し出た。このように、テロリストという呼び名と、それが意味するものが現実に起こった事件によってはっきり人々の前に表されているときには、物事は問題なく進む。

このあと、アメリカ政府はアル・カーイダがテロリスト集団であると断定し、そのメンバーが同時多発テロに関わったことを明らかにした。また彼らが、アフガニスタンで当時政府を担当していたタリバンがかくまっていたことも明らかになった。

テロリストをかくまっている集団もまた、テロリストであるという論理である。同時テロが起こってからまだ日が浅く、これもアメリカ国民にも世界中の人々にかなりすんなり受け入れられた。実際に考えてみると、アメリカから何万キロも離れてかくまっているのと実際にテロを起こすのとはだいぶ違うはずなのだが、そこまで追求する人はそれほど多くなかった。

かくしてアメリカはアフガニスタンに攻撃をしかけ、その圧倒的な軍事力を背景に、山岳地帯に凄むタリバンとアル・カーイダを、大部分掃討した。当時アメリカでもこのような海外遠征に反対した人はいたが、それは実に少数派に過ぎない。彼らは、十字軍の熱狂に似た雰囲気の中でバカにされ脅迫を受けただけである。(彼らは、ブッシュが2004年大統領選挙を前にして支持率を急速に下げていることを今どう思っていることだろう・・・)

アフガニスタンにおけるタリバンも、アル・カーイダもその勢力は著しく弱められたが、消滅したわけではない。特にタリバンは、テロリストをかくまったと名指しされたが、彼らの本業は、アフガニスタンにおけるイスラム政権の維持であって、別にアメリカ攻撃のために国造りをしていたわけではない。従ってテロリストといわれるゆえんはどこにもないのである。

しかし今では、自分の国が外国軍隊によって蹂躙されたという意識から、少なからぬアフガニスタンの人々がアメリカの実質的占領に立ち向かっている。しかし、これはサボタージュであって、祖国の土地を守るレジスタンスである。第2次世界大戦中ドイツに占領されたフランスではレジスタンスが至るところで活動したが、彼らをテロリストと呼ぶ人はいない。どんな理由であれ、自分たちの国が他国軍隊に侵入されたらそれを追い返すのは、日本国憲法でも認められている当然のことだ。

さて、ブッシュは次にイラクに目を向けた。というのは、(誤った情報によることが後日わかったが)イラクには大量破壊兵器が隠されているという名目である。これはたとえ本当だとしても、その国に侵入することは国際法上許されることではない。実際に隣国を攻撃している場合はともかく、単に保有しているだけだとすれば、日本を除く先進国はみな大量破壊兵器を所有しているから、これはあからさまな強者の論理がまかり通ることになる。

強者の論理は、一方的だから、世界の他の部分の人々が納得するはずがない。核兵器を秘密裏に開発することが大変悪いことのようにまことしやかに言われているが、大国の論理矛盾を無視したままで、核拡散を叫んでもまったく無意味なのだ。どの国もアメリカの一国主義でみんなが幸福になるなんて信じていない。

ところで、ブッシュはイラクに一方的最後通告を行って侵入を開始した。もちろん国連の合意を得ていないこともとんでもない違法行為である。次に口にしたことは、イラクがアル・カーイダとつながりがあるらしいという発言である。つまりイラクもテロリストだというわけだ。

しかし、タリバンのように訓練場を提供したり、積極的にかくまったという証拠さえない。だが、ただひとこと、テロリストという言葉を使えば、ころりとブッシュを信じた人々が多かったことも事実だ。実際イラク侵入の頃のアメリカでもイギリスでもその他の親米諸国でも、侵入に対する世論は相当好意的であった。

かつてヒットラーが小さなウソで人をだますことは難しいが、大きなウソで人をだますのは簡単だといった。まさにそのことがここでも生きているのである。そしてそのマジック・ワードは「テロリスト」である。「こいつらはテロリストだ!」と叫べば、殺す口実がすぐできる。

20世紀の後半では「共産主義」「アカ」がマジック・ワードだった。これらのラベルをつければ殺しても何しても許されるのである。その典型がベトナム戦争であるが、この苦い経験もアメリカ人の大部分にとって少しも歴史の教訓になっていない。

ここにおいて一般の人々の、単語の意味に関するとらえ方のいいかげんさが、結局命取りとなり、歴史が再び侵略や暴虐へ進んでもそれを止めることができなかったもう一つの例を提供してしまった。

これまでの復習をしてみよう。まずテロリストというのは、同時多発テロの時には、まったく文字通りのことを表していた。ほとんどの人々がその意味を正確に受け取り、それをもとに政府が対策をとることに賛成していた。ところがアフガニスタンに侵入したとき、タリバンも強引にテロリストと言うことになったが、同時テロの余韻がそれをまだ多くの人々に納得させた。

しかしイラクに侵入した際に、アメリカ政府がイラクのフセイン政権をテロリストと呼ぶとき、そこにどうしても隠しきれない無理が生じてきたのである。ここでテロリストの呼び名についてのおかしい点がようやく人々の間に意識され始めた。だが人々の反応は鈍かったと言ってよい。

アメリカ兵の戦死者が日毎に増え、イラクの治安が一向に落ち着くことなく、ついに大量破壊兵器の存在の証拠がないことが明らかになると、ようやく人々は重い腰を上げてこのイラク侵略は何だったのかを考え始めたのである。

政治家は、スローガンを掲げて進む。これは今も昔も変わらない。だがそれを聞かされる人々の側に注意力が足りないと、そのスローガンが正しいという意識を持ち続けてそれを検証することがない。スローガンが本来の意味を相当離れてもうおそすぎる段階にまで進まないと、その政策の過ちがはっきりと指弾されることはないのだ。世の中には、政権を握る連中はすべてマフィアと同じだと割り切る人々がいるが、そのような見方の方がよっぽど健全だといえる。

「テロリスト」以外にも思い当たる言葉がある。アメリカ政府がどこかの政府を倒したときの決まり文句、「我々は自由をもたらしたのだ」「我々は民主主義をこの国の人々に根付かせた」である。民主主義と自由という言葉の大安売りが、意外と傍観者には快く響き、これでこれらの国々は安泰だ、アメリカと同じように進歩的な国に変容するのだと素朴にも信じてしまう。

我々は歴史から学ばなければならない。政治家の使う言葉は辞書の定義と違って、実にお粗末なものであり気まぐれで流動性があり、それに従っていたら、知らぬ間にとんでもない方向に連れて行かれるのだと言うことを。

2004年2月初稿

テロとの戦争は必ず負ける

同時テロから丸3年。この間、テロの件数は激増し、各地での戦争は激化している。そもそもなぜ同時テロが起きたのか。湾岸戦争の際にサウジアラビアに駐留したことが、アラブの人々のプライドも何もかも蹂躙したことに思いが至ることはない。アメリカ人は単に被害者としての感覚しか持たないようだ。彼らには「虐げられた民族」の苦しみがまったく分かっていない。

また、彼らは技術万能主義だから、原爆やナパーム弾による攻撃は単に「効率的」だとしか見ない。テロに対する戦いも単にテロリストを殺すことだけしか目的ではない。各地で起きたアメリカ兵による無数の虐殺事件を見よ。これが上からの指示によらないとしたら一体誰が行うのか。

まもなく大統領選挙(2004年11月)が始まる。ブッシュはあいも変わらず「テロとの戦争」を声高に叫び続ける。国民の注意を引きつけるために、時々テロの危険が「差し迫っている」という警告を意図的に流す。アメリカ国民は現代の国際政治を詳細に分析するほど賢くない。テレビ漬けによる衆愚化が進んでいるだけだ。彼らに一体どのような指導者が選べるというのか。

テロとの戦争は決して終わらない。決して勝利はない。なぜならいくら殺しても殺しても虐げられたものの怒りは次々と広がっていくばかりだからだ。エセ民主主義の押しつけ、貧富の差の拡大、大企業による搾取、軍事力による脅し、分離独立派に対する容赦のない弾圧、とテロリストたちの「大義」は数限りなく存在する。

アメリカのやっていることは、より殺戮能力のあるヘリコプターを開発することだけ。たとえ国際協調を重視する大統領が現れても、その政策は占拠に献金をした大企業の圧力で簡単に変えられてしまう。このまま行けばアメリカはその滅ぶ日まで、つねにテロの脅威にさらされるであろうしテロ防止のためにそのせっかく築いてきた民主主義の伝統も完全に消滅することになろう。

そもそもテロリストというのは特別な信条を持っているグループを指す者ではない。単に戦略の一面にすぎない。相手を倒すのに原爆を使うか、ナパームを使うか、ピストルを使うか、プラスチック爆弾を使うかの違いにすぎないのだ。

歴史上の革命、占領下の蜂起、独裁者の暗殺、いずれもテロリズムである。原爆の使用が戦争を終わらせるための正当な手段だというなら、テロリズムも相手の体制を崩すための正当な手段だといえる。だとすればそこには正義であるとか、正統という言葉はなく、単に勢力争いにすぎないのだ。

ブッシュの戦略は、これまでの共産主義や全体主義に代わるものとして、テロリストという「敵」を作り上げているわけだが、その本音はイスラム教をつぶすというねらいや中東にある石油を自分たちの管理下に起きたいというねらいが隠されているにすぎないことを忘れるべきではない。

残念ながらテロリズムは、大きな戦力でつぶせるものではない。そんなことはベトナム戦争におけるベトコンに敗北した経験によって分かっているはずなのだが、アメリカはその愚にまだ気づかないでいる。

テロリストは殺せば殺すほど、ますます大きな憎悪をよび、次から次へと民衆の間からわいてくる。大きな戦いがあればかえってそれは若者の血気をたきつけることになり、テロリスト集団への志願者が増大するだけなのだ。かくしてテロリストとの戦いは終わりがない。500年でも1000年でも続くのだ。

テロとの戦いを終了させるには、相手を消滅させるのではなく、テロリストの原因、つまり虐殺、悲惨、貧困、格差、支配をやめることだ。革命が実現したことでテロリストが消滅したこともあった。

こうしてみると、テロリストの攻撃を受けるアメリカをはじめとする大国がまず自らの姿を省みてその悪を認めない限り、決して解決はないのだ。

2004年9月30日初稿

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