文明時評

ライフスタイルに関わる、偏見と独断に満ちた考察

きつね

精神の自由が危機に瀕している

HOME > Think for yourself > 文明時評 > 精神の自由

皆さんは未来世界に対してどのようなイメージを持っていますか?宇宙植民地?働かなくてもよい世界?燃料電池のような優れた技術が実用化された世界?不死の人生?機械化人間?

そんな楽観論だらけの技術的な問題より、人間の最も人間らしいこと、「精神の自由」について心配ではないですか?(大多数の人々は心配ではないでしょうね)過去の作家の中にはそのことについていろいろ考え、それを小説やさらにそれを映画で表現した人々がいました。

人間がこれからも「にんげん」であり続けるためには自由にものを考え、その一部を実行に移せるような世界でなければなりません。もしそれが不可能ならどうしてこの世に生きている価値がありましょうか。欲望の充足だけが目的ならそれは生きる屍です。そんなことは古今の偉い人が言っていました。

今の時代は技術の進歩が同時に「管理社会」「監視社会」を生みだし、次第に息苦しい空間を作っています。(そのようにまったく感じない人はここで読むのをやめてください)人間がにんげんらしく生きるには、実は広い空間と汚されていない自然環境が必要なのですが、これは次第に実現がむずかしくなっています。

現に、子供たちの一部には自然環境に触れたこともなければ、自分が自由にものを考えるのはどういうことなのかをまったく知らずに生きている者もいます。恐ろしい状況ですが、当人にとっては別にどうということもありません。比較するべきものがなく何も感じないのですから。

皆さんの中で、自分の置かれた立場、自分が自分の思うとおりに生きているのか、誰かにコントロールされているということはないのか、といった問題に気になる人は、下記に示した「小説」を一読されることをおすすめします。「洗脳」などは、過去の共産主義国の遺物だと一蹴する人もいるでしょう。でも実はそうではなく、人類の歴史は、個人へのコントロールの繰り返しであったのです。

  • 1987年
  • すばらしき新世界
  • 動物農場
  • パパラギ
  • 茶色い朝
  • 華氏452度

そして今、技術の進歩によってどんなことでも可能になりそうです。新宿の繁華街に監視カメラをつけて、犯罪が大いに減ったそうです。それ自体は結構ですが、このことが他の分野へ「応用」されていくことでしょう。いずれはあなたの部屋にもカメラが取り付けられることになるかも。すでに盗聴器は一般に普及しています。

アメリカでは「同時テロ」以来、監視社会が一層高度になり、アメリカに入国するときはあなたの瞳の中や血液型、諮問、何でも可能なものはすべてお構いなく記録されていきます。もはや「個人情報の守秘」などは死語になる世界に突入したのです。

テレビ、コマーシャル、その他自分に入ってくる情報が実は個人の行動を変えようとする綿密な計画に基づいて作られているのだ、といっても多くの人はそりゃ「被害妄想」だぜと一笑に付すことでしょう。それはそれで結構ですが、上に紹介した本の中で「華氏451度」のように、そのような問題にまじめに取り組んでいる人もいます。

かつて冷戦時代にはソ連での強制収容所や精神病院に送られた人々の多くが政治的に政府から有害だとみなされる分子だったことは記憶に新しい。ソルジェニツィンの「イワン・ソルジーニッチの一日」や「収容所列島」にそのことが克明に記録されています。現代では例えばキューバのグアンタナモ収容所です。

ソ連邦は崩壊したが、代わって現れたのがアメリカ帝国。この国ではもともと「非アメリカ的」考えを排斥する傾向が非常の強かった。これは「反大企業」「社会主義」「共産主義」というものに対するヒステリックな態度としてアメリカの歴史全体を通じて流れています。

チャップリンがアメリカを追われたのもそうでした。ジョン・レノンが暗殺されたのも、彼の若者に及ぼす戦争反対、平和運動志向、環境志向などの影響を恐れた政府が仕組んだのだといううわさが絶えません(「ジョン・レノンはなぜ殺されたか」)。一方で経済的に貧しい人々には「アメリカン・ドリーム」というようなありもしないものを宣伝して貧富の増大に貢献してきました。

そしてあのおぞましい「非米国委員会」と「マッカーシー旋風」の地獄。御用組合以外の労働運動に対する徹底的弾圧。戦後の日本占領時の「レッド・パージ」など、アメリカが民主主義国とはかけ離れた存在であることを見事に証明する事件に枚挙のいとまがありません。

アメリカにおける自由とは「物質的欲求」を追求する自由だけであって、精神の自由を求めたければ荒野のど真ん中に行くしかありません。なるほどワシントンやジェファーソンは民主主義国家を作るためにどうしたらいいのかを一生懸命考えましたが、すべての元祖がそうであるように、後世の人々はそれをねじ曲げ、まったく別のものに変えてしまうのです。

ここで日本の場合と違うのはその管理の仕方が「組織的」「技術的」監視であることです。つまり法制度や最新技術によって反社会的だと見なすものを押さえつけようという考えです。日本の場合ですと、「慣習的」「伝統的」「心理的」監視の側面が強い。つまり目に見えない形でじわじわと個人を型にはめて行くやり方です。こちらの方が陰湿ですが、システム的には大きな力を持つことはありません。しかし学校教育における規制の多さ、若者や勤労者の集団自殺の頻発を見ると分かるように、個人ががんじがらめになっていることは明らかです。

しかしグローバル化の進展と共に、日本でもアメリカ式の管理が次第に取り入れられるようになりました。これに高度な電子機器の発展が手を貸して、未曾有の事態に発展していきます。証明書の写真をはがして自分の写真を貼り付けてみたり、峠を徒歩で越えて国境の外に出るというような素朴な行動の余地はますます少なくなりつつあります。

どこまで監視体制を強めるのかは人々が決めるはずのものですが、人々の判断力は甘く、「同時テロ」のような大事件が起こると、人々は感情面で防御的になるので一斉に監視体制に対して賛成の意思を表します。為政者は決してそのチャンスを逃しません。自分の支配力が一挙に強まるのです。

監視体制の強化が法制化された後ではそれを後戻りさせることは、その国が崩壊しない限りほとんど不可能に近い。例えば今アメリカや世界各国で施行された、いわゆる「テロ防止法」が将来的に見て、たとえテロの危険が減ったとて緩やかに改められる可能性があるでしょうか?

人々が賢い、慎重な選択ができればいいのですが、歴史上そのような例はあったためしはありません。人民より、支配者の方がはるかに悪賢く、将棋で言えば名人とルールを習いたての初心者が対戦するようなもので、赤ん坊の手をねじるようにやられてしまうからです。

そのことは素人の大衆のみならず、ベテランであるはずの報道界の記者たちでさえあてはまります。なぜニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストの記者が、ブッシュの「大量破壊兵器論」にやすやすと騙されたのでしょうか?今もって信じられないことです。

その原因は何でしょうか。単に馬鹿だった、恐ろしい圧力をかけられていた、金で買収されていた。いずれにしてもジャーナリストとしておぞましい事態でありますが大株主による新聞の寡占化が進むこととも関係がありそうです。(上記の両社ともアメリカ全国の新聞社や放送局を大規模に支配している)

彼らはすでにベトナム戦争やニクソン大統領のスキャンダルで百戦錬磨のはずでした。少なくとも過去に苦い経験の教訓は新聞社内でも十分に伝わっていたはずなのですが。しかし事前に疑いを持つことができませんでした。この通り政治の第1戦に接している人々でさえ判断力を失ってしまう。

作家たちや評論家たちのなかには「陰謀論」や「謀略論」をぶちあげるのが大好きな人もいます。しかし彼らの論はすべて「事後」の話ばかり。差し迫った危機を的確でなくてもいいから、少なくとも疑問を呈するだけの予見力とそして最も大切なもの、「勇気」があればいいのですが。

事態は急を要しています。これ以上技術的進歩が進むと、普通の人々にはまったく手のつけられない監視、管理体制が整ってしまうでしょう。特に今後「同時テロ」のような大事件が起こったときはその事件そのものよりも、それによってパニックを起こした人々が一気に集中的に人々の自由を奪うのだということを忘れてはいけないことです。

2004年2月初稿

HOME > Think for yourself > 文明時評 > 精神の自由

© Champong

inserted by FC2 system