文明時評

きつね

安売りは消費者にとって得か?

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「価格破壊」という言葉がもてはやされるようになってからだいぶたつ。それどころか経済に関係する人々は「デフレ」を心配してそれどころではないと言っている。インフレが現代の経済において最も恐れられているが、価格が下がるということはそんなにいいことなのだろうか?

われわれが毎日買っている食料品などは、どうしてもなしで済ませることができないから、その価格が下がってくれれば、給料のほうはそんなに変わらないのだから、大いに歓迎される。

自由経済の信奉者たちはこのようにわれわれが毎日買うものの値段が下がることは結構なことだと言っており、それをますます押し進めるために多く方法を採ってきた。

その第1は海外からの輸入である。同じ製品なら、人件費をはじめとする製造・生産コストの最も低い国から輸入するのがよいのだと。おかげで日用雑貨品は日本でもヨーロッパでも、アメリカ合衆国でも中国や台湾、韓国の製品がほとんどを占めてしまった。

そして日本の八百屋の店先にはたとえばメキシコから運び入れたカボチャが並んでいる。あの遥かな国から運送費をかけてもにほんのカボチャの方が高いというわけだ。人々は夕飯の材料を買うとき、二つの値札の間に大きな価格差があれば自然に安い方を選んでしまうだろう。

このタイプの価格差は主として為替相場の差によるものだ。将来メキシコや中国がもっと経済成長を遂げて労働者の賃金が上昇すれば、このうまみはなくなる。もっと安い国を世界中に探さなければならなくなるし、世界経済のレベルが均質化に向かえば最後にはわざわざ運んでくる意味はなくなる。

したがって輸入品による安さは一時的なものであり、牛肉の汚染問題でもわかるとおり、他国の内情に立ち入って製品管理をすることは大変難しい。もし相手方が悪くても裁判で勝利を勝ち取る可能性も非常に薄い。

このように海外からの輸入によるメリットは非常に疑問がある。にもかかわらず世界の趨勢は、貿易の自由化に反対する者はまるで犯罪者とは言わないまでも異端者であるかのような風潮が蔓延している。だが、これは実におかしいことで、これは輸出する人間たちの利害がおおっぴらに主張されているだけで、何ら正当性はない。貿易の制限や高額な関税は必要に応じて自由に取るべきなのだ。

では、国内の業者はどう考えているのだろうか?彼らにとって売り上げを増すことが至上命令ではあるが、その方法としては「品質の向上」「宣伝の拡大」「サービスの充実」という3つを行ったあとでは「安売り」しか方法がない。

特にガソリン、ファストフードのハンバーガーなどのように各会社での品質がほとんど変わらない場合には値下げをするしか方法がないのだ。値下げをすれば一時的に客は集まる。だがほかの会社もはじめればその効果は消失する。しかも値下げによる利幅の縮小はその会社の経営を苦しくする。

これは日本の不景気時代にどんどん値下げをしてしまってとんでもない赤字に落ち込んでしまった某ハンバーガー会社を思い出せばよい。この後値上げをすれば客は遠のく。ますます苦しくなる。ちょうど麻薬と同じで泥沼への悪循環だ。

一方で某フライドチキンやハンバーガーの会社は不景気の間にもほとんど値下げをしなかった。もちろん客足は遠のいたが、それを何とかして持ちこたえ、再び景気が上昇したときその会社の儲けは少しずつ上向いている。

社員がバカなのか、その企画を認める社長がバカなのか、とにかく値下げは自分の首を絞めるばかりだ。ある英会話学校では「入学金ゼロ」というキャンペーンを打ち出した。そのキャンペーンが終わって入学金を再び徴収されるようになれば、誰がそんな学校に行くだろう?それでも行きたくなるほどの優秀な学校であれば、そんなばかげたことはしないだろう。

ミクロ的に見れば、消費者はチャンスと見つけて買い物をすれば、このような安売りをどんどん利用して得をする。だが、マクロ的に見ると経済全体の金のまわりや悪くなるし、最も重大な問題、すなわち品質の低下を招くことになる。

かつて九州の黒豚がとても安く売られていた。おかしいなと思っていたころ、その販売者がインチキで検挙された。卵は「物価の優等生」と言われているが、なぜだろう?鶏を何百万羽と巨大経営している養鶏場に行ってみればいい。そこでは凡そ生物とは言えない扱いをされた鶏が日々卵を産まされている。

安売り卵を手に取ってみよう。ほんの指に力を加えただけで簡単に割れてしまう。これはもちろん殻が薄いからだが、ニワトリたちにはカルシュームを十分に吸収して丈夫な殻を作る暇もないのである。

これはわれわれが「病気のニワトリ」から生まれた卵を食べているのと同じである。促成栽培では、ろくに栄養もないし、病気直前のニワトリではこちらまでおかしくなりそうだ。

これがなくならないのは、消費者が安い卵を好んで買うからだ。牛乳も同じだ。130度というとんでもない熱を加えた牛乳が大安売りされている。これに対して60度という低温殺菌の牛乳は手間がかかるからかなり高い。でも子供のいる家庭では迷わず安い方を買う。

安いものを買うという一般消費者の傾向が、実は全般的な品質の低下をもたらしている。自由競争はお互いに切磋琢磨してより良い製品を作っているなどというのはユートピア的発想であり、現実世界ではなるべく安く低品質で作り、そこで浮いた金を儲けようと考えるのが主流なのだ。

だからこそしばしばインチキ製品が警察に発見されるが、これらはまさに氷山の一角であって彼らは単に「運の悪い者」に過ぎない。実はそのうしろには無数の灰色製造業者がうごめいているのだ。

「食べ放題」というのも要注意だ。この戦略の中心思想は「消費者が得をする(した)気分になること」である。だが、人間の胃袋の容量を綿密に計算しただけでなく、「味覚というものは満腹になると鈍くなる」という大原則に基づいて徹底的に品質を落とした材料集めにある。これも一種の安売りだが、常に飢えている?十代の青年以外得をする人はいるだろうか?

「抱き合わせ販売」も安売りの一種だ。だが経験者もわかっているとおり、消費者のはじめの計画とは異なるものであり、現代最大の問題で資源の浪費ともなる、「必要ないものを無意識のうちに買わされる」という重大な問題を含んでいる。

ずばり安売りという方針が、このようにうまくいかないのを見越して次に業界が考えたのが「ポイント制」だ。これは製品の安売りはしないで、ものを購入するたびにポイントを与えてそれが貯まったらその分を還元するという仕組みで、はじめは一部の家電販売店だけでやっていたが、これがあっという間に小売業界全体に広まってしまった。

これも実は一種の安売りなのだが、これまでと違うことは消費者の「囲い込み」である。ポイントが貯まってしまったらほかの店で買うことは損だと彼らは当然思う。結局彼らは目に見えない糸でその会社に拘束されてしまった。ポイントが有効な限り彼らはもう浮気はできない。

将来的には消費者たちはこっちのポイントカード、あっちのポイントカードといろいろ持ち歩くことになり煩雑きわまりない。ある店での「掘り出し物」の魅力は大きく失われる。電気製品のように均一でないものに関してはとんでもない製品をつかむこともある。もちろんポイントカードを発行している会社が閉店したりすれば、ゼロに戻る。

ポイントカードを出している会社にとっても会員がある程度の飽和状態になったところで、シェアの拡大は頭打ちになる。なぜなら他社が残りの消費者を加えてしまっているから。かくして消費者の流動性は減少して将来的に大きな展開を望むことは無理になるのだ。

このように価格とその製品とのバランスをとることは非常に難しい。だが結局のところある価値を持つ品物がその価値を大幅に上回る価格がついているのはよくないのと同じように、大幅に下回る価格が衝いている場合でも消費者にとっては不利益となる。

最終目標は「適正価格」である。その社会にとって最も納得のいく価格。需要と供給のバランス、そしてその社会で得られる平均的な品質をクリアした製品に付与される価格。

意外とそれが守られているのが古本屋の業界ではないかと思う。古本屋の主人はよく勉強していて(例外はあるが)、古本の価格は下手な評論家が下すよりも正確だ。もともと激烈な競争のない業界だけにそれぞれの値札は微妙な危ういバランスの上にかろうじてのっかっている。

結局のところ、消費者がもっと賢くなる以外に手だてはない。安くて粗悪な製品にはっきりと「ノー!」という態度を示せば悪徳小売業者も手も足も出ない。かつて赤色ウィンナーが、子供の弁当にとても見栄えがするということで当たり前のように普及した時代があったが、今はあのどぎつい色を好む主婦も少なくなった。

きちんとした情報を手に入れ、世間全体の「相場」を考慮し、悪徳商人の存在を警戒し、できるだけ多くの店での比較を行った上での最終決断が必要である。テレビの調子よいコマーシャルに惑わされたり、(訪問販売で決断するのは言語同断!)、人工的に作られたブームに乗って購入したりするのは愚の骨頂だ。失敗を重ねながらもより賢い消費者に成長していかない限り、カモにされることは覚悟しなければならない。

2006年2月初稿

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