文明時評

きつね

すすむ地方の衰退

(ルポ)JR飯田線沿線を行く

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天竜峡の川くだり21世紀になって、日本の政治は多くアメリカ流資本主義に舵をとった。それまではまだ「日本式経営」とやらが幅を利かせていたところがあり、日本独特の経営方式や雇用関係が生きていたが、バブルの崩壊、そしてそこからの立ち直りの過程で、日本の政治家と、それを選んだ国民たちは、今流行の「アメリカ式自由主義」にすっかり取りつかれてしまった。

それらが環境に過重な負担をかけ、格差を広げ人類にとって不幸な結果を招くことはすでに明らかになっているものの、「政治的慣性(またの名を政治的怠惰」は強力で、いったん始まったらそれをとめるまでには多くの年月を必要とする。

今回、「青春18切符」で中央線岡谷駅から東海道線豊橋駅まで各駅停車で通過した。最初は気軽なローカル線めぐりのつもりで出かかけていったものの、実際には地方の衰退を目の当たりに見ることになった。もちろん具体的な数字をあげて論ずるのとは違い、単なる行きずりの印象に過ぎないが、それでもこの国の将来が深い闇に覆われていることを痛感させられたのである。

岡谷駅発は午前10時35分発であったが、折からの低気圧の後遺症で遅れていた中央線電車の出発を待って発車したために約5分遅れである。しかしそのような遅れは途中駅での対向電車の待ち合わせ(単線であるため)と時たま通る特急電車の通過待ちに含まれる時間の中に簡単に吸収されてしまうのだった。

空は快晴で雲ひとつない。飯田線は諏訪湖から南西へ延びる天竜川の削った伊那谷を下ってゆく。木曽谷はもっと北のほうを平行して走っており、この二つの谷の間には険しい山々がそびえていて、その中にはベテラン登山家をもひきつけてやまない名峰が混じっている。

岡谷駅を出ると次の駅が辰野(たつの)になるが(ここからが正式には飯田線となる)、ここからはずっと豊橋までJR東海の管轄区域である。国鉄の民営化は、政治家の都合で長野県を勝手にそれぞれの縄張りを分断してしまったために、人々の生活圏のつながりなどお構いなしなのである。この列車は「天竜峡」行きで、14時8分の到着予定であった。

木曽のほうを走る中央線とは異なり、こちらは典型的なローカル線である。しかし地図で見るとその駅の多さに驚かされる。なんと全部で95駅だ。距離にしては200キロ弱であるから、平均して2キロに一駅あることになる。実際には1キロもいかないうちに次の駅に到着したこともある。

これはまさに東京近郊における私鉄の駅のような密度である。駅間の距離が短いことは乗客サービスのよさの表れであり、鉄道が生活圏でじつに大切な役割を果たしている(果たしていた?)ことをあらわしている。ここはほかの地域との道路での行き来が難しい典型的な山国であり、人々が鉄道を他の地域と結ぶ重要な交通機関とみなしていたことをあらわす。

しかしモータリゼーションが主流となった今、日本の他の地域と同じく鉄道利用者は減少し、しかも恵那山までは中央高速が谷の縁を走っているものだから、鉄道の役割は劇的に低下してしまった。ほとんどが無人駅であり、ワンマンカー(2両編成)が大部分の路線になっている。

それでも休日(正月明けの成人の日)のせいか、立っている人はいないまでも客車にはかなりの乗客が乗っていた。沿線は昨日降った雪のせいで畑や田んぼは白一色である。左も右も高い山に囲まれた狭い谷のことだから、天竜川の水を中心に両側にできるだけ多くの農地を確保しようとした祖先たちの努力の跡がはっきりとわかる。

そのせいか、たとえば広大な平野の広がる東北地方などと違って、家がかなり密集して建っている。それもかつての鉄道の依存を示すかのように、駅と沿線に多く集まっている。だから列車の窓から見るとまるで東海道線沿線を走っているかのように住宅でにぎやかな風景が続く。

あんなに青かった空に急に雲が出てきて、あっという間に空一面がまっくろな層雲に覆われてしまった。予想どおり、雪がちらついてい来る。山間部の天気は実に変わりやすい。しかもここは諏訪湖からずっと高原地帯だ。

若い女性が大きな荷物を持って乗り込んでくるのが多いところを見ると、正月の帰省を終えて、大都会(このあたりでは名古屋圏)へ戻ってゆくのであろう。若者たちが戻ってしまうと、再びこの地域も老人中心社会へと変わる。今日は休日だからクラブ帰りの高校生しか見ないが、通学列車としての役割を果たしているらしい。

彼らも都会の子供たちと同じく、いやそれ以上に携帯を必死で覗き込んでいる。そして家に帰ればテレビをぼんやりと見るのだろう。彼らの24時間の生活パターンが都会と何も変わらず受ける情報もおんなじだから、もはや彼らにとって地方に住む意味がすっかり消えうせてしまった。むしろ交通の不便や物質的生活の不便だけが目につき、地方に定住して一生を送る夢が生まれるはずもない。

下の文へ

天竜峡の奇岩
天竜峡の澄んだ流れ
天竜峡全景
天竜峡の深い淵
ごみステーションのポルトガル語の掲示
ごみステーションの中国語の掲示

上の文から

やがて終着の「天竜峡」に到着する。かつてはここは著名な観光地だったし、川くだりがその魅力の中心だった。だが、中心となるはずの大きなホテルは閉鎖され、まもなく解体されようとしており、町内に数件ある信州そばの店も客が入ることなどとっくにあきらめているようだった。

昨日までの雪で渓谷を巡る遊歩道はぬかるんでおり、まったく人影はなかったがつり橋の上から見た川くだりの船は乗客を10人ほど乗せていた。寒さよけのために船の丈夫にビニールの「温室」が作られ、乗客はコタツに入って眺めを楽しむのである。

日本中どこでもかつて名前をはせた観光地はほとんどが例外なくその客数を減らしている。施設の老朽化が最大の原因であろう。新しいアイディアで客を集めているところもあるが、渓谷や滝、大岩などを売り物にするところでは将来の展望が見込めない。

駅前の大通りを歩くが、コンビニもない。タクシーの営業所の前を通ると、張り紙がしてあった。「ここは無人営業所になりましたので御用のある方は事務所内にある直通電話で呼んでください」とある。この営業所に人を置く人件費すらままならなくなったのだ。その張り紙がかなり古いものであるところを見ると、相当前から、つまり観光シーズン中もそうなっているらしい。

さらに驚いたのは、ごみステーションにあるごみの捨て方の掲示である。日本語のほかに中国語とポルトガル語できちんと書いてある。まだ真新しい。

これは何を意味するか。そういえば、列車内にも外国人の姿を見かけた。彼らの携帯での会話は、流暢な日本語なのである。彼らは日本に住み着き、職を得て、コミュニティーの一部になっているのだ。

これは過疎に悩む日本の農村部にとってありがたい話だ。日本の若者は都会から離れようとしない。外国人のほうが喜んで農村部で職を求めようとする。しかも彼らは若い。

かつてから Uターンとか Iターンとかがマスコミで話題になっていたが、これも単に珍しいからであって、国全体を巻き込む大きな社会移動にはまったくなっていない。これからの農村振興のためには、日本の若者ではなく、中高年や外国の若者が必要とされる時代が来るのかもしれない。

日本では、農業の生産力を軽視し、機械類の輸出を重視するという偏った政治方針がこの60年以上も続いてきた。その結果、食料自給率30%代という病的な状態を作り出してしまったのである。

地球温暖化は年々ひどくなり、2006年には、オーストラリアで大干ばつに見舞われた。もはや世界の大食料基地からの安定した供給は楽観を許さない。もちろん高温多湿な日本も将来気候的にどう変動するかわからないが、せめてほぼ自給できる体制にしておかなければならない。WTOやアメリカのご機嫌を損ねないように食糧を大量輸入するどころの騒ぎではない。

政府は一刻も早く農村の人口流出を食い止め、まともな食料基地を作るべきだ。農村の豊かさはやはり食糧生産にあるのだ。観光や工業団地作りをするごく一部の恵まれた地域はあるが、大部分の農村は、やはり人間の生存に欠かすことのできない農産物の生産に集中すべきなのである。

一時間ほどの滞在の後、天竜峡駅を15時18分に出る豊橋駅行きにのる。ここから先はこれまでとうってかわって列車は峡谷にはさまれたトンネル続きの線路を行く。だがここでも無人駅が一定の間隔で律儀に設置されている。急カーブの連続は愛知県の平野部、豊川駅付近まで続く。

この地域はもはや谷間ではなく、急峻な峡谷地帯だ。かつては社会科の教科書にのっていた「佐久間ダム」の最寄り駅、佐久間も通過した。すぐ横を放流された水が怒涛の如く流れているのが列車の窓から眺められる。また、東栄という駅は駅のデザインが遠めに見るとまるでふくろう(ミミズク)のようである。

18時31分、定刻どおり豊橋駅に到着。外は真っ暗である。正月帰省から戻っていると思われる、大きな荷物を抱えた若い女性が降りてゆく。おそらく彼女は飯田線沿線に生まれ育ち、愛知県の都市部で仕事を得ているのであろう。しかし、彼女が故郷に戻り、よき伴侶を得て子供をたくさん産んで、沿線に豊かな農村が復活する日が来るのだろうか?

初稿2007年1月

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