文明時評

きつね

雇用について考える

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雇用というのは、今では当たり前の社会事象になっているが、果たしてこれは人間にとって望ましい状態なのだろうか? 考えようによってはお金という代償と引き替えに、奴隷状態になることを約束するものではないのだろうか?21世紀の企業第1の世の中では、これが本当ではないかと思ってしまう。

かつて地方の子供たちは親から「公務員になって安泰な生活を送っておくれ」などと期待を背負って教育を受けたものだった。 当時は公務員は楽な労働で終身の安定が得られるというような「幻想」がいだかれていたものだった。だがもちろんこんにちではそんな天国はどこかに行ってしまった。そして何よりもほとんどの人々が学校卒業後、「サラリーマン」になることがふつうになったのだ。

これが自分の家が農家でその手伝いをしているうちに、小さいながらも自営農として生きていくことのできる時代はよかった。しかしそのシステムは徹底的に破壊され、ありとあらゆる地方に住む人々は大都会への強力な吸引力にさらされることになった。 それは大都会で収入の大小はあっても、人に雇われて仕事をすることである。

現代文明が巨大な組織を必要とし、そこへ多くの希望者が引き寄せられてしまったことが、それからの社会の趨勢を決めることになってしまった。 人々は、故郷にいた場合よりもはるかに多くの給料を得た。これに不満のある人々がいるはずはない。喜んで彼らは自分の時間と能力をすべて自分の雇い主に捧げた。おかげで自分たちの生活は向上し、マスメディアが騒ぎ立てる「三種の神器」を購入することもできたのであるから、人々は大満足であった。

しかし、拘束の罠は知らないうちに忍び寄っていた。人々は「自主的に」ローンを組み、ますます自分たちを労働の枠にはめ込んだ。すばらしいマイホームが手にはいるという宣伝文句は、自分を30年、40年の長期隷属状態に置くことをまったく気にせずに契約書にサインをする人々を生み出した。 しかも、「昇給」「出世」の二つの殺し文句は人々を駆り立てた。かつては不本意な奴隷が存在したが、現代の奴隷は巧みな心理的操作によって動かされると言っていい。

人々は「木を見て森を見ず」の言葉通り、自分の生活が向上することと引き替えに、会社に仕事に忠誠を誓うことになった。考えてみれば生活向上を実現するために、自らの魂を殺したり貴重な人生の時間を消費しなければいけない理由はどこにもないわけだが、人々はいつの間にかそれが最善の策だと思うようになっていったのだ。

人々は労働が美徳という言葉に何の疑問も持たない。春が来ると、マスメディアは会社の「内定」について話題にする。学生たちもそれが当然と思っているようであり、まさか自分が自由な学生時代から、定年までの奴隷契約を結ぶのだと思っている人はいないようだ。 社会の大きな流れに流され、これに逆らうことは日々難しくなっている。

「私は自営」だ、「独立したい」と願う人々は多いがこれがかなう人々は少ない。かなったところで直ちにつぶされるのが大多数だ。多くが借金によって身動きもできなくなる。人間の尊厳という点から考えると、現代ほどその実現が難しくなっている時代はないのではないか。 電子技術による個人への管理化が進み、誰一人として「監視」の目から逃れることが困難になっている。

テロ事件は権力者たちの管理へのいっそうの徹底を実行に移す口実となっている。誰も「テロとの戦い」と言われれば逆らうことができなくなっている。逆らえば「テロリスト」か「協力者」の烙印を押されるのだ。 こんな時代には、人々は誰かに「従属」していることがもっとも求められる。そうしなければならない大きな理由もないまま、人々は自ら進んで従属、隷属するようになった。 我々は外国の独裁国家をさげすみ哀れむが、自分たちのもっとも民主主義が進んでいると言われている社会が実は見えないところでそれを上回る隷属状態をその住民に強いていることに気づかないのではないだろうか?

2007年7月初稿

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