文明時評

きつね

再び仕事について

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「いい仕事」と「つまらない仕事」とはどう違うのだろうか?現代社会において、行き方がますます不透明になる中、若者たちもその行き先を見失い将来の仕事についての展望を見出せないでいる。

現代社会におけるつまらない仕事とは、たとえば終業時刻が5時と決まっていて、「ああ・・まだか」としょっちゅう時計に目をやるが、時間は遅々として進まないような仕事をいう.このような仕事はたとえば宝くじで4億円あたり、一生遊んで過ごせるとわかったとたんに退職届を出してもなんら痛痒を感じない仕事である。

これに対しいい仕事とは終業時間が過ぎても気づかず、「もっとやってもいいかな」とまではいかなくともそれなりに充実して一日を終わることのできる仕事である。そしてそのような仕事の場合、それを成し遂げたことによって人から感謝されたり困っている人を救済することができる場合のように、自分と社会とのかかわりが直接身に感じられるのが特徴である。

いずれの場合にも給料の額は極端ではない限り、直接大きな影響を与えない。つまらない仕事でも大勢の人々が飢えたくないばかりに毎日続けているし、刑務所で何十年も過ごす予定の人にとってはどんな単純労働で薄給であってもそこにわずかな生きがいを見つけて仕事に励む。

いい仕事はすぐその場でできることは少ない。それができるようになるためには何年もの訓練を我慢しなければならない。多くは高等教育を受けることになるし、卒業後すぐに実地に使えることは少なく、医者の卵のようにかなり長いインターン期間を過ごさなければならない。それでもその長い訓練期間でさえも仕事の上での喜びや刺激を受けることができる場合もある。

いわゆる「中産階級」はこうやって生まれている。彼らには土地とか資産がたっぷりあるわけではない。自分のほかの人になかなかまねのできない「技能」が資本である。ある意味ではそれは身軽な状態であり、働く場所についてえり好みをしなければたとえば海外で活躍するという選択肢もある。

つまらない仕事は、まずすぐその場でほとんど訓練なしできてしまう。即戦力としてはじめのうちは重宝がられるが、その単純労働の繰り返しのためにマンネリ化し、刺激を求めるようになる。実際のところそのような仕事は1週間がいいところで、それを過ぎるともっとぱっとしたことがないかと探し始める。

だから長い期間における学業の訓練に耐えられないとか職能を磨くための練習がすぐいやになるという場合、結局単純な作業が一生ついて回る仕事となり、新たに訓練を受ける機会は大きく制限されるからそのままそのタイプの仕事に閉じ込められることになるのだ。

しかし社会はそのような単純労働を相当部分要求しているし、給料も安く押さえることができるしやめてもいくらでも代わりが見つけられるのでますますそのような仕事は存在し続けることになる。だからもっとも深刻な問題はいったんそのような仕事の「穴」に入り込むとほとんど一生這い上がることはできないということなのだ。

かつて経済成長が盛んな時代には「いい学校に入っていい就職をする」というような言い方がまことしやかにささやかれた。親たちはこれが子供の幸せな人生コースだと信じて疑わなかったようだ。一方で子供のほうでは「決まったレールに乗って定年までの給料が計算できてしまう生き方」だと反発した者たちもいた。

だがどちらも物事の一面しか見ていない。親にとっては経済的な安定度だけが唯一の価値観であり、子供にとっては具体的な仕事が生み出すであろう充実感や刺激について少しも考えが及んでいない。こんな状況だからずるがしこい雇用者は、ひとたび人材の買い手市場になると愚かな親子たちを手玉にとって、うまく自分の会社の体制にはめ込んでしまうことがたくみになった。

そして新自由主義の到来とともに、企業は大多数の単純労働者の存在がが人件費を削減する最高の方法だと気づいたので、たちまちのうちに非正規労働が国中に蔓延してしまった。しかも政府はその傾向を黙認し場合によっては奨励さえする態度を見せているから、今後もこの傾向は続くだろう。

だが救われないのは若者たちである。ある程度のたくわえがある老人や、ゆとりのある家計を維持できる主婦ならば単純労働でも大して問題がないかもしれないが、これから結婚し子供を持ち、いろいろなことを試してみたい人々にとってはその行き先がまるで閉ざされてしまった。

自分に厳しい訓練を貸して得た高度な専門性がないから、いつでも企業にいいようにされてしまうのである。学校でさえも企業の手先に違いない。なぜならば先生たちはそのような意味での「職業観」というものを少しも子供たちに伝えていないようであるから。実際生徒に聞いてみると彼らには将来の見通しはもちろんのこと訓練に耐えても取得したい分野などというものが何も思い当たらないのである。若い人の職業観がもっとシビアなものになって企業の行動を変えるほどにならない限り、この閉塞感がなくなることはないのである。

2007年11月初稿

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