文明時評

きつね

ギリシャ訪問記

2016年6月

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ギリシャとエーゲ海

6月の前半、ギリシャを訪れた。西のほうにあるヨーロッパの国々はカトリック教会が主流なのに、こちらはギリシャ正教の建物が目立ち、トルコやロシアの宗教世界に近いことを強く感じさせられる。

一方、古代の歴史に目を向けると、誰でもパルテノン神殿を見てその壮大さに感嘆する。そしてアテネやその近郊に多数の遺跡を目にする。

「日曜はダメよ」や「その男ゾルバ」を観るとわかるが、”かつてのギリシャ文明は偉大だった、それに比べて今のギリシャはどうしてこんなに落ちぶれたのか”と口にする人も多い。

だが私はそうは思わない。それはアテネやクレタ島の山を見ればわかる。まばらで赤茶けたいわばむき出しになった山々は、かつて大木の育つ森林だったのだが、降雨量の少ない地中海性気候のもと、過度の伐採によって、自然は元通りにならなくなったことを示している。

4千年以上前の文明の自然に対するインパクトなんて、現代文明に比べれば取るに足らないと思われるかもしれないが、文明は実質1000年以上続いたのだ。その間に巨大な船、無数の陶磁器が作られ、建材や燃料調達のためギリシャの山々はことごとくはげ山になった。

一方、現代アテネの町ではごみの分別収集が、ほかのヨーロッパの都市と同じく、きちんと行われている。魚屋さんの店先は繁盛し、人々の生活は確かに豊かとはいえないが、街は賑わいを見せ、治安はまずまずだ。風力発電や、はげ山の斜面を利用した太陽光パネルが至る所に設置されていた。

美しいエーゲ海、数々の遺跡、などと観光立国のこの国は、まだまだ借金を背負って苦しい。でも人々の暮らしは、ゆっくりとだが回復傾向にあるようだった。

もしかしたらそれはEUのおかげかもしれない。大変な負債を抱え込んでいるとはいえ、ギリシャやポルトガルのような比較的小さな国は、ブリュッセル本部の官僚的なシステムにはいろいろ問題があるかもしれないが、EUから脱退して独自の道を歩むことを目指すより、相互扶助の中で生きたほうが長期的にははるかに賢明であるようだ。

そもそも観光立国を目指すなら、自由な人の移動が大前提である。太陽に恵まれない北ヨーロッパの人々は明るいエーゲ海にあこがれている。そのような人々をオープンに迎え入れるような環境はEUのシステムなしには考えられない。

ギリシャはバルカン半島の先にある。この名前から、第1次世界大戦の発端になった町、サラエボを思い出す人もいるだろう。サラエボと言えば、今やボスニア・ヘルツェゴビナの首都だ。

イタリア半島やイベリア半島と比べて、だれでも国の数が非常に多いのに驚かされる。だからこそ20世紀の前半は、この半島の不安定化が常に注目されていた。ギリシャはアルバニア、マケドニア、ブルガリア、そしてトルコと陸地で国境を接している。それぞれの国境を横切ったからと言って急に自然環境が変わるわけではないのに、政治的には、実に複雑な過去を持っている。

それでも地理的に近いことから多くの民族の出入りがあるらしい。アテネ市内で古代アゴラに向かう途中に出会った女性は、アルバニアから来た歌手だった。アテネに出稼ぎに来ていたのだ。

クレタ島はクノッソス宮殿の古代遺跡で有名だが、それよりもかつてのベネチア軍の残した砦や軍港が島の北部にたくさんあることが印象に残った。

ギリシャ第2の都市テッサロニキに行くと、かつての東西交易の宿場を象徴するような凱旋門がある。ここからわずか300キロ余りでイスタンブールだ。ギリシャはヨーロッパの西のはずれではなく、バルカン諸国の民族が行き来し、(今は関係があまりよくないが、)かつてビザンチン文化の中心の一つだったのだ。

それに忘れてはいけないのは、新約聖書の多くがギリシャ語で書かれたことだ。「コリント人への手紙」の地名コリントスもアテネに来て、こんなに近いところにあるのかと驚いた。つまりパウロをはじめとする初期のキリスト教伝道者たちが、この地域周辺で活動していたということだ。

国土の面積は比較的小さいのに、ギリシャの歴史は古代から現代にいたるまで、大変な重層構造になっているのだ。

おわり

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