暴論

かつてスペインの僧侶ブルーノは、当時の教会に対して「暴論」をはいたために、火あぶりの刑になった。いつの世でも異端は迫害される。だがその中で少なからず先見の明があった例には事欠かないのだ。

フランチャイズ化を禁止せよ

Giordano Bruno

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一体フランチャイズ方式はだれが考え出したのだろう?発明者はアメリカ人に違いない。彼らは合理性を好み、その歴史には昔から伝統的に続いてきたものがほとんどない。いわゆる「老舗」というものは彼らには存在しないのだ。

映画「メンフィス・ベル」は第2次世界大戦末期、ドイツ領へ爆撃に出かける若者たちの物語である。志願兵である彼らは、除隊後何をするかを互いに話し合う。

自分の父親の仕事を次ぐ者もいれば、プールの監視員を従軍前と同じく続ける者もいる。その中で目立ったのは、まったく同じ外観のハンバーグ屋をアメリカ各地に作り、同じ味を実現することだ。

それを聞いた仲間は、そんなのつまらないと一蹴するが、その若者はみんながきっと安心すると思う、と自分の希望を強調する。これは、きっとマクドナルドの創始者あたりの若き時代に違いない。

じつはまわりの人間が、そんなことできないさ、と思ったのは単に技術的な点だけであって、アメリカ人の間には、簡便で探す手間がかからず、店選びの失敗のない食事が、実はずっと昔から求められていたのだ。

これが第2次世界大戦後のビジネスの多忙化と、食べ物以外の楽しみを求める人間の増加とちょうどマッチし、ハンバーガー旋風が社会のあらゆる面に浸透したのだ。

どの店でも同じ品質、味を実現するには、技術的な問題以外に、人間の規格化が絶対条件である。そのためにはマニュアルの完備が必要とされる。およそ安定した品質を誇る食品業界では、その裏に電話帳のような分厚いマニュアルがあると思って間違いない。

思い出されるのはディズニーランドの行き届いたサービスである。このサービスのやり方に不満を抱く人はほとんどいないであろう。しかも従業員による差が、他の場合に比べて驚くほど少ない。これはよほど徹底したマニュアル化が進んでいる証拠だと見てよい。

このように技術面だけでなく、人間の行動がすっかり画一化されることが、フランチャイズの絶対条件なのだ。消費者を安心させるには、まずこの条件が第1に満たされなければならない。

さらに人々があちこち移動したときに、自分のお気に入りのブランドであることを示す魅力的な印が絶対不可欠だ。セブン・イレブンのマークを知らない人はいない。どんなに遠くからでも、目が悪くともすぐわかるような意匠に工夫されている。

企業が最大効率で、最大利益を生み出すために考えられたフランチャイズ化、これが現代文明の象徴であり、企業間競争を生き抜くための唯一の武器なのだ。

かくして、日本中の町並みは、我々になじみ深い、食品、自動車、衣服、の会社の決まり切ったパターンにすっかり占領されてしまった。もちろんアメリカやカナダでは、その先を行っている。

消費者の求める「安心感」のために、地方にある一つ一つの町のもつ持ち味は失われ、目隠ししてその町の繁華街に立ち、目隠しをはずされたとき、どの町であるかを言い当てることのできるような個性はすっかり影を潜めた。

この傾向は、年々ひどくなる一方で、旅の良さ、多様性の持つ魅力がすっかり否定されるところに近づいている。おそらく最終目標は、世界中が、名古屋も、チューリヒも、ナイロビも、ウランバートルもまったく同じ町並みになることだろう。

世界画一化の利点がいかに大きかろうと、これにはいつか歯止めをかけねばならないだろう。さもなければ、消費者は、にこやかなマニュアル通りの販売員にすっかり飼い慣らされ、自ら選択する能力も失われるだろう。フランチャイズ方式も互いに争い、生き残った企業はますます寡占路線を走ることになる。

人間の持つ感受性とか、複雑さから生じる魅力などを考えると、この傾向はどう見ても前向きの姿勢だとは言えまい。われわれは、画一化を実現するために今まで改革や技術革新にいそしんできたのか?大げさに言えば、人間の尊厳と画一化は共に進むべきものなのか?このような疑問が当然出るはずなのに、世界の体制は、ブレーキをなくした車のように雪崩をうって同じ方向へ進んでいる。

さらに、フランチャイズ化される側もかなりの犠牲を払っていることを忘れてはいけない。フランチャイズ組織の中には、会社の直営店と、民間から募集して加盟した店の2種類がある。問題のあるのは後者だ。

というのは、その組織のノウハウや、様々な問題に対処するサービスの見返りに、「本部」は上納金を要求するからだ。この額は有名企業の場合は生半可なものではない。ある有名なコンビニエンス・チェーンの場合だと、あまりの額に店の側が反乱を起こし、契約期限の終了と共にまとめて脱退する事態も起きている。本部は上納金を払わせ、傘下の店を支配することを狙っているわけだ。

この事態は、個々の店の体力を消耗させ、店主の夢を破壊する。たとえば24時間営業の命令が下れば、自分の体を損ねてまでも、これを実行しなければならない。これによって多くの店主たちが無気力になり、体がぼろぼろになっている。これは統率のとれた会社組織であればあるほど顕著なのだ。

これらの事態を防止するためには、政策的にフランチャイズ方式を禁止することが最も有効である。なぜなら消費者の批判力はすでにマヒしており、現状に不満を持っていない以上、あるいは画一化そのものをまったく抵抗なく受け入れている以上、みずからそのような方式を拒否することは、個人的動機から以外には、まったく考えられないことだからである。

フランチャイズ方式を否定すると、まず第1に考えられるのは価格の上昇である。ここまで徹底して効率化を図ってきたわけだから、多様化は当然高くつく。だがこの心配は将来の人類が、過去に人類に比べて選択の余地が狭まるとすればこれはお笑いぐさだ。選択の余地が狭まるのは食糧危機の場合だけでよい。

もし人類の進歩ということを本当に信ずるというのなら、我々の進む先は、ペットフードを与えられて喜んでいる姿を連想させるようなものであってはなるまい。

2001年6月初稿

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