暴論

かつてスペインの僧侶ブルーノは、当時の教会に対して「暴論」をはいたために、火あぶりの刑になった。いつの世でも異端は迫害される。だがその中で少なからず先見の明があった例には事欠かないのだ。

日本を農業国に

Giordano Bruno

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かつて、中学校社会科の授業では、明治維新以来の大方針、「日本は資源が少ない。だから、貿易によって原料を輸入し、製品を輸出しなければ生きていけない」というお題目が、絶対の真理であるように繰り返された。

だが、戦後50年以上の日本経済を支えてきたこのイデオロギーもようやく終末を迎えようとしている。高度成長経済は終わり、バブルから一転して下降傾向に陥った日本はアジアの中でも、もはや競争力を維持することは困難になったからだ。

日本を先頭にして、アジアの開発途上国があとにつつく、まるで、渡り鳥のような大艦隊方式は、リーダーが年老いて、体力がなくなれば、当然崩れ去るものである。

残念ながら、知識や技術というものは、いったんそれぞれの途上国に根付いてしまえば、もはや日本の専売特許ではなくなる。もの作り、器用さ、勤勉、といういわゆる日本人の「美徳」は、全てアジア、アフリカの開発途上国の共通財産になろうとしている。しかも価格的には圧倒的に途上国の方が有利である。

近い将来、日本では「理数離れ」の世代が成人し、研究の戦力は衰え、その資金は大量の不良債権による銀行の体力低下のため他国に貸すどころか、逆に借金しなければならない有様になることが予想される。

となれば、人口が多く資源も豊かな中国や、インドが、第2,第3のアメリカになることは当然と思われる。アメリカ文明の「資源消耗」型の方式が見直されない限り、これらの国々は瞬く間にアジアの経済を牛耳るようになるし、もうすでにそれは始まっている。

日本は、加工貿易に命を賭けてきたが、今後は各国が自前で「加工」するようになるのだから、もうそのような貿易形態は過去のものになってしまった。製鉄や造船など、基本的な第2次産業はもうすでにその段階を通り過ぎてしまっている。

あとは、第2次産業は海外に移して、経営だけを日本に置くという、「知識集約」型が考えられるが、この面ではシンガポールや香港の商人たちと比べて特に優れているわけではない。激烈な競争が国内から、海外へと展開するだけである。

すでに、数多くの製造業が国内では立ち行かずに海外に工場を移しているが、これは、すでに始まっている日本国内の失業をさらに増やし、本社機能だけのいびつな経済構造、つまり「空洞化」が広がってゆくことを意味する。

これで、輸入だけが増えていけば、日本の戦後における最大の特徴だった貿易黒字は、ある日重大な日を迎えることになろう。それはついに貿易赤字になる日である!

アメリカのように、巨大な国であれば、貿易赤字は別に怖くない。むしろ国内の物価を下げるものとして歓迎されるくらいだ。ところが国内産業が衰退してしまったところで赤字になれば、外貨を獲得するために、「飢餓輸出」をするという悪夢のような状態が出現するのだ。

そもそも日本は明治維新以来の「富国強兵」「輸出振興」「西欧追随」の大方針に無理があった。そしてそのひずみがここに来て後戻りできないほどに現れているのだ。

資源がないのに、工業を発展させようという試み。貿易立国というのは、貧しい国々を相手にしていたからこそ輸出が成り立っていたという現実。貧しい国が豊かになってしまえば、日本は用がなくなる。むしろ逆に輸入させられてしまう。

日本が、工業国、技術立国という古いアイディアにしがみついていてはこの国に未来はない。すでに到達した技術水準はそのまま据え置くとしても、技術だけに頼った危険な綱渡りは、もう破綻が目の前に迫っているのだ。新幹線だ、自動車だ、といっていたが、これほど実はもろい国だったのだ。

では日本は、明治以前はいかなる意味で豊かだったか?世界でも数少ない緑に恵まれた国土であり、豊かな降雨量と、驚くべき動植物の種類の豊富さ。日本列島はそこに初めて人類が住み着いて以来、農産物の生産に関しては世界でも有数の恵まれた土地だったのである。

メソポタミアやインダス文明の場合と違い、人々が多く住み着いてもモンスーン地帯にある日本列島は、不毛の土地になることはなかった。この風土は、雑草取りのために腰が曲がってしまうほどの旺盛な植物資源に恵まれているのだ。

それを、人々はダムを造り、ブルドーザーで山を潰し、努力して不毛の土地にしようとしている。例えば、4車線の高速道路を全国に建設しているが、これによってアスファルトに覆われた面積はどのくらいになるか計算したことがあるだろうか?

規制のまったくないというに等しい宅地開発によって、一戸建てが潰してしまった田んぼの面積はどれくらいだろう?海岸や河川の埋め立てやコンクリート家によって、失われた魚の生息場所はどれくらいにのぼるだろう?

この国の恵まれた条件は、世界でも随一の農業生産を約束してくれていた。ただ、かつては封建制度と非効率な農業経営方式がその障害になっていただけである。日本の唯一の天然資源は、この豊かな農業適地の存在である。

その農業経営は、フランス式の「中小規模」農業を中心に進めるべきであった。アメリカのような大規模経営は不安定で、とてもこの国には向かない。また、多くの若者に農業を棄てさせる政策が続いたために、過疎化がとことんまで進んでしまった。

これからまず第1になすべきことは、自国民の食糧自給率を、全て100パーセントにすることである。また、農業を単に希望のもてる職業としてだけではなく、国民の命に必要不可欠な存在であることを若い世代に認識させなければならない。

完全に国民の胃袋に対する保障ができて初めて、世界各国に輸出を開始する。決して外貨獲得のための「飢餓輸出」であってはならないのだ。工業製品の生産は、国民が必要なだけにとどめ、だが一方では輸入はしなくてもよいくらいには生産する。

将来的には、あれほどの方策を誇ったアメリカの小麦やトウモロコシも、地下水の汲み上げ過ぎや、土壌の劣化により、生産がどんどん低下することは目に見えている。そして化学肥料や農薬は、いずれは枯渇することがわかっている石油を原料に頼り切っている。

世界の食糧供給は、短期的にはアメリカやオーストラリアは有利に見えるが、長期的には、温暖化もあって地球規模で不足することは明白である。悪いことには、中国やインド、ロシアなどは、自国の食糧が不足すると、自国内で解決せずにこの両国に依存する癖がついてしまった。もしこれが頼れない事態になるとすれば、将来において深刻な事態が発生することが考えられる。

日本は、大量作付け、大量収穫はできないが、フランス、ニュージーランド、デンマーク、オランダなどのように条件の似た国々と連帯すれば、安定した食糧供給国の一員になることができる。これは石油におけるオペックと同じく、国際的にも強力な政治力を発揮するかもしれない。

このそれほど広くはないが、多様な気候に恵まれた国土は、寒帯性から、亜熱帯性に至るまで驚くほど多様な産物を作り出すことができるのだ。そろそろ日本にも方向転換をするべき時が来た。長期的な安定を図るならば、この道しかないだろう。

日本の海外雄飛の時代は終わった(いや実際には雄飛はせず、海外侵略や経済侵略など、とんちんかんな方向にばかり向いていたといってよい)。そもそも日本には、外国へ出向いて行くという国民性ではないのだ。

昔から百姓としての気質が強く、内向きの生活態度が中心であったのだ。倭寇の存在などは、実に例外的で、徳川家光の始めた鎖国政策こそが、最も日本人の特性にあっていたものだといえるのだ。

内向きが別に外向きと比べて悪いというわけではない(どうしても西欧のやり方を模範としてみる人が絶えないようだが)。それは縄文弥生時代から持ち続けてきた我々のもつ特有の文化であるのだから。

2001年8月初稿

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