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今年見た映画(2011年)
ドクトル・ジバゴ Doctor Zhivago 2011/01/11 ユーリは幼いときに母親をなくし、形見の赤いパラライカと共に、モスクワに住む夫婦に引き取られた。成長したユーリは医者になり、育ての夫婦の娘、トーニャと結婚する。だが、往診の際に出会った薄幸の少女ラーラが忘れられなくなる。彼女はコマロフスキーという悪漢にだまされたが、革命の理想に燃える恋人のアンドロポフと結婚し、ウラル山脈の向こうへ移住する。 ロシア革命前夜、国中で悲惨な殺戮が始まった。ユーリも軍医として招集され、戦地でアンドロポフと生き別れになったラーラと再会する。彼女は看護婦の仕事を手伝い、二人は半年のあいだ、けが人の治療にあたる。だが、戦いは終わり、ユーリの家庭を壊したくないラーラは彼の元を去ってゆく。 モスクワに戻ったユーリ一家は、革命による生活の激変に耐えられず、ユーリの腹違いの兄の助力もあって、トーニャ、息子、トーニャの実父と共に、ウラル山脈の向こうに移住することになる。ようやく住処を見つけ、暮らし始めたのだが、近くの町でラーラと再び再会してしまった。だが、その道筋でパルチザンにつかまり、2年間拘束されたままで軍医をさせられる。 ようやく脱出に成功したユーリは再びラーラの元に戻るが、トーニャたちは国外追放となり行方不明、ユーリ自身も脱走したかどで追われる身となった。冬のあいだ、二人はラーラの娘と共に、隠れ家に住むが、追っ手が迫ってきたときに、あのコマロフスキーが現れて、ラーラとその娘を極東に脱出させることを申し出る。だが、ユーリはロシアにとどまり、傷心のままモスクワに戻った。 数年がたち、今ユーリの兄の目の前には、革命の波に飲み込まれて今はもういないユーリとラーラのあいだに生まれた娘がいる。娘は恋人とともに新しい時代を作ろうとしているのだ。・・・資料 ディア・ハンター The Deer Hunter 2011/01/22 ここはアメリカの田舎町。真ん中に巨大な製鉄所があり、ギリシャ正教系の住民たちはたいていここに雇われている。マイケルをはじめとして、多くの若者たちが働いていた。仲間の一人、スティーブンが結婚することになった。だが、すぐそのあとにマイケル、ニック、スティーブンはベトナム戦争に出征することになっていた。ぶどう酒を飲む儀式で、花嫁が衣装にこぼしたほんの小さな染みは何の徴(シルシ)だったのか・・・ ニックにはリンダという恋人がいた。マイケルは結婚式の日に彼女と出会い、お互いにわりと気が合うことに気づく。マイケルはニックとは鹿狩りでは頼もしい相手だった。ベトナム行きの前に、スタン、ジョンを加えた4人は、結婚式の翌朝、清冽な山岳地帯に出かけ、マイケルは見事な鹿を一頭仕留める。 3人は出征した。マイケルとニックはベトコンの捕虜になっただけではなく、(普通6個入りの)弾倉に1発だけ入れたリボルバーをこめかみに当てて弾丸が発射するかどうかで賭ける「ロシア式ルーレット」にはまっている連中につかまってしまった。幸い脱出に成功し、アメリカ軍に戻ることができたが、ニックは記憶喪失なのかショックのせいなのかうまく口をきくことができず、移送直前にサイゴンの町の中に姿を消してしまった。 ロシア式ルーレットのアジトにニックを見かけたのだが、見失ってしまった。いくつかの勲功を立てたこともあって、マイケルは故郷の町に戻る。歓迎会に出る気も起こらず、鹿狩りに出かけても、こちらを見つめる鹿に引き金が引けない。 マイケルは、ニックが行方不明なため取り残されたリンダが自分を求めていることに気づく。また、スティーブンが下半身不随となって病院にいることを知り、そこでスティーブン宛のニックからの多額の送金があったことを知る。 マイケルはベトナム戦争末期のサイゴンに舞い戻り、大勢の人々が脱出を図っている中、あのアジトに、ニックを再び発見する。無感動、無表情だったニックは、マイケルが自分のこめかみに実際に引き金を引いたのを見て正気に返る。だが、ニックが引き金を引く番となった・・・。マイケルはアメリカに戻り、ニックの葬式のあと、故郷の仲間たちは”美しきアメリカ”を歌う。 平和に暮らしている善良なアメリカの市民を、突然ベトナム戦争へ引き込む。死ぬか、身体障害者になるか、精神障害者になるかして、彼らは故郷に戻ってきた。ロシア式ルーレットはいかにもばかげた遊びだが、戦争が実はそれを上回るおろかな出来事であることを暗示している。しかも最後の場面で歌われる歌は、それでもアメリカを信じる素朴な国民がいることを示しているのだろうか。狩りに出てくる、大自然の中の鹿だけが人間世界を超越しているようだ。・・・資料 Director: Michael Cimino / Writers: Michael Cimino (story), Deric Washburn (story) / Cast Robert De Niro ... Michael / John Cazale ... Stan / John Savage ... Steven / Christopher Walken ... Nick / Meryl Streep ... Linda / George Dzundza ... John (1978) 上へ今年(も)見た映画(2012年) Easy Rider イージー・ライダー 1996/09 (再)2012/01/04 (再)2024/04/13 1950年代の終わりごろか、60年代の初めごろ、南部に住む”品行方正”なアメリカ白人にとって、マリファナを吸い、紙を長く伸ばした若者は我慢できない存在であった。その傾向は今も変わっていない。ティーパーティ運動の広がりを見てわかるように、21世紀に入っても相変わらず続いている。そしてその系譜はついにトランプの支持者として集結するのである。 二人の若者が、前輪を長く伸ばして改造バイクに乗り、カリフォルニアから出発して、麻薬の取引で大もうけをしたあと、その金をガソリンタンクに隠してルイジアナ州を通ってニュー・オリンズのマルディグラの祭りに向かうのだが、沿道の人々は二人の姿に眉をひそめる。しかし、ところどころには、ヒッピーのコミューンがあったり、酔いどれ弁護士がいたりする。 この弁護士が焚火の前で語る話が面白い。ひとつは世界中にUFOがすでにやってきており人間たちが自分たちをコントロールできるようになるのを待っているという話。もう一つは南部の人々が狭い世界に押し込められて自分たちの自由というものを完全に失ってしまっているという話 ニュー・オリンズを出て再び田舎町に出ると、百姓の二人連れが気に食わないやつらだといって、彼らに鉄砲をぶっ放す。あっけなく二人は命を落とす。不条理な死に方であるが、実はこれは一般のアメリカ人の中に潜む不条理こそを象徴しているのだ。 かつて演説のたびに、ブッシュ大統領(息子のほう)が口にしたように、「自由(freedom)」は彼らにとっての標語そのものであるが、それは単に金をもうける自由、所有ができる自由にすぎないのであって、生活の自由、個人の自由といったものは、初めから存在しないのである。 アメリカ国旗を掲げた2台のオートバイは、臆病者である彼らにとって自由の象徴どころか、自分達の決まりきった生活にヒビを入れようとする、昔なら火刑にふさわしい異端者だったのである。この作品は半世紀以上前に作られたのに、アメリカ社会は何も変わってきていないというのは驚くべきことである。・・・資料 Director: Dennis Hopper Writers: Peter Fonda, Dennis Hopper, and 1 more credit ≫ Stars:Peter Fonda, Dennis Hopper and Jack Nicholson (1969) Always 三丁目の夕日'64 2012/03/01(映画館にて) 「三丁目」シリーズの3作目。時は東京オリンピックの直前で、白黒テレビから、カラーテレビが出回り始めたころ。自動車修理工場に働く、青森出身の娘が、近くの医師に惚れ、誤解に基づくおかしな紆余曲折に巻き込まれるも、最後にはめでたくゴールインする話。 近所の売れない作家が、自分の養子が作った小説のために危うく出版社からはじき出されそうになるが、自分を勘当した父親の死や、養子の作家志望の決意の固さのなかで、新たな小説家のいき方を求めて再出発する気になる話。 このふたつが、並行して進められる。高度成長経済に人々が翻弄され、出世や金儲けに猛進しようという世相の中で、家族を大事にし、自分の生き方をじっくり自分で考えて決断を下すという登場人物たちの姿が浮き彫りにされている。 The Iron Lady マーガレット・サッチャー 2012/03/30(映画館にて) 20世紀イギリスの、長期政権を担当した、女性の伝記映画。首相辞任後、認知症がひどくなってきたが、その日常が中心になって映画は展開する。ときどき夫のデニスが暗闇から現れて、彼女にいろいろなことをささやく。 ヘルパーの助けを借りたり、精神科医に検診を受けたりする毎日だが、その合間合間に、少女のときの生い立ち、デニスとの結婚、下院議員初当選、首相就任、自由主義政策の断行、フォークランド紛争、長期政権の後の首相の座から追われたことにいたるエピソードが入れ替わり立ち代り登場する。 絶頂期における国民の支持は大きかったが、多くの政治家に見られるように、権力の座に長くいると、経済の活性化など、長所に見えたものが、次第に短所を見せるようになり、貧富の差が増大し、しまいめには行き過ぎた政策をとったために、支持議員からも見捨てられてゆく過程が描かれている。 「恋に落ちて」のメリル・ストリープが、中年から老年にかけての主役を熱演。だが、サッチャーの政治的側面を詳しく知りたい人にはやや物足りない作り。最後の場面で、彼女が「どう感じるかより、どういうアイディアを持ち、それを実行できるかが大切なのだ」というくだりがあるが、残念ながら映画全体が死んだ夫への追想に集中してしまったきらいがある。The Help ヘルプ:心がつなぐストーリー * 2012/04/04(映画館にて) 1960年代、ミシシッピー州の田舎町に帰って来た作家志望の女性が、差別と閉鎖的な環境にもめげず、黒人のメードたちの手記を作り上げる物語。 すでにその小説はベストセラーになっており、映画化するほうはそれを損なわないように製作するのは並大抵ではない。かなりの長さだから、それを2時間あまりに短縮しなければならない。だが、本質的な部分はどうしても残しておかなければならない。「マイフェアレディ」などと違い、最後の部分を変えるようなことはできない。あくまで原作には忠実でなければならない。地元の夫人たちの黒人に対する差別意識、一方でそのような意識をまるで持たない人々の存在。その試みは結構成功したようだ。 難をいえば、原作ではヒロインの一人、スキーターは男にもてない不細工な娘ということになっていたが、これが映画で最も聡明な美人だったことか。 時は1928年のハリウッド。サイレント映画全盛時代の大スター、ジョージはファンに囲まれているときに、ぺピーという若い女と一緒に新聞の写真に載る。ぺピーはすぐあとにジョージの属するスタジオに、踊り子としてデビューするが、再会したときに自分の口元にジョージがほくろを描いてくれたことが忘れられない。 大恐慌の年、トーキーが現れたが、ジョージは自分のプライドから新しい世界に飛び込むことをせず、映画界から忘れられた存在になってしまった。一方ぺピーのほうは大人気を博すようになる。落ちぶれたジョージは酒におぼれ、妻に去られ、火事を起こして危うく焼け死ぬところだった。 ジョージを忘れられないぺピーは火傷の回復のため、自宅にジョージを引き取るが、自分の家具を競売で買い取ったことを知ったジョージは自分の家に戻り、自殺を企てる。しかし危うくぺピーが駆けつけ、ハッピーエンドに。 この映画はハリウッドが舞台になっているのに、ぺピーの性格は、情熱的であり、明らかにアメリカ女のそれではない。また、ジョージに忠実な老運転手も忘れがたい。そして何よりも花を添えているのは、ジョージの飼い犬の見事な演技だろう。最初から最後までモノクロであり、声は最後の場面だけというユニークな製作。 黒澤監督の中で、戦後社会の描写が最も人間を生々しく表現しているように思われる。クーラーのない夏、汗だくと酷寒の生活、猥雑な盛り場・・・終戦間もない、大きなヘドロ沼のまわりに「南新町」商店街が広がっている。キャバレーや、得体の知れない商売人の行きかう中に、一軒の医院がある。そこの医者、眞田は、酒好きで相手かまわずものをいう男であるが、大病院に勤めることなく町医者として付近の住民の世話をしてきた。 ある日、手に銃弾を受けた付近のやくざの若棟梁、松永が飛び込んでくる。眞田は一見して、この男がひどい結核をわずらっていることを知る。だが松永は血気はやる男で、そんなことに耳を傾けようとはしない。だが、荒れた生活は、次第に松永の病気を悪化させてゆく。 医院には、かつてのやくざのボス、岡田の元妻が世話になっていた。妻のせいで岡田は監獄にぶち込まれたのだが、最近出所したのだ。そうなればきっと報復にやってくる。この町に現れた岡田は、松永の兄貴分となり、付近のやくざを次々と従えてゆく。病気で体力が弱っている上に、自分の領分をおかされて、弱り目に祟り目、子分たちや近所の人も松永から離れてゆく。 賭博の最中に、ついに松永は喀血をする。囲っていた女にも追い出され、眞田に世話になりながら、その命令を聞かずに勝手に外を歩き回ったが、自分がこの地域で岡田に完全にのっとられてしまっていることに気づく。自暴自棄になった松永は岡田の部屋に乗り込み、二人は死闘を展開する。 だが、喀血をしていては、とてもかなわない。最後には絶命して、遺骨は自分を惚れていた飲み屋の女が故郷に持って帰ることになった。眞田はもううんざりしきっているが、そこへ医者の言うことをよくきいてすっかり肺病から回復した女学生が現れた・・・資料 On the Beach 渚にて 2012/08/19 :(再)2020/11/20 原発事故の重大さをいまだにわかっていない人々は、この映画をぜひ見るべきだろう。この映画の中で、この核による絶滅の張本人は誰だという話で、アインシュタインだ、という声があがるが、必ずしも冗談だとは言い切れない、むしろ本質を突いているかもしれない。 1964年、世界は冷戦のさなか、何かのきっかけで核戦争が開始される。たちまちのうちに北半球の人類は放射線によって絶滅した。オーストラリアは放射能の雲がまだ4ヶ月先にならないと到達しないらしい。アメリカ海軍の原子力潜水艦のドワイト艦長がたまたま当地に停泊していた。 人々の生活はいつものように行われる。ドワイト艦長はモイラという女性と知り合い、妻と二人の子供を失った今、残り少ない人生を改めて味わうことを知る。偵察の命令が出て、サンフランシスコへ向かうが、もちろん無人の街と化していた。そこを故郷とするひとりの水兵は艦を脱出して街に向かう。 次の寄港地、サンディエゴからは謎の無電が発せられていたが、これはたまたま動いていた水力発電機によって供給された電気をもとに、ブラインドに引っかかったコーラのビンがモールス発信機にふれていただけのこと。 オーストラリアにも少しずつ放射能は高まり、人々は少しずつ姿を消してゆく。みんなに睡眠薬が配られ、それぞれが人生の最後を満足がいくように思い思いのことをし始める。ある者はカーレースに熱中し、ある者は妻と初めて出会った渚(beach)のことを思い浮かべる。 艦長は、乗組員たちの投票により、アメリカに帰国の航海に出ることになった。それをモイラが海岸から見送る。・・・資料 ニューヨーク警察のポパイ刑事は新たにヘロインが外国から入ってくるらしいという情報を得て、相棒と共に捜査に乗り出すが、ポパイがかつて警官を1人死なせたり、容疑者の扱いが乱暴であるところから、なかなか上司の許可がおりない。 そのころフランスのマルセイユでは、アランと名乗る男が、奇計をたくらみヘロインをニューヨークに持っていく準備をしていた。有名なフランスの俳優の自家用車にヘロインを隠して運ぼうというのだ。 ポパイの捜査はやがて悪者どもに気づかれ、地下鉄の中でアランを見失ってしまったり、アランの子分に狙撃されて地下鉄の暴走事故に至ったりしたが、ようやく乗用車を発見してその中にヘロインを探し当てる。 最後に悪者どもをとらえることができたが、肝心のアランは姿をくらまし、ポパイは誤って同僚刑事を撃ってしまうというミスを犯してしまった。・・・資料 英語の helter-skelter とは、あっちをうろうろ、こっちをうろうろ、大混乱を表す言葉で、ビートルズの歌の題名にもなっている。この歌がきっかけで、狂人マンソンによる女優シャロン・テート惨殺事件も起きた。 この映画ではりりこという若い女性が全身整形手術を受け、一躍マスコミと芸能界の寵児となる。だがその栄光の陰に、ストレスと現代社会のひずみが一挙に押し寄せ、クスリにたより、性的変態に走る。そして生活も体もすべて崩壊してゆく。 りりこの忠実なマネージャーとその恋人、こずえという新人モデルの登場、自分の若き日の再来をりりこに夢見るモデル会社のママ、など多彩な人物が登場する。でもなぜりりこはこの仕事を目指したのか?田舎にいる妹が、「お姉ちゃんはきれいだから強くなった。」というが、むしろ「強いからきれいになった」のだ。 りりこの整形手術をした病院長が、法に触れる行為を繰り返していたらしく、それを追及する検事が登場する。りりこはバングミ収録中に薬の飲みすぎで倒れ、整形していることが世間にバレ、体には手術による後遺症が現れる。記者会見を前にして、自分の右目をナイフで突き刺すが・・・ いったん芸能界から忘れられたように見えたが、彼女は強かった。こずえが香港での撮影を終えて、とある酒場に入ってみると・・・。彼女はやっぱり強かった。 現代社会におけるモデルなど、体形を維持するために、食べたものをすぐ吐くのが当たり前。商業的利益を出すものなら何でももてはやされ、役に立たなくなると、即座に使い捨てになる姿が、極彩色の映像の中に描かれている。・・・資料 ロバートは、ライェットと同棲しているが、石油掘削やら、これまた不安定な仕事についている。でも本当は音楽の才能があるのだ。性格的に変わっていて、それはレストランでのウェイトレスとのやり取りに見事にあらわれる。ライェットはそんな関係に不安を感じ、ますますローバートに甘えてゆく。 実は、ロバートは3年ほど前、ワシントン州にある裕福な実家から家出をして国中を放浪しているのだ。だが、姉に居所を突き止められ、しかも父親が高齢のためにもう先がないと知らされ、仕方なく実家に戻ることにする。帰る途中でヒッピーの女二人連れを同乗させ、その会話の中で彼らの考えていることが垣間見える。 帰ってみると、父のほかに姉や兄、そして兄の妻は一軒の家で、あいも変わらず音楽のレッスンに明け暮れる毎日だった。兄の妻との横恋慕は再び一緒に暮らす希望をロバートに与えるが、彼女から断られてしまう。 1週間ほどいたけれども、自分の場所がなくなってしまったと感じたロバートは実家を去る。しかも後からついてきたライェットにも邪魔に感じ、ガソリンスタンドにたまたまいた材木運搬車に、ふと乗せてもらって再び放浪の旅に出る。 自分も加えた”5人”がタイトル名になっているのかもしれない。と同時に、もとの妻に頼まれて弾いたピアノ曲を「簡単だよ(easy piece)」と言ったところと、かけているとも考えられる。上流階級に生まれながら社会のはみ出し者として、どうしても既成の”まじめな”人々になじめない男の姿は、アメリカの寅さんなのだ。・・・資料 Husbands and Wives 妻たち夫たち 2012/10/09 マンハッタンに住む仲の良い二組の夫婦のうち、一方が別居宣言をする。分かれた二人は、さっそく自由を謳歌し、恋人を作るが、結局のところ最初に別れることになった原因が元で、その恋人とも別れてしまう。一方、相手の別居を止めようとした夫婦のほうが、最後に離婚する羽目になる。 機知に満ちた台詞の中に人生の機敏があふれ、人生は一筋縄ではいかず、高い理想や、強い信念や、大きな期待などというものは、夫婦生活にとって大して意味のあるものではなく、さまざまな人生経験をつむことによって、成長して初めて夫婦のよさがわかる、ということになりそうだ。 主人公はウディ・アレンが演ずる女子大の教授で同時に小説家。登場する人物は、いずれも小さなエピソードを持っていて、各人は、精神分析医か何かからインタビューを受ける場面が繰り返される。観客は、外側の演技と、内部告白の相互通行を楽しむことができる。・・・資料 フェリーニ監督の作品は、理知的に理解しようなどとはじめは考えないで、映像が、次々とイメージの流れによって構成されているのだと思えば、楽しく観覧できる。「なんだかわからない」とか、「理解できない」となることが予想されるなら、初めから見ないほうがよいのだ。彼の映画のストーリーが起承転結の原則に従っているとは限らない。 この物語は、イタリアの田舎町に住む若きフェリーニがローマに出てくるという、いわば自伝的要素が入っていると思われるが、戦前から戦中にかけてのローマの光景が次々と出てくる。その特徴は、人々が現代と違って、長屋のようなところに住み、他人でも家族同士のような親密さで暮らしていたということだろう。テレビのない時代のボードビルの描写は、日本での江戸時代の”寄席”に通じるところがある。 ローマに通じる街道は、現代はすべて高速道路になってしまっているから、町の様相も変わり、人々の意識も変わってしまった。そこに、監督として仕事をするフェリーニの姿もうつされる。地下鉄工事によって、遺跡にぶつかるたびに作業が中止されてしまうエピソード。2千年も地下に眠っていた、せっかくのフレスコ画は外気が入り込んでたちまち色あせてしまう。 かつてはカトリックの総本山として、この街には法皇や枢機卿たちが住み、人々と親しく交わっていたらしい。その場面の中に出てくる、僧侶たちのための”ファッション・ショー”が見どころでもある。最後の場面は、ローマの町を暴走族(?)が集団で走行して、どこかへ消えていくところで終わる。・・・資料 上へBallon Rouge /Crin Blanc 赤い風船・白い馬 2012/11/18 「素晴らしい風船旅行」のラモリス監督が、それ以前に作った短編。「赤い風船」では、小さな男の子が街頭に引っかかった赤い風船を見つけ、ヒモを持って家に帰ろうとしたところ、ヒモを離してもついてくるので、すっかり仲良しになる。学校へも、街角でも、繁華街でも風船はまるで生き物のように慕ってくるし、少年が放課後になって学校から出てくるまで外で待っている。 だが、それを見た、町の少年たちは何とかして奪いたいとたくらむ。大勢に追い回され、最後にはパチンコが当たって、風船は空気が抜け、墜落してしまう。まるで死んでしまったように見える。人間は、何かがうまくいっていると必ずちょっかいを出して、破壊してしまうことを象徴的に描いているようだ。 「白い馬」では、南フランスの沼が続く平原に住む、白い野生の馬を、地元のカウボーイたちが何とか捕まえて人にならそうとするが、暴れてどうしてもうまくいかない。それを見た少年が、なんとか自分のものにしたいと強く願い、辛抱強く馬に近づく。 この馬をあぶりだすために、カウボーイたちがつけた野火から救い出した少年は、白い馬にまたがり、どこまでも駆けてゆく。だが、カウボーイたちが後から追いかけてきて、だんだん距離が狭まってゆく。ついに海が見えてきた。海は行き止まりのはずだが、少年と馬は、カウボーイたちが止めるのも聞かず、海に飛び込み泳ぎだした。野生や自然に手出しをするなと言っているようだ。 Roma, città aperta 無防備都市 2012/11/20第2次世界大戦末期、同盟国であったはずのイタリアもドイツ軍に占領された。人々は、フランスのレジスタンスと同じように、地下に隠れて抵抗した。ローマの町に、一人の男が潜入してきた。フランスからやってきた、闘士の一人マンフレディ。それを手助けする神父。 マンフレディをかくまう、アパートの女、そして明日にも結婚をしようとしている婚約者。だが、ナチスの追及の手は緩められることはない。アパートの全員が外に出され、婚約者は連行される。女は止めるのも聞かず追いすがったために射殺される。 マンフレディはナチスの放った女に騙され、神父とともにあえなくつかまり、拷問を受ける。だが、ほかの同志たちが口を割っていないのに、自分だけが裏切るはずはないだろうとマンフレディは不敵な笑いを浮かべ、死んでゆく。神父も中庭に引き出され、子供たちが処刑を中止するように口笛を吹く中、後頭部にピストルの弾丸を撃ち込まれる。・・・資料 上へデュビビエ監督の作品だが、おそらく最初のキリスト処刑を描いた映画であろう。登場人物がすべてフランス語でしゃべっているのは、奇異な感じがするが。イエスが神殿で物売りたちの屋台をひっくり返して、追い払ったところから話が始まる。 エルサレムの祭司たちは、イエスの精神的影響力に恐れをなし、自分たちの地位が奪われると感じて、イエスを亡き者にしようと図る。だが当時は、ローマ帝国の支配下にあり、ピラト提督が全権を握っていた。ピラトも、妻の進言もあって、イエスを捕まえて処刑することには、気が進まなかったのだが、祭司たちの強硬な意見によって、自分が中央に出ることをあきらめ、彼らに裁判から後のことを任せてしまう。 祭司たちは、弟子のユダの裏切りや、同志たちを動員することによって、無理やりイエスを処刑することに決めてしまい、ゴルゴダの丘に十字架を据え付けることになった。大勢の人々がイエスの処刑に疑問を持つ中、イエスは他の二人とともに殺される。だが、その3日後に墓の中には死体がなくなっていた…・・・資料 上へ素晴らしき戦争 Oh! What a lovely war 2012/12/07 オーストリアの皇太子が暗殺された後、イギリスが第一次世界大戦に参戦する。軍の上層部は、戦争をゲームとみなし、これを昇進の機会に利用する。一方、鼓舞された一般の若者たちは、何も知らずに戦場へと向かう。ドイツとの戦いで、ソンムなど塹壕での持久戦は凄惨を極め、戦死者の数はすさまじい数に上る。多大な人的損害にもかかわらず、あらたな攻撃を強行する将軍は、日露戦争の乃木将軍のようだ。映画はミュージカル形式で、多くの有名な歌が、厭戦的な替え歌となっている。最後の場面は広大な芝生の上に無数の十字架が立っている風景だ。・・・資料 トリュフォーの思春期 L'argent de poche 2012/12/09 (再)2022/03/07 (再)2023/08/27 原題は「ポケットのお金」、つまり「お小遣い」。あるフランスの田舎町の小学校に通う子供たちを中心に、展開する日常の出来事、授業風景、団地夫人のおしゃべりなど、ユーモラスなエピソードが次から次へと登場する。車いすに座ったきりの父親を世話するヤングケアラーと、転入してきたばかりの問題児だという噂の少年が物語の中心になる。 ある日学校の身体検査で、問題児だった子供の体が、あざだらけで皮下出血を起こしていることから、家庭での虐待が明るみに出る。だが、その子の属していた学級の担任はただの問題児だとみなして、無視してそのことの気づかなかった。 ヤングケアラーのほうは何となく女性に関心が向いてきて、友達の母親に憧れたり、仲間とともに女の子を映画館に誘ったりするようになった。そしてある女の子にすっかり恋をしてしまう。 全体を流れる、起承転結はないが、それぞれの短い描写が実に面白おかしい。やがて1年がたち、夏休みが近づく。子供たちは、これから様々なバカンスを、活動を体験して、その思春期の真っただ中へと入っていくのだ。最後の教室での先生のお話がいい。・・・資料 Jules et Jim 突然炎のごとく 2012/12/24 (再)2023/08/11 パリでフランス人のジムとオーストリア系のジュールという二人の男がひょんなことから知り合い、親友同士となる。二人は自分たちに合う女を求めていた。だが思うように見つからない。ジュールはようやくカトリーヌという女を見つけ、婚約する。しかしカトリーヌの性格のために二人の男は人生をほんろうされることになる。 そこに第1次世界大戦が起きた。二人は別々の戦場で戦ったが、戦後運よく二人とも生還できた。ジムがジュールの山荘を訪れてみると、カトリーヌと一緒に暮らし、幼い女の子が生まれていた。だが、二人の間は円満ではなかった。 カトリーヌは激情に走りやすい女で、ジュールだけでは物足りなかったのだ。愛人はほかにもいたが、ジムにも愛を向けた。カトリーヌを失うことを恐れるジュールはジムと彼女が一緒に寝るのも黙認して、3人の奇妙な共同生活が1か月続いた。 カトリーヌに辟易したジムがパリにもどり、本来の婚約者と結婚しようというとき、ジムは彼女とのはっきりした決別を告げた。だが、最後に3人で水車小屋へドライブをしたとき、運転していたカトリーヌは何を思ったかジムをドライブに誘う…・・・資料 タイトルが愛人といっても、たんなる男と女の関係の話ではない。日常生活にはあり得ない形ながら、その純粋な形をそのまま切り取って映画化したと言ったらいいだろうか。田舎のディジョンに住むジャンヌは地方新聞社の社主である夫が、忙しくて自分をかまってくれないので、退屈を持て余し、幼馴染のマギーの住むパリを訪れる。 そこで美男で有名なポロ選手、ラウムと恋仲になるが、夫に悟られそうになる。一計を案じた夫は、逆にマギーとラウムを自分の邸宅に招待する。ジャンヌは用事の帰り、車が故障するが、その時に助けてくれた考古学者、ベルナールを伴って館に帰る。 ベルナールの語る、今までのジャンヌの生活や、夫、友人関係に対する見方は、あまりに新鮮で、ジャンヌは大きな衝撃を受ける。夫はもちろんのこと、ラウムまで滑稽に見えてきた。その夜、一人で庭に出たジャンヌは同じく庭にいたベルナールと、突然恋する仲となり、ほかの3人があっけにとられる中、朝早く邸宅を出奔する。・・・資料 葉山の海に浮かぶアマゾン号とツバメ号。潜水中の女の子、真理子と恭世が海底で偶然にも墜落した飛行機の残骸を発見。それが50億円の宝があるという。ヨットマンやボートマンたちは必死になった探し回り、ライバル同士で敵対し、はては香港の保険屋に追われて大変な目に合う。真理子はアマゾン号の青年、文男と協力して宝を発見する。 H O M E > 体験編 > 映画の世界 > コメント集(39) © 西田茂博 NISHIDA shigehiro |