英語・その他の外国語関係書 目 次 |
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中国語のしくみ _
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解 説 中国語の最大の特徴は、語順に大きく規制されていることだろう。それは語形変化のわずらわしさから解放してくれるが、話し手が自由に単語を並べ替えるという芸当が困難だということを意味する。 そういうことになったのも、漢字という世界に例をほとんど見ない表意文字の存在のためである。漢字の一つ一つの音を発音をするとき、それが北京語であれ広東語であれ、ある意味を持ったイメージを抱かせるために、余計な接続の言葉を抜きにして文章を作り出すことが可能になった。 また、実用上時制というものが必要なのかは、昔から議論されてきたテーマであるが、中国語にせよアラビア語にせよ、”完了”と“未完了”の二つでも十分にコミュニケーションの役割を果たすことができることがわかる。中国語の場合は”了”という文字をきまった場所に取り付けるだけでいい。 2021年1月作成 インドネシア語のしくみ _
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解 説 この仕組みシリーズの中でも、インドネシア語やマレーシア語はちょっと変わったところが多いので、その目次のタイトルも多少異なっている。一見、語順が英語に似ているように思えるが、実は名詞につく形容詞はすべて徹底して「後置修飾」となっている。その規則に従わないのは指示詞だけだ。 さらに、時制がないので、時をあらわす「副詞類」が重要な働きをすることになる。また、英語でいう「助動詞」によく似た語を多数あり、それによって完了や未完了をあらわすことができる点が他の言語と比べてユニークである。 そして最後に最もほかの言語と著しく違う点は動詞を中心とした、造語法である。基本となる動詞の前後に接頭辞、接尾辞をつけることによって多様な意味を持つ単語を作り出していく。これはある意味では漢字における偏や旁と似ているともいえるが、そもそも漢字がないので、音声による独特の単語形成が行われているのだ。 2021年1月作成 英語のしくみ _
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解 説 日本では受験英語というものを中学校や高校で習っているので、基本的な英文法を身に着けている人は少なくない。このため、基本的な英文法を身に着けている人は少なくない。このため、本書を読んでも特に目新しいところはないが、学習の際の配列が違うので、そこに新鮮味を感じる人もいるだろう。 学校英語は教科書が中心なので、また話し言葉を重視する傾向が高まっているので、語源的な知識や、品詞をきちんと理解する取り組みが少ないように思われる。その点では本書のようなアプローチは語学的な面から考えると正統的なものだと思われる。 むしろ、英語をほかの言語の“仕組み”と比較してその長所短所を探るための出発点にするのも面白いのではないかと思われる。例えば同じく語順を重視する中国語と比べてみるとか、代名詞の使い方が大きく異なるフランス語と比較すると、いろいろなことがわかってくる。 2020年11月作成 トルコ語のしくみ _
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解 説 トルコ語は語彙はまったく違い、背景となる文化も違っていながら、日本語と文法構造が酷似している。それは語順が似ているだけではない。一つの単語(名詞や動詞)に様々な部品をくっつけることによって時制やさまざまな表現を生み出す、つまり膠着語としての共通点があることだ。 日本語を使っていると、仮名とか漢字があるためにそのことを感じにくいか、正しく分析することが難しいが、いったんこれをローマ字に置き換えると、はっきりとその特徴が表れてくる。たとえば「書くー書ける」といった場合、kaku-kakeru となり語幹が kaku だということがわかり、-u -eru が追加部品だということがわかる。 トルコ語はだいぶ前からアラビア文字をやめ、アルファベットにしたものだから、その点はたいへん明確でわかりやすいし、規則的でもある。だからいったん<語形追加>の原則さえ覚えれば、たいへんスムーズに勉強が進む。 2020年11月作成 フランス語のしくみ _
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解 説 目次にあるようにテーマ別になっているが、それぞれの章の中では見開きページに一つのコラム風に書かれている。フランス語ではつづりは少々厄介だが、発音との関係ではかなり規則的にできている。 話し言葉の発音は単純で明快であるが、一方で書き言葉については発音しない文字をたくさんつけて、誤解が起こらないように厳密に表すという特徴がある。 語順については、英語と大体同じように思えるが、代名詞の用法が複雑で、名詞の場合とは異なる語順になることに注意を要する。形容詞は、大部分が名詞のうしろについて修飾する形式になっている。 名詞につく複数語尾などは英語と同じに見えるが、実際には発音せず、単数か複数か、男性名詞か女性名詞か、限定か非限定かについてはその名詞の前につく冠詞や所有格が示すことになっている。 2020年10月作成 日本語のしくみ _
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解 説 目次にあるようにテーマ別になっているが、それぞれの章の中では見開きページに一つのコラム風に書かれている。様々な日本語の特徴から見ると、これまでの日本人の言語生活の底に流れていることが明らかになりそうだ。 (1)日本人はコミュニケーションが下手で、会話でも本質的なことの言及は避け、文をできるだけ省略して省エネを図る傾向がみられる。 (2)相手に実際に伝えたい内容よりも、相手を怒らせたり失礼に思われたりすることを避けることのほうに注意を向けているので、敬語やその他の複雑な言い方が発達した。 (3)文の最後に動詞がきたり、否定語がくるのは、情報の正確な伝達にとってはあまり適切な方式ではない(特に演説など)のだが、太古の時代からの形式をやむを得ず使っている。それは漢語が導入されてもあまり変わらない。 (4)音節が単純なので、同音異義語があまりに多い。かといって中国語などのように、比較的統一されたアクセントがあるわけでない。 (5)ひらがな、カタカナ、漢字の3つが存在し、その複雑な体系のために外国人学習者は多大な時間を割かなければならない。 2020年9月作成 日本語のしくみ _
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解 説 英語教師で、日本語をちょっと深く研究すれば、だれでもこのような本を書きたくなるのではないか。この著者は、本業が日本語教師である。語学を勉強する際に自分の母国語と、これから習おうとする外国語の文法的特徴を深く知っておくと、それからの外国語の上達に大いに役立つことは知られている。 だが、学問の世界、特に日本では、“縦割り””専門バカ“の傾向が激しく、自分のこもっている穴についてはたいへん詳しくて得意なようだが、ほかの分野との関連なると、まるで手が出ない人がなんと多いことか。つまり、二つ以上の分野にまたがって学問をすすめるという“大物”が誠に少ないのだ。しかもそういうことを試みても、大学ではどこも認めてくれない。 高嶋氏は、果敢にもその方面に挑戦した。残念ながらそこに使われている英文がごく基本的である通り、日本語と英語の違いについてちょっとかじっただけにすぎない。それでも、多くの言語学習者にこの大切な点に気付いてもらえると、言語学習の面で大いに発展が望めそうなのだが。 おまけ:「いただきます」の英語語呂 Eat a ducky mouse. 「ごちそうさま」の英語語呂 Got cheese sause, summer. 2020年9月作成 その他の外国語 * 黒田龍之介 * 現代書館 _ ニューエクスプレス・ロシア語(白水社)の著者が、自分の多言語趣味について書いたエッセイ。外国語の勉強法、外国旅行についての感想を中心にして書かれている。「その他・・・」とは、ロシアの周辺のスラブ諸国(ウクライナ、ベラルーシなど)や奥さんの専門分野であるチェコ語など、普段メジャー言語に圧倒されて目立たないが、それぞれの文化を形作り、世界の多様性に貢献している言語群のことをいう。 世界中の言語の数は無数にあるが、英語だけが一極支配を続けることは、誰でも危惧するとおり、他の弱小文化の破壊につながる。特にグローバル社会になってしまった今、どこへ言ってもアメリカ式の文化では、実に単調で画一的な世界になってしまう。 こんな閉塞的な世界に向かうのを阻止するためには、さまざまな外国語について研究するのが早道である。言語習得の過程で、次々とその文化の特異性が明らかになるからだ。ひとりひとりが違った言語を習得すれば、6千人もいれば世界の言語が明らかになり、それぞれはその言語の第1人者になれるのだ。 少数言語をめぐる10の旅 * 大角翠(おおすみみどり)・編著 * 三省堂 _ 解 説 言語帝国主義が幅を利かせ、世界の共通語は英語と決まり、それぞれの地域では国家権力によって公用語が急速に広まってゆく。かつては何万と会った言語は次々と消滅し、その記録も残らないままに人類の歴史から消えて行くのである。 各編の著者たちにはその悲壮感がありありと出ている。この本の編集者をはじめとして10人の言語学者は誰にも省みられることのない少数言語の解明に取り組み地域のインフォーマントを探し求め、丹念に記録を残した人々である。 ある言語を話す人々が急速にその数を減らし最後の古老が亡くなったときその言語は消滅する。その事態は動植物の絶滅と同じく加速度的に進んでいる。言語学の訓練を受けた人々はそれぞれの言語の特異性に驚嘆すると同時に人類の言語の実によく似通っていることにも驚きを隠せない。 アイヌ語、アフリカ奥地の言語、オーストラリア原住民の言語などさまざまな興味深い例が示される。言語には文化が密着している。世界中で進む均一化の流れの中で、人類が今までいかに多様性を生み出してきたかをこれらの研究が如実に示しているのだ。 外国語としての日本語 * 佐々木瑞枝 * 講談社現代新書1200 _ 本文の目次
解 説 普通の人は、自分が生まれたときから話してきた母語をごく自然なものと考え、その構造や特色にほとんど注意を払わない。ところが、いざ英語などの外国語などを学ぶときは、学習効率を上げるために、文法を習いその用語でその言語を客観的にとらえる方が、上達が早いことを知る。 母語にしても世界の言語から見れば、一つのまとまったシステムであり、他の言語を話す人々から見ればやはり文法を基礎にしてみた方が、理解が早い。ところが日本語ではそのための努力が今まで不足していた。 と言うよりは文学偏重主義によって、言葉としての日本語の本質について研究する人々がほとんどいなかったのだ。そのせいで日本での「国文法」は旧態依然であり、それを習得したとしても外国人に説明もできずまったく無駄な体系となっている場合が少なくなかった。 しかし、日本語を学習する外国人が増えるにつれ、世界中のどんな人々に説明しても通用する「文法論」が必要になった。日本語教育の第1人者である作者は、新しく研究が進んでいる、「国語」ではなく「日本語」の文法についての簡潔な解説をしてくれている。 それによれば、われわれが「無意識」のもとに使っていた言葉遣い、例えば「言って、食べて、書いて、」などのような「テ形」の複雑な活用をはっきりとわかる形で示すことができる。これによって、われわれがロシア語とかアラビア語とか、他の言語がなんと複雑かと慨嘆する前に、自国語もそれに劣らず学習が難しいことを身にしみてわかることになる。 この本に述べてあるのは日本語文法とその教授法についてのごく一部であるが、全体像をつかむには理想の一冊だ。1994年に最初の版が出てからもロングセラーとして多くの人々の注目を浴びたのもうなずける。 2006年6月作成
解 説 ずいぶん長いタイトルだが、これは日本人にとってぜひ読んでもらいたい本である。というのも少子高齢化が止まらないこの国で、将来人っ子一人住まない国にしないためには、どうしても多数の外国人を招き入れる必要があるからだ。 かつて、「帰化人」などの形で日本には大勢の人々が移り住み、日本の文化の豊かさに貢献した。再びこの国は数多くのさまざまな才能夜分かを持ち込んでくれる人々を期待している。そのためには日本語を上手に教えてくれる人が数多く必要なのだ。 最初の3分の1では突然外国人に教える羽目になった3人の日本人「いきなり先生」が、その準備にあわてふためき、何とか相手にわかってもらえるように必死に説明する場面が描かれている。 これは今まで日本語を教えるつもりなどまったくなかった人にとっての体験がどんなものになるかを実況中継の形でうまく説明してくれている。失敗例の解説にあるように先生がこんこんと説明するのではなく、生徒に片言でも自分でコミュニケートできた、という気持ちを持たせることが大切なのだ。 次の3分の1では現在の外国語教授法の概要を伝える。文法訳読法、オーディオ・リンガル・メソッド、コミュニカティブ・アプローチという3種類があり、それぞれの長所を生かした混成型の授業が現在のクラスにおいて行われている。これに認知言語学の研究結果を踏まえ、「アナロジー(類比)」、カテゴリー化、比喩などの新しい枠組みでの授業の進め方も紹介している。 最後の部分では、現在行われている日本語能力検定試験、教師になるための試験、そして何よりも日本語教師の置かれている厳しい現状を紹介している。著者も言っているとおり、お金儲けではなく、言葉に対する関心の深い人々が一つ日本語を学びたい人々と関わってみようという人が、ぜひこの世界に飛び込んでくれるといい。
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解 説 日本人がなぜ外国語が不得意なのかについては、これまで何度もさまざまな人々が論じていたが、私にも考えがありいつかまとめてみたいと思っていたがこの本に先を越されてしまった。 それは外国語を学ぶことについて云々する前に、自分の母語を何とかしようということだ。日本人の場合には、次の3つの弱点が考えられている。一つ目は発言を封じ個性を埋没させる方向に働く学校教育のシステム。二つ目は主語を省くことをはじめとして、相手が「察する」ことに多くを依存する言語習慣。そして三つ目はそのような「いい加減な」話し方を容認する聞き手が一般的であるという事実だ。 実際のところこの三つの障害を克服して外国語の勉強に励むのは並大抵のことではない。いっそのこと日本社会を出て、まったく違った文化のもとに暮らした方が早いかもしれないが、とにかく実際に日常生活における問題点を掘り起こし、それに対する具体的なトレーニングを提案しているのが本書である。 欧米諸国では、小学校の段階で話し方や聞き方、読書の仕方についての実地に基づいたスキルについてのトレーニングが行われているが、これが日本での学校教育でも実行に移されれば、だいぶ違ってくることだろう。何しろ商品の取扱説明書一つとっても日本語と他の外国語では表現方法も中身もが違うのだから。 学校教育の中では、日本語自体に対する分析ができることをめざさなければならない。これが外国語の文法を始める前に行われることによって、二つの言語の違いがはっきり論理的に理解されるようになる。そうすると主語を日常的に省略したり、物事の根拠をはっきり述べずにすましている現状に気づくようになるだろう。 そこから、曖昧な表現やきちんと根拠を述べた外国語に翻訳可能な日本語、「中間日本語」を作ってみる試み提唱している。これによって自分の言いたいことの外国語訳が可能になり、世界中の人間に一応通用するコミュニケーション方法の基礎ができたことになる。 先に述べた主語の省略をやめたりすることのほか、質問の内容を相手が答えられるように明確なものにすること、いわゆる5W1Hをしっかり意識した質問を作り、返事をするときには相手が納得のいく(日本人からすればたとえ理屈っぽいといわれるとしても)根拠を表示すべきである。 これらをもとにして「対話」の技術を磨いていく。日本人同士の会話に特徴的な、自分の関心があることを脈略なく「羅列」するだけで、相手との対話がかみ合わないことをあまり気にしない従来のやり方を改め、「良かったです」「大変でした」というような単細胞的な印象批判ではなく、具体的な描写をするようにしなければならない。 このために著者は「問答トレーニング」を勧める。実際の日本人同士の会話ではっきりしないことや相手の説明不足を追求するといやがられるから、「ゲーム」の形で、練習するのである。著者の持つ小学生のための日本語クラスではこれを実行しているという。 最後に、自分の見たものを相手にわかりやすく伝えるための「説明」「描写」の技術を磨かなければならない。ある物体を実際に見せずに相手に明確なデータを伝えるために、全体から部分への流れを守り、時間や空間についての説明順序を効率よく決めなければならない。会社の上司が部下に指示するちょっとしたことでも、この説明の善し悪しが仕事全体の効率に大きく影響するに違いない。 こうやってみると、すっかり日本人らしいしゃべりかたが身についた人、特に年輩の人の場合にはこれを改めるためには相当きつい訓練が必要なようである。だが、これを済ませないと今までのようにいくら英会話学校に通っても暗記したもの以上はしゃべれないと言う事態が続くことだろう。 ところでこの種のことを述べたのはこの本が最初ではない。作家である片岡義男氏のこのコーナーでも紹介している「ヘルプーミー!英語をどうしよう」でもアメリカの高校教科書における、コミュニケーション技術の記述を紹介しているのだ。 2003年11月作成
社会が急激に発展している国の言語は、その語彙も大変な変容を伴う。外来語が追いつかないほどに入り込み、新現象には人々はなんやかやと命名し、それはたちまちのうちに新聞やテレビに取り上げられる。 まさに中国がその典型的な例なのだ。田舎に住んでいた人々が都会にどんどん移住し、各コミュニティーの文化が入り交じる中でそれまで死語だったものが新しい装いを得て新登場することも少なくない。 しかも中国人は、日本語のように外来語をすぐにカタカナ語にしてしまうのと異なり、自分たちの発音に適していて、しかも意味的にもぴったりする単語を作り出す天才だ。「電脳」「電視」「可口可楽」などがいい例だ。 タイトルの通り、中国語における「新語」を集めたものだが、その背景となった社会変化についても詳しく論じているので、単なる新語辞典とまったく異なる。かつて日本の高度成長期にもあったような変化に現代特有の高度なテクノロジーが加わって、しかも膨大な人口を抱えた巨大言語共同体に起こった現象だから、注目に値する。 ただし、発行が2002年11月だから、中国の変容の激しさを考えると2年もすれば、「改訂版」が必要になるだろうが。それがこの種の本の運命だ。その時はまた別の書物を買い求めよう。
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解 説 あなたは今までに文章の書き方を教わったことがありますか?「強調する語は文の終わりに置きなさい」「対等の関係にある事柄は、同じ形式で表現しなさい」「関係のある語を切り離してはいけない」等々。おそらくないでしょう。日本の国語の授業では「作文」そのものが除けられ嫌われる傾向にあり、ましてや具体的によい文を作る授業など受験の点数に結びつかないところからまったく無視されている状態です。 英語の授業ではなおさらです。自由に作文を作ることなど思いもよらないし、ハイフン、かっこ、コロンの使い方さえ誰も教えてくれません。文法の参考書は山ほど有りますが、国際人として恥ずかしくない文章の書き方指南は、この本以外には松本亨先生の「書く英語」シリーズ(英友社)以外には思いあたりません。 この本は William Strunk Jr. というコーネル大学教授と Elwyn Brooks White という文筆家との共著で(いずれも故人)原題を The Elements of Style (Third Edition) といいます。書かれてから50年たち、不朽の名著といわれていますが、話し言葉は毎日変わっても、書き言葉の基本ルールは変わりようがありません。そのため、今日でも多くの日本の大学でも教科書として採用され、いまだに語学関係の書物を置く良心的な多くの書店に陳列されているのです。 目次を見ると、第1章は簡単な文法説明ですが、それ以外はいかに正しく他の人に伝えることができるかについての大切な原則と形式の記述にさかれています。第4章の正用と誤用についてはいくつかの代表的な単語について、使うのに適切な場合とそうでない場合に分けて解説がしてあります。これも常に流動的な話し言葉に対して、安定した流れを持つ書き言葉ならでの大切なルールだといえます。 最後の文体へのアプローチは、文学部英文学科出身でも勉強をさぼった人にとっては初耳のことが多いでしょう。多少とも保守的な見方であるにしても、この部分の知識を持ってさまざまな作家の文体に接すると、より彼らへの理解が深まると思います。 2000年7月作成
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解 説 目次を見ると「一体何が書いてあるんだろう?」といぶかると思いますが、英語を勉強して、突き当たる最初の壁をそれぞれのタイトルが示しているのです。多くの人は、単語や熟語の増強、構文の知識の完成を目指します。 そのあと、ひたすら様々な題材を次々とこなしていけばいいわけですが、一つそこには問題があります。それは英語の「曖昧性」のことです。曖昧さは他のどんな言語にあっても存在し、文の明確さはひたすら書き手の能力にかかっているわけですが、英語の場合、文章を洗練させる長い伝統があり、この曖昧さを逆手にとって、読み手に「考えさせる」文を作ってきました。 たとえばこの本にあった例文です。Always operate the nob while sitting on the seat. 今、トイレでは小さな穴から温水がシュッと出てお尻の穴をきれいに洗ってくれますが、そのときの文章だとすれば、どういうふうに解釈すればつじつまが合いますか?これはトイレでの張り紙にすぎませんが、always の解釈如何によってはだいぶ意味が違ってきます。 もっとレベルの高い文章になれば、さまざまの表現の実験が可能です。現在、英語は世界でもっとも流通する言語になっているため、優れた書き手はネイティブに限らず、英語で書こうとします。それで多くの出版物の中でその優秀さを競い合う状態が生まれたのです。 その代表的なものがアメリカのニュース週刊誌 TIME だといえます。普通の報道なら、語彙の面さえ克服できれば、楽に読めるものの、エッセイや意見に関してはかなり凝った文章が多いのがこの雑誌の特徴です。 この本を読むといかに英語の奥が深いか、思考力を必要とするかを痛感するでしょう。何しろ、通常の構文力や単語力ではとても対処できないような文章が目白押しなのですから。しかし実に論理的なので、順序立てて考えるとかならず解決することができます。 この本は英語を使った「頭の体操」と考えてぜひ苦しんで文章の理解に努めてください。最後の章までゆき、そのあとの PART 2 における練習問題を終えたとき、(必ずしも自力で解かなくても)一つの大きな山を越えた安堵感を得ることができるでしょう。 2000年1月作成 森田良行著 角川書店 解 説 今回は辞典なので、本文の目次はなく日本語を取り巻く環境からはいろう。 明治以来長い間、不思議にも日本人は自分の国語をそれほど重視していなかったようだ。西洋の文化と言語を一生懸命取り入れようとする余り、自らの文化とそれを生み出した言語に余り関心を払ってきたとはいえない。その証拠に、たったこの150年ほどの間における、日本語表現の驚くべき変化と、書き言葉における変化にすさまじさをみてみるとよい。 樋口一葉の「たけくらべ」さえ、今では「翻訳」が必要になるほどのなのだ。「旧仮名遣い」での文古本は急速に新仮名遣いに改められていったが、古い本の読みづらさは想像を絶するほどになってきて活字離れにさらに拍車をかけるほどになっている。 これはこの期間に、日本語を統一して使いやすい言語に改めていこうという国民と学者が一体になった運動が少しも存在しなかったためだ。これをイギリスの学者たちやフランスのアカデミーなどと比較するとよく分かる。これが現在の日本語の混乱を引き起こしてしまった。 現在にいたり、日本の経済的地位と、日本語学習者の増加、特に在日外国人の増加などの原因がやっと、国語学者たちの重い腰を上げさせ、真剣に日本語の改革を目指さざるを得なくなってきた。現在の状況では、日本語を学ぶ人々の苦しみは増すばかりである。 現在の日本語は古くからある大和言葉に、漢語や佛教関係の言葉などが秩序なく混ざり合ったために生じたといえる。その典型的な例が「音読み」と「訓読み」の混在であろう。一つの漢字が2つも3つも読み方があり、ほかの漢字との組み合わせで次々と変わるなどというものは、学習者にとっては地獄の苦しみである。 この状況にある国語を統一のとれた状態にするためには、何百人という、国学者、言語学者の協力が必要である。文法用語一つとっても、となりの朝鮮語やモンゴル語との共通項など、何も見いだせない。英語・フランス語、スペイン語、ドイツ語、イタリア語ほどではないにしても、多少の共通の言語解釈が存在すれば、この方面の研究に大いに寄与すると思うのだが。 さて、本書は広辞苑のような語彙をチェックするための辞典ではない。だから「漢語」「擬態語」はほとんど含まれていない。意味よりも「語法」を中心に解説してあって、日常生活に使う基本的な言葉、特に「助詞」の解説が興味深い。日本語を学ぶ外国人が読んでも役に立つとは思うが、それにもまして日本語の本質を深く理解しようとしている人には実に啓発される辞典である。 たとえば、助詞の中で「僕が」「僕は」「僕も」をどう区別して使っているだろうか。意外に明確な説明を加えることのできる人は少ないはずである。「彼の文章を理解するのはたやすい」というのに、どうして「たやすい暗号」といえないのだろうか。「易しい暗号」とはいえるのに。 このほか、「さらに」「ところで」のような副詞、助動詞でも形容詞でもある「ない」など、次々と調べてみたくなる語が目白押しである。 この辞書で興味の赴くままに引いてみると、いかに普段自分の使う言語を不正確にそして確実な表現への努力をおろそかにしていたかを思い知らされる。国語の勉強だけではない、外国語を正しく認識するためにも、疑問が生じたときにはぜひ確認したい辞書である。 1999年12月作成 東京外国語大学語学研究所(編) 本文の目次 第1部 ヨーロッパ・アメリカ地域 全22言語 第2部 アジア・アフリカ地域 全23言語 解 説 いやしくも語学の研究を志す者ならば、世界の言語の大まかまでもその姿を知っておく必要があろう。すでに言語辞典の形で世界の言語を紹介したものはいくつかあるが、この本は言語学研究所の研究員がそれぞれの分野から一つ一つの言語について、音韻、文字、文法、語彙の各分野についてのレポートをまとめたものである。従って、各研究者の能力や文体によって量や内容の的確さには凹凸があるものの、人類が用いている言語の総合的な姿をつかむには手頃なガイドブックとなっている。 1999年11月作成 原沢正喜著 大修館書店 本文の目次
解 説 この項では一般人のために易しく書いた語学関係書を多く紹介してきたが、この本は英語を研究する人のためにある、かなり専門的な書物である。すでに絶版になっており(1999年10月現在)、それでもなおここで紹介したかったのは、著者の独創性に感心したからだ。氏が慶應義塾大学の教師の職を去るときに刊行されたが、これは実に30年という長い間に氏ひとりで蓄積された知識の集大成である。 実は私が予備校に勤務して間もない頃、まわりに年輩の先生が大勢おられ、(まだ少子化は始まっていなかったので)その中の学究風の先生と親しくなり、その先生の友人の本ということで紹介していただいたのがこの本である。早速書店に注文したものの、絶版であるということですっかりあきらめていて、偶然神田の古本屋で見つけたときは、行方不明の息子を見つけたようにうれしかった。 氏の英語研究法のユニークな点はその徹底的な実証に基づく、自然科学的アプローチである。「英語を純粋な経験的事象の世界、すなわち客観的言語事実が厳しく林立していると同時に不同に流動している世界と見て」(発刊の辞より)、現在の英語の世界で使われている用法、語法を徹底的に観察して、解釈し、評価するのはまさに、言語生態学(Linguistic Ecology)だといえる。 これはまさに語学を研究する普通の人のやる、言語的理論を解説したり批評するのとは違い、辞書編纂に似た孤独な作業でありながら、他人の言説を借りず、自分独自の判断で言語現象を解明してゆくことになる。とかく抽象的で空疎に陥りがちな言語理論ではなく、実際の生きた言語事実を取り上げるところが大きな魅力だ。 現代英語として用いた資料は、BBCの発刊するThe Listenerを筆頭にし、TIME,Newsweekなどの雑誌、その他著名な作家たちの文章が利用された。これらについて、「全体を10とすると、資料の提示が5,解釈が3,評価が2」ぐらいの割合で、記述を進めた。 964ページからなるこの本は、目次、索引からも検索できるが、目次にあるように大きく3つに分けられている。超品詞とは構文全体の意味と捉えようとする分野、通品詞とは異なる品詞間の関係に重点を置き、品詞内とはそれぞれの品詞における特性、たとえば動詞なら仮定法に注目するなどが挙げられる。 さらにその中の項目は、氏が様々な資料を読むうち突き当たった問題を取り上げてあるが、そのほとんどが英語を研究する諸兄なら当然感じるようなものばかりである。be動詞の後の前置詞と名詞による句が形容詞か副詞句かなどに関する問題がその代表的なものである。その他、通常の文法書では説明の付かない例が山ほど集めてある。 しかしなんといっても魅力的なのはそれらに対する明晰な解釈・評価である。これこそがこの本を独創的あらしめている点であり、単なる辞書を読むのとは違うおもしろさを与えてくれるのだ。そしてまた、その中から、英語を学習者に教えやすいようにするためのヒントとか、別の角度からの文章の構造の解釈の仕方なども至る所に見いだされる。 この本が刊行されても英語の流動化が終わるわけではない。自然界と同じく、観察対象が存在し続ける限り、この仕事には終わりがない。おこがましいが、この本の続編、または補遺のつもりで私も英語研究に役立つような資料を集め続けたい。 1999年10月作成 梅棹忠夫著 岩波新書205 本文の目次
解 説 著者の梅棹氏については、「知的生産の技術」ですでに紹介しているが、民族学の研究を行い、国立民族学博物館の初代館長も務めた。アジアのほとんど全土と他の大陸の多くを探検によって踏破した氏は、行く先々で、異なる言語に出会った。普通の人ならば、ここで通訳を雇うことになろうが、氏はできるだけ民族学的研究をする対象には、現地の言語を同時に学ぶようにしたのである。これは並大抵ではないが、「使い終わったら、さっと忘れる」という切り替えの良さで、言語学者とは違うやり方で言語習得をしたのであった。 1999年9月作成 竹村健一著 光文社カッパビジネス 本文の目次
解 説 日本人は難しい英語を使いたがる、とは「英語に強くなる本」の著者、岩田一男氏の言葉です。英文には漢文のような堅い感じの言葉、「ビッグ・ワード」と、やまと言葉のように日常生活に使うのに向いている「リトル・ワード」の二種類があります。この本に紹介されている19個の単語はまさに、「リトル・ワード」の代表格なのです。 1999年8月作成 渡部昇一著 講談社学術文庫814 本文の目次
解 説 秘術といわれると誰でも、何か素晴らしく効果的なものを想像してしまうが、、その通り、この本では文法のすばらしい働きから話が始まるのだ。「15,6歳の学生に、文法書と辞書を与えて適当な指導を与えれば、2,3年後には英米の読書階級が読むような本でも正確に読むようにすることができる」という言い方は誇張だと思いますか?そうではないのです。幼児の時から母国語を学んでいるのとは違い、外国語の学習には文法規則が欠かせないのだという、ごく当たり前のことを開眼させるのがこの本なのです。元々中世英語では
grammar とは「魔術」を意味し、外国語の学習はこの grammar を学ぶことによってたちどころにはかどるところから、次第に現代の「文法」の意味をもつようになったのだそうだ。 1999年7月作成 片岡義男著 ベストセラーシリーズ<ワニの本> 本文の目次
解 説 片岡義男氏は「ロンサム・カーボーイ」などのメルヘン小説を書き、湾岸を舞台にした若者の小説、映画評では原節子について書いた「彼女の演じた役」など、数多く生み出しています。この人が英語についての本を出したのはやはり、今の英語教育の現状と、日本人の英語力の低さに、黙っていられなくなったためだと思います。英語を教える現場にいる教師とは違った、小説家が自分の体験に基づいた見方がここでは紹介されているのです。第1章と第2章にはその例が、抱腹絶倒するものも含めて数多く紹介されています。 著者のもっとも力点を置きたいのは、第3章にあるように、日本人が日本語の論理と文化から考え出した英語は、実際の英語とは全く違ったものだということでしょう。素直に英語らしい表現を覚え、どん欲に自分の身につければいいのに、日本人はどういう英語を言ったらいいのか、日本語の観点から「考えて」しまう。そのため、英語のシステムや論理では全く通用しない奇妙きてれつな表現が編み出されてしまうのです。これは特に受験英語の英作文のやり方に慣れきっている者には耳の痛い話で、優れたネイティブの指導やガイダンスがあるならともかく、とうてい実際の場には受け入れられない英語が蔓延しているのが現状なのです。 たとえば、「・・・が好き」「・・・へゆく」というように、「好き」も「ゆく」もまるで他動詞のように使うが、英語ではlikeは他動詞だが、goは自動詞であって、全く、日本語のやり方とは無関係なシステムで動いているのだが、日本人の学習者はそんなことにはお構いなく、自国語の論理をそのまま日本語に当てはめようとする。 大切なことは英語で言うときの言い方とは日本語とは全く違った世界を展開しているのだから、自分勝手な解釈で文を作ることをせず、もっと英語の持つ文化を深く研究して、それに沿った文づくりを心がけなければならないと言うことです。我々がそのような文化にいかに無関心かは、1九九早見表 2親しらず 3北斗七星 4染み抜き 5立方体の体積 6手相見 7投書らん 8当座預金口座 9アイスキャンディー 10ひもで結ぶブーツ 11かかりつけの医者 12混合ワクチン をどれだけ英語に言い換えられるか自分でテストしてみよ、と著者は言います。このような日常的な言葉をおろそかにしているのが、日本人の英語の現状なのです。 第6章では、アメリカの高校の国語の教科書を目次を添えて紹介していますが、そこには文学作品の鑑賞?に重点を置く日本のものとは違い、徹底的に対人コミュニケーションの技能を磨くという点に力点を置く編集方針が見いだされるのです。言葉は道具なのだ、言葉の使い方がうまいと生活が向上するのだ、という考えがそこからはあふれ出ているのです。著者はそのような観点から、最後の9章において、受験に受かるためではなく、全地球的な、今様の言葉で言えば、グローバルな視点に立って英語のコミュニケーションを作っていかなければならないことを強調するのです。 今まで続けた受験勉強の英語をこのまま続けるのが一番楽ではあろうが、英語の真の「使い道」を真剣に考えている人は、ぜひこの本を一読すべきでしょう。また、英会話とは決まり文句を暗記して、それをオウムのように繰り返すのがいいのだと思う人も、「自分の言葉」で英語をしゃべるとはどういうことかをこの本からくみ取っていただきたいと思います。なお、彼の書いた、この本と同じ系統のものとして、「日本語の外へ」(筑摩書房)があります。大変分厚い本ですが、外国語の学習について、並ならぬ熱意が感じられます。 1999年6月作成 ーなぜ日本人は上達しないかー 松本亨著 講談社現代新書52 本文の目次
解 説 NHKのラジオ講座、「英語会話」と言えば、終戦直後から現在に至るまで、無数の人々の英語力を培った、通信講座の老舗です。その歴代の講師陣の中でも、松本亨先生は15年以上にわたって担当され、その味のある語り口は、私も含めて、長く記憶にとどまっています。さて、目次を見ますと、日本人の永遠の課題がそのまま現れているようです。「英語に強くなる本」とはまた違ったアプローチで勉強法が主張されています。 この本をぱらぱらと読んで、読者がまずショックを受けるのは、その「数字」でしょう。曰く、「一時間に50ページの読書」「一時間に30通の手紙」そして「(あなたが留学するなら)一週間に10冊(3500ページ)の参考書を読み、タイプで15ページのリポートを書く能力と、一晩に一冊(350ページ)の参考書をこなして、翌日教室で教授を交えて議論できる力と、人の前に立たされて少なくとも15分間原稿なしにまとまったことの言える実力・・・」 もはや、開いた口がふさがらないのではありませんか?今の平均的な日本人の英語力とこれらの数字の隔たりがあまりに大きく、とても乗り越えられるはずがないと。はじめは私もそう思いました。「俺はオリンピックの選手になるんじゃないんだ。」しかし、実状を調べて行くと、この程度のことは、ほかの英語を第2外国語とする国々ではさほど珍しいことでもないことがはっきり分かりました。日本人が「普通だ」と思っている英語力の水準が低すぎるのです。 この本の重点は READ,READ,READに置かれています。松本先生自身のおこなってきた勉強法が具体的に書いてあります。特に「訳しながら読む」ことによる弊害については、詳しく述べられており、英語の流れに沿って、英語で考えながら読むことの重要性が繰り返し述べられています。しかも、練習問題付きですから、実際にやってみて、皆さんは、いかに日常での英文との接し方が生ぬるいものであったのかを痛感させられるでしょう。 WRITINGについては、THESAURUS(同意語辞典)の活用がすすめられています。これは使ってみるとわかりますが、実におもしろい。肝心の言葉探しより、こんな言葉が同意語なのかと感心するうち、大きな寄り道をしてしまうほどです。会話については、パターンにそった勉強法を批判しています。会話というのはどう展開するか分からないのだから、当意即妙にその場で即興的に文を作る練習をしておかなければならないといいます。そうでないと、相手にとって、「話のつまらない人」になりかねないのです。 最後の第10章では、それぞれの年齢にある人向けに勉強法のアドバイスをしています。上に述べた留学生向けのアドバイスもここに書かれているのですが、「本当の英語力」がどのくらいのものか知るには格好の材料といえそうです。なお、ラジオ講座担当時のテキストからの会話集が出ています。3種類ほど出ていますが、中でも会話に活気があるのが、「英語会話イディオム集(増補版)」(日本放送出版協会)です。 1999年5月作成 ー教室では学べない秘法の公開ー 岩田一男著 光文社カッパブックス 本文の目次
解 説 この本が初めて出版されたのが1962年です。私がこれを買ったのが1968年9月25日(黄色くなった表紙の裏にエンピツ書きされていました!)この本は改訂新版になって、今でも出ています。そしてこの40年の間に、無数の英語啓蒙書が出ましたが、総合的なレベルでこれを上回るものはまだ出現していないといってもいいでしょう。 皆さんも試しにこれを読んだあとで、大書店に行き、あの目の回るような多種類の英語の本をどれでもいいからめくってみると良いでしょう。新しい、または役に立つ表現を紹介するという点での優れた本は多いのですが、勉強の「哲学」を持った本はきわめてわずかといっていいでしょう。これに対し、この本の魅力は、著者の岩田氏の人柄や幅広い読書歴からにじみでていると思います。 敗戦のあと、ようやく経済活動が軌道に乗ってきた日本人が、海外に目を向け始め、英語学習プームが始まったちょうどそのころにこの本が出たわけです。当時としてはほかに適当な英語のための入門書がなかったこともこれを空前のベストセラーにしたと思われますが、いまでも通用するのはこの本がいわば、「一番絞り」「一番茶」であるからです。「本文の目次」にある第1章から第8章までは、そのあとの英語の解説書に何度も繰り返し主張されたことです。使われている英語には多少変化が出ているので、改訂新版にはその点は改められてありますが、中を流れる、学習の基本方針には何も変化がありません。 この本を読んでいて楽しくなるのは、モーム、ドーデ、へミングウエイなどの作家について次々と原文を交えたり、エピソードや名言をつけて紹介してくれる点です。現代ジャーナリストの切れ味の良い論文や新聞記事も結構ですが、やはり作家の味わい深い文章のほうが、心を豊かにしてくれます。私も「一つの言葉を覚えることは一つの恋を得ることだ」というこの本から覚えた言葉をいまになっても忘れられません。 しかしなんといっても最も大切な部分は第7章の「英語を読む秘訣」です。この章では、「線香読み」と称して、和訳の時にやるような、後戻り式の読み方をやめ、英語の流れに沿って読み進んでゆくことをすすめています。これは今もって、なかなか実行されていないことであり、少なくともここだけはぜひ皆さんに読んでいただきたいわけです。私の「ホントに使える英語」シリーズもまさにこの考えに基づいたものです。 岩田氏の著作で、もう一つ素晴らしいのは「英語・一日一言」(祥伝社・ノンブックス)です。これまた、氏の豊富な読書経験から生まれた、作家や思想家の味わい深い言葉が、365個ちりばめられています。一日一つづつ丹念に読んでゆくと、英語以外にも何かがあなたに付けくわえられることは確実です。 |