日本人の食生活

English

定義の竹林

HOME < Think for yourself > 小論集 > 食生活

香港の通りを歩きながら日本人旅行者である良夫は、新しいガールフレンドに向かって言った。「今晩は何を食べたい?」加世子は、しばらく考えてから返事をした。「そうねえ、美味しいフランス料理でも試してみようかしら。」「でも今週ずっとイタリア、ロシア、中国料理のレストランに行っているよ。まっすぐ腰を伸ばして座って、薄っぺらな慇懃さで給仕を受けるのにはうんざりしちゃった。露店の一つでも行かないか?冷たい風で食べ物がますますうまくなるよ。」「露店ですって?そんな汚い場所は行ったことがないわ。何か怖い病気でももらったらどうするの?前の客の残したスープを使っているっていうじゃない。」

「そんなバカな!ぼくのよく知っている街角ではさまざまな香料の香りがいっぱいなんだ。ちょっと寄ってみようよ。」全く乗り気しない様子だったが、彼女は同意した。二人は地下鉄に乗って港の西端に出た。100軒以上の露店が並んでいた。カセットテープや下着を売っているところもあった。でもたいていの店は食べ物を扱っていた。

そこには何度も出かけたことのある良夫は、彼女をソーセージのようなものを焼いている場所へ連れていった。「食べてごらん」棒を突き刺してあるのを噛みながら言った。加世子は半信半疑でその一つを取ってみたがそのとたん、叫んだ。「何これ!脂っこいわ。もう噛めない。」びっくりして良夫は別の店へ彼女を連れていった。

そこでは見慣れぬ貝類や、さまざまな色の他の海産動物を茹でていた。「本当にこれ食べられるの?」「静かに口を動かしている人たちをごらんよ」「ばかげているわ。何でこんな怪物を食べなきゃならないの?ただ見ているだけで寒気がしちゃう。」「まま、落ちついて。これらの食い物は新鮮で、その料理法は豪勢なホテルではお目にかからないものなんだ。」「私はこんな虫けらよりディナーの方がいいの。ホテルへ帰るわ。」彼女はきびすを返すと、さよならも言わないでその場を立ち去った。

*********************************************

豊かな社会のおかげで、ますます多くの日本人の若者が、戦中や戦後には豊富に手に入った「原始的」食物を口にする機会が減ってきている。ハンバーグ、缶詰、冷凍食品のような、加工食品に慣れきってしまっているのだ。その大部分は柔らかく、人工着色料や香料が加えられ、現代の若者たちはそれらが本来の姿だと思う傾向にあり、彼らのアゴはますます弱く、大きさも小さくなってしまっているのだ。特に若い女性は、本来の姿よりいかに料理の見栄えがいいかを重視するから、テーブルの上に広げられた美しい盛りつけの料理に引きつけられる。だからフランス料理のレストランによく行くのだ。

アジアの国々では、人々は食糧不足や時には飢饉に苦しんできている。これを克服する一番の方法は、想像できる限りのあらゆる食材を食べることだった。不幸にも、未知の毒のため、ある種の食物によって命を落とした人も大勢いた。でも結果としては驚くほど多様な食品が食べられることが判明した。豚の足、ほとんどすべての種類の貝類、蛇の肉などは単に食べられるというだけではなく、美味で栄養価が高い。中国や東南アジアの食卓は珍しい料理の典型的な例である。

中にはとても洗練されていてフランス料理に似ているものもある。だが多くの「原始的」食品は一般庶民によって守られてきた。それらは食塩、砂糖、醤油のような、単純な香料だけで味付けされる。見た目に美しく並べられるわけでもない。豚の前足が丸ごととか、引き抜いたばかりのような雄鳥のトサカなどが見受けられる。そしてそのほとんどが柔らかい材料ではない。もし不注意に噛んだりすれば、歯の1,2本は折ってしまうかもしれない。現代の若者は挽肉やすりつぶした野菜や穀物のような非常に柔らかい材料に慣れているので、こんな固いものを出されたらどうしたらいいかわからないだろう。一言で言えば、彼らはまだ離乳食の段階から成長していないのだ。

だから加世子は香港の露店で売られている食べ物を見たときに拒否反応を示したのだった。日本人観光客が外国のホテルに到着するといつでも、彼らは日本食レストランに駆け込むというのは有名な話である。外国で日本食を食べるために高い値段でも払うのだ!現代日本人は、自分が小さいころから食べつけていない食物に対する適応力を失いつつある。彼らは「お袋の味」から離れることができないでいる。

西丸震哉が語っているように、人々は子供の時以来食べているものについては本質的に保守的なのである。もちろん、たいていの動物は草食か肉食かのどちからかでその食物選択範囲は非常に限られている。密林からサバンナへの転換のおかげで、人間は雑食性になることができた。

だからこそ人間はこの100万年を生き延びてきたのだ。人間は毒以外何でも食べた。これもまた人間の長寿の原因でもある。現代のストレス、汚染、生活苦にもかかわらず、人間は、もちろんある種の爬虫類は除いて、他のどんな動物よりもはるかに長生きする。

コアラを見よ。彼らはユーカリの葉しか食べず、これが彼らの寿命を著しく縮めているのみならず、環境変化への適応力も制限している。報告によると、ある動物園に到着したばかりのコアラがはっきりした原因もなく突然死んだという。獣医はこれを「ストレス症候群」と名付けた。静かな田舎で生まれ育ち、これといった捕食者もおらず、怠惰な生活を送っていたので、コアラたちは外部のプレッシャーに対して全く無防備となってしまっていたに違いない。

他方、人間はごわごわした毛もなく、外力に傷つきやすいなめらかな皮膚に覆われ、走るのは遅く、泳ぎもヒラメと同程度で、さまざまな病気にかかりやすいが、にもかかわらず強力な繁殖力のおかげで、今日の繁栄を成し遂げた。たとえ現代の科学技術の成果を考えに入れないとしてもだ。

たった一種類の食べ物だけに特別の好みを集中させることは健康に良くない。菜食主義者が典型的な例だ。そして今日多くの本が健康増進の目的のために出版され、中には特別な食物を扱っているものもある:紅茶キノコ、海草、シジミジュース(大量の核酸が含まれているそうだ!)だが、薬草の場合のように、何らかの医学的な研究がきちんと行われない限り、その効果は疑わしい。

まとめ

食物は命の源である。命の源は食物である。人間が全食物連鎖の頂点に立って以来、特定の好みを持ったり、忌避したりすることなく、何でも食用可能なものを食べることが最も大切である。

1986年3月初稿2000年10月改訂

HOME < Think for yourself > 小論集 > 食生活

© Champong

inserted by FC2 system