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人間頭脳の欠陥

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人間の開発した技術、それも西洋文明が生じさせた20世紀に生まれたもののうちで、自然を征服しようという意図がみえみえな研究は、金儲けを狙う企業によって次々と採用され、人々の生活に強制的な圧力でもって浸透しようとしている。

その中でもとりわけはっきりしているのは、遺伝子操作による食品である。複雑な機構の含まれている遺伝子の一部をいじるだけで、「夢のような」品種が生まれるとする幻想は、結局人類を絶滅に追いやる前奏曲となる。

製薬会社の場合もそうだが、開発から、販売の期間をできるだけ減らしたいのが企業の基本的態度だ。いったん効き目のある製品を開発したとなれば、そこから生じる危険性、副作用のことはなるべく目をつぶって、まず利潤を得ることを考える。

その実験動物にさせられるのは、結局一般の人々であり、たとえば睡眠薬のサリドマイドは、世界中の妊婦をモルモットにして、その催奇性が証明された。

ここに企業とその研究部門に勤める人たちの視野狭窄と自然現象に対する根本的な傲慢さがはっきり見てとれる。たぶん大丈夫だろう、もし事故が起こればそれまでだ、今のところは毒性を証明する証拠がない、等々。

彼らにとって、それが害を及ぼすという明白な証拠がない限り、無罪である。水俣病患者への救済が、患者の大半が亡くなったあとで実施されているのを見てわかるように、企業も政府も全体を見る能力は皆無だし、その上絶対に信用できないことはきちんと知っておいたほうがよい。

下手に信用などすると、逆にひどい目に遭わされることは歴史が証明している。現実の世の中は常に弱者に過酷なようにできている。インドのボハールでの毒ガス流出事故などのように、たとえ原因が誰の目にも明らかであっても、その救済に多大な時間と労力を必要とし、実際に被害者のもとに補償金が届く頃には、途中の悪漢どもによって大部分が吸い上げられたあとになる。

そして目を食糧生産に向けると、遺伝子操作によって世界の畑から多大な収入をもくろむ連中は、遺伝子操作によって起こる事故や害悪については、まったく口を閉ざし、ただ収量増加だけをうたい文句にしている。もちろん何らかの事故が起きれば、ボハールと同じ結果を生じるだけだ。

そもそも遺伝子操作の恐ろしさは、彼ら自身に細胞内の様子がろくに分かっていもしないのに、ただ乾燥に強いとか、病害虫に強いという特性を持つものを求めて、さまざまな遺伝子の断片を切り張りすることにある。

細胞内の様子は何にたとえられるか?あんなに小さくても独立した宇宙があり、とてつもない生体バランスによって生命が維持されている。わかりやすい例は、旧ソ連によって計画された、中央アジア灌漑計画だろう。

幸いソ連崩壊によって実現には至らなかったけれども、最盛期の中央集権がとてつもなく強力な時期に実行されていたらどうなっていただろう。おそらく取り返しのつかない大被害がカスピ海周辺に生じただろう。

何しろ北極海に注ぐ巨大河川に運河を通して、中央アジアに水を流そうというアイディアなのだ。そこに住む生物、気候、地形、何もかもが激変する大変な「自然改造」を行おうとしていた。自然の複雑な関わり合いの知識なしに、単純に、幼稚園児が砂場で「運河」を作る発想で工事が始まるところだったのだ。

釣り人がブラックバスを勝手に放流して、日本にいる本来の種類の魚が絶滅寸前に追いやられたり、団地造りのためにブルドーザがほんのわずか丘を削っただけで、地下水脈が切断されて一帯の泉が枯れてしまったり、あまりに愚かな人間の行動の結果が目につくが、それが大陸単位で実行されるところだったのだ。

人間は、緻密思考ができても分析的に、つまり著しく視野を狭くしてしか頭脳を働かせることができないらしく、問題解決の長い過程を我慢はできても、単純な回答しか理解できないようだ。よく健康には、「アガリクス」がいいとか、「トマトの色素」がいいと宣伝されると我も我もと飛びつくのもこの現れである。ちょっと考えてみれば、食品とは、何兆種類もの物質の総体なのだから、そんな単一の成分だけで効き目が得られるのは安易すぎるとわかると思うのだが、実はそこまで頭が働かないらしい。

人間思考は、確かにほかの動物種との競争には有利に働いたが、実は直線的、単線的思考が特徴なのだ。また単線から分岐した数多くの選択肢を吟味する能力はあるが、全体像を思い浮かべて、各部分の相互作用を捕らえ、全体に及ぼす影響を認識する能力は残念ながらほとんどないようだ。つまり「木を見ることはできるが、森を見ることができない」のである。

このように人間思考の働きが問題解決に対して鈍いことが明らかなだけでなく、これまでの成功に気をよくしたために生じた傲慢さが加わって、現在の手の着けられない状態を招いたといえる。

よく将棋や囲碁における思考の見事さについて語られるが、この能力が実生活にうまく応用されたためしがない。ゲームのようなシミュレーションであれば、それを自分の能力を磨きつつ、楽しんでやることができるであろうが、無数に近い選択肢を的確に見極め、さらにファジーな見方を加えて全体をとらえるという奇跡のような能力は、囲碁の最高段の人にしか期待できないものであるようだ。

振り返って遺伝子操作による安易な効果を求める連中の頭もその程度のものである。彼らの頭の中は、河に運河を掘って灌漑用水にするという単純思考しかできない。それによって無限に拡大する波及効果を捕らえることはとうてい無理なのだ。会社の命令に従って義務を遂行する能力には長けているだろうが。

また、これは天気予報にも当てはまることだ。天気予報の精度がせいぜい明後日止まりで、週間天気予報なんてまるで「冗談」なのも、人間の思考能力の限界をうまく表している。雲の流れ、気圧、海流、地形、1万キロ以上離れた場所からの影響、など予報の材料は数が多すぎる。

天気予報の難しさをうまく説明するのに次のような言い方がある。「東京の親父がクシャミをすれば、翌日ニューヨークで雨が降る」というたぐいだ。いわゆるカタスロフィー理論で扱っているテーマに属するが、まともに天気予報を出したければ、どこかの進歩した宇宙人の助けでも借りねばなるまい。

問題なのは、このように頭脳の働きが狩猟時代から何も変わらないまま現代に突入し、人間が技術開発をしたために次々と現れる、気象と同じように無数の判断材料の発生に、とても対処しきれないということだ。さらに悪いことには金儲けと傲慢さだけはついて回るから、事態は絶望的なのである。

どうも人類のこの状態は、本物の銃を持って近所を歩き回る幼児の姿に似ている。いつなんどき銃は暴発するかもしれない。自分の気分に合わなければ、どこに銃口を向けるかもわからない。銃を取り上げるか、その幼児を撃ち殺すかしか問題の解決はない。

2002年8月初稿

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