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体を知る計器

ふきのとう

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ちょうど飛行機のパイロットやカー・レーサーが無数の計器を前にして、いち早く異常を発見し、自分の操縦する乗り物の安全を確保するように、われわれ人間も自分の体を常に自分で監視する新しい体制ができつつある。

コンピュータ技術の発展は、たとえば、車のエンジンの中に無数のセンサーを取り付けて温度や圧力、燃料の流れなどを克明に記録し、それをネットワークになった制御システムによって、エンジンの能力を最大限に、そして最小の燃料で発揮できることを可能にした。

これと同じことが人体においても可能になってきているのである。血圧、血糖値、中性脂肪、血液中の白血球の数・・・これらは体の中で絶えず変動し、体に変調が起こったとき、無理がかかっているときには大きく変化する。ところがわれわれは自分の心拍数が増加したことはわかっても、今現在、体内の血糖値が上昇しているものやら、どうやら全然わからない。残念ながら人体にはこれらを感知するシステムが前もって備わっていないのだ。

これらを大きな病院では、たいていはかなり重症になった患者に限り、大規模な検査装置と高額な手数料を取ってチェックしているが、いったん病院を出れば、再び患者本人は自分がどの状況にあるのか知るすべがない。ところが、これからはそれぞれの個人がオンタイムで計測することが可能になってくるのだ。

生活習慣病という言葉がある。自分の生活習慣が欲望や都合に振り回され、健康な体を維持するのには到底向かない状況が毎日続いているうちに、それが知らず知らずのうちに体を蝕んでしまう現象だ。糖尿病がその典型的な例だが、血糖値は測ってもらってはじめてわかり、血糖変動の自覚症状は一切ない。

もし自分の持っている腕時計が、時間だけでなく、自分の血圧、血糖値が随時表示されるようになったらどうだろう。宴会で酒を飲みすぎて、ふと”時計”を見ると血圧は驚くほどあがっている。それを見た本人は大慌てで酒をやめ、帰宅することになろう。(まともな人ならば・・・)

これまで医学は、治療がおおいばりで闊歩し、予防は隅に置かれていた。予防が病院にとって大きな収入源にならないばかりか、逆に将来的に減らす作用を持っているから、常に冷遇されてきたのだ。おかげで平均寿命は延びても、半健康人が激増し、病院には本物の病人や半病人があふれかえることになった。

そして医者の仕事は、そのほとんどが検査と、その結果それに対応した薬の投与ということになったのだ。患者の薬信仰も一通りではない。中年以降の人々の大部分では、薬を飲むことが、食生活の一部にさえなっている。また製薬会社は、その儲けを得るために、絶えず新薬の開発にまい進し、薬万能の雰囲気を社会に広めた。

今では精神病の中で、鬱病や分裂症は言うまでもなく、自分のやる気を高めるための薬さえ開発されている。薬による気分のコントロールが許容される時代に入ってきているのだ。このように自らの健康への配慮などおざなりにされて、病気になったら薬でなおせばいい、という安易な風潮はどんどん広がっているように見える。

腕時計式の測定器具は、この流れに一石を投じるものだ。ストレスのために、ショートケーキを一日に何回も馬鹿食いする女も、運動を待ったくせず、一日中机の前でじっとしている受験生も、徹夜と残業に追われているモーレツサラリーマンも、ときどき自分の”時計”をながめるだけで自分の体の状況を知ることができ、まともな状況に戻そうという気が起こるはずだ。

気分が沈んでいるとき、脳の中ではある種の物質が増えすぎるか、または不足することからおこるという。それらの物質の量の変動を随時、知ることができれば、薬に頼るのではなく、散歩に行くとか、別のことに集中するとかすることによって、ごく自然に自分をよい方向に持っていくことができる。ここで、本当の意味での”自己コントロール”が可能性が開けてくるのだ。

この点で、計測器具の発達は予防医学のこれからの大きな発展を予想させるものだといえる。伝染病や怪我や遺伝病で、医者にかかるのは仕方がないとしても、実際のところ、多くの病気は自分の不注意と無知のために起こっているのだ。ひとびとがテレビを持っているのと同じだけの普及率を、これらの計器が獲得するようになれば、本当の意味での”医者要らず”が実現するかもしれない。

2011年2月初稿

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