芥川竜之介 1892‐1927(明治25‐昭和2)
東京の生れ。生後7ヵ月にして母の発狂のため,その実家芥川家に養育され,幼少年期を下町の本所に過ごす。府立三中,一高を経て1916年,東大英文科を卒業後,海軍機関学校の英語教官として19年まで勤めた。
16年2月発刊の第4次《新思潮》に発表の《鼻》で文壇に登場。翌17年には第1創作集《羅生門》を刊行。短編の数々に独自の世界をひらき,大正文壇の新星となった。
その題材も《羅生門》(1915),《芋粥》(1916),《地獄変》(1918),《六の宮の姫君》(1922)など王朝の説話集に材をとった王朝もの,《奉教人の死》(1918)や《神神の微笑》(1922)のごとき切支丹もの,《戯作三昧》《或日の大石内蔵助》(以上1917)など江戸時代を舞台としたもの,《開化の殺人》(1918),《舞踏会》(1920)など明治初期に材をとった開化ものなどをはじめ多岐にわたる。さらに22年以後書き出される保吉もの(《保吉の手帳から》ほか)から《大導寺信輔の半生》(1925),《点鬼簿》(1926)などがある。
《玄鶴山房》や《河童》,珠玉の小品《蜃気楼》(以上1927)などに最後の輝きを見せ,やがて《或阿呆の一生》をはじめとする一連の遺稿の内にその作家的宿運の何たるかを語りつつ,27年7月24日未明,〈ぼんやりした不安〉の一句を遺書に残し,36年の生涯を閉じた。
|