言語学の基礎

外国語を学習する人のための必須知識

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言語とは何か

どんな言語を学習するにしても、ネィティブとして生まれたときから話している母語を別にすると、新たに言語体系を構築しなければなりません。このときに、母語の場合と同じように”自然な”やり方で覚えていくか、言語の全体像を見た上で、効率的な方法を選んでいくかによって、その成果は大いに異なるでしょう。

短期間で特定の目的に沿って、学習を行いたいのならば、まずその前に”言語とは何か”について基本的な知識を持つことが必要です。言語学は言語学者の占有物ではありません。一般の人が新しい言語を学ぶときには、最低限のことを知っておいたほうがその後の学習におおいに手助けになるでしょう。そして文法と語法はそれぞれの言語を理解しようとする人間の研究成果の一部です。

<文法>とは、ある言語を使っているうちに見出された、かなり普遍的な規則のことです。法律と違って、先に規則を作ってそれを現実の社会で実行するのではなく、現実の社会で話されていることを仔細に観察して作り上げたのが文法規則です。この点では物理の法則のでき方とよく似ています。ですから、もしその規則に問題点があれば、すぐにもっと現実に合うように改めればよいことです。

<語法>とは、文法の規則と違い、個々の単語の特別な用い方を主として示しています。こちらは普遍的な規則ではなく個別的なので、使用者の記憶による部分が大変おおきい。そもそも単語の音がたとえば、日本語では ringo 、英語では apple だなどというのは実に恣意的な話で、勝手にその地域で話す住民が決めたことですので、相手に伝えたり、相手の言うことを理解したいというならば、あきらめてただひたすら暗記するしかありません。

共通部分

さて、世界中に6000以上の言語があるといわれていますが、方言をある言語の中に含めるか、それとも一つの言語として独立させるかによって、その数は大いに変動しますが、ここでわかることは、いったん人々がある特定地域に住んで周りの人々とだけコミュニケーションをやっていると、他の地域との差がどんどん大きくなって、ついには隣の地域の人々とさえ意思疎通が不可能になるという傾向です。

ですが、宇宙人ではないので、人類は最初は一つのあるいは少数の言語から出発して枝分かれし、今日のような多様な言語が生まれることになったと考えていいでしょう。そうなると生物の進化と同じことで、何らかの共通点、もとをたどれば同じ部分があることは確かです。おかげで言語の巧みな人の手にかかれば、どんな言語の間でも通訳、翻訳が可能です。さまざまな文化的な障壁のため、100%完璧に伝えることはできないにしても、外交論争に発展するような微妙な内容でない限り、人間の思考は決して伝達不可能なことはないといえるでしょう。

つまり、言語にはどれにも共通部分が存在するのです。これを言い換えれば、どんな言語でも学習可能だということです。ですから、言語の中の文法的な構成要素も、かなりの部分が共通の性質を持っているといえるでしょう。ごく例外的な言語を除いて、ほとんどの言語では文があり、それを句で分割することができ、最小単位である単語が存在します。そしてその単語は現代の世界で最も有力な言語である英語の文法の分類方法を借りれば、少なくとも8つぐらいの”品詞”に分けることが可能なようです。

音声の制約

言語は、なによりもまず現実世界を写し取って、相手に伝達するために発展したのですから、音楽におけるメロディやリズム、絵画における線や色彩、彫刻における凸(でこ)や凹(ぼこ)に相当する、基本的な要素が必要です。人類発生のごく初期に、動きを示すためには<動詞>が、動きのないものを示すためには<名詞>がそれぞれ分化してきたものといえます。もちろん現代における言語はどれも動詞は動きしか示さないとか、名詞は静的なものしか示さないというような限定されたものではなくなっていますが、少なくとも人類発生の最初のころはそうだったのでしょう。

次にそれらの語に対する”飾り”が必要になってきます。いわゆる修飾語ですが、名詞のために特化した<形容詞>、名詞以外のために特化した<副詞>が、今日最もよく知られている品詞です。原始人の日常生活が複雑さを増すにつれ、たとえば、”黒い土”と”白い土”、”早く走る”と”ゆっくり走る”の区別が不可欠になってきたわけです。

この4つの品詞は現実世界を写し取る最小限の道具として使われるようになってきましたが、こんどは文と文、単語と単語を結びつけるために、もっと抽象的な道具が必要になりました。それが接続詞であり、おかげで一言で発声する代わりに、複雑な内容をいくつも続けて述べることが可能になったのです。接続詞は他の4つの品詞とは違い、純粋に言語のより効率的な運用のために考え出されたという点で画期的です。さらに、代名詞、助動詞、前置詞(言語によっては後置詞を使っているところもありますが)、助詞、冠詞などのように、より洗練された道具が次々と考え出されたわけです。

ここで忘れていけないことが一つあります。人類の歴史全体の中で文字が使われるようになったのは、ごく最近のほんの短い瞬間にすぎないこと、したがって言語の本質は音楽と同じく”音”であるということです。ここで音の性質について考察してみますと、常に一方通行で戻れないこと、つまり1次元的であることが最大の特徴であります。音楽の美しいメロディはもしそれが途切れたり、逆になったり、同時になったりしたら、まったく台無しです。これに対し、絵画や彫刻ならば、気の済むまで何度でも見返してもかまわないし、どの角度から見はじめてもかまわない、つまり2次元的、3次元的な特徴を備えています。

ですから音声に関しては多くの制約があるわけです。もし相手が聞き取れなければ、もう一回繰り返していってあげなければならない。頭に思い浮かんだことをただわめいただけでは相手に伝わらない。しかもすでに述べたように、たくさんの品詞ができてしまい、それらがお互いにどういう関係にあるのかを、どうやって”ひとつなぎの”の音声に盛り込むことができるのか?これは実に大きな問題です。現代でも、ことばで説明するよりも”図解”するほうがずっと楽な場合が多いのはそのためです。野球チームのリーグ戦の取り組み表を文章だけで表わしたら、いったいどんなことになるでしょう?活字文化が映像文化に圧されているのもそのせいです。

記号と語順

この音声の制約に対する解決策は、2つの方面から行われました。ひとつは、それぞれの単語に何か”記号”をつけてその役割を示すことです。この記号がついていれば、これは主語、この記号がついていれば場所を示す、などと約束事を作ったのです。記号をつける場所はその単語の末尾でもいいし、先頭でもかまいません。あるいは一つの単語として独立させてその単語の前かうしろにつけるという方法もあるでしょう。

かくしてそのような方法が整備されて、ようやく言語としての形を成してきたのです。しかしこの方法は規則を守っている限り、正確ではありますが、その記号をたくさん覚えなければならず、非常に煩雑です。どうやら古代人たちは、特に書き言葉においてはその形式が大好きだったようです。ラテン語、古代ギリシャ語、古代ペルシャ語などを学んでみればそれが痛いほどよくわかります。ただ、それぞれの単語の文法的性質がはっきりしているので、場所は比較的自由に決められます。これは詩人にとってはありがたい性質です。

しかし早口で話される近所のおかみさんたちの井戸端会議では、あんまり面倒な規則は嫌われます。解決策の第2の方法は、”語順”をしっかり決めることでした。何か記号をつけなくても、文章を作るときに並べる順番を常に一定にしておけば、それで相手はそのパターンを認識して、内容を理解することができるわけです。逆にでたらめな並べ方をすると、文章としての意味を成さなくなります。また、自由に並べ替えることによって生ずる”文学的”効果はあまり期待できません。

現在存在する言語は、この二つの特性を同時に持っていますが、ロシア語などは記号を重視する傾向が強く、英語や中国語は語順を重視する傾向が強いようです。どちらにも一長一短があるので、適当に両方が混じっているほうがいいのでしょう。現代世界では書き言葉が重要な位置を占めているので、正確な伝達をおこなうためにはバランスのとれた言語構造が必要なのです。第2次世界大戦前での国際外交用語がフランス語だったのもそのためだったと思われます。

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最後にまとめてみますと、言語というのは(1)品詞と呼ばれる、それぞれ性質が異なり一定の関係を他の語と結ぶ単語からなっている。(2)音声が基本なので、一方的に流れている中で述べていかなければならない。(3)文中での文法的性質を明示するために記号をつける方法がある。(4)文中での文法的性質を明示するために並べる順番を決めておく方法がある。というようにまとめることができます。

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© 西田茂博 NISHIDA shigehiro

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