政治時評

杭州・西湖

法制度や行政によって社会に実現するべきだと思われる具体的方法

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鯨を捕獲して、蛋白質
を多様化しよう

 

鯨の捕獲が禁止されたのは、単に資源の枯渇を憂えてだけではないようだ。裏には、食肉業界の思惑が見え隠れする。知能の高い動物を捕まえるのが残酷だというような屁理屈だけが横行し、人類の直面する食糧問題への解決がないがしろにされている。実験動物として犬、ネコ、チンパンジーが犠牲にされている中で、鯨を食べるなという考えは、一つの文化のほかへの押しつけでしかない。

日本人は昔から鯨肉にはなじんでおり、安くて良質な蛋白供給源であった。牛肉のようなコレステロールの心配も少ない健康的な食品だ。もし鯨の捕獲を規制しなければ、多くの日本人が鯨肉を食べ、アメリカやオーストラリアの牧畜業者は食肉を売る先が無くなって困るだろう。現在の鯨規制はこれらの業者の思惑どうりに行っている典型的な例だ。しかも世代が変わり、若い日本人はもはや鯨を食べたことが無く、日常の食品としては受け入れられなくなってしまっている。

こんな事では、食料の多様化に逆行する。鯨が危機に瀕しているのは一部の種類だけであり、種として数がおおいに増えている鯨も少なくない。「管理漁業」を徹底的に行えば、これからも永続的に鯨を捕獲することができるのだ。

すでにマグロが、減少の一途をたどり、乱獲を止めるように声があがっている。だが、皮肉にもマグロは魚類だから哺乳動物である鯨と違って「残酷」議論が成り立たない。だからマグロについては非難の声がずっと低い。「日本人が今好きで食べているのだから、無くなったらそれまでさ」という態度が至る所に見え隠れする。

今日、最も大切なことは、現在の人類が食べているものをすべて、永続的供給が可能な状態に持ってゆくことである。また各国の長年の食習慣を破壊せずに、互いの文化の尊重をはかることである。

もしその見地に立つのであれば、鯨の持つ良質な肉は、牛その他の家畜の必要量を軽減し、蛋白源の多様化に役立ち、ひいては家畜の放牧による自然破壊も最小限にくい止められるはずである。

したがってもっと広い立場から、動物性タンパク質の食糧生産は「飼育」「放牧」「養殖」が中心となり、「狩猟」「捕獲」が次第に不可能になってきている現在、「管理漁業」「管理捕獲」が一層進められなければならない。

しかしながら、どうやら欧米の「反・捕鯨団体」というのは、食肉業者からの献金が行われているのではないかと思われる。まずはクジラを食用のために殺すことはいけないという論理がまったくガタガタである。世界のクジラの絶滅を心配する前に、食用のためでなく絶滅する種は世界中で年を追って増えている。

これは明らかに、牛の牧畜業者が危機感を抱いているからではないのか?牛肉は特に今まで農産物を主として食べてきた民族にとっては体に悪い。この際、牛を飼育して、広大なジャングルや草原をつぶし、生態系を破壊している連中に打撃を与えるときではないのか?(牛肉1キロを作るのに20トンの水がいることは周知の通り)。

何も牛肉を全廃せよとは言わないが、食生活の多様化のためには、クジラのステーキも大いに賞味されるべきである。反・捕鯨運動を壊滅に至らせよう!

2005年8月追加

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