政治時評

杭州・西湖

靖国神社訪問記

政治の世界に投げ込まれた悲劇

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小泉首相の靖国神社参拝が問題になっている。いやこれまでも数多くの歴代首相が靖国神社に参拝してきた。ここにきて韓国や中国の拒否反応が強くなっている。靖国神社外部リンクは一体日本にとってどんな存在なのか?実際に神社を訪れてみた。

土曜日の午後のこともあって、神社には驚くべき人出である。ニュースによって人々の関心が高まったこともあろうが、戦死した軍人の遺族らしい人よりむしろ若い人々の姿が目につく。九段の広大な敷地に、広々と配置された神社の本殿、休憩室、集会所、記念館はいずれも実に立派な造りである。

西の端には第1級の日本庭園すらあり、小さな滝から池に水が流れ出る構成になっており、アジサイの花が満開である。横には茶室、かつての刀剣鍛錬所、相撲の土俵まである。本殿の入り口には、「参拝の方は一礼していただくようお願いします」という立て札があり、大勢の人々が行ったり来たりしている。

靖国神社・鳥居折しもこの神社にまつられた魂を慰める、「みたままつり」が近づいており、参道の両側には、無数の豆電球で飾られた木枠が立っていた。夜間であれば壮観であろう。トイレが各所に完備しており、中には地下に埋設されたタイプさえある。無料休憩所もあり、そこでは湯茶冷水は無料で提供され、この日のように30度を超える暑さの中では実に有り難い。

神社周辺には、「軍馬」「軍件」「大砲」「戦艦」「特攻隊青年」のブロンズ像があり、ビルマ戦線から帰った人々が持ち寄った戦闘帽、飯ごうなどのを集めた展示もある。中でも最も目立つのはパール判事の写真と彼の残した言葉であろう。神社は彼の意見を最も高く評価しているようである。

戦争直後での極東裁判で連合国側は、A級戦犯を次々と処刑したが、インド人であるパール判事はそのやり方に批判的であった。すなわち戦勝をいいことに自分たちの都合にあわせて裁判を進め、復讐と言わんばかりの判決を出したと述べているのである。

これは新しい見方である。なぜなら戦後の日本では、アメリカの考えが絶対正しいかのような雰囲気に飲み込まれ、連合国の行動に文句を付ける人はほとんど皆無であったからだ。そんなことをすれば、戦前のファシストの復活だと言われるに決まっている。パール判事のようなバランスの採れた意見が日本人の間に賛成者が出ることはまず考えられなかった。

その情勢は今でも同じであろう。と言うよりは現代日本人は過去の戦争についてはそもそも関心すら失っているし、アメリカ文明のもたらす物質的恩恵の前には戦犯のことを思い出すだけでもおっくうであろう。ましてや戦前の列強がすべて帝国主義国だったかどうかさえ意識に登ることは少なくなった。

さて、靖国神社の立場を知るためには、付属の資料館である「遊就館(ゆうしゅうかん)」をぜひ訪れなければならない。2階建てであるが、面積は広々と取ってあり、一階部分には飛行機や大砲まで展示されている広さである。入場料は大人800円だが、一階部分は入場無料である。

さて、靖国神社の歴史観を知るためにはまずそこで上映されている映画、「わたしたちは忘れない!(50分)」を見る必要がある。これは明治維新から現代に至るまでの軍の創設と日清、日露、大東亜(太平洋)の戦争を中心に人々が国を守るために戦ったことを実際の写真を数多く交えながら浜畑賢吉が説明している。

映画の女性ナレーターは北朝鮮のアナウンサーに似て、ややヒステリックな調子が気になったが、まずは明治維新になるまでの尊皇攘夷運動から話を始める。すなわち植民地時代真っ盛りの当時、うかうかしていると日本はたちまち欧米の列強の餌食になってしまうと言う危機感から一刻も早く国を守る体制を整える必要に迫られたことだ。

おかげで日清戦争、日露戦争の勝利によって、日本の軍事力が世界に示され、ひとまず日本が西欧によって占領される危機は去った。また、アジアの植民地化に苦しむ国々の人々は大歓迎をした。ここまでの歴史観はたしかに当時の世界の状況を考えれば納得がいく。どんな国でも国軍を持っているし、守りを固めなければ、かつての中国、インド、インドネシア、インドシナの地域におけるように列強による搾取は当然予想されるからだ。

日露戦争までは日本は軍国主義どころか、ロシアなどに襲われることがないように準備するのに必死だったのではないか。当時は日本が帝国主義の国々にいつやられかわからなかった。ここまでは多くの人々に説得力を持つだろう。この靖国神社では、もちろん日清、日露戦争の戦死者もまつってある。つまり明治以来のこの国全体の戦死者をまつってあるのである。

問題は、日露以前の戦争と、日露以後の戦争ではまったく質を異にしてしまったことにある。この映画では、日露戦争以後の歴史説明に急に「省略」が多くなってくる。いつの間にか日本人が満州に「入植」しており、いつの間にか新しい国家が満州に生まれ、いつの間にか華北、華中、華南でそれぞれ激しい抗日戦争が起こるが、それがどうしてそうなったかについては説明がないまま歴史が進行するのだ。

靖国神社・母と息子すなわち日露戦争以後、日本自身が「列強」の一員になってしまい、資源がないこともあってそれが軍部の「暴走」につながっていったという問題がすっぽり抜けている。そこでは国民党政府、中国共産党政府による、日本への攻撃と、日本の当然の「自衛」という図式しか出てこない。

もう一つは真珠湾攻撃である。「ハル・ノート」にまつわる、アメリカの強硬な態度が、日本のやむない攻撃を招いたという説がある。これは、戦後一貫して「信じられてきた」日本の一方的な奇襲による悪者扱いよりはずっと公正な見方であるが、これによって正当な防衛戦争だとするわけにはいくまい。戦前は日本もアメリカも等しく帝国主義だったのだ。

映画は、結局のところ日本が東南アジアを中心に作り上げた経済圏をルーズベルト大統領の謀略を中心にアメリカがじゃまをしたためにその対抗策として攻撃をしたのであり、正当な防衛なのだと言いたいらしい。これはアメリカ側のやり方が全面的に正しいとする考え方と同じく重要な点がいくつも抜け落ちている。

仮に百歩譲ってアメリカの帝国主義との対抗戦争だとしても、問題は戦場にされた東南アジアの国々である。彼らにしてみれば、侵略者がイギリス、フランス、オランダ、アメリカであろうが、日本であろうが、同じことだ。中には同じアジア人として歓迎する人々もいるかもしれないが、実際に侵略されてみてわかるとおり、日本の行動は他の列強と何ら変わりはなかった。アジアの人々にしてみれば、順に襲ってきた侵略者のうち、日本はとにかく最後の軍隊だったのだ。

となれば靖国神社にまつられている兵士たちに対してアジアの人々が抱く感情は当然の事ながら被害者としてのそれである。イギリス、オランダなどの過去の侵略者のことは、日本の侵略のほうが記憶に新しいために忘れ去られてしまった。この状態が続く限り靖国神社への政治家の参拝は、アジアの人々を不必要に警戒させ、不信感をもつのらせることになるのである。

靖国神社参拝すらアジアの人々を刺激するのであるから、憲法第九条の存在はこれまで彼らを(不満足ながら)安心させる役割を果たしてきたと言えよう。たとえ名目上のことであっても、軍隊を置かないと条文に明記されているのであるから。もしこれで通常の軍隊を持つなどというように憲法を改正しようものなら、にわかにアジアの諸国は日本に対して必要以上の警戒心を持つことになろう。

マレーシアもインドネシアもタイもみんな国軍を持っている。それらはそれぞれの国の当然の防衛の必要のためだ。だが日本が軍隊をもつとなったら、彼らの恐怖心は底なしとなるだろう。戦後のこれらの国に対する清算がきちんと行われていないからだ。それは外交上の大きな破綻を招く恐れがある。残念ながらその事を正しく判断できる政治家は今の日本にいない。

遊就館での映画上映はそのほかにも随時行われる。しかし神社側の考えを知る上で、この「私たちは忘れない!」は必見である。この後観客は映写室を出て展示室を回る。展示室は幕末の尊皇攘夷運動から始まる。一貫して国防の必要性を強調しながら、当時の武器や軍人の服装などが数多く展示されている。

天皇に対する尊敬の気持ちは、万葉集の引用から始まっているが(英訳の方が原文よりわかりやすいかもしれない)必要以上に強調はされていない。むしろ国土や故郷、共同体を守るということに重点が置かれているようだ。

日清、日露、満州事変については実に詳細な地図付きの説明がなされ、ローカルな小競り合いまで数多くパネル表示されている。軍隊の動き、進軍や撤退などもかなり詳しく述べられている。だが日本軍の中国全体に対する動きは何も説明がない。太平洋における戦況も詳しいが、肝心の敗戦時の様子や何といっても極東軍事裁判での経過についての資料が少ない。

靖国神社・パール判事そして何といってもこの神社は軍人のためのものであり、最大の被害者である、民間人についての視点がどうしても欠落してしまう。この点では新宿にある「平和祈念展示資料館外部リンク」のような施設を同時に訪れる必要がある。

出口近くには、命を落とした軍人たちの「遺影」が壁を埋め尽くしている。もちろんほとんどが20歳前後の若者たちであり、遺族の好意で写真を提供して貰ったものであるが、それが大きな部屋を3つほど連結した中に、壁一面に貼ってある。ひとり分の遺影はカセットテープほどの大きさで白黒写真である。そこにある無数の無言の笑顔が、防衛、侵略に関係なくかり出されて未来を奪われたという事実を雄弁に物語っている。

神社から出ようとすると、女性が追いかけてきてぜひパンフレットを受け取ってくれと言う。神社にやってくる人に配っているらしい。配る方も効率を考えている。渡されたパンフレットは、まず今全国の学校で採用が論議されている扶桑社の公民教科書を擁護する内容である。また、人権擁護法に対する反対の立場をとり、ジェンダーフリーを叫ぶ「フェミニスト」の進出が社会の安定を乱しているという。

世界各国でも日本の「右傾化」が話題にされる昨今だが、かつてのような宣伝車による過激な演説や軍歌の放送は影を潜め、むしろさまざまなメディアを利用して時の権力に影響力を与えようとしているようだ。かつての左翼が勢力を失いつつある状況にあって、そこにできた真空を埋めようとする動きが注目される。

 2005/07/02訪問

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