島めぐり

2023年6月1~6日

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奄美は琉球とどう違っているのか:多くの人々は観光地としてはまずたいてい沖縄本島に向かう。飛行機の便も多いし、観光施設もそろっている。これに対して奄美は鹿児島県に属するということで、それほど目立たない存在だった。ところが近年、世界自然遺産に選定された時から、急に注目が集まり、観光客が急増している。

かつては琉球王国の一部または属領であったために、その文化、生活用具には強い類似性がみられるが、薩摩藩の時代に過酷な植民地政策により搾取の歴史を沖縄以上に持っている。ただし現在では鹿児島県の一部であるために米軍基地の問題からは免れている。

奄美はこれまで大量の観光客が出入りしていなかったから、地元特有の習慣や習俗が沖縄よりもより強く残っている。銭湯に入ると、地元の人々の話す言葉がなかなか理解できないことがある。沖縄では標準語の使用が広まり特に若い人はそれまでの方言を使わなくなったのとは対照的である。

奄美大島には、昔からの集落がお互いに交通の便が良くなかったこともあってそれぞれ独自の雰囲気を持っていて、それらは「シマ」と呼ばれて道路が整備された現在でも行政が定めた市町村の単位とは違う、社会ができている。

しかもそれによって沖縄のように本土からの業者による急速な開発(海洋博など)を免れたために、自然がずっとよく保存されている。ハブがいたるところにいて人々がむやみに山や森林に入り込むことがなかったこともある。

到着と名瀬

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あいにくと台風2号が沖縄本島に近づきつつあり、今夜は奄美の南を通過していくという。成田空港を出発するときに「天候状況によっては成田空港または関西空港に引きかえしますが、よろしいですね?」と念を押された。飛行は九州まで順調であったが、上の写真にあるように屋久島を通過したころから、台風に集まってくる散り散りになった雲が空に浮かんでいるのが見えるようになった。飛行機の揺れがひどくなっていく。

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飛行機は奄美大島の北東部に接近。海が大荒れになっている。ここはあとで行くことになる「あやまる岬」の近くらしい。
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飛行機は高度を下げ、サンゴ礁地帯の上を飛ぶ。
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漁港が見え、滑走路はもうすぐだ。かなりの揺れで、大雨が降っているようだが、管制塔からは、何とか着陸可能だとのこと。いつもよりもふらふらした感じで無事着陸した。予定通り午後12時50分であったが、我々の乗った飛行機がこの日最後の着陸で、あとの便はすべて欠航になった。私はやはり“天気男”だ!奄美の言葉で”いらっしゃい、ようこそ”は”いもーれ”である。

空港からは豪雨の中、名瀬(ナゼ)の市街地にバスで向かう。幸いバスの停留所の向かいが宿泊予定のホテル(奄美ポートタワーホテル)だったので、ほとんど濡れずに済んだ。ただし、この日は外出できる騒ぎではなく、市街地見物もできず、食事はホテルのレストランとなる。ご飯の上に鶏肉の細切りなどの具をのせてさらにその上からだし汁をかけて食べる”鶏飯(ケイハン)”を試す。

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夜中は風雨が大荒れだったらしいが、朝になって目が覚めると風はすっかり止んで、雨も霧雨状である。名瀬港を取り囲む山々は分厚い霧がかかっているが、市街地は道が少々濡れていることを除けば、見物に行けない状態ではない。ただし、この日は島内のバスはすべて運航休止だということで歩くしかない。レンタサイクルも無理だ。ホテルから真北に伸びる道(国道58号線旧道)を歩く。商店が並んでおり、本州でみられるような“さびれた“雰囲気ではない。台風の影響が大したことがなかったので、商店主はみな外に出て開店の準備をしている。15分ほどして「奄美博物館」に着いた。こんな天気で客はまるでいないが、閉館ではない。
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最初の展示は沖縄や八重山と同じく、特有の形をしたカヌーのような小舟である。
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 6人の漕ぎ手で進むこの舟は天井からつるされている。
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南インドでは便所の真下に豚を飼って、落下してくる人糞をエサにしている地域があったが、この島でもそれが行われていた。完璧な自然循環である。
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大島紬はぜひ見ておくべきものだ。糸を染めるのも大変だが、一枚の布に織り上げるのにも大変な今期と技術がいる。この模型は縦糸と横糸をどのようにして交差させるかを説明している。
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 剝製であるが、アマミノクロウサギが森林模型の中に展示されている。
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 次なる訪問先は、博物館から歩いて15分ほどの「奄美ハブセンター」である。コロナ禍以前には観光バスが必ず立ち寄っていたのだろう。ここは篤志家による私設の博物館とでもいえるところで、ハブの生々しい姿、はく製(ホルマリン漬けを含む)、ハブにかまれた人の手足の写真、この島でハブにかまれないようにするための注意点など、何でもそろっている。奄美の野生生物を守るために外来種であるマングースを駆除したので、かつてのような「ハブとマングースとの死闘」は20年ぐらい前に記録されたビデオを見ることになっている。
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 「酸素。」というキャッチフレーズが印象的な昔懐かしいポスター。かつての東亜国内航空のものらしい。
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 ハブの被害から守るため、地元では小学校の時から啓蒙運動が行われている。ハブは藪の中、木の上、小屋の中、場合によっては寝室の中に忍び込んでくる場合さえある!
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宿泊したホテルは、U字型深く入り込んでいる名瀬港の西側岸壁に沿っていて、旅客待合所のすぐそばだ。「名瀬港マリンタウン緑地公園」の広い芝生を通して海越しに東側岸壁の街並みが見える。周りを取り囲む山々は台風の影響で深い霧に覆われている。
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見事に朽ちた漁船。全体が牡蠣だらけでそばに焼酎の瓶が置いてある。船だまりで。
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「伝えよ きもぎょらさ」(心が清らか)と、港にそそぐ新川にかかる橋に立つこの銅像の下に刻んである。
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台風がまじかなのにこの港はほとんど海が荒れていない。もちろん堤防の外は大しけだ。堤防の先に見えるピラミッド型の島は「名瀬立神(タチガミ)灯台」である。

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 大 島 北 部
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翌日から二日間のレンタカーを借りる。空港前には多数の会社がひしめいているが、ホテルのある名瀬港を出発点・帰着点にしたいので、ホテルそばの歩いて4分ほどの店(奄美ゆいレンタカー)で借りた。今日は島の北部を回ることにした。そこには空港も含まれるが、空港のすぐ隣に「奄美パーク」がある。これは奄美大島の入門編とでもいえるものだ。園内には無料のエスカレーターで登れる展望台があり、そこから白いドームの本部棟が見える。台風は去り、青空だ。
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人々の生活を蝋人形で説明している。これは蘇鉄(ソテツ)をとり、それを食用に加工しているところ。昨日訪れた博物館より、ファミリー向けに展示が工夫されている。
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別棟に「田中一村記念美術館」がある。栃木県生まれだが、出世主義に明け暮れる東京の画壇に愛想をつかし、放浪の果てに奄美が気に入り一生をこの島で過ごした画家だ。島にある植物、海岸風景、民家を好んで描いた。「一村の杜」という庭園が美術館の周りにあり、彼の愛した植物が植えられている。これは「サンタンカ」。
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これは「月桃(ゲットウ)」。
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これは「蘇鉄の花」。
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  田中一村はこの島では絵画の好きな人々から、小学生から老人に至るまで多くの尊敬を集めている。年に4回展示作品の入れ替えをしているそうだ。美術館の建物もユニークで、このように中庭には浅い水が張ってある。
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次なる訪問地は東シナ海に面した東端にあり、航空機の着陸コースのそばにある「あやまる岬」。これは”謝る”でも”誤る”でもなく、しいて言えば”綾まる”に近い、つまり丸い丘の地形が“綾(アヤ)に織られたの手鞠(テマリ)”に似ているからだという。

てっぺんの駐車場に着くと、そこから周辺が見渡せる。ここから空港までのサイクリングコースもできている。実際に最終日にそのサイクリングコースを半分ぐらい歩いてみた。近くに「歴史民俗資料館」がある。ぜひ訪れたいと思ったのに看板に「1200から1300は閉館」となっている。せかせかした日本でこんな施設があってもいいのではないか。いずれにせよたまたま昼時だったので見学はあきらめた。

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 さらによく見ると、この丘と海岸との間には遊園地があり、グラウンドゴルフ場や岩で囲まれた海水プールが見える。
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さらに最北端に向かうと「笠利崎(カサリザキ)」に達する。先端には灯台があり、ハブが出やしないかとびくびくしながら登って行ったが、灯台そのものは平凡なつくりだった。それよりむしろ岬の付け根の駐車場にある「夢をかなえるカメさん」の方が、子供には人気があるかも。
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笠利崎から西に向かうとシマがくびれたようになった部分があり、そこに「大島紬(ツムギ)村」がある。島内の主要産業だけにほかにもいくつか施設があるようだが、入場料を払うと、職員の人がガイドになって村内の見学に連れて行ってくれた。
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シャリンバイという梅の木の一種を使って染めるのである。そしてそれを釜で煮なければならない。そのあと専門的な分業が進んでいる作業場で、何人かの職人さんに会わせてもらった。
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 敷地内には泥水の池があり、そこで布を染める。鉄分が多いのでタンニンと作用し、黒っぽい色になる。製品完成までの行程は気が遠くなるような複雑で正確さを必要とするものであった。お土産屋では、黒いマスクを買った。
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 この島は五島列島と似て、キリスト教会が多い。というよりは仏教寺院が少ないのだ。宗派はいろいろだが、カトリックが多いようだ。
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 次なる訪問地は西郷隆盛にまつわる場所。西郷は若いころ薩摩藩の家臣らににらまれ、再び呼び戻されるまで3年以上奄美大島や他の島に流された。とはいっても牢に閉じ込められたのではなく、近所の子供たちに読み書きを教えたり、第2の妻である愛加那(アイカナ)によって二人の子供をもうけたりした。島のくびれた部分にある龍郷(タツゴウ)町の湾に面して、西郷が上陸した場所と隠れ住んだ場所「西郷南洲流謫(ルタク)跡」が点在する。写真は「西郷南洲翁遺?(最後の一文字が読み取れない!)」とある表札である。周りは穏やかな入り江があり、流刑地どころか、最高のリゾート地と言えそうなところである。
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 流謫跡の遠景。中にかやぶきの小屋らしきものが見えるが、門が閉鎖されているので入れない。
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 流謫跡から北に東シナ海を見ながら西へ進むと名瀬港の入り口が見えてきた。「大熊展望広場」というところに車を止め、撮影した。かなり高いところなので、港全体が一望できる。

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