(2013年4月)

北駅を出るタリス

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H O M E > 体験編 > 旅行記 > パリとブリュッセル(1)

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出発 

以前パリに行ったのは、2003年と2005年。月日のたつのは早いもので、今回3回目とはいいながら、同じ場所でもはじめてやってきたような気分を味わう。それでもパリの町は古くて本当に変わらなくて、自分の故郷に帰って来たようにも思える。昔とまるで同じ建物と、ひび割れた道路。変わっているのは建物の内部とそこに住む人である。

今回は「6日間の旅」とはいうものの、往復の飛行機の時間(12時間+11時間)を差し引くと、実質的な旅行が可能なのはたった3日間であったが、その中でパリの街の”復習”のほかに、百貨店、のみの市、ベルギーの首都ブリュッセルへの遠征まで試みた。

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ホテル・キリアドはパリ市内にチェーンを持つ。今回泊まったのは三ツ星で、イタリアなどからの団体客を毎日バスが運んできていた。朝食はコンチネンタルではなく、バイキング形式。メトロ7号線の終点から3つ手前の PORTE D'IVRY の駅から南へ歩いて10分ほど。都心のオペラ座までは、30分弱かかる。途中には市の貸自転車、ベリブ Velib のステーションもある。駅前からはトラムが西へ延びている。
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ホテルへ向かう道は、環状自動車専用道路と交差する。ただし、かつての城壁跡に合わせて作られ、高架ではなく掘割式である。片道4車線あるが、週末はそれでも身動きできないほどの混雑となっていた。東京首都高速と同じく、ランプの閉鎖は日常茶飯事。写真にある並木の右側は一般道だが、市内のほかの場所と同じく、”合法的”路上駐車場となっている。市内は世界遺産級の建物が多く、地下にはメトロ、下水道などが無数に埋まっているため、地下駐車場も作れない。もちろんコンビニなどが、自前の駐車場を持つこともない。結局道しか置くところがない。路上駐車の長所は、個人によって死蔵されることがなく、常に誰かが使っていて、利用効率が大変高いことだろうか。
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 日本人向けの無料の半日観光というのがある。このツァーに参加すれば、モンマルトル、凱旋門、エッフェル塔、ノートルダム、ルーブル美術館をバスの車窓からでも一応、眺めることができるし、添乗員から様々なオプショナル・ツァーを紹介してもらえる。まずはモンマルトルに向かった。観光客でごった返している。
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サクレ・クール寺院への登り道は、大して急ではないが、市によってケーブルカーが作られ、普通のメトロの切符で上がることができる。所要時間わずか20秒ほどであるが。 
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久しぶりのサクレ・クール寺院。あいもかわらず登り道には、アフリカ人たちが、観光客の指にひもを巻きつけるおまじないをやっていたし、それに喜んで引っかかっている人もいた。 
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寺院の左手には、ユトリロをはじめとする画家たちが愛した街並みが続く。たとえ絵が下手でも書きたくなるような家並みである。 
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 観光客が多ければ、辻音楽師もやってくる。ハープを弾く人までいるのだ。
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 さらに、以前にも見た記憶があるが、白いシーツ?をかぶって石像のまねをする人がいる。うっかり騙されて近づくと、ニヤッと笑ったりするのだ。
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トロカデロ広場にやってきた。エッフェル塔は登るよりも、このように北西から見たほうがよい。この日は曇りがちで、時々冷たい雨が降るような空模様だった。ここからは見えないが、間にセーヌ川が流れているので、塔がたっているのは向こう岸である。 エッフェル塔が大嫌いだったモーパッサンは塔の中のレストランで食事をするのが好きだった。曰く、「ここで食べればエッフェル塔が絶対見えない!」
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 警官は広い地域を回らなければならない。しかし歩くには遠すぎ、車で行くには渋滞がひどすぎる。石段も多い。となれば解決策はマウンテン・バイクとなる。
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半日観光の後、午後からはラファイエット百貨店へゆく。天井を見上げると巨大なドームがあるが、前回の時はクリスマスだったため、ここにクリスマス・ツリーが立っていたのだ。 となりはプランタン百貨店だが、前者のほうがはるかに店に勢いがあると思われた。
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 オペラ地区からメトロ12号の Sevres Babylone 駅を降りると老舗、ル・ボン・マルシェ百貨店がある。ラファイエット百貨店のように混雑はしていない。やたらに細長い、ウナギの寝床構造である。
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次に訪れたのが、メトロ1号線の駅 Hotel de Ville (パリ市庁舎)のすぐ横にあるVHV(ヴェーアッシュヴェー)だ。ここは百貨店ではなく、日曜大工の用品や、材料を売っている。傘や靴などの消耗品もある。 

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観察日記(1)
フランスは、福祉制度が徹底し、貧富の差が少ないといわれているが、北欧諸国ほどではない。また、長引く失業者数の高止まりと、旧植民地からの仕事を求める人々の流入によって、貧困にあえぐ人々が少なくない。それはメトロの駅構内や教会の出入り口などでよくわかる。明らかに小銭を求めているしぐさをする人々が多いが、手足の指がなかったり、奇形だったり、ひどいけがをした後だったりして、それをおおっぴらに道行く人々の前にさらけ出しているということだ。

こういう状況は日本ではとても考えられない。終戦直後の傷痍軍人ならともかく、現代の日本では、そのような病気やけがについては、徹底的に隠そうとするだろう。これには、恥の意識や、世間の目を気にするという強力な文化的要因があると思われるが、フランスではそんなものはまるで存在せず、自分の不遇な状態をひたすらアピールするだけなのだ。

地方都市はともかく、パリ市内では、コンビニの有名チェーンはまるで見かけない。 個人経営の小さなよろずやとか、八百屋などは街角にところどころ見かける。また、カルフール Carrefour やモノプリ Monoprix などのスーパーは中規模ながら、ところどころに見かける。いずれも営業時間は午後9時ぐらいまでで、カルチェ・ラタンのモノプリでは午前零時までとなっていた。

これは、営業時間に規制があるからではないだろうか。日曜が休みの店も多い。しかし、フランス人が夜更かしでないとは、とても思えない。事実、ライブハウスやジャズクラブなどは午前1時ぐらいまでやっている。その頃は地下鉄もなくなるから、みんなタクシーで帰ることになる。

つまり、24時間営業というのがないわけだ。これは夜更かし族や夜勤族には不便かもしれない。だが、真夜中に店を開けていても、たいして客が来るわけでなし、電気代や人件費がかさむだけなのだ。本当は店としては深夜は赤字なのだろう。

だが、よそであけているのに、今さら自分のところだけ営業時間を縮小したら、イメージが悪くなると心配して無理してあけているのではないか。日本の正月の初売りなど、初めは3日からで、次第に2日になり、なかには元旦から営業する業者まであらわれた。実に愚かな話だ。そこまで金儲けをしたいのか?

そう考えると、パリ市全体が営業時間を規制されているのは各小売業者にとっては楽だし、従業員も健康を害する心配がない。人々は不便、不便と口走るが、午後6時に日が沈むのを不便という人はいない。業者もそこまで顧客におもねる必要はない。

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