(2013年10月)

ブルーモスク

目次

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トルコへイスタンブール市内へ考古学博物館トプカプ宮殿

地下宮殿グランドバザールアヤ・ソフィアとブルー・モスク

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トルコへ 

黄色い線は、今回移動した軌跡(GPS記録による)

トルコ(775㎢、7千5百万人)の西の端近くに、この国最大の都市、イスタンブール外部リンク(千4百万人近く)、旧名コンスタンチノープルがある。首都アンカラは、国の中央部だ。日本の面積の約2倍、だが人口は3分の2程度。日本が四方を海に囲まれているのと違い、トルコは四方をシリア、ギリシャ、ブルガリア、イラク、イラン、グルジア、アルメニアと国境を接し、さらに黒海を北上すれば、ルーマニア、ロシアの海岸線にぶつかるという国だから、ビザンチン帝国、オスマン帝国の過去からのつながりも考えに入れると、外交、海外文化の流入、民族構成どの点をとっても複雑極まる国だといえる。

イスタンブールの市街地は、西側がヨーロッパで、東の先端の半島にトプカプ宮殿などの歴史地区がある。その北にある金閣湾(Golden Horn)の対岸が新市街で、タクスィム広場が中心地である。 東側がユスキュダルの街に代表されるアジアで、黒海とボスポラス海峡によって隔てられている。南の海はマルマラ海で、ダーダネルス海峡を経て地中海とつながっている。

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観察日記(1)
過密都市 トルコ全体の人口増加は近年激しく、その影響を直接受けるのが、首都アンカラと、このイスタンブールだろう。町の中央部を立派な3車線の幹線道路が走り、インターチェンジもできているが、途方もない渋滞が続き、人々がそのランプ(進入路)を徒歩で横切ったりして、ちぐはぐなつくりだ。市内の渋滞はもっとひどく、100メートルを30分かけてゆくのも珍しくない。交通事故は頻発。東京オリンピック開催以前の東京のようだ。だからこそ、イスタンブールが2020年のオリンピック会場になったほうがよかったのかも。

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イスタンブール市内へ 

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旧市街の半島の端にある、近郊電車発着の国鉄ターミナル駅、シュルケジ駅。メトロやトラムと違い、内部はぼろぼろでこれから改装を始めるところ。ただし列車は近代的な車体である。

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シュルケジ駅前。4両編成の路面電車(トラム)が横切っている。周りの建物は、新旧が入り混じっており、今後の再開発が進むと思われる。タクシーは、ニューヨークのように皆、黄色い。

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 シュルケジ駅のすぐ東側は、金角(Golden Horn)湾に面したフェリーの発着所(エミノニュ港)となっていて、対岸には「タクスィム広場」を中心とする新市街が見える。とんがり屋根はガラタ塔。
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 対岸に新市街を臨む。向こうは緩やかな丘になっている。だからガラタ塔からの眺めは大変良いそうだ。エミノニュ港は、ものすごい数の連絡船やフェリーが行きかう交通の要所だ。
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 船着き場。多くの人々が、船を使って通勤している。この日は雨だったが、ラッシュ時は大変な人ごみだった。また土曜、日曜は、歩行が困難なほど人々が押し寄せる。遠くにモスクのミナーレ(尖塔)が二本見えている。
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 金閣湾の新市街と、旧市街の間にかかる、古びたガラタ橋。橋の下にはレストランや船宿みたいなのがあり、欄干越しに大勢の人が釣りをしている。新しい橋が湾の奥にもう一つできている。橋の中央から旧市街方面を撮影。
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 市を貫く幹線道路を除いて、中世以来の、曲がりくねった迷路のような石畳の道路がほとんどだ。当然渋滞はひどく、大部分が一方通行。エジプトと同じように、朝から晩まで、イライラしたドライバーたちの警笛が絶えない。舗道上駐車を防止するため、この写真のような黒い金属製の杭が車道との境に打たれている。
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 いくら飛行機の中で朝食が出ても、町に出るとすぐ腹が減る。サンドイッチ屋に入ると、大勢のサラリーマンがぱくついている。たいていはウナギの寝床式に細長く奥行きがあり、店頭にはサンドイッチや菓子パンみたいなのが並んでいて、それを選ぶとお盆を持って中央部の会計に進む。会計の左には写真のような茶房があって、コーヒーかチャイを注文する。リンゴジュースやオレンジジュースもあるが、本物のほか、香だけがする粉末を水に溶かしたものもある。
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 今、トルコは政治の季節なのだろう。日本の安保闘争のときのような雰囲気がある。機動隊を見かけるし、駅前ではストライキをやっていたし、道路沿いの巨大ポスターが貼られている。政府側の政策宣伝も盛んで、このポスターは「民主集会」開催の成果を知らせるもの。

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観察日記(2)
歩きタバコに御用心 いたるところに「禁煙」のポスターが貼ってあるにもかかわらず、街中での歩きたばこは、かなりひどい。男女の区別なく、吸っている。エジプトでもスペインでも、そうだったが、人々の煙草への愛着は強くて、パリやロンドンのように徹底的に取り締まるまでいっていないようだ。ただし、飲み屋、レストラン内での禁煙は守られており、ケムい思いをしたことはなかった。そこは日本の大部分の市町村とは違う。

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考古学博物館 

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何しろこの街は、ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国と、まるで性格の違う帝国が続いたものだから、博物館を見るにしても、きちんと頭の中で整理しておかないと、何が何だかわからなくなる。ここは考古学博物館とトプカプ宮殿に隣接する、ギュルハネ公園。このリスの像は、ほかの公園でも見かけたので、もしかしたら、公営の公園の目印なのかもしれない。
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ギュルハネ公園を歩いていると、トプカプ宮殿の裏手の建物の前に出た。古色蒼然たる壁は、長い歴史を物語っている。普通の観光客は、観光バスの行き来する正面玄関から入るので、こんな光景を見ることはないだろう。
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この獅子の姿のように、タイル張りの壁画がたくさん見られる。国立考古学博物館、古代東方博物館、装飾タイル博物館は同じ敷地内になっていて、パスポート・チケットを使えば、それ以外の場所でもたくさん見られる。(実際にそれらすべてを見て、モトを取った!)
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アレキサンダー大王、ごく若き頃のもの。 彼が小アジア(トルコのあるアナトリア半島)に向けて出発したのは紀元前334年のこと。
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 昔のイスタンブール(コンスタンチノープル)のイメージ画。左がブルー・モスクがのぞいているヨーロッパ側、海峡を挟み右がアジア側と思われる。交通の要衝だし、いつ敵が攻めてくるかわからないので、このように厳重に城壁で囲ったらしい。下に見えるのは、当時の錨の鎖か。
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 トロイの遺跡の断面図。重層構造になっている。このように非常にわかりやすく、トルコ語だけでなく英語でもていねいに解説がなされているので、遺跡の様子がよくわかる。エーゲ海に面した現地へは、バスで片道約4時間かかる。
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 古代東方博物館の入り口に飾ってある、翼をもつ怪物の像。いたるところに首のない像が見られるが、これは敵が攻めてきて、片っ端から首を落としたためだそうだ。生きた首だけでは気が済まなかったらしい。
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 壁に刻まれていた。アポロンの像のようだが、こうやって近接で見ると、古代人の心意気をよく感じ取ることができる。
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 これも東方博物館の前にあったが、単純化された獅子の像でも、なかなか迫力がある。入口の番犬代わりなのだろう。
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 イスタンブールの観光地には、なんと野良犬や野良猫の多いこと。彼らは観光客のくれるお菓子やらで、立派に生活していくことができるのだ。装飾タイル博物館入口でくつろぐ黒猫。

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トプカプ宮殿

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オスマン帝国の象徴、トプカプ宮殿は、考古学博物館に隣接していて、外国人観光客には大人気だ。この日は雨が降っていたが、チケット売り場は長蛇の列。正面のとんがり屋根が入り口の門である。
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その入り口(皇帝の門)に近づくと、このように長いトンネルのようになっている。ここを1460年代に着工されて以来、オスマン朝のスルタンたちが通ったのである。中の建物は意外と低い。モスクのような高層建築は少ない。
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切符売り場のある、宮殿入口。ここからは大きな中庭のようになっていて、様々な建物が敷地内に散らばっている。
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スルタンの着た衣服。何となくジンギス・カンなど、モンゴルのものに似ている。
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巨大な、金箔の縁のついた鏡。そういえば、スルタンたちのプライベートな品物を集めたコーナーがあった。そこは長蛇の列。贅沢な品物も多かったが、「モーゼの使っていた杖」とか「預言者の巻いていたターバン」とか「ムハンマドの髭」とか、にわかには信じられないようなものも陳列してある。そしてそのコーナーだけは撮影禁止。
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この宮殿の形式は、庭が中庭になっていて、周囲の回廊から庭の様子を眺めることができるものだ。スペインのアルハンブラでもこんな形式を見かけるが、やはりアラブ人の建築様式の影響を受けているのだ。
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ステンドグラスは、キリスト教会とは違った模様を描いている。 
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誰でも名前だけは知っているところ、ハーレム。日本語では後宮(コウキュウ)という翻訳がなされている。これこそ、元祖!宮殿本体とは別料金である。日本でいえば”大奥”だが、こちらは意外と小さく質素である。だが歴代のスルタンが”足しげく通った通路”などは、ちゃんと保存されている。 

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観察日記(3)
ケバブ屋: 中東ではどこでもあるのがケバブ屋。パリだって多い。イスラム教の教えで、豚肉は食べれないが、鶏肉、牛、ヒツジはOK。左の皿は鳥のケバブ(串は抜いてある)に野菜やチャパティ(の一種?)をのせたもの。アルコールは置いていないので、代わりにコカコーラとか”飲む”ヨーグルトを飲み物とする。量は日本人にとっては非常に多く、特に女性がこの皿全部を食べるのはまず無理。右はその店内。

地下宮殿 

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 アヤソフィアのある広場から北の方角に、路面電車の線路を横切ると、何か地下鉄の入り口みたいな建物が見えてくる。そこが”地下宮殿”である。入り口をくぐって階段を下りてゆくと、左のような写真の大伽藍が出現する。実はこれは宮殿ではなく、巨大な貯水池だ。4世紀から6世紀ごろというから、古代ローマ帝国時代から東ローマ帝国時代にかけて、こんな施設が作られ、人々が飲み水のために使っていたというのだから驚きだ。発見されてからそんなに時間がたっていない。
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 石柱の下からライトアップされ、下にある水に反射して、非常に夢幻的な雰囲気を醸し出す。観光客のためには木製の橋が渡してあるので散歩を楽しめる。
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 貯水池の奥のほうには、石柱の根元がギリシャ神話の怪物、”メドゥーサ”の首になっているものがある。しかもこれはさかさまになっているが、なんでわざわざそんなことをしたのか?少女がピンクのバスタオルをかぶった後姿と、奇妙な対照を作っている。
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 古代ビザンチン帝国の誰がこんな像を彫ったのか?千数百年間、真っ暗闇の中でメドゥーサは逆立ちを続けてきたのだ。
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 もう一つは横向きである。メドゥーサが悪いことをしないように、重い柱で抑え込もうというつもりであるか?
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 天井は、普通の宮殿のようなアーチになっており、これで地下での地盤の重さに耐えているわけだ。この真上は市民の行きかう普通の街路が広がっているのだ。

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グランド・バザールへ

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トプカプ宮殿とアヤ・ソフィアの間の路面電車通り。ここは外国人(とくにヨーロッパ人)ばかりなので、西欧風の店が目につく。
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だからレストランであっても、酒を出す。ここに立っていると、その話し声から、ありとあらゆるヨーロッパの国からきていることがわかる。特に多いのはドイツ人。トルコ人はドイツに最も多く出稼ぎに行っていることもあるのだろうか。
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絨毯屋。地元の商人は、日本人なら必ず、高価な絨毯を買うと思っているようだ。
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舗道の風景。右端の男は歩きたばこだ。ということはトルコ人だろう。ヨーロッパ人は最近、団体で来ることが多くなった。日本人タイプのツァーの良さ、安さが彼らにもわかりだしたのだ。
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トプカプ宮殿、アヤ・ソフィア、ブルーモスクのある地域はスルタン・アフメット地区と呼ばれ、イスタンブールに来た観光客はまず、この地域から始めるのが普通だが、時折ヨーロッパにいるのではないかと思うほど洗練された街角もある。
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一方、 道路の突き当りがモスクだったりする。街中をどちらを見回しても必ずと言っていいほど、どこかのモスクのドームかミナーレが目に入る。
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街歩きの楽しさは、車が入り込めないような狭い道路にある。イスタンブールの街は、特に旧市街では迷路のように曲がりくねっているので、先に進むと何が現われるかわからない。 ヨーロッパ系の品物を売る店もあれば、中東系の品物を売る店もある。
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 モスクでなくとも、入口は、寺院のたたずまい。この中に市役所の支所や福祉事務所みたいなのがあったりする。
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 くねくねした道をたどって、ついにグランド・バザールに到着。トルコ語で「カパル・チャルシュ」、つまり直訳すれば「アーケードのある商店街」。どうという名前ではない。ただ、その人ごみは尋常ではなく、地元の人間やら観光客やらが大勢詰めかけている。ただ、はたして買い物をしているかどうかは疑問だ。たいていは見物や冷やかしだけに来ているようだったから。
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中東特有の、装飾品、絨毯の店が目につく。ほかにも衣料、食料品など、それぞれ特色のあるコーナーもあって、古本だけを専門に扱う部門もある。 このため、総面積は非常に巨大で、気をつけていないと、最初の地点に戻ることが困難なほどだ。
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 ちょうど中華街のように、東西南北に門があって、これもそのうちの一つ。

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観察日記(4)
ビュユッキュとビュジュッキュ: どこの国でもそうだが、その国の言葉をしゃべると喜ばれる。トルコ語は日本語と語順が似ているし、テニオハが特にそっくりなので、使いやすい。ただ問題なのは正しい発音だ。「大きい=ビュユッキュ büyük 」、そして「半分=ビュジュッキュ buçuk 」というが、出発前にその発音を逆にして覚えてしまっていた。

サンドイッチ屋で「”ビュジュッキュ・チャイ”ください」といっても、大きい茶碗ではなく、小さい茶碗で出てくる。おかしいな、ほかの人はちゃんと大きい茶碗になみなみといれてもらっているのに…と、なんで自分の言っていることが通じないのか悩んでいた。

ところがクルーズ船に乗り、その売店の青年に、同じく「”ビュジュッキュ・チャイ”ください」というと、「”ビュジュッキュ・チャイ”なんていうものはない・・・ムニャムニャ・・・」といわれた。それでもその青年は、外国人観光客を相手にするのに慣れていて勘がよいらしく、私が「大」と「半」を逆に覚えていることをすぐさま悟り、大きな茶碗に入れて出してくれた。

帰国して、改めて辞書で調べ、赤面することこの上ない。もともとチャイの器は右の写真のように小さいのに、「半分のチャイをください」といわれたのでは、店員は混乱してしまったことだろう。発音恐るべし。でも、こんな失敗をこわがらず、積極的に”間違いながら”半年ぐらいトルコに住んだら、ペラペラになれるのじゃないかとも思う。

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アヤ・ソフィアとブルーモスク

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アヤ・ソフィア入口。トプカプ宮殿とは隣り合わせになっており、広場前には、多数の観光バスが集まる。まさに市内の観光中心地。二つの帝国にまたがる建物だけに、歴史的価値があるので。
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アヤ・ソフィアのミナーレ(尖塔)のひとつ。外観は、古くあまり美しくない。レンガなどは崩れる寸前みたいだし、ミナーレも、ほかのモスクと比べれば、断然落ちる。これも度重なる戦争と、建物自体が、異なる宗教に使われたということからくるのだ。
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アヤ・ソフィアの内部。ノートル・ダムとどちらが大きいのか、フランス人に聞いてみたかった。左右の黒い円盤はムハンマドやスルタンの称号を書いたもので、ぜんぶで5枚ある。ところが・・・
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ところが、イエスをつれたマリア像が、その間にあるのだ。ビザンチン帝国(キリスト教)⇒オスマン帝国(イスラム教)へと、この建物の持ち主が変わったことを如実に物語っている。ここのヨーロッパ人観光客が多く訪れるのもそのせいだ。
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2階にある回廊からの眺め。上へ上がる階段は、1500年以上の間に訪れた無数の人々の昇降のため、丸くすり減っている。
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ブルーモスク(スルタンアフメット・ジャーミィ) 正面入り口。噴水をへだてて、このモスクがある(このページ最上部の写真)。この通り、壁の色が薄くブルーがかっている。美的見地からは、こちらこそイスタンブールの中心といえるかもしれない。こちらは作られてからまだ400年しかたっていないので、アヤ・ソフィアよりずっと新しく見える。内部に入るためには、それこそディズニーランド並みの長蛇の列に並ばなければならなかった。
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内部。 窓がたくさんあるので、かなり明るい。礼拝がなければ、このように一般人でも入ることができるし、あのモスク独特の、針一本が落ちるのが聞こえそうな静けさどころか、赤ん坊の泣き声が響く、阿鼻叫喚のなかだ。ニューデリーへ行ったとき訪れたモスクが懐かしい。
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内部。 中央に大ドームがあり、中央と左に見えているのが副ドーム。こんなに観光客が詰めかけては、信者たちも迷惑ではないかな。

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観察日記(5)
初めての夕食:イスタンブールは、海峡や入り江に囲まれている。そこを通過するタンカーや貨物船の多さもさることながら、地中海と黒海をつなぐ通路であるために、魚の種類もとても多い。(もっともタンカーの捨てる排油により汚染が深刻になっているのだが)。

というわけで、ケバブはこれからも食べることができるということで、ひとまずおき、海の幸を味わってみることにした。その店の名前はまさにズバリ「フィッシュ・ハウス」。魚の値段は肉に比べて、はるかに高い。いわしのような魚でさえも高い。

今回はまず、スズキのグラタンにした。(といっても自ら注文したわけではなく、「おすすめは何ですか?」と聞いたまでのことだ。店の主人は親切にも動詞の誤りを訂正してくれた)

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