(2019年11月)

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目次

PAGE 1

マレーシアへ

クアラルンプール市内

マラッカ日帰り

イポー日帰り

PAGE 2

シンガポール : バスによる国境越え・植物園・市内散策

記 録 総まとめ

HOME > 体験編 > 旅行記 > クアラルンプールからシンガポールへ(1)

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マレーシアへ 

 なぜ”マレーシア”なのか: 

ユーラシア大陸の東南にナスのように突き出したマレー半島。ここはフィリピン群島、ボルネオ島、インドネシアの諸島に囲まれて、まるで一つの島のようだ。そこで話されているマレー語は、インドネシア語、フィリピンのタガログ語、台湾の原住民の諸語、そして西のマダカスカルの言語ともつながりがある。

つまり、太古の昔にアフリカを出て新天地を求めた人々のうち、ユーラシア大陸の内部を東進せず、アフリカ東海岸からすぐに海に出て海洋民族としての道を選んだ人々の子孫たちが住んでいる国なのだ。

マレー半島はその後イギリス、スペイン、オランダによって植民地化されたり保護領になったりしたが、その過程で中国人やインド人が労働力として入り込んだ。アメリカ大陸の場合と異なり、奴隷としてではなかったが、現代の人種構成の中で、単一民族によって作られる国々とは異なる性質を持つようになった。

しかも第二次世界大戦後イギリスから独立するときに、マラヤ連邦は、シンガポールとたもとを分かち、別々の道を歩むことになった。その考え方の違いが現代にも及んでいる。前者に比べて、後者は世界でも最も経済的なレベルが高いグループに属している。

40年以上前(1977/12/26~30)に、シンガポール経由でリゾート地ペナン島に行ったことがある。さすがそんな前のことだと何も覚えていないが、クアラルンプール市からはかなり遠いので今回はスキップし、まわりの日帰り圏(イポー、マラッカ)で我慢することにした。

 地理:

マレー半島だけがマレーシアではない。無数の小島のほか東隣りのボルネオ島の北半分もその領土だ。狭い海峡を隔ててシンガポールとインドネシアと接するが、このように領地が広く分散しているので、一つの国として地理的にはとらえにくい。それでも首都であるクアラルンプールと、この都市が属するマレー半島西海岸が経済的政治的にも重要な位置を占めていると言えよう。

一方、ごく狭いジョホール海峡を隔たただけのごく小さな島であるシンガポールは始めから、”都市国家”を目指したと言っていい。その点では香港と似ている。世界中の巨大国家が腕力をふるう中、都市国家は人口にも資源にも軍事にも頼ることなく、自由貿易とそれを支える機動的人材を育てるための教育で勝負してきた。シンガポール港の外に停泊する無数のタンカーや貨物船の存在が、現代を生き抜く知恵を示している。

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観察日記(1)

自動車交通: イギリスの植民地だったこともあって、いずれも左側通行である。マレーシアでは西海岸のバターワース=イポー=クアラルンプール=マラッカ=ジョホールバルをつなぐ高速道路による連結ができているので、この地帯については便利だが、、東海岸や中央山岳地帯となるとまだこれからである。

いずこの国とも同じく、マレーシアの交通事情は渋滞の連続だ。バスの便は、目的地への到着が遅れるどころか、出発さえ頻繁に遅れる。そして歩行者無視の完全なクルマ優先社会である。舗道は都会の真ん中でも申し訳程度にしかついていないし、途中で消滅してしまうのが大多数。

巨大ビルの林立するクアラルンプールのKLCC地区はいったいどんな人間が都市計画を始めたのか、横断歩道さえろくにない。あってもそこにはほとんど信号機がついていない。人々は高速道路を渡るような覚悟で道を横断する。障碍者や乳母車を押すお母さんにとっては、命がけである。

また、「歩行者優先」という言葉はマレーシアにはないと思ってよい。そんな思いで歩いていたら、たちまち轢き殺される。一時停止線でもろくに止まらないし、信号がたまたまあって青で歩行者が渡っていても平気で突っ込んでくる。しかしそれはトルコから中国に至るヨーロッパ以外のすべてのユーラシアの国々に言えることであるけれども。

これに対し驚きなのはシンガポールの市内交通規制だ。これはマレーシアからシンガポールにバスで渡ってきたとたんに実感した。日本と同じように歩行者の前では車はちゃんと停止する。市内はどこでも信号機が完備し、歩行者用の横断歩道も安心してわたれる。

シンガポールに到着したのは午後6時過ぎだから、当然夕方のラッシュに巻き込まれると思っていた。ところが予想に反して、やや車の流れが多いかな、という程度。これが話に聞いていた、奇数偶数のナンバープレートをはじめとする通行車両の規制のせいか。

これでわかることは、どこでも街にあふれる車の大部分は不要不急の車であるということだ。緊急自動車のように、どうしても走らせなければならない車などというのはほんのわずかだということだ。いらない車を野放しにするから、どうしようもない渋滞が生ずる。その点をこの市の交通担当者はよく理解している。

だから高価な通行料金をとったり、道路を閉鎖してしまうような強硬策であっても、ドライバーに強要できるということだ。しかも都市国家という体制がこのような規制を容易にしている。車の通行量が増えるたびに、片道1車線から2車線、3車線へと際限なく広げていっても何の解決にもならないことがこれでよくわかる。

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クアラルンプール市内 

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午前9時30分に成田を出発したヴェトナム航空機は、途中ホーチミン市を経由して夕方6時前にはクアラルンプール市の国際空港に到着。空港の駅は市

内の鉄道網とつながっているし、30分ほどで中央の駅、KL Sentral に着くので実に楽だ。空港駅の窓口で Travel Pass Single 2日分を買ったので、乗り放題で明日の終日まで市内交通を利用するときは切符を買わずに済む。

宿泊予約をした Amigo Hotel は KL Sentral から別の線で次の駅 Pazar Seni 、直訳すれば「中央市場」で下車。実はここはクアラルンプール市の中華街なのだ。この地域を選んだ理由は、まずうまい食べ物に困らないこと、高層ビルではなく昔ながらの低い建物と下町の気安さがあるからだ。

駅のホームから写した上の写真では、高層ビル(建設中)が見えるが,、実際の位置はチャイナタウンからはずれている。宿は駅から歩いて5分ほど。ぼろぼろの建物だが、宿代の安さ、交通の便の良さは他に代えがたい。

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最初の夜の夕食はフードコート形式を選ぶ。タイ式、四川式、インド人のためのハラルなど、多数の小規模店が周囲に並んでいて、自分の気に入ったものを選ぶ。ビール専門店もあって、そこから Tiger Beer を、食事は海鮮ラーメンを注文した。支払いは食事を運んできたときに、引き換えで行う。これだけ食事の種類が多いと、毎日ここに行くだけで多様な料理が食べられる。

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食後、午後10時近かったが、駅の周辺をぶらつき、できるだけ早くこの辺りの地理感覚を覚えてしまおう。もう営業時間を終えていたが、ライトアップされている白いファサードは「Central Market」。後日多数のお土産を買うことになる。

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Pazar Seni 駅構内を歩いていると、宅配便のための無人投入ボックスがあった。この絵にある通り、会社は Ninja van (忍者便)という。

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翌朝、朝食を食べるためにアーケード付きの通りを歩く。ただしチャイナタウンとはいっても、インド人もマレー人も店を構えている。ただこの写真ではぶら下がっている4つの提灯だけが中国風を思わせる。夜間にはまともに歩けないほどの露店が密集しているところもあるのだが、朝行ってみるとみんな撤収してあって、もぬけの殻なのには驚かされる。その筋からの監視が厳しいらしい。

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これから仕事に出ようとする男女が大勢、朝食をかきこんでいる店を見つけた。ラーメンあり、ご飯とおかず形式あり、単なる菓子パンあり、何でもある。今回選んだのは薄味うどん。素うどんではなく、しっかり鶏肉が入っている。左の隅に見えるのは唐辛子ペースト。朝の眠気覚ましに最適だ。

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観光客としてはやはり「Dataran Merdeka (独立広場)」に最初に赴くことになる。マレー語のテキストに載っていた場所だからだ。広場はただの四角形の芝生だが、その東側の辺には 赤い丸屋根が3つ、最高裁判所だ。市内でコロニアル(植民地)形式の建物は、もうここら辺にしか残っていない。

観光案内書からもらった地図を頼りに、広場の西側に広がる丘の上の公園地域を歩こうとしたが、工事中のため、途中で引き返した。丘の上は湖を中心に広大な公園になっているという。

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ここは二つの川の合流点。この町の始まりとなった地点だという。遊歩道が整備され、正面には Masjid Jamek というイスラム寺院が立っている。観光客が大勢通り、にぎわっているが、川の水が泥色をしているのが唯一の欠点。川沿いの水槽では金魚が飼われているが、これを川に放流できるのはいつの日か…

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昨晩見た Central Merket に入ってみる。マレー人、インド人、中国人がそれぞれ特徴ある店を広げていてドロ臭く、モール的でないのが気に入った。上野アメ横に似ている。画廊まであり、ライオンの絵が気に入ったのだが、まだ旅の始まりでもあり、値段が値段だったのであきらめた。次に行ったときにはもう売れているだろうか。

マレーシアで一番流行っているコーヒー店、Old Town White Coffee もマーケット内にあった。ホワイトチョコレートがあるのだから、ホワイトコーヒーがあってもおかしくないが、飲んでみると単なる濃厚ミルク入りではないかという感想だった。

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11月とはいえ、ここは正真正銘の熱帯。天気予報では雨続きだというが、一向に降ってこない。すぐにのどが渇き、特製の氷水を注文。マンゴーやらドリアンやらいっぱい混じっているのだが、不思議とハーモニーになっていて、なかなかうまい。
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氷水を頼んだのは、マーケットわきの賑やかなアーケードに陣取っている露店の一つ。店の主人はインド系のようだ。このようにメニューは写真入りなので、注文しやすい。この後中国人の露店で、「甘い豆腐」を注文。正式の名前は忘れた。露店をハシゴする癖がついた。
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ついにやってきた。スコールが。短時間に降ってすぐやむのだが、その激しさは3秒当たれば、ずぶぬれになるほどだ。日本の雪国では雪の日でも歩きやすいように「雁木(ガンギ)」が駅前通りなどに設置されているが、こちらでは雨除けのための”雁木”が結構できていて、傘無しでも歩き回れる範囲が広い。上の写真の3人の青年たちも雁木の下で雨があがるのを待っている。

地球温暖化により、スコールの降る地域が熱帯から次第に北進し、東京あたりでもこんな激しい雨が普通になるのだろう。いや、すでにもうそうなっているか…

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チャイナタウンをぶらつく。そんなに広くはなく、すぐに隣の高層ビジネス街になってしまうのだが、雰囲気は歴然としている。これは世界のどこのチャイナタウンにあるような「開帝廟」。商売繫盛の守り神だ。
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 ここは中国料理の素材を扱う市場。食堂でもある。独特のにおいが漂う。
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 日本の銭湯や温泉では「入れ墨お断り」が普通だが、こちらではタトゥ店が何軒も連なっている。暴力団とは関係ない。立派な文化なのだ。この店の場合、店員に写真をとってもいいですかと聞いたら「どうぞ、どうぞ」という返事。それにしてもヘヤスタイルと同じように、実に豊富なデザインがあるものだ。
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 駅前から、泊まったホテルの前を通っている通り、 Jalan Sultan は東に進むとすぐに左にカーブしていて、昔からの古びた家々が目に入る。曲がった先には、比較的高級な中華料理店が並んでいる。

かつてはこの辺りに「中央市場」があり、400以上の露店がひしめき、人力車や荷車が走り回っていたという。今は移転して中心は駅前のほうにある。

もう一つ特記すべきことは、このチャイナタウンを中心に路上生活者がかなり多いことだ。超高層ビルの林立とは裏腹に、最下層の人々が減っていないことは確かだ。また食堂にも、ティッシュを売りに来る女性がかなり来る。ティッシュを売るのは物乞いが禁止されているからだろう。

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昨日飲んだ Tiger Beer とならんで、この Skol も地元の有名ビールである。ただしちょっと水っぽいので、昼間の炎熱を冷ますのに向いている。もちろん、カルスバーグやアサヒもあるが、割高である。
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 駅の表示はこの通り、たいてい日本語が併記されている。マレー語と英語はつづりがそう違いはなく、たとえあっても想像がつく(例えば central /sentral とか bus/bas)ので、併記されることはあまりない。マレーシアは周りをいろんな国に囲まれているので、タイ文字、ベトナム文字、カンボジア文字、ハングル文字が併記されていても不思議はないが、飛行機で6時間以上もかかる遠い日本の文字が書かれているのである。
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 電車の中の、”してはいけないこと”一覧表。左から、「タバコだめ」「飲食だめ」「ごみの散らかしだめ」「チューインガムだめ」「騒ぎまわることだめ」「危険物持ち込みだめ」「動物だめ」とある。ずいぶん日本と違う。「携帯電話での通話だめ」がない。ただしたいていの国でも通話は禁止されていないが…

細かいことで、分かっていることなのに、それをはっきりと提示せずにいられないのは国民性なのだろうか。シンガポールでも同じ傾向が見られたから、マレー人はそういうことが気になるのか。あとで分かったが、反則に対する罰金も高額で、シンガポールではさらにその点では上回る。

  ここからあとは、マラッカとイポーから帰り、再びクアラルンプール市内を見物した時(11月25日)のこと。
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ここもチャイナタウン。みごとなヒンディー教寺院の建物。中には大勢のインド系の人々が参拝していた。金をかけていることにかけては本国顔負けかもしれない。
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 Bukit Bintang (星ヶ丘)はクアラルンプールの銀座。同名の駅に着くと、巨大広告が目に入り、世界中どこにでも進出している企業の名前が目につく。ここは新興モールの聖地なのだ。
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 この地域では百貨店ではなく、超巨大モールが主役である。しかしアメリカ生まれのモールは世界中どこへ行っても内容は同じなので、差をつけるには豪華さを競うか、ユニークな遊びスポットを作るしかない。このモールではバスケットコートをこしらえた!
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 モールの階段の踊り場で見つけたチャリティ・ボックス。このボックスに入れられるのは、衣類、ハンドバッグ、ベルト、リネン、やわらかいおもちゃのみ。「世界を救おう」と書いてある。ポストの投入口には各国語で「ありがとう」が書いた紙が貼ってある。しかしクアラルンプール市内にも路上生活者は大勢いた。
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 たしかこのモールは Pavilion という名前だったと思うが、クリスマスシーズンが近づき、吹き抜けの店内には多数の飾りつけが始まっていた。客の買い物意欲を掻き立てようと店側も必死である。
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 「日本横丁」とでも呼べばいいのか。高級日本料理店があちらにこちらにもある。それでいてここは日本ではないことが、雰囲気の違いですぐ分かる。どこの店も客がいっぱいで、こんなに日本料理が人気あるのか!
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 ついに出た!鳥居が飾られている。そしてその横はペコちゃんか?右側の人がきは吹き抜けの舞台で、Star Wars の巨大な宇宙船から壮大な音楽が演奏されているのを見入っているからなのだ。館内いたるところアトラクションだらけだ。
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 学校が休みなのか、月曜日なのに若者、小中学生がやたら多い。グループで行動しているようだ。驚いたのは、みんなおそろいの「ミロ(ネスレの栄養飲料)」のTシャツを着て、リーダーに引率されて店内を回っているのを見たからだ。

私の直感では、この子供たちは地方からやってきて見学し、この壮大な物質文化に圧倒され、将来大人になって収入を得た時に、すぐに”物欲”を発揮するようにするための訓練ではないかと思う。モールが将来も繁栄するかどうかは、この子供たちがいかに物を欲しがり買い求めるために、あくせく働くかにかかっているのだから。

マレーシアも先進国並みに、消費者が不要なものを買い、資源を浪費し、二酸化炭素をせいぜい排出しないと経済が成長しないのだ。それはこの巨大モールに投資した銀行家たちの痛切な願いである。なんとしてもモールへの投資はモトをとらねばならない!主体性のない消費者が育つことはとても大切なことなのだ。かつての日本の高度成長期にそうだったように。

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 雑踏の中での”社会学的”考察を終え、高層ビルの間に作られた公園で一休み。この後有名なツィンタワーをはじめとする、KLCCと呼ばれる非人間的なビジネス街へ行くのだが、途中で迷ってしまい、大いに時間を無駄にした挙句、くたくたに疲れて宿に戻った。

その途中で、バスツァー途中の中国本土からの観光客の一団を発見。興味深かったのは、バスから降りる彼らの前に、自分の顔を隠してプラカードを掲げている人々がいたことだ。そこには「香港での弾圧をやめよ」「法輪功への弾圧をやめよ」と書いてあった。

クアラルンプールに住む中国人に、中国共産党政府への敵意を持っている人々がいることがわかる。世界中のチャイナタウンで、中国政府への政治的態度がどの程度なのかを知りたい。華僑(カキョウ)は巨大な投資を中国本土にしているから、彼らの態度で未来の中国が維持可能かを占うことができる。

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観察日記(2)
鉄道網 マレー半島を縦断する鉄道は、イギリスの植民地時代に錫(スズ)鉱山のための輸送網で作られた路線からのお土産だ。アフリカでもそうだったが、せっかくの鉄道施設をさらに改良改善しようという意欲や実行力に乏しく、まるで旧態依然のシステムのまま、大事故を起こしながら、次第に道路網にとってかわられているのが現状だ。

マレーシアでは、いまだに単線のままの区間が多く、電化さえまだ完全ではない。大都市近郊区間の車両の改善だけは進んでいる。西海岸は特に山が少なく、平地を直線で行く線路が多いので、比較的スピードが出る。

切符の販売システムは、ようやく本格的に開発が始まりだしたばかりで、休日のクアラルンプール=イポー間などではすぐに席が埋まり、「売り切れ」、すなわち販売停止となる。自由席の販売をすればいいのに、そのための客車がないようだ。

それでも首都クアラルンプールでは通勤列車の路線が多数できて、ダイヤも密だし、ホームにおける転落防止のためのゲートの設置もかなり進んでいる。KL Sentral という中央駅が、ちょうど東京駅と同じような役割を果たしていて、乗り換えを便利にしている。空港からこの駅までノンストップ便で30分だ。

地方都市ではバスの便のほうがはるかに利用されているし、予約なんかとっていなくてもすぐ次の便に飛び乗れる。ただバスの欠点は渋滞と、バスターミナルが都心ではなく郊外に設置されていることだ。

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マラッカ日帰り

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クアラルンプール市から南へ約200キロにマラッカがある。かつてイギリスの艦船がそこに流れ込む河川の河口に船着き場を作ったのがその始まり。目の前の海峡がマラッカ海峡という名前で呼ばれるときには、ここは非常に大切な戦略的、商業的港になっていた。

そんな歴史を抱えて、この町は栄え、それがその魅力の一部となった。現在その地位は以前と比べるべくもないが、そのエキゾチックな雰囲気は、国内外の観光客をひきつけ、一大リゾートに変身した。

この町は鉄道がとおっていないので、バスで行くことになる。クアラルンプール市の総合的バスターミナルTBSを出発して2時間半余り。

バスは町の郊外にあるターミナルに到着し、その先は一般のバスかタクシーを使うことになる。今回タクシーを頼み、「Maritime Museum (海事博物館)に行ってくれ」と告げた。到着したのは上の写真にある、この観光地の中心部、「オランダ広場」。ここからたいていの名所に徒歩で楽に行ける。

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オランダ広場の一番の見所は「スタダイス」。さらに、木々に十字架が隠れてよく見えないが、「ムラカ・キリスト教会」。これらのレンガ色の建物は一種の博物館だ。その前にはたくさんの人力車(トライショー)が並んでいるが、これらは実用ではなく、花飾りをつけた観光人力車だ。
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広場は若者でにぎわっていて、噴水の周りでは踊っている者もいる。なぜかヨーロッパ人の姿が多く見かけられる。

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最も興味があったのは、この「海事博物館」。巨大な帆船模型が置かれ、その内部も博物館となっている。

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 ヨーロッパ列強は、なんとしてもこの地に戦略的基地を置きたかった。それに成功したのがイギリス人。内部は博物館であるとともに、帆柱なども備えられ、典型的な帆船の内部ともなっている。
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この地における船舶の魔除けに使われる、おそらく鶏の頭。

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この町の発展のもとになった川を行くリバークルーズに参加した。乗客は満員。
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建物が川に面して建てられているので、船に乗っているだけで多くの建物が鑑賞できる。熱帯の暑さが、水面で和らげられる。

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二つの尖塔を持つこの建物はセント・フランシス・ザビエル教会。日本にも来たあのザビエルだ。船はマングローブの木々を通り抜け、旧市街が尽きたところでUターンし、再び戻ってきた。所要45分ぐらい。

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午後3時を過ぎ、そろそろ帰るころ、マラッカ海峡を見るのを忘れていたことに気付いた。たいていの観光客はわざわざ見るほどの関心がないようだが、私は川沿いの遊歩道をどんどん下って、海辺が見えるところに出た。周りにはオランダ広場のような人出はまったくない。夕暮れ迫る中に一隻の運搬船が浮かんでいるばかりだ。あれがマラッカ海峡?と言われてもピンとこないのだが、まあ一応この目で見ることができた。

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帰りは再びバスターミナルからクアラルンプール市行きのバスに乗る。高速道路沿いはアブラヤシの植林された林が延々と続く。マレーシアでは世界的な植物油のブームのおかげで、どんどん原生林を伐採してアブラヤシのプランテーションを作った。もはやオラウータンの住処は動物園の中にしかないようだ。

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観察日記(3)
多民族社会: マレーシアは決して少子高齢化に向かっているわけではない。さほど平均寿命が長いわけではない。マレー人インド人中国人が、お互いに交わることなく(ただしお互いに極度な対立関係にあるわけもなく)それぞれのグループ内でのまとまりが進んでいる。

言語による区別というのは大きいものだ。それぞれの民族が独自性を保つのはそれなりにいいものだが、言葉が違う限り、完全なまじりあいはあり得ない。つまり「人種のるつぼ」とはなりえないわけである。

アメリカ合衆国だと、英語という言語が共通である限り、白人、黒人、ラテン人、原住民などの文化の融合や通婚が考えられるが、ここマレーシアでもシンガポールでも、そこのところは違っているようだ。

かつて独立して間もないころは、人種間の対立や流血の争いなどはずいぶんあったらしい。そこのところは現在ではかなりうまく調和してやっていくすべを見つけているらしく、人種差別や人種対立に悩む世界の多くの国々の参考になるようだ。

イポー日帰り

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 その翌日はクアラルンプール市から北へ200キロほどの、この国第3の都市イポーへ向かう。本当は前日行こうとしたのだが、鉄道切符がすでに売り切れていて、(土曜だったせいか?全席指定)この日に行くことになった。途中単線部分もあり、決してバスと比べて安いわけでも、時間的に早いわけではないのだが、乗り心地の良さと、車窓風景の多様さが鉄道旅行の良さだ。高速道路は先に述べたようにアブラヤシの林ばかりの単調な風景だ。

早朝、駅に着くと(KL Sentral)朝食のため駅の食堂に入る。選んだのは笹の葉に包まれたタケノコご飯。厚みのある魚のおかずがついており、赤いソースが添えてある。なかなか野趣のあるメニューだ。

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 鉄道は3つの等級に区別されているようだが、知らぬうちに外国人は最高クラス(Platinum)を買わされている。先頭部分はヨーロッパでよく見かけるタイプだ。時速140キロを出している区間もあった。だが、まだ単線部分が残っており、電化もごく最近完了したばかりなので、バスをしのぐ主要な交通機関になるのはまだ先のようだ。到着の遅れはなかった。
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 イポー駅に到着。鉄道のいい所は市の中心部に直接乗り入れることができることだ。バスターミナルはどこの国でも町の外にあるから、それが不便だ。この駅舎はコロニアル風の建築となっており、駅前は繁華街ではなく広々とした芝生だ。
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 駅の前面はこんな素晴らしいホールになっている。贅沢な石材を使い、その石のせいで外に比べて格段に涼しい。かつてはこの駅舎に立派なホテルが入っていたそうだ。
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 まずイポーで見てみたかったのは、石灰岩にくりぬかれた洞窟にある石仏である。最も近い所はペラ・トンといい、バスで20分ほどのところだった。バスは写真のように車掌が払ったお金を示す穴をあけて客に渡す、昔懐かしいシステムだ。

運転手もペラ・トンのことを理解していて、その停留所に下ろしてくれたのまではよかったのだが、地元の誰に聞いても、そんなところは知らないという。その最大の理由は住民の大部分がイスラム教徒であり、中国風の仏教寺院のことなどまるで関心がないからだと、今になって分かった。

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それでも腹ごしらえは必要だ。炎天下を歩いたのでどうしてもエネルギー補給が必要だ。今回初めて食べたマレー風料理。ごはん、もやし、その他の野菜で構成されているが、最大の特徴は香辛料が、アラブ世界を思わせるタイプのものだったことだ。中華料理を食べなれた舌には違和感を感じる。とはいえ全部平らげたけれども。御覧の通り、箸がついてこない。
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 仏教寺院は見つからなかったが、マレー系の人のためのイスラム寺院は発見できた。
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 そしてそのすぐ隣には、中国人のためのイスラム寺院があったのだ!同じ宗教でありながら、人種別に違った施設が作られているということを知った。

バス停で待っていても、帰りのバスが来ないのでタクシーに乗ったが、なんとすぐ近くにその仏教寺院がちらっと見えたのだ!それもくりぬかれた洞窟の中に。よっぽど運転手に止めてもらい引き返そうと思ったが、まあいい、また来ようと思って…

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 再びイポー駅前に戻ると、旧市街の散策に出発。旧市街には古き良き建物がたくさん残っているという。これもその一つ。1910年に創立された聖ヨハネ教会。この町にはイスラム寺院も、仏教のお寺も、キリスト教会もあるのだ。
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 旧イギリス領であるマレーシア(マラヤ)はクリケットの盛んな国である。駅からわずかなところに由緒あるクラブがあり、こんな広い競技場がある。見物している人も多いし、練習に励む小中学生もいた。
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 帰りの列車の切符は取ることができず、郊外のバスターミナルまでローカルバスに乗って行って長距離バスに乗り、前日と同じクアラルンプール市のTBSターミナルまで戻ってきた。これは空港線の途中にある郊外型ターミナルなので、また市内電車に乗らなければならない。宿にたどり着いた時には渋滞のせいもあって10時を過ぎ、すでに食事処は閉まっており、仕方なくマレーシアでも繁栄しているセブンイレブンで買ったビールやソーセージ、おにぎりで、そそくさと夕食を済ませる羽目となった。

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