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名古屋港から伊勢自動車道に入り、松阪インターチェンジで降りると、すぐ目の前に緑地帯が広がっている。普通の公園よりも一回り規模の大きい、「松阪農業公園」だ。レストランあり、イングリッシュガーデンあり、大きな池があり、その池や丘陵地帯を遊歩道がつないでいて、この看板にあるように、運動不足の現代人に「少し歩いてみませんか?」とさまざまなコースを用意している。市が管理、運営している施設だ。 |
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昼過ぎだったので、「アジ丼セット」を注文した。ボリュームの大きい豚汁が付属している。 |
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レストランからすぐ目の前にイングリッシュガーデンがある。ちょっと花の時期を過ぎていたが、温室内には大輪の花が咲き誇っている。 |
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また、外に出ると、よく見かけるタイプの石像に花が盛られていたりする。この後、池を巡る遊歩道を歩いてみた。まだこの時期は梅雨が明けてなかったが、ちょうどこの日は中休みで太陽がじりじりと照り付ける。それでも木々が豊かなので、さほど暑さを感じない。 |
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通称「松阪ベルファーム」は、公園の境界を越えてまわりの緑地帯と結びついている。公園発のウォーキングコースがあり、道しるべが不完全であるため、農家の軒先を越え、川沿いに歩いたりして、やたら遠回りをしたものの、ようやく「美濃川大仏殿」にたどり着いた。写真にあるように、見事な竹林が取り巻いており、これは京都嵐山の竹林をモデルにしたとか。 |
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大仏(阿弥陀如来像)が収められている場所は狭い格子になっていて外からはなかなか見えない。カメラのレンズを無理やり行使に押し付けてようやく撮影した。 |
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この茂み全体が神社のものなのだが、帰り道振り返ると、この小さな鳥居が目についた、竹林のところは「竹林街道」と呼ばれている。 |
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さて、松阪市内に入り、駅前のホテルにチェックインすると、市街地を見学した。駅から15分も歩かないうちに、このような見事な生け垣が目に入る。ここは城下町なのだ。「御城番屋敷」という武家屋敷なのだ。 |
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生垣の切れ目が、それぞれの家の入り口だ。いずれも黒色の木造の家が入っており、長屋になったそれぞれの一軒一軒が生垣にすっかり隠されているのがいい。これを見て思い出したのが、かつて九州薩摩半島の知覧で見学した武家屋敷だ。あちらは石垣がもっと高かったのが違う。 |
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生け垣を通り抜けると、松坂城(跡)の敷地に入る。建物は残っていないが、石垣はほぼ完ぺきに残されている。 |
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本丸のあった場所まで登っていくと、先ほどの生け垣に囲まれた武家屋敷が見渡せる。 |
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見事な藤棚だ。中心部に太い幹が見えるが、非常に古いものらしく見事に支えられた藤棚の下は広い空き地になっている。 |
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城跡を一回りして、大手門跡から外に出る。ここはT字型になっており、侵入した敵が右往左往するような構造になっている。 |
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松阪に来たら、松阪牛を食べたくなる。実際市街地のあちこちに牛肉を食べさせる店が見受けられる。ところが駅の北側にはホルモンの店が増えているのだという。さっそく「宮本屋」という店に入ってさまざまな牛の内臓を食べてみた。ここで出される味噌ダレが実にうまい。 |
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翌日伊勢詣でに向かう。松阪駅から急行で次に泊まる液が伊勢市駅だ。GPS地図では左上にあたる。ここからすぐ南西にある外宮に向かい、再び伊勢市駅に戻って近鉄電車で五十鈴川駅で下車し、そこから北上してちょっと迷ってしまったものの、古市(フルイチ)という地点にたどり着いた後は、旧来の参拝の道をたどって、南下し内宮にたどり着いた。そのあとは再び五十鈴川駅に歩いて戻る。このルートはバスや自動車に乗らず、歩くことで江戸時代の気分を味わえる。 |
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出発点となった伊勢市駅。ここまで並行して走ってきたJRと近鉄電車は分岐し、北へ向かうJR参宮線と南へ向かう近鉄鳥羽線となる。驚くべきことに、松阪駅でも伊勢市駅でもJRではIC乗車券が使えないのである。そのことが駅の切符売り場に大書されている。観光客の多い世界遺産がたくさんあるのに、だ!!! |
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伊勢市駅から南西方向に道(外宮参道)があり、鳥居が立っている。 |
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言うまでもなく江戸時代から、参拝客でにぎわっていたから参道には昔から続くお菓子屋さんが多い。これは「へんば餅」。 |
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外宮の側に渡る最後の交差点にはこんな木造店舗があった。これは「せきや」。 |
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紀伊半島すべてに言えることだが、どこも“巨木”が多いのだ。降水量が極めて多いことと、神社仏閣のまわりにはずっと昔から森が育てられてきたことによる。 |
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外宮の敷地に入って左手のほうに「せんぐう館」がある。平成25年の遷宮を記念して作られた博物館だ。 |
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せんぐう館のすぐ横に大きな池「勾玉(マガタマ)池」がある。花菖蒲はすでに終わっていた。惜しいことをした。 |
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せんぐう館では遷宮に伴るさまざまな儀式や準備を分かりやすく説明している。火をおこすにもこんな道具が使われる。 |
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伐採した檜(ヒノキ)の切り株には、苗木を差し込むのだ。この苗木が大きくなって将来の遷宮の際の材木に使われる、というスケールの長い計画だ。原発を見境いもなく作ったりこわしたりする現代人とはあまりにちがう。 |
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せんぐう館の窓から見た勾玉池。古代からこの風景は何も変わっていないのだろう。 |
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入場料を払うともらえる「入館証」。 |
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外宮の中心に向かう道は、まるで森林の中を進んでいるようである。 |
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この樹木の巨大さにたまげて写真を撮ったが、こんな大きいのがいくらでもあるのがわかった。古代日本には九州も出雲も紀伊半島も巨木だらけだったのだと想像される。 |
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ここが外宮の最終地点。「正宮」である。豊受大御神(トヨウケオオミカミ)の住まいである。鳥居の左に見える白い装束の女の人は巫女であろうか。中に入れないし、撮影もできない。 |
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外宮のナンバー2にあたる「多賀宮(タカノミヤ)」。 |
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外宮を出て五十鈴川駅で下車した後、皇學館の学生たちについて行ったら、彼らの学校の近くまで行ってしまい、右往左往した挙句、江戸時代には遊郭で有名だった古市(フルイチ)への道しるべを発見。「古内へ二町」と刻んであるが、一町=109メートル。ここから内宮まで狭く曲がりくねった旧参道が続く。 |
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沿道には料理店もいくつか散見され、神社や寺もたくさんある。江戸時代には参拝客はみな、ここを通ったのだ。帰り道に古市で遊ぶことを期待しながら…。この「長峯(ナガミネ)神社といえば、<氏神様にお参りしましょう>という幟(ノボリ)をたてている。これを作ったのは「三重県神社庁」なのだ。ほかの県にはない珍しい部課だ。 |
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参道最後の、そして有名な神社といえばこの「猿田彦神社」。古市から徒歩でほぼ1時間。 |
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途中「おはらい町」を急いで通り抜け(帰り道に寄ろうと思って!)、内宮への入り口である「宇治橋」のところにやってきた。手前は広い広場になっている。 |
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五十鈴川にかかるこの宇治橋は長さが100メートルぐらいで、まんなかに中心線を示す材木が貼られているが、冬至の日にはこの線の上を陽が移動するとか。 |
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橋の欄干から見ると屋根付きの塔が2メートル間隔で、橋と並行して立っている。これは何か? |
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「神苑」を通り抜ける。左右の樹木と芝生は、以前訪れた熊本にある「水前寺公園」のようだ。 |
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樹木が痛まないように、幹の周囲に藁のスカートをはいている。 |
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内宮正宮が見えてきた。意外と小さいが、何重にも取り巻かれているので、中がどうなっているのかわからない。 |
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正宮からUターンして、再び「おはらい町通り」をゆっくり歩く。ちょうど正午ごろで、腹が減った。 |
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とはいえ、夜には再び焼き肉を予定しているから、昼にはシンプルなものがいいということで「伊勢うどん」を選んだ。普通より太めでこしがないうどんに梅雨とねぎをかけただけのもので、550円から600円ぐらい。他のメニューと比べるとダントツに安い。 |
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これを食べたのが「だるまや」という店。一回がお土産屋で、二階に上がると粗末な食堂があった。それでも汁の味はなかなかいける。 |
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しかし量が少ないことと、食べ比べも面白いだろうと、もう一軒のうどん屋に入り、再び試食。 |
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後者のうどん屋はおはらい横丁の「ふくすけ」といい、ガイドブックに載っているような有名店だが、汁の味は意外と物足りない。店構えは立派だし、雰囲気もいいのだが、必ずしもガイドブック通りにはいかないようだ。 |
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うどんだけではたんぱく質が足りないので、「大内山牛乳」という、もっと南に位置する場所に牧場のある農協のソフトクリームを食べたが、これがバカにうまかった。北海道を自転車で回っていた時に食べた味に似て、実にコクがある。乳製品を宅配便で送ろうかと思ったほどだ。実際、日本中に出回っているのだ。 |
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旧参宮街道のうち内宮からの帰り道の客を当て込んだ、この江戸時代から続く街並みは実に面白い。三重県の物産を一堂に集めたところになっている。 |