その1(2023年9月)

Chrysler Building 5693

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Rio de Janeiro へ 

ブラジルへ向かう:ブラジルは日本から見ると大部分が地球の中心をとおって反対側にあたるため、直線距離で行ってもっとも遠い地域にあたる。しかも直行便はなく、例えば今回はニューヨーク13時間(帰りは向かい風なので14時間)、そしてニューヨークからブラジル第一の経済都市サンパウロまで9時間だ。

そこからはブラジル国内、特に南部の各都市へ飛行機やバスで行くことになるが、政治都市ブラジリアはさておき、まずは文化都市リオデジャネイロを選んだ。ブラジルの面積はアメリカ合衆国より少し小さいだけなので、欲張ってあちらもこちらもといっても、とても回りきれるわけではない。ということで今回は一つの都市だけに絞った。

ブラジルはインド、中国、ロシア、南アフリカとともにブリックス(BRICs)の一つだ。これからのこの国の進む方向がどのようになるのか興味深い。これらの国々の共通点は経済成長にあまりにも力を入れてきたために、環境破壊が進む一方で人口の急速な増加による社会の不安定化に悩まされていることだ。その結果いずれの国々もひどい経済格差を国内に抱えている。

ブラジルはコロナの流行の時期には世界で最悪の病死者をだしたこともあった。そのときのボルソナロ大統領が今度ルーラ大統領に変わって彼の社会主義的な政策がどの程度この国に影響を与えるのか見守っていく必要がある。アマゾンの破壊もボルソナロの時代に急速に悪化したが、これがこれからはどうやって経済と環境とのバランスをとっていくのだろうか?

この国は周りのスペイン語諸国と異なり、主にポルトガル人によって建設が進んだ。それに加えてスペイン人、イタリア人、フランス人の移住者がヨーロッパ系の大部分を占めた。すでにこの土地にも先住民がいた。そして初期の経済を動かすために対岸のアフリカから大量の黒人奴隷が連れてこられた。

現在のブラジルの国民は、これらの人種が入り混じっており、しかもアメリカ合衆国やカナダとは異なり人種間の混血が進んでいるので、これらの国々とは違った社会が出来上がっている。したがって人種差別や人種格差もこれらの国々とは様子を異にしている。

言語的にも距離的にもブラジルは欧米などから見るとちょっと隔絶した地域にあると言ったら言い過ぎになるだろうか。そのこともあり、単なる西欧風の追随でもなく、黒人や先住民の文化だけが前面に出るのでもなく、文化的にはほかにない独特な流れが生じているようだ。

地理: 南半球そのものが北半球から見れば遠い国だ。それでも“対岸”の影響は思ったよりも強い。”対岸”とはアフリカ大陸のことである。「大陸移動説」によれば、かつてブラジル北部と西アフリカはくっついていたという。だから今でもこの二つを近づけるとクロスワードパズルのようにぴったりと合うのだ。だからブラジル最東端の町ナターウからセネガルの港町ダカールがとても近いように見え、文化的にもつながりがあるように見える。

一方、ブラジルと言えば、アマゾン地域が有名だが、大河の作る大ジャングルのほかに中央部にはパンタナールと呼ばれる熱帯性湿地もある。そしてリオデジャネイロやサンパウロが位置する南部の大西洋に面した海岸地帯は、人々の暮らしやすい温暖な気候に恵まれている。だからブラジルの人口の大部分はその海岸地帯に集中している。

ブラジルが接している国々は大変多い。北から反時計回りにフランス領ギアナ、ガイアナ、ベネズエラ、コロンビア、ペルー、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイと続く。それらの国々には航空機はもちろん、長距離バスの便もあるが、広大すぎて移動には多大な時間と費用が必要だ。

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セントロ 地区

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今回のホテルは交通が至極便利だが、古い古い造りのマンションを改造して作られた。泊まったホテルの部屋はまずまず清潔。便器の蓋を上げると逆Y字の金具を押し、さらにそれが水を流すボタンを押すという仕掛けがある。
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節水型蛇口。逆T字の金具を押し下げれば水が出るが、勢いの調節が難しい。たびたび失敗してずぶぬれになった。
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電気式?シャワー。要するに瞬間湯沸かし器である。亜熱帯だからぬるくてもかまわない。
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泊っているホテルの窓から眺めたチンチン電車(VLT)。ちょうど真下が停留所。
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港に面したマウア広場の中を突き切る道。赤土の色がよくわかる。
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マウア広場を海側から見る。
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壁面に落書きされたビル。このビルはモスクワでよく見るような旧式なデザイン。
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 チンチン電車がマウア広場を通過している。車体は全面広告でおおわれている。
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 マウア広場から海側を向く。「明日の博物館」が見える。
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 この赤い給水塔と背後の赤い建物はかつての倉庫だったようだ。今では企業の展示会場に利用されている。
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 この長髪の女の姿が、数ある壁面落書きで最もインパクトがある。
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スラム街といわれる ファベーラは丘や山の急斜面にあるので、海岸からはひな壇のように全体が見渡せる。
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 水族館の建物。窓が見にくいが少なくとも3階ある。
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 水族館の隣の遊園地。観覧車の規模はかなりのものだ。
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 遊園地から海側を見ると、クレーンの林立する貨物船(鉱石船)が積み込み作業をしているところ。
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 空港からトンネルを経てセントロ地区へとつながる道路。片道3車線。
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 水族館内部。剝製である。
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 穴子のような魚だが、日本のより図体が大きい。
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 華やかな色の魚たちの泳ぐ水槽。
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 沈没船の残骸に住む小魚たちと、掃除をする水族館職員。
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 カラフルな熱帯魚が泳ぐ水槽で、その飼育密度は非常に高い。
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 巨大なキノコの傘のような生き物。
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 日本のスズメより黄色っぽい。
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 マウア広場の西側にある商店街。
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 明日の博物館の内部。真ん中の球体に地球の姿が映し出されている。
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 明日の博物館から海の方を臨む。上には大屋根が張り出している。
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 サン・ベント修道院。小高い丘の上にある。
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 海軍の学校。左の長い建物は岸壁に続く道。海賊船さながらの船が係留されている。
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大通りの終点にランドマーク、カンデラリア教会がある。 手前が海側、教会の向こうは陸側。

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ここから先は長文で写真なしです。

9月5日午後7時。 ようやくホテルの部屋に落ち着く。今回の旅は地球の球形の対衝点(タイショウテン)まで行く 最長の旅であったから途方もなく大変なものだった。  まず、日本時間の4日の夕方に羽田を発って日本航空で12時間飛行してやっとニューヨークに到着。  そこで4時間ほど空港で待機した後、今度はデルタ航空でサンパウロへ向けての飛行機に9時間乗った。  そして最後の3番目の飛行はラタム航空でサンパウロからリオジャネイロまでの1時間ほど(東京・名古屋間よりちょっと遠い)であるが、なぜかこの3便とも皆遅れて、 実際にリオデジャネイロの空港にたどり着いたのは、もう午後の4時に近かった。 しかもすでに日付変更線を超えているから、まだ今日は9月5日のままである。 今晩は十分に疲労を回復して、明日から活動を開始をすることにしよう。 

飛行機の中では、羽田・ニューヨーク間の日本航空では整備士が作ったビデオを見た。 飛行機の原理や様々な仕組みの解説など大変興味深かった。 また、ニューヨークからサンパウロへの路線の中では、かつてのアメリカ副大統領だったアル・ゴアの「不都合な真実 An Inconvenient Truth」というのを見た。 すでに知っていることばかりではあったが、当時は環境問題における不都合な真実を人々に知らせる時にいかに大勢の人々が反発し、理解してもらえなかったか、非常によくわかった。 誰でも先駆者というのは辛いものだ。

ようやくリオデジャネイロのガレオン空港に到着した。空港からホテルまではタクシーならぬハイヤーを頼んだが、何でも橋から身投げをした人がいたということで大渋滞に遭遇し、その渋滞の他に夕方のラッシュも加わり、随分時間がかかった。 もちろん費用もかかった。(ただし、前払い)

こうやって間近にブラジル人を見ると、東洋人が非常に少ない。先住民と白人と黒人そして、その混血は人口の中心を占めているようだが、まだ今のところそれだけで東洋人に出会ってはいないようだ。  もちろん日本人移民はいるのだろうが、どこか別のところに固まっているようだ。

そしてやはりこの地域は他の世界の部分とは隔絶されているから、だいぶ雰囲気が違う。タクシーで高速道路を走ってきたらそこから見える眺めは赤レンガでできた 貧しい家々ばかりであった。 ブラジルはブリックスの一員だと言われているが、どう見ても今のところ第1印象は開発途上国というところだ。

ここまではトラブル続きだった。 羽田からの日本航空では、昔と違って日本人観光客の数が驚くほど少なく、その代わり中国人やその他の東洋系の人々が大勢乗っており、どうやら彼らは日本観光から米国へ帰るだったようだ。昔のようにどこを向いても団体の日本人観光客だった時代はもうすっかり終わったようだ。

日本人が今までのように積極的に海外に行く時代は終わり、逆に外国人たちがこぞって日本を訪れようとしている状態が現れつつ あるのは実に面白い。ちなみにいつだって世界旅行に出ている人々と言えばドイツ人だ。今回もあちこちで目にした。

ニューヨークからサンパウロまではデルタ航空の管轄である。そのため、空港内を走り回ってデルタ航空のオフィスをまず見つけ。 そこで新たに搭乗券を発行してもらわなければならなかった。 広いJFK空港の中で移動するのは実に大変である。これでフロリダ半島、カリブ海、そしてアマゾンのジャングル地帯上空を通ってサンパウロに向かうのだ。

さて、サンパウロに着いて、今度は南アメリカ全体にネットワークを持っているラタム航空の飛行機に乗ることになった。ただし、国内線ということなので、国内線の乗り場に行ったのだが、ブラジルは道路も鉄道もまともにできていないので、ほとんどの人々が飛行機でもって国内を移動する。 そのためもあって、リオの空港やサンパウロの空港は 国内線のターミナルや切符売り場が大変ごった返していた。

そしてなぜか私が乗ろうとしたリオ行きの便の搭乗口が表示されていない。 これには困り果て、ラタム航空の職員を捕まえて調べてもらってやっとわかったものの、他の便のスケジュールはうまくいっているのに、なぜか私が乗る便だけがきちんと表示されていなかったのだ。こうして羽田から31時間後、ようやくリオの地を踏むことができた。

そして、タクシーで町に向かう時は先ほどの渋滞があり、やっとのことでホテルの場所まで着いたものの、看板に出ているホテルの名前は私が契約をしたホテルの名前と違うのだ。ちょっと信じられない。 そのため近所の人々に尋ね回ってあっちへ行ったり、こっちへ行ったり大変な思いをした。しかしこのホテルのロケーションは素晴らしい。有名観光地のど真ん中で、入り口に市電の停留所がある!

それでもようやくホテルのフロントに辿り着くと、「あなたの契約は受けていない。新たに宿泊料金を払ってくれ」と言い出すしまつ。そんなことできるわけがないじゃないかと押し問答をした。 しばらくして他の職員がどこかから書類を見つけてきて、それに当の職員が気づいて平謝り。 おかげでやっと一銭も払わずにホテルに入ることができたわけだ。 まあ、この1日、いや2日に及ぶ大旅行は本当にくたびれたが、まあ終わりよければ全てよしと言うから、少なくとも行きの旅行に関しては何とかこれで決着がついたようだ。 早く寝るに限る。 

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今日は9月6日。 このホテルは値段は安いけれども、ちょっと面白い工夫がされている。  5405番写真のトイレの蓋の上に、まるで洋服かけのような逆さY型の金具が見えるが、これは何かというと用が終わった後でこれにトイレの蓋を押し付けると、それが連動して水を流すボタンを押すことになるという仕掛け。

一方、洗面台では番にあるように逆T字型の取手が見えるが、この取っ手を下に押すと勢いよく水は出るんだが、しばらくすると止まってしまう。つまり節水のための仕掛けである。これは面白い。 平気で水をジャージャー流しぱなしにする人があちこちにいるものだが、そういう場合でも水の流れはある時間が経つと止まってしまう。

さらに驚いたのはシャワーだ。 5407番にあるように。 プラスチックでできた太い首を持つシャワーの穴が見えているが、その下の方にスイッチがあって、そのスイッチを入れると暖かいお湯が出てくる。 しかし、従来のようにボイラーに貯めたお湯が管を伝わって上がってくるのではなくて、この浴室に冷たい水が達した時点で瞬間的にお湯を作るという仕組みになっている。 結構温度が高いから電気代は食うんじゃないかと思うんだけども余計な施設を作る必要がない。今まであった普通の温度の水道管に取り付けるだけで済むという傑作なのだ。

こんなものがブラジルで作られているのか? それともどこかの国から輸入したのかは知らないが、実にうまい仕掛けだ。このホテルの部屋というのは、かつてはマンションの一室だったらしい。 それを改造して宿屋の部屋に作り変えたということだから、おそらくボイラーのような大規模な施設は作ることができなかったのに違いない。

一方、窓は大通りに面していて、お昼の間は3分ぐらいに1回ちんちん電車が通る。 そのちんちんという音は決して悪くはないが、真夜中はかなり うるさい感じだ。ここは2階だから、結構道路の音が響くと思った。しかし、電車の通過する音以外はさほど気にならない。 自動車の通る音は大したことはないようだ。 窓から見下ろした電車は通常VLTと呼ばれるタイプのもので5408番に写っている。

さて、今日朝起きるとすっかり疲れが取れていたので、ホテル提供の無料の朝食を食べるとすぐに外に出た。 今日は徒歩で歩ける範囲内の場所を行ってみようと思う。幸いなことに、このホテルから港はすぐだ。道を300mも北に行けば、もう岸壁についてしまうのだ。

それでまっすぐ歩いていくと左手に建物が見えてきた。  これはリオ美術館の建物の一部である。 そしてその手前は大きな広場(マウア広場)になっている。  5409番にあるように、やはりブラジルの土は赤色、つまり粘土色で、これは黒土とかそれ以外の土とはちょっと種類が違う。 いかにも熱帯性の性質を持ってるようだ。

海の方を見ると、右側にはたくさんの建物が並んで若者たちがジョギングをしている。実は、これは陸軍の訓練所らしくて、大勢の若者たちが男も女もジョギングに汗を流している。  海に向かって大きな広場があるが、その真ん中には塔とそれから誰か知らないがある軍人を記念する碑が立っている。

そして再び海の方を向くと何か船のようなものが見えてくるが、これは明日の美術館である。 右の方に先ほどのリオ美術館の建物が見えるが、さらに左側に20階ぐらいの高い建物が見えている。 ただし作りが古いので近代建築とは言えない。この建物を真っ正面から見ると、なんと壁にたくさんの落書きがなされている。 この落書きは一体どうやってやったのか? 窓拭き用のゴンドラに乗って書いたのだろうか? さらに左側にある茶色いビルは普通の近代的なものだが、この真正面のビルはかなり古いから、いずれは取り壊しということになるだろう。 

このマウア広場を路面電車が横切っている。そとめに見ると、この電車には窓がないように見えるのだが、そうではなくて。 広告のシートが窓を覆っているだけなのだ。まだこの電車には乗っていないが、内側からは普通に外の風景が見えるはず。 ところが外から見るとまるで貨物列車のように窓はなくて、広告だけがたくさん連なっている。

リオ美術館の右側には教会のような建物が見えるが、これは何か? 美術関係の建物らしい。  さらにその建物から海岸を右に見ながら進んでいくと、赤い建物が目につき始めた。函館のように旧倉庫を改造したもの。観光の目玉の一つにするつもりらしい。

そして、この通りにいくつかの施設があって、左側には色々なデザインを工夫しつつ、壁画が描かれた建物が見えている。  色とりどりだ。 大きな女の顔が一面に塗られているのもある。どうもこの国は壁面に落書きを、いや、絵画を書くのが好きな国民らしい。

海岸とは逆の方向に目を向けると小高い山があって、その小高い山のてっぺんまで小さな家が密集してついている。 おそらくこれはファベーラと呼ばれるスラム街なのであろう。  先ほどの広い通りをまっすぐ行くと、海とは反対側に水族館が見えてきた。 随分大きな堂々とした建物である。その先には観覧車が見えている。ここは1つの大きなレジャーランドになっていて、この観覧車は今まで見たものの中でも最も大きいものに属するのではないか。

その時に海側を見ると、ここはもうすっかり港湾設備の一部で大きな貨物船に岩石をクレーンが積み込んでいるところだった。  ここまで来て再び道を戻っていく。 その前にこの先はどうなっているかというと、前日タクシーで空港からやってきたとき通った道路が見えてきた。 そしてトンネルがあるのだが、このトンネルから先に我々のホテルがある古い町並み(セントロ)に入っていく。 これに対して西の方は空港から続く高速道路で、いや高速道路というよりは自動車専用道路である。

先ほどのクレーンのところから再び来ところへ引き返すことにする。人々の色々な顔の絵が見えている。これはブラジル人の様々な顔を見せるもので、黒人白人インディアンの顔が見える。 しかし、東洋系の顔は見当たらないようだ。  水族館に入ることにした。 非常に高い値段だったが、まあ今まで水族館はあちこちで行ってきたから、記念としてみようかと思って入ってみた。

まずはスロープを使って一番上の階まで上がっていく。 もちろんエレベーターで上がることもできる。まずは変わった魚の展示がそれも生きたものではなくて、模型や剥製で示されている。 平底のボートが置かれている。  ヒトデだ。また穴子のようなものらしいが、ちょっと日本で見かけるものとは違う。 これは熱帯魚っぽいな。 やはりブラジルの海は暖かいから、こういった種類の魚が多いのだろう。

ちなみに今日の温度は朝21°、昼間22°である。曇りでたまに雨がパラつく程度。 今はこの地域では冬が終わって春になろうとしてるわけだ。 温度の感覚は沖縄ぐらいだと思えばいいだろう。 かなり変わった種類の魚が見える。  私のために1匹の魚が姿を見せてじーっとしてくれる。

水槽の中に沈んだ船の模型を置いて、そこに魚を展示しているが、たまたま係員がガラスの掃除をしているところだった。 水槽は極めて密集した魚の飼育をしているが非常に綺麗で、専門のカメラを持った人が盛んに撮影をしていた。また、サンゴの生態が示されている。5613番ではこんな形の不思議な生き物がいるのだ。 まるでキノコの傘のようだ。

全体としてそんなに大きいものではなく、入場料金が高い割には1時間もかからないで1周してしまった。ブラジルの水族館だから、てっきりアマゾン川の奇妙な淡水魚を見れるかと期待していたのに、ピラニア以外は残念ながら何もなかった。後は全部海洋性だ。またどこの水族館でもあるようなオットセイやイルカのショーが全くないというか、海の動物に関しては何も展示がなかった。

ちょっとがっかりして外に出ると雀がいた。  5614番このスズメはちょっと日本のものよりも黄色い。しかし姿形は同じだ。 またヨーロッパの雀と同じように人間が近づいてもパッと飛び立ったりはしない。 

再び広場のところまで戻ってみる。  5615番広場から陸の方へ眺めると、飲食店が並んでいてこのように色とりどりの色をしたビルが密集している。 しかし、さらにその向こうを見ると小高い丘になっていて、そちらにもファベーラが広がっているようだ。

次に向かったのは「明日の美術館」だ。これは広場の海側に突き出た船のような形(実は先住民の造形をヒントにしたらしい)をした建物だったのだが、シニアは無料で、しかも今日は平日でそんなに混んでなくて、割と快適に見ることができた。大きな球形の中で映画を見るために人々が列を作っていて、その待ち時間には吊り下げられた地球の映写があって、そこで温暖化や海流や地震や気象のことを説明する映像が流れていた。

この美術館はリオ・オリンピックの時に建てられたそうだが、この美術館の意図するところはBIGBANGから始まって、人類が今どの方向へ向かおうとしているのかを考えるための建物だという。 将来は温暖化によって死滅するのか、あるいはそれを解決して生き延びて繁栄するのか、それを問題提起して作られたという。  館内の作りはモダンアート的な要素を取り入れている。

この船の大きな模型の船尾に当たるところは海に対して突き出ている。 その部分には大きなプールみたいなのがあって、その先に海軍の研修施設になっている島が見えている。その先には湾を横切る高速道路橋(ニテロイ橋)がかすかに見えている。 この美術館は無料だったし、なかなか見て楽しかった。

昼食の時間になった。 先ほどの飲食店がたくさん集まってるところに行って食事をとることにする。形式は1種の食べ放題であるが、皿に自分の食べたいものをどんどん乗せていって、最後に係の前に立つと、その前には大きな秤が置いてあり、この皿に乗せた食べ物の重量が測定される。 そうするとその重さに応じて値段が出てくるという仕組みだ。

これは面白い。食べ放題で無制限に食べれるわけではなくて、その乗せたものが肉であれ、野菜であれ、全体の重量が増えるごとに料金が高くなる仕組みだ。  測ってもらって伝票を渡されるとそれを持ってテーブルまで行く。 そして必要とあらば飲み物の注文をして、食事が終わるとその飲み物も加わった伝票を最後の出口のレジで支払う。 こういう仕組みだ。 

用意されてる食材は非常に豊富で、牛肉から豚肉、フェイジャン豆という風にブラジルで特徴的な食べ物はほとんど味見することができた。 味付けもなかなかいい。 値段にすればまあ円安のこともあって、2000円ぐらい。実に食べ応えがあり、栄養のバランスも選び方によっては非常に良かったのではないかと思う。

昼食のあと宿に戻って休憩した後、再び今度は広場から海沿いに南西の方へ向かうことにした。 南の方は陸軍の施設が途切れた後、海軍の施設になるということだが、その前に訪れたのがサン・ベント修道院で、ブラジルで修道院を見るなんて予測もしていなかったが、実はポルトガルの植民地だったこともあってカトリックの影響が強いのだ。

ちょうど軍隊の施設の裏手に山があって、その山に教会と修道院とミッションスクールが作られていて、この修道院は一般に公開されているのである。 急な坂を登ると修道院が見えてきて、内部は大きさは確かに小さいけれども、パリのノートルダムと同じ形式だ。

金ピカの細かい彫刻や飾りが全体をおおっていて、ヨーロッパを遠く離れた人々は昔のヨーロッパ文化を思い出して作ったという感じが強くする。彫刻などはもちろん、質が高いというわけではない。 けれども、なんとなく遠い昔の故郷の雰囲気を再現したいという気持ちがよく現れている。 

修道院を出てから再び海沿いに散歩を続けた。 海軍の訓練施設、それがそのまま観光客の集まる名所にもなっている。 海軍の若い生徒や、夕方も迫って他の学校の学校から帰る生徒たちがぞろぞろと歩いているがその途中でこのリオの街でも一番古くて大きいカンデラリア教会も通り過ぎた。

海岸沿いの散歩道が綺麗に整備されて、さらに歩くとVLTの駅がそこに見えた。 そして、その後ろにはリオの港のあちこちに出発するフェリーの乗り場が見えていた。 ちょうど帰りのラッシュ時であり、フェリーを使って通勤をしている人々が今次々とリオの湾の各地域へ帰っていくのだ。

通常は人々を乗せて自分の住んでいる対岸の街へ運ぶ。 しかし、彼らにしてみれば大荒れになった時にはフェリーは欠航になるから、その日は他に移動手段がなくて、まあ休みということになるのだろう。  そのフェリーの乗り場から再び引き返して宿に戻る。 全体としては8キロメートルぐらい歩いたことになるが。 今回のこの散歩はリオの町の古くていい部分を凝縮したようなところで、大変興味深かった。 

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