島めぐり

対馬 (2019年5月16/17日)

: 3533

H O M E > 体験編 > 体験編案内 > 旅行記案内 > 島めぐり > 対 馬

?O???????N…外部リンク

今回もBMW方式(自転車・自動車・徒歩)で行く。 対馬は南北に細長い形をしているため、隠岐島のように丸く一周することができない。とくに北部は、背骨を通る国道382号線と、リアス式東海岸を通る県道39号線の2本がメイン道路であり、西海岸には南北直通の道路がない。南部にある島の中心地、厳原(イズハラ)港から往復すると170キロに達する。一方、南部は丸く県道24号が走っているが、山が低いのにアップダウンの激しい道であった。距離は同じく厳原を中心にして時計回りで100キロほど。

第1日目 仙台市より(午前10時発)国道113号経由で日本海東北自動車道「胎内IC」から北陸道、舞鶴若狭道で「綾部PA」まで。ここで車中泊。

第2日目 「綾部PA」より、中国道、九州道を経て「福岡IC」まで。福岡市内のホテル泊

第3日目 博多港よりフェリー(九州郵船)で10:00発、厳原港に14:45着。厳原周辺探索。厳原地区のホテル1泊目

第4日目 厳原より国道382号線を北上して、島の北端「韓国展望所」まで行き、帰りは県道39号で東海岸を南下する。厳原地区のホテル2泊目

第5日目 厳原より県道24号線で、時計回りに南部を一周。厳原地区のホテル3泊目

第6日目 厳原港よりフェリー(九州郵船)で、08:50発。博多港に13:25着。「福岡IC」より九州道、中国道「小月IC」から山陰道へ入る。途中、道の駅で車中泊。

第7日目 山陰道を東進し「宮津天橋立IC」より、舞鶴若狭道、北陸道を経て、日本海東北自動車道「胎内IC」まで。国道113号経由で仙台市まで。

  3534
博多港に入ろうとする?O???????N九州郵船フェリー「きずな」。これから岸壁に着いて、車両を乗せた後10:00に出発、2時間後に壱岐(イキ)に立ち寄った後、14:45に対馬の厳原港に到着した。自転車とともに5200円。もっと早いジェットフォイルもあるが、自転車を乗せられない。船内は広く、畳の2等室もあるが、座席もある。
  3535
 平日であっても、かなりの客が乗っていたフェリーも、壱岐に到着すると、あらかた下船してしまって、船内はがらんとしている。たいていは福岡市からの日帰り客だったのだ。壱岐は平らな島で、自転車で走行するには楽そうだ。帰りに寄るつもりでいたのだが、その日の天気予報は大雨であった。
  3536
 1445着。この厳原港は対馬でもっともにぎやかな地区であり、交通の要所だ。韓国の釜山からの高速船も停泊しているのが見える。壱岐と比べると、山並みはずっと高く険しそうだ。こちらは典型的なリアス式海岸が始まる。
  3537
他国と地面で国境を接しない日本だが、ここだけは古代より盛んに朝鮮半島との行き来があったため、あちこちのその遺跡や記念碑がある。この石碑には「朝鮮通信使幕府接遇の地」とある。1811年のことだ。「対馬藩主宗家墓所」もこの厳原地区にある。
  3538
ここが厳原の中心、「対馬交流センター」。大きなスーパー、土産物屋、レストラン、すぐその横にはドラッグストアを始め、何でもそろっている。この島で最もにぎわっているところだ。韓国人観光客が通りにあふれていて、韓国語が飛び交う。多くがハングル文字が添えられている。宿泊したホテルはこの施設のすぐ向かい。今から始まる自転車による周回は、この建物の地下駐輪場から始まる。
  3539
対馬にとって、ヤマネコはシンボルだ。だが、絶滅したのかまだ少しは生きているのか定かではない。仕方なく本物ではなく、ポスターで我慢する。残念ながらこの島の国道における車の混雑を見ると、彼らの将来は生息地は暗い影を投げている。
  3540

厳原中心部からちょっと北へ進むと、根緒(ネオ)の漁港に出た。昔ながらのつくりだが、堤防の先には小島がたくさん見える。ここは南北朝の征夷大将軍の墓所がある。

  3541
うしろに見える饅頭のような、まあるい島を背景に、こんなテーブルと椅子のセットが置かれている。かなりこの島に産する石でできた、古いもののようだ。
  3542
「厳原八幡宮神社」。雨の多い温暖な気候だけに、茂っている樹木はジャングルのようだ。国道382号線に面している。
  3543

島の道路沿いにある現在地を示す看板。南北に長く、北部が大きいラケットのような形をデザインをしている。オレンジ色の線が国道382号線で、もっとも重要な道路である。今から、ここから北上しようとしている。緑の線は県道で、北にある「比田勝(ヒダカツ)」からは39号線を南下する。翌日は南部の24号線を一周する。

 3544
 対馬の中央部は特に、北欧にみられるような、深く切れ込んだフィヨルドを思わせる地形になっており、一見すると川や湖のようだが、深く入り込んだ湾でできているのだ。それでもこの細長い島は地続きになっていたため、旧日本帝国海軍は運河を掘削した。万関瀬戸(マンゼキセト)といい、東と西にある湾を500メートルで結んでいる。これで島が二つ(上島と下島)に分かれたわけだ。
 3545
その運河上にかけられている万関橋。
 3546
 5月だから、日本の多くの農村部では特大の鯉のぼりを掲げる。ここではごく小さい鯉のぼりをたくさん掲げているが、これはこの地域の習わしなのだろうか?
 3547
 深く切れ込んだ湾のひとつ。カヤックで漕いで回ったらどんなにいいだろう!!!
 3548
「韓国展望所」。展望台ではない。この日は煙っていて見えなかったが、近くの漁師が自分のスマホで写した、夕日の朝鮮半島の写真を見せてくれた。ここにきているのは韓国人観光客ばかり。大型バスに乗って、次々と到着する。そもそもこの展望所の建物は日本風ではない。
 3549
展望所のある北の岬をぐるっと回ると、対馬第2の「比田勝港」に到着。大型バスが3台並んでいるだけでがらんとしていたが、ここは釜山から近く、将来的には大勢の韓国人観光客がやって来ると思われる。すでに島内では立て札や看板の大部分に、ハングル文字が添えられている。
 3550
比田勝から東海岸沿いに走る県道39号線に入った。アップダウン激しく、海辺に出たり森の中に入ったり、変化に富んでいる。国道382号線と違って自動車の通行量が少ないので快適。国道ではサイクリストに何人か出会ったが、こちらのほうがおすすめ。
 3551
 通称「紅葉街道」。秋になったらさぞ紅葉がきれいだろう。これも39号線の一部である。県道からいろいろな道があちこちで分岐しているので注意。
 3552
 「琴(キン)の大イチョウ」、これは日本一の樹齢だという。幹の空洞に設置された支えが痛々しい。39号線沿いで。対馬は熱帯ではないが、降雨量が多く、温暖だから、植物の育ちが大変いい。
 3553
 

厳原地区に戻ってきた。再び国道382号線と合流する。この日は曇りがちだったけれども、この看板の通り、晴天の日は西日が強くて運転の妨げになるらしい。これで今日の島北部の走行は終わり。夕方のラッシュは結構激しい。楽しみにしていたスーパーの地魚は売り切れていた。

 3554
 

翌日は、島の南部を主に県道24号線を進む。この軽トラの中島水産はスルメを作っている。そしてその後ろにあるイカ釣り漁船はイカを引き寄せる照明灯が鈴なりだ。さらにその後ろはフェリーで、船首部分が口を開けてトラックや乗用車を飲み込もうとしている。厳原港の南のはずれにて。

 3555
この道は必ずしも海沿いではなく、かなり山間部に入り込む。 それはたいして高い山でなくても急に切り立っているため、道が登山道のように”巻いて”いるから。滑らかな円ならば60キロぐらいで済むところを、ギザギザ道のおかげで100キロにもなった。
 3556
 

鋭く海に突き出た岬のため、道路は大きく内陸に迂回する。かつてはヤマネコの天国だったのだ。今は伐採と間伐が盛んにおこなわれている。

 3557
突然、道は浚渫(シュンセツ)中の港の前に出る。この神社は鳥居の配置といい、赤と黄色の配色といい、たいへんユニークだ。漁の神様なのだ。
 3558
奥深い山間部を抜けて、ようやく里が見えてきた。この辺りは「安徳天皇ご陵墓参考地」である。「参考地」であるから、お墓のある可能性があるということだ。壇ノ浦から移されてきたのだろうか。この写真の奇妙な瓦は「椎根(シイネ)の石屋根」と呼ばれる。島に産する板石を使って倉庫をこしらえ、強風に備えた。
 3559
県道24号線もそろそろ終わりに近づき、昨日通った入江の入り組む地帯に入ってきた。ここらでは急峻な山は影をひそめ、穏やかな内海が次々と広がり、カヤックを楽しみたくなるような環境だ。実際、途中にカヤックのクラブハウスを見かけた。

 H O M E > 体験編 > 体験編案内 > 旅行記案内 > 島めぐり > 対 馬

鋼線を
inserted by FC2 system